お金と価値を交換するのがビジネスだけれど、そのお金とやらは常にインフレや対外レートの変動によって購買力が変わってる。ハイパーインフレなどになってしまえば、お金の購買力というのは一気に落ちる。そこで、お金持ちはゴールドを買ったり株を買ったり不動産を買ったりするのだけど、資産価値というものも時代性や状況に左右される。例えば、日本で不動産を持っていても、人口が減ったり税金を引き上げられたりすると相対的に価値を失う。株を持っていても、バブルが弾ければ意味を失う。こうやって考えると、絶対的な価値というのは存在しない。ゴールドは長らくの間、絶対的な価値の対象とされていたけれど、それはゴールドの価値を世の中の人が共通認識と持っているからであり、なおかつそのゴールドが何らかの生産物と可換であることが重要。物々交換の時代に遡って考えればわかるけれど、何かしらの生産物とトレードできなければ意味はない。
ユダヤ人なんかはこのことをよーくわかっていた。だから、迫害であったり時代性に左右されないもの、なおかつグローバルに移動しても対応できるもの、盗まれないものとして、金でも不動産でも紙幣でもなくて、「教育」に価値を見出して力を入れた。
学歴や職歴というのは「教育を受けてきましたよ」ということについて一定の証明になるかもしれないけれど、日本の有名大学を卒業したことや日本での職歴は海外ではノーカウント扱いされる。こうやって考えると、一体何にPriceがつくのかと考えるのは非常に奥が深い世界。
教育を受けて頭の中に残ったものは、固定資産のような働きをするけれど資産税はかからないし、盗まれることはない。おまけに持ち運び可能。頭の中にあるものはどこまでも持っていける。
私はこの発想にひどく感銘を受けている。ユダヤ人の発想から学びました。
だからこそ、私は、生きる上でのすべての活動は、自分の頭の中に知識・経験・データを蓄積するためのものだと思っている。全ては実験のためにある。キャッシュなんかどうでもいい。こんなものはゴミでしかない。貯め込んだところで使えば減るし、貯め込んだところで価値は落ちるし、国力が低下すれば購買力を失う。マジでキャッシュは意味ない。こんなものに依存したら人生が危ない。危なすぎる。
ということは、一番何に価値があるのかというと、「お金」との交換対象である「価値」である。その価値を創出する「Business力」である。稼ぐ力だ。この価値というのは、需要と供給によって決まると考えて良い。世の中に対して、社会に対して、どのような貢献行為ができるか、思いつくか、実行できるか、という世界。何か一芸を持っても良いだろうし、発想力や行動力を売りにしても良い。頭の良さ、生み出す力、リーダーシップ、取引能力・・・・・なんでも良い。世の中は生産と消費と投資で成り立っているけれど、生産や投資に関係する領域で何かしらの貢献行為ができる武器があれば良い。それを自分自身の中に蓄積して、ポータブルスキルに出来れば良い。
結局、世の中を生きる上で、遊ぶにしても、ご飯を食べるにしても、ゲームするにしても、恋愛するにしても、読書するにしても、旅をするにしても、あらゆる活動を通して自分の中に経験値を積み重ねていければ良い。その経験値が積み重なって、レベルが高くなれば、あらゆる文脈において、必ず、お金と換金できる。私はコレをよーくわかっている。
職を得る、業を起こす、海外の人に協力を依頼する、人を動かす、人に売る、恋愛をする、人を助ける、人にアドバイスする、なんでも良いけれどあらゆるシーンで使えるような知識やスキルを自分の中に蓄積していけば、人生なんてどうとでもなるということ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。