みんな大好き、西園寺ポエムの時間です。今日のテーマは、「東京と仕事と金と人生と」。

東京は外国。

私はそう思っている。たしか、「藤巻健史×成毛眞×松本大 トーキョー金融道」とかいう本にも同じようなことが書いてあった気がするけれど。

高城剛さんが、海外でスローライフを送りながらも、定期的に東京に接続することで、「働く感覚」を取り戻すと言っていたけれど、あの意味がすげーわかる。私も同じことをしている。

時間感覚は場所で矯正される。

六本木の1分と鎌倉の1分は違う。

金ってなんだろう。

これを考える上で、住む場所は切っても切り離せない。コンテクストを考えないといけない。20代の1年と40代の1年は違うというけれど、東京に住むのと岩手に住むのとではお金の意味がだいぶ違ってくるんじゃないか。

なんとなく、ここは、意味が溢れてる。

意味性で溢れている。

 

時間につけられた値段の違いは、空気の違いになる。つまり、「ここでは成り立たない仕事」ってのがある。「ここでは成り立たない出店」ってのがある。コンビニもすげー細くコンパクトにされて駐車場はもちろん無いぜ。すげーハイスペだけが中心だけに住居を構えて、平凡な民は外に押し出されるぜ。その効率化された景色を美しいって呼んでるんだわ。

東京には、嫌な感じと、安心感がある。

アンビバレンツな思いを抱く。

 

なんだろう。

狂ってて、「良い」のである。

なんとなく、人生がクソであることを忘れられる。東京という祭りの中にいれば、人生のクソさを忘れられる。飛んで火に入る夏の虫。仕事に疲れる前に人生に疲れていた人間にとって、このカオスさは良い意味でノイズをかき消してくれるものがあった。そして心をぐりぐりとレイプする。それが若き日に見た東京だった。

 

この街はズバリと労働一神教なのだよ。人々が労働をすることに最適化された街だ。目的や、ライフスタイル、ワークスタイルがバラバラな人間の烏合の衆である地方とはちょっと違う。東京は上から下まで、みんな働いている。エリートだってそうだ。確かに資産家もいるかもしれないけれど、東京と言う街ではなんとなく仕事をしたくなる。仕事に関係したことをしたくなる。働きたくなるのである。

夜景の美しさは人々の残業。

隣で一緒に歩いている人間がそう言っていた。確かにそうだ。この視点で言えば、東京の煌びやかさは、賑やかさに通ずるものがあるのかもしれない。明らかにこの街は元気だ。ダントツで元気なのだ。物理的には狭いはずが、どこまでも広い。どこまでも都会が張り巡らされている。密度が違う。質が全然違うのだ。

まぁそういう気持ちにさせられる理由と言うのも延々と語るけれど、そんなことを語っているとポエムらしくない。ドリーミーな気分になれない。だから今回は差し控えておこうと思う。東京と言う街がもたらすこの恍惚感。これをシェアしたいと思っている。

それにしてもなんだろうな、この浮遊感。

関西でも、名古屋でも味わえないこの感じ。なんだろう、この闇夜の心地よいブラックホールは。吸い込まれるような感覚があるぜ。

やりたいことが無い、という人間が、昔から旅に出たりする。彼らは、「WHAT」から「WHERE」に判断軸を転換しているのだと思う。日本国憲法では居住移転の自由が保障されているけれど、元来仕事は土地と紐づいているもので。仕事がわかんないなら、土地を探して回っちゃえば、ってのは、なんていうか、代数学的な発想でもある。

多分ね、移項してんだよね。きっと。

俺は旅しながら、移項してんだ。

そーやって、「やりたいこと」ってより、「これが社会と俺の連立方程式の解じゃん」ってのを見つけてきたわけ。

例えばだけれど、東京の、イケてるマンションに住みたいとする。先立つものは金だ。まず金の問題が出てくる。それから、自由時間の問題。好きなことをやる問題。とにかくまぁ、全部金に思えた。若い頃は、とにかく「金なんじゃないか」と思えた。また、金があれば行きたいときに行きたいところに行って、なんとなくふわふわした感覚を味わえる。旅の高揚感というか、全く知らない土地を彷徨う感じ。退屈とは真逆の世界。それに浸れる日常ってなんか良いと思った。とにかく金がキー要素に思えた。やりたいことがわからないなら、そこを未知数化して、他のところをいじってみた。

実は意外と人生の中で選択できる項目というものは少ない。例えば時間は、いつやるか、いつやめるか、いつまで働くかというのは操作できるけど、「時間そのものは操作できない」。ポーカーとか麻雀と同じで、基本的に、「残すか捨てるか」なんだよね。そのスワップ・マジックの連鎖で。 何を選んで、何を捨てていくか。全部は選べないし、キャパが決まってる。ただただ時間が流れていく中で、何を選んで、何を捨ててくか。

特に土地に関する意思決定は重要で。基本的には、同じ時間に二つの場所に住めなくて。分身の術は使えない。今いる場所にグッバイするのか否か。新しい場所に行くのか否か。

割と人生の選択なんてこの程度だよ。そうでしょう。あとは目的意識とか、そういうもんだけで。人生の選択なんてこの程度だ。

決定的に言えるのは、

「このまま、田舎で燻ったまま人生終わりたくない」

「このまま、田舎の片隅でレジ打ちしてるだけの人生で終わりたくない」

ということは誰でも強烈に感じられるんじゃないか?ってこと。そういうわかりやすい衝動があるのならいいね。そこを飛び出そうという気持ちがシンプルに見えてくるから。そういうものがないケースがなんやかんや難しいのかもしれない。

 

何のために生きてる?

人生の意味は何?

 

そういうものを見つけるのって、ちと難しいかもしれない。

なぜだかスッゲーわかんねーけど、何よりも場所を刷新することが一番興奮する。replaceすることがすごい興奮する。移動に興奮しているのか?それともスワップ(交換)に興奮しているのか。紡いでいくストーリーに酔ってるのかな。それだったらさ、結局さ、「どんな仕事をしてるか」とかそういうことじゃないんだよね。場所も本質じゃないかもしれない。人生物語をシンプルに楽しんでいるんだよね。プロセスだよね、プロセス。

 

be a swap magician.

 

特に旅してる時に顕著だけれど、目的地はあった方が良いけれど、あんまりかっちり決めすぎたり、予定・計画だらけにするのもつらくて。ほどほどの目的意識と、ほどほどの計画性と、あとサプライズと、意外な寄り道と。

贅沢って、無駄を楽しむことだよな。

なあ、そうだろう。

仕事してる時も、遊んでる時も、なんか「うわ、これ、無駄っぽい」ってことやってる時、それをさせられる時じゃなくて、悪戯心というかワクワク感のままにやってる時、流れでやっちゃってる時が楽しい。そういう一瞬のひらめきや思いつきでやってきたことって結構多くて。

 

ここは欅坂。

人生には、上り坂と、下り坂と、まさか、があるらしい。

おまけに、life is like a snow ball. the important things is finding wet snow and a really long hillだからさ。そう、下り坂フェーズになったら、上りで作った種籾をコロコロコロコロ転がしまくるんだぜ。下り坂の醍醐味はそこだよな?

 

登りは登りで上がってくのを楽しめよ、と。

そして、下りは利益を取ってけと。過去の自分が積み上げてきたことを使って、コロコロコロコロ大きくしてくんだ。時間を味方につけるような生き方をしろよ、って。

そして、道中の「まさか」を楽しめよ、と。

 

 

 

make you feel, make you think.

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。