若ければ若いほど、我々は世界に対して受け身で、傍観者でしかない。
しかし、社会経済的にひとかどの者になればなるほど、観察者ではなく、行動者になる。
人生GAMEの観客席から、舞台に移る。
そうすればもう、時間はいくらあっても足りない。
「都道府県」という括りでものを語る時、往往にして面積は無視されがちであるが、実際に足を運ぶとその着眼点の重要性に気付かされる。
今自分が捉えているものの「広さ」はどの程度のものなのか。
無意識のうちに、言葉で世界を切り取っているけれど、それがどの程度の広さなのか、ということをグラデーションを細かくして認識できるようになることが「造詣を深める」ということだと思う。英語学習がまさにその最たるもので、ビギナーのうちは「三原色」ぐらいでしか世界を描くことができない。
人生のビギナーのうちもそうだった。
でも、だからこそ、なるべく若い時に勝負するべきだ。世界が極端に見えているうちに。年数が過ぎれば、「分別」がついてしまう。
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結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。 物事の分別がついたらできないんだから。
ー樹木希林
我々は子供の頃は感覚論者だ。恋をして、恋人に、現実には存在しない性質を見るようになると、理想主義者になる。この恋もぐらつきだして、誠実さというものを疑うようになると、いつの間にやら懐疑主義者になる。そうなると、後の人生はどうでもよくなる。われわれは、なるがままに任せるようになり、ついにはインドの哲学者たちみたいに、静寂主義になるというわけさ
ーゲーテ
若き日、私にとって人生は「成功か否か」の白黒論にしか見えず、また、男にもゴルゴ13が言うように「女と暮らしていいと思っている男・結婚、家庭形成を重心に置く男」か「使命(=命の使い道)に生きる男か」の2種類のように見えた。同棲経験や失恋、女遊びや社会観察は、自身の中にある「Have to(〜しなければならない)」と「Want to(したい)」のギャップを気付かせてくれた。
ある意味、小中の段階で「こんな大人は立派では無い、間違っている」という方向に進むことになった。普通に働き、普通に結婚することが幸せだと信じていた時期が私にもあったのだ。
人それぞれいろんな生き方があって良いよね、「勝ち組・負け組なんて馬鹿馬鹿しい」
みたいな事を言い始める頃にはあらゆる頃に分別がついていて、社会が実はカラフルである事に気付き始めて生きやすくなると同時に、もう、「白黒」で自分を追い立てて「Dead or Alive」の境地に立つ若さ特有のハングリーマインドを失っているだろう。
人生とは、時間のことだ。
ニュートンは、この世界は「時間」「空間」「粒子」で出来ていると考えた。また、木から落ちる林檎と重力の話はあまりにも有名だ。
ニュートンは、距離を超えて作用する「重力以外の何か」がわからなかった。地球に、重力以外の何か見えない力が働いているのは明らかだったが、それが何かわからなかった。というより、重力そのものがよくわからなかった。そこに、「電場」と「磁場」を見出したのがファラデー、マクスウェル。19世紀に入ってのことである。
離れている物体と物体の間に直接に力が作用しているのではなく、空間のいたるところに何らかの実体が存在している。ファラデーの考えは、反発し合う磁石を持ってくっつけようとしてみれば直感的に理解できる。私たちが空っぽだと思っている空間、そこに何かあるのだ。
ファラデーとマクスウェルは、電気と磁気の仕組みを明らかにする過程で、光の性質までも解き明かした。私たちの視界に映るセカイの「色」は、光を形作る電磁気の波の振動数の違い。
化学反応・生命現象を作用させているのも、摩擦力も、電磁気力である。元素の周囲も電子が飛び交っている。化学反応は、元素の最も外側を飛び交う電子の数が関係している。
今日、我々が当たり前のように使う、電話、ラジオ、インターネットなどは、すべてElectric field、Magnetic filedという目に見えない空間的実体の発見の上に成り立つ。空間は「空」なのではなく、そこに何かある。ニュートンがわからなかった何かは電磁気力。
ニュートンの「空間」「時間」「粒子」。
ファラデー・マクスウェルの「時間」「空間」「場」「粒子」。
この2つの世界観を、後にアインシュタインは統合した。アインシュタインは時間と空間を統合して「時空間」とした。時間と空間は同じだと考えた。さらに時空間と場も統合した。
アインシュタインは言う。この世界は、「場」と「粒子」で出来ている、と。
重力の正体は、時空間の歪み。そもそも「時空間」が軟体動物のようなもので、例えば地球はそこに浸かっているのであり、物質の質量が生み出した「歪み」によって、距離の離れた物質同士を引き寄せ合う「重力」が発生。こうして、地球は太陽の周りを回る。
簡単に言えば、ベーゴマ、ベイブレードのフィールドのように空間は歪んでいる。例えば、銀河系は、太陽のように大きな質量を持つものの重みによって歪んでいる。だから、歪みを生じさせている大きな物質を中心にこれを巡ってクルクル回る。中心に引き寄せられる。太陽がまるで重りとなって、周囲の空間を捻じ曲げる。ねじ曲げられた空間によって、周囲の惑星が運動をする。
アインシュタインが時間と空間をひとまとめにしたのにはワケがある。
例えば私が火星にいるとして、地球にいる貴方にメッセージを発して、これを聞いた貴方が即返事をした場合、15分後に届くとする。つまり往復ラリーに15分かかる。
15分のタイムギャップがあった場合、これは私から見て、未来でも過去でも無い。LINEの返事が15分帰ってこないのとはワケが違う。相手が即座にレスポンスしても時間がかかるのである。相手が返事を発した時点を基準にするなら、私の元に届く時間は未来であるが、届いた時点からすればこのメッセージが発されたのは過去である。しかし、「今」手元に来たものでもある。
すなわち、距離が長くなれば、絶対的同時性は存在しない。
地球の「今」と火星の「今」はシンクロしない。
時間は等しく流れていない。
私たちの直感では、人々は時間を共有していると思う。昼なら昼、夜なら夜を共有していると思う。しかし地球と火星の間では距離が遠すぎて、コミュニケーションを繋げようとしてもずれる。光の速さでもズレる。だから、「同時」があり得ない。
手垢のついた話だが、夜空に光る星の光は、実はもうすでに消滅した星の光を見ているかもしれない。宇宙はあまりにも広く、光の速さで何万年かかるという壮大な話がつきものの世界である。
今、とは何か。
「今」とは、「ここ」がセットにならないと論じようが無い。「今、ここにある〜」なのである。時間と空間が同じだというのは時間の基準に絶対性がなく、「同時」には空間的限界があることを意味している。
本田圭佑が、腕時計を両手につけて、「こっち日本、こっちミラノ」とやっていたが、考えてみれば世界中の時間はズレている。時差がある。日本の昼はアメリカの夜。日本人が活動している時、アメリカ人は寝ている。距離が離れれば時間は同じように流れていない。
DVDで夏目雅子に、CDでZARDに会えるかもしれないが彼女たちはもう死んでいる。youtubeで小池栄子や吉岡美穂、安田美沙子、雛形あきこ、サトエリの映像を観て抜けるかもしれないが、今の姿を観て抜けるかどうかわからない。
テレビでよく、衛星中継をやるけれど、タイムラグが発生したりする。このズレが、「光の速さでも15分ズレる世界」を想像してみて欲しい。もはや、「同時とは何か」ということになってくる。これが15分ではなく15年だとどうだろう?宇宙は、平気でこのぐらいの距離が離れた星がいくつもある。
2019年の年末に、AI技術を結集して美空ひばりを蘇らせて演奏させる、という企画をNHKがやっていた。「川の流れのように」の作詞家であった秋元康が新曲を書き下ろし、立体映像、音声によって蘇らせて、演奏会場には親族や、芸能人、ファンが押し寄せ、多くの人が涙していた。もし今後、人工的に生み出された人間に知能が与えられるようになると、いよいよ「時間とは何か、空間とは何か」が混迷を極めて来る。死んだ人間が戻らないのは時を戻す事ができないからだ。しかし空間的に再現・復活させられたならば、美容技術が進歩して老いない体になったならば、いよいよ時間の概念は混迷を極めて来る。
昔人気があった俳優、水嶋ヒロの出世作となった仮面ライダーカブトで、「Clock over」という、周りがスローモーションに見えるほど高速で活動するという能力があった。ドラゴンボールにも、「精神と時の部屋」という、似たようなコンセプトがあるが、時間とは「活動量(運動)」であり、「相対的」なものなのである。
今日、我々が自然と持っている「時間」と「空間」を分ける発想はニュートン力学に根付くものであり、アインシュタインはこれの全面的書き換えを要求するような世界観を確立した。アインシュタインは時間の概念を覆した。
時間と空間は分かち難く結びついている。そして時間は「絶対」では無い。
〜foreign affiliated ECLM & CCTC industry principal&principles〜
【ドクター(Doctor)】
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。