マネーは国家

このコンテンツは、時給と富裕層の秘密と本質のコンテンツを一部引用しています

 

▼:マネーは国家

「お金はなんで価値があるんだ?」

という認識について、

金属的な由来に根付く考え方と、

国家権力由来に根付く考え方がありますが、現代では後者の方が重要ですね。

ましてや、現代は不換紙幣ですし。

つまり、マネーとは国家なのです。

物々交換の場合、

提供し合う財やサービスにタイムラグがあると困るので、

借用証のようなものを発行できると便利ですが、

それが履行されないと困るし、

何よりその二者間だけの取引になってしまう。

そこで、その債務履行の関係性を証券化して外部流通できるようにし、

さらに支払いしない場合には国家権力によって刑事罰を与える、という担保によって価値が保たれている。

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ここに、法と契約の概念が絡んできます。
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なので、

経済はいわば、法律との関連で捉える必要があるのです。

民間で仕事をする際、

特に

「会社の売買(M&A)」

のような、

複雑な概念や無形物の取引で

弁護士という存在が必須なのはその辺の絡みもあります。

貨幣ー国家ー法律のつながりが見えてきましたか。

財やサービスの提供という「信用」と、

対価を支払わねばならないという「負債」。

この「信用-負債」によって経済は成り立っています。

経済社会において、

「信用がない」

とは、

・対価を支払う気がない

・対価を支払う能力がない

ことを意味します。

返済意志と返済能力の欠如です。

人間性がどうとか一切関係がありません。

むしろ人間性が評価指標になるのが田舎の苦しい閉鎖的な社会でしょう。

そこでも、「みんなが顔馴染みによる相互保証と村八分システム」というブロックチェーンシステムが機能しているのですから。

さて、

この国家権力に保証されたマネーを

民間企業が勝手に信用創造しているのはお馴染みの所業です。

なんでそんなことが許されているのか?

銀行家の特権か?

陰謀か?

奴らは現代の貴族か?

なんて色々言われていますが、

そういう側面もありますが、

とはいえ現代の銀行家は無理矢理貸し出しができるわけではありません。

あくまで借りてくれる人がいてナンボです。

資本主義は、銀行に一定程度の信用創造を許すことにより、

資本家たち・民間事業者たちに元気に活動してもらい、また金利に追われてもらい、ますます働いてもらうことによって

経済社会を進化させてきたというルーツがあります。

そしてこのメカニズムゆえに、金融循環が起こります。サイクルがある。

成長ー民間需要ー信用創造ー貨幣ー国家ー法律

のつながりが見えてきましたか?

民間の成長は銀行に利子を、

政府に税収をもたらします。

国際的な貿易価値、経済価値ももたらします。

(北朝鮮が国際的に信用がないのは、トップがあんなんだからというのもありますが、ああいう体制の元で民間経済が弱いからというのもあります)

さて、

マネーは物々交換の媒介でしかないという考えは、

需要と供給の均衡という概念に発展し、

セーの法則(セイの法則)や一般均衡理論などを生み出してきました。

この構図は過剰供給やデフォルトを無視しています。

不況や失業を無視している。

ただし、

ここで貯金という現象を見つめて欲しいのですが、

「売買の媒介」

でしか無かったマネーを貯金するとはどういうことでしょうか?

払わなければならない、という義務のストックは負債であり、

先に財やサービスを渡したので対価を受け取る権利がある、という権利のストックは資産・債権です。信用を供与した状態です。

ツケがわかりやすいですが、

対価を受け取る権利がある状態は資産であり、

対価を受け取り現金として保有している状態においてそれが貯蓄されている状態は

「将来それを使う=将来の購買」

であり、将来の需要のためのストックです。」

つまり、ここにあるのは「時間」の概念です。

当然、払うべきものが払われないという貸倒、

払うべきものが払えないという倒産があります。

これが増大したものや、連鎖現象が起こる時に信用不安というものが広がることになります。

厄介なのは、行き過ぎた信用不安は

政権の転換を促すということです。

特に大事なのは

「雇用」

です。

雇用がないと社会が荒れるわけです。

仕事がないと大変。

ここで話は飛んでユーロについて考えてみましょう。

国家から通貨主権を奪い、国境の壁を撤廃して、財や資本、労働の国際移動を自由化したらどうなるか?

という壮大なプロジェクトがまさに戦後ヨーロッパだったわけです。

そしてそのオチとしてのBREXITから見てみますが、

ユーロ脱退派の主要な意見としては、

「イギリスのことはイギリス国民が決めるべき」

「移民がうぜぇ」

的なものでした。

グローバル化に対して、

国民国家主権の復活、ナショナリズムの高揚というものだったわけです。

逆に、ユーロで1番ウハウハだったドイツは、

仕事を求めて集まってきた人間を安く使い倒して経済繁栄を実現するという、

日本における

「東京」

と似た構図が展開された。

東京は東京生まれ・育ちの人間たちが、

地方から上京してきた田舎民を使い倒しているというヒエラルキー社会です。

「東京の専業主婦こと千葉」のように、

近隣は東京にレイプされて従属させられています。

ユーロ圏の国は自主的な金融政策ができない。

こうして、政府は、日本がやっているように国債を中央銀行に買わせるという財政ファイナンス的なことができないので

財政赤字が積もっていく。そのため緊縮財政をする。緊縮財政をすれば国民が困る。

やがて国民が金融市場に隷属していく。

国が国債の利払を延々と金融市場に対して行うか、

あるいは緊縮をして不況になり路頭に迷った国民がまた金融市場に搾取されるか。

まぁ、ヒトラーが出てきたのもこういう流れの中だったんですが。

貨幣の絶対的な民営化というのは、

国家の民営化につながってしまいます。

そうすると銀行に支配されてしまう。

ユーロは最大市場であるドイツを基準にされるため、

政策金利もユーロで統一ですから、

ユーロ基準=ドイツ基準で設定された金利が、他の発展途上ユーロ国では低すぎる金利となり、

結果的に資産バブルが発生したりした。

こういった事例からもわかるように、

「貨幣」を「国家=国境単位」でやることの効用は

その地域にあった施策をやるためだとわかります。

日本における地方分権とかもそうですよね。

グローバリゼーションは国家分裂も起こします。

1994年にNAFTA(北米自由貿易協定)に参加したメキシコは、

これにより、資本移動の自由化や貿易の自由化を実現しました。

その結果、国境付近はアメリカの金融循環に連動するようになり、工業地帯は発展が遅れて社会問題化し、

南部は見捨てられた。

自由貿易は国家解体や内戦の遠因になる。

国家は大昔は、専制的な存在でした。

その代わり、民間が活発では無かった。

これがだんだん、国家は専制性を失い、

その代わりにインフラストラクチャー的な部分で大きな役割を担うようになり

あとは民間に自由をやらせるというスタイルで大きくなってきた。

これが、政治経済、そして軍事的に最も素晴らしい黄金比だった。

国家は国家に属する個人の権利を保障し、

同時に対外的な関係、国際関係的な部分にも関わってきます。

究極的には戦争です。

国民国家の起源は元々は戦争です。

あらゆる国家は元々は戦争のための組織です。

元々は軍事組織だった国家で、

軍事部門と非軍事部門が分かれ、

非軍事部門が肥大化して、軍事部門が国家の一部分にまで縮小した、というルーツです。

国家は、

その地域に根付く、

「共同の困難」

への連帯から生まれた。

だから結局、

経済を理解しようと思えば、

最終的には地理学にもアクセスしなければならないのです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。