ご存知のように、私は貯金を評価していません。
マネー本の世界には、隣の億万長者とか、明治ぐらいの日本の爺さんが書いた蓄財して豊かになろう系の本があります。
あれらは全部スルーしています。なぜか説明します。
私たちの銀行口座に入っている預貯金は銀行に勝手に使われています。国債とかを買われています。企業に貸し出されています。これは多分、ご存知だと思います。銀行の金が例えば国債に回っている。これは要するに、国民の金で政府を支えている、政府に金を貸しているという状態です。また、一般人は会社から給料をもらいますが、その給料は源泉徴収でごっそり引かれてそれは国に行っています。そして、給料を銀行に預けてそのお金はまた企業に回っているわけです。
経済とは早い話、企業の集積のことを言います。そして、その企業で勤めている人間たちがプライベートで個人支出をしています。GDPの7割ぐらいは個人消費だったと思います。
企業に金が回るように作られている、企業を中心に回るように作られている。企業とは要するに、何かを生産する有機的な機関です。言い換えれば、経営資源をインプットして、市場で売買される価値をアウトプットできる機関です。
つまり、「生産」が経済の中心です。
その生産を事業として主体的にやるのか、従業員として積極的に関わるのかはさておき、生産がメインです。
貯金していると何が問題かというと、
- 学習の機会を失う
- 時間を損失する
の2点です。若さが有限であり、価値があるのは言うまでもないと思います。若い方が気力・体力・精神力があり、やり直しも効きますし、記憶力も学習力も高いです。縄文弥生時代の平均寿命は30歳そこらで、戦前までは人生50年とか言われていた訳であって、50過ぎたら人生のロスタイムです。言い方を悪くすれば、本来死んでいるということです。医療のおかげでゾンビ化できている、ということになります。
そして、社会において、あらゆるコースの門が、10代で閉じられ、20代で閉じられ、30代で閉じられ・・・・というように、可能性と選択肢が初期の30年程度である程度決まってしまいます。
時間が希少資源であることは言うまでもありません。
自分が歳をとれば、若い世代は伸びてきます。若い世代は新しい技術・価値観に敏感で、新しい人種です。人間の既成観念とか思い込みは25〜30すぎるとどんどん固まります。柔軟性を失います。
歳をとればとるほど、消費意欲が落ちる分野も多いです。
となると、ある程度、若者が世の中を回しているとも言えます。新しい世代から新しい何かが生まれますし、元気の良い産業はそこから生まれるかもしれません。
貯金をして、時間が過ぎていくと、その分、「貯金せずに使って若い頃に何かしていた」人間と差がつくことになります。今使っている人たちの差異が生まれます。
貯金して、同時に知見も得るなんていいとこ取りは絶対にできません。お金を使っている人が得ている刺激は受けられません。お金を貯めるというのはイコールで「使っていたら得られた何かを失った」ということです。この公式は絶対です。
つまり、本来的に、「使う・貯める」のどちらとも、優位ということはあり得ないのです。まず、ここに対する認識が必要です。どっちが優位ということはありません。あちら立てば、こちら立たずのトレードオフにあります。
問題は、昔の産業時代全盛の時のように、歳を重ねることにあまり価値が無くなってきていることです。年寄りの価値が下がってきていることです。年功主義や終身雇用を支えられる仕組みがボロボロと崩れてきていることです。
世の中は新しくなっている。
新しい人材は出てくる。
貯めていたら、使っていた人間と差が出てくる。
社会は使う人間がリードする(お客さんだから)。
・・・・・こういうことを考えた時、お金を使わないでおくと、いろんなことに対する感覚が鈍っていくというのが私の経験値です。
これは生産には不利です。
エチオピアに住んでいた人が、日本に来ていきなり日本市場に対応することは難しいでしょうが、まさにそんな感じ。
支出をセーブしすぎるとどうなるでしょうか?
枯れてしまう気がします。
色も華もない。社会の流行りとか、トレンドとか、何が人気なのか、こういうものがわからなくなってきてしまう。何より、自分の頭が、コスパ計算とか、貯金して蓄財して将来いくらになってとかこういうことばかり考えるようになったせいで、「そうじゃない人の感覚がわからない」という麻痺になりがち。
究極的には現代経済においてほとんどすべての商品・サービスは無駄なので、無駄を排除する意識を強めすぎるとほとんどすべての経済が理解できないことになります。BtoBとかのビジネスしかわからなくなります。
ある時代に奢侈だったものが、必需寄りになっていく、というのを繰り返して地層を重ねているものですが、突き詰めると「無駄」は多いのです。例えば漫画やゲームは、まぁ無くても困りません。
何が、いくらで、なぜ、どうやって売れているのかが感覚では理解できなくなる。
麻痺です。
感覚的な次元で、致命傷なのです。
売れなくなる、新しいジェネレーションやマーケットについていけない、新しい技術や知識を勉強しない、一つの狭い殻に閉じこもり続ける、消費に関心が向かないから世の中の新商品や売れているモノがわからない。どこで何が活気があるのかわからない。
この対価が、預金残高です。
重要なことは、この預金で何がしたいか?です。例えば、単にそれが趣味なら良いでしょうが、そうじゃない場合、積み上げた先でも別にお金が使えるようにならないとか、おじいちゃんになってそれなりのまとまったお金ができるとか、そういうゴールが待っていることがあります。
老後不安を避けたいんだ、とかキャリアのヘッジをしたいんだ、とか語る人がいますが、だったら公務員になった方が良かったのでは?など、生き方や職業選択から抜本的に問い直したくなる人もいる。公務員であれば、よほどのことがない限りは首が無いでしょうし、それなりの老後もあるでしょう。「天下り」を見据えて、エリートコースを精進するのもありです。
老後対策として「ただ貯金」が疑問符の場合は多い。
歳を取っても働ける仕事を選ぶとか、そういう選択の方が大事になる場合もあります。
人間というのは、「生まれ持った頭でどうこう」ではなくて、単純にインプットで頭の質が決まります。インプット以上のアウトプットは出せないというのが原則です。自分の頭だけで何かをひねり出せるというのは、勘違いです。刺激をちゃんと受けなければなりません。
ですから、常日頃から、いろんな刺激を受けている人間の方が、例えばビジネスを企画するなどした場合には有利なのです。
株価や金価格が動いているように、お金の価値も動きます。現に、対外的には毎日レートが動いています。1ドルいくら・・・・みたいな感じですね。
基本的に、世の中で価値というのは「固定」できません。ゴールドは固定的な価値を持つ代表的な資産ですが、それでも日々動いているのです。
ということは、学歴にも資格にも、変動があります。消費期限や賞味期限があるのです。
世の中の人が動けば動くほど、相対的にいろんな物事が変わっていきます。
もし仮に、熱心に貯金しまくるAさんがいたとして、その周りのBさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさんが違う動きをしていって、お金を使っていろんな刺激を受けたり自己投資したりして、変わっていったとき。Aさんは相対的に動かされます。貯金して財産を作っているつもりが、相対的に自分の人材価値が下がっている場合があります。場合によっては、労働条件が悪くなるかもしれない。
コツコツ蓄財系の本には、時代背景というものがあります。
例えば株式系は「黄金期」と呼ばれる右肩上がりの時期があって、著名な書籍が集中的にそこで出版されていたり、あるいは大きな構造変革が起こらなかった時代を前提にした「給料から差し引き貯金・蓄財方式」などを唄う本があったりするのです。
でも、考えてみてください。
ネットが存在しなかったネット以前の世界で工業全盛期の中で生きてきた人間と、ネット以後の情報化社会で、スピード感覚や世の中の働き方なんてめまぐるしく変わると思いませんか。ある程度、がっちり世の中が固定化されていたある「時代」のど真ん中で、コツコツ蓄財みたいな方法論を唱えた人に影響された人が、時代の転換期にそんなことをやっていたら、そもそも時代についていけずに人材価値が暴落するかもしれません。
ファイナンシャルリテラシーがある人は、すべての資産価格が動くことを知っています。
そして、その時々で、最適なポジショニングというか、資源配分をする必要があることを知っています。
当然、各々の事情によって最適な攻略法は違うでしょう。
私が貯金嫌いな理由は、「マーケットがわからなくなるから」に尽きます。
100回風俗に行って、90回はそんなに満足しないのに、足繁く通うから10回の大当たりを引いて、その10回の大当たりの中で普段どうやっても感じることのできない心の動きだとか、発見だとか、面白いトーク、情報などが入ってくることがあります。
20回参加したセミナーのうち、1回大当たりのセミナーを引いて、そこで1億円レベルの情報的価値を得ることがあります。衝撃を受けることがあります。
こういう経験があると、お金を使わないこともまた、怖くなってくるわけです。
以上の理由から、私は、「自分が欲しくないものも買う」ようにしています。
私は占いに全く興味が無いのですが、占いを買う人の気持ちを理解するために占いを何度か受けています。車は乗りませんが、過去に車を買ったことがあります。家は買っていませんが、高額な家賃を垂れ流しする生活をしたこともあります。
ギャンブルしないですけどギャンブルにハマったことがあるし、自己啓発本は昔、「買う人おかしい」と思ってた分野ですが相当お金使ってきました。
女性誌を買って読んでみたり、なんとなくマッサージ屋に行ってみたり、オンライン英会話に課金したり、釣竿買ったり、そこまで興味ないけど高めのブランド品買ってみたり、ハムスター買ったり。クワガタムシもカブトムシも。
カウンセリングもセミナーもコーチングも。
全然運動しなかったくせにいきなりランニングシューズ・ウェア買ってみたり、チャリ買ったり、使わないのに万年筆買ってみたり。
勧められるがままに小説を買って、コンビニアイス買って、謎の骨盤矯正とか小顔矯正も受けたことがあります。
興味の無いボードゲームに、興味の無い知恵の輪、ルービックキューブ、将棋盤や囲碁、UNO、百人一首に花札に・・・・。
もうシャツいらないのに売れてるシャツ買ったり、いつどのタイミングで着るのかわからないスーツ買ってみたり、民族衣装みたいな服買ってみたり。
ワイン飲まないのにワイングラス買ってみたり、中学生以来大してゲームに興味が無いのにゲーム課金してみたり、美容整形に興味が無いのにリサーチのためにほくろ除去という無理矢理な理由を作って覗きに行ったり、女性用の化粧水を買って試してみたり、食べたいメニューがあるのに食べたく無い新メニューを頼んだり、友達が勧めるオーディオ機器を買ったり・・・・・・。
最近は、ウォーターサーバーとレーシックに興味があるのですが、
レーシックはやめておこうという気持ちになってきました。
そうそう、金融電卓とか買ったことがあります。
あと、3000円くらいする医療関係者向けの人体解剖図が見れるアプリとかも。
モルモン教徒の友達に勧誘されて教会に行ったり、イスラム教徒の人に指導者の説法テープを聞かされたり。新興宗教の集会に参加したこともありますし、バイナリーオプションをやったこともあります。
今、リストアップしたものの多くは、別にもともと欲しく無いものが沢山あります。
こうやって、手を広げていると、どの分野がアツいのか?とかが見えてきます。
すると、本質的に今、社会で求められているのは何かな、とかがわかってきます。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。