仮面ライダーを観るついでに、プリキュアも惰性で観ていた男子のほとんどが思っていたことを代弁する。
プリキュアも仮面ライダーも、「変身」して悪と戦うのである。
しかし、プリキュアを観ていた男子のほとんどが感じたであろうことがある。
変身シーン長い、この間に殺される
多分、男はみんなこれを思う。
これが非常に気になる。
この感想は、男子が大人になって、女子と生活を共にした時にも感じるだろう。
「化粧長い。眠い眠いと文句を言うなら、化粧時間をもっと削って、もっと寝ればいいのに。」
異常に長いプリキュアの変身シーン。これは名物だ。
多分、セーラームーンもそんな感じじゃないか。
男子は、ほとんどが、
「変身長い、この時に殺される」
と必ず感じる。
一方、女子はそこに矛盾を感じない。一緒に見ている女子にそこを突っ込んだら
うるさい!
と怒られる。
ここに男女の脳の違いがある。
男子は、変身を機能的に捉えている。
強力な悪と互角に戦うために、変身する。変身する目的があって変身する。
仮面ライダーシリーズも、「変身グッズをおもちゃとして売って収益を上げたい」という大人の事情により、謎に携帯電話やら何やらを組み合わせたガチャガチャした変身ベルトになったり、変身時間が長くなったりしたこともあるが、平成仮面ライダーシリーズで最も売れたとされる仮面ライダークウガなどはその辺りにリアリティがあった。
時間がない時は戦いながら変身するのである。
クウガは昭和で終わったライダーシリーズを、平成で復活させるというチャレンジングな試みの一つで、「当たるかどうかわからない」という中で、「これまでの常識を覆そう」と徹底したリアルにこだわった作品である。よって、作品そのもののクオリティをあげることに注力した。
一方、クウガの功績があって第二作以降シリーズ化が常態化した仮面ライダーでは、大人の事情により、ガチャガチャとした変身グッズが増えていった。
一方のプリキュアはどうか?
変身シーンが最大の見せ場なのである。
普通の女の子たちが、可愛く変身する。
この時間が長いのがポイントだ。
変身がある意味、自己目的化していると言える。
悪と戦うために変身するはずが、髪のセットが変わったり、リボンが増えたりと、
可愛いが増えていく
という感じである。
可愛いが増えていった後、
キャバクラに出勤!おじさんたちから金を巻き上げてハッピーエンド!
という設定では流石に子供向けとしては成立しないので、一応、戦うという目的のもとに変身している。女性的な変身とは、「可愛い」が増えていく変身であり、可愛いという武器を増やして、何らかの形で社会と戦っていく、という女性の生き様のメタファーなのかもしれない。
そして、平成仮面ライダーは後になって数が増えたり、仲間が増えたりしたものの、本来的には仮面ライダーは1人で戦う。
一方でプリキュアは最初から、
ふたりはプリキュア
なのである。
この、「ふたりはプリキュア」は、「ふたりでプリクラ」にも思えている。
何かを行動するにあたり、友達がいないと行動できないのがマジョリティである女性の典型例をよく捉えている。
女子のプリクラを見ていると、「プリキュア」っぽいのである。
そして、このリアルドキュメンタリー版がK-popなのだろう、とも思う。
ただ、ここで笑えないのが、女子向けのコンテンツの方が実は、「生涯通ずる生き様」を反映しているのだ。
男子は、大人になっていく過程で、
変身するアイテム
を持っていない。
女子はファンタジーコンテンツの世界で「変身」の概念を学び、それに通ずるリアルアイテムがある。しかし男子はない。そこで男子の世界観は一度、断絶するのである。
そして、仮面ライダー的な世界観から離れていく。
男子は、女子のように、
垢抜けて世界観がガラリと変わるとか、
メイクで劇的に化けるということが、ほぼない。
変身はできないのだ。しかし、眠れる何かが自分の中にあるかもしれない。
その後、少年ジャンプ的な世界観にハマり、
- 友情
- 努力
- 勝利
の三大テーマにハマるが、少年ジャンプの主人公は、ルフィにしろ、ナルトにしろ、孫悟空にしろ、「選ばれた遺伝子」が多いのだ。少年期は誰もが自分の遺伝子を信じている。そこで修行に励む。
しかし、どこかで現実に直面する。
少年ジャンプでは、
「努力したが、限界を感じるエリート」
というのは主要な脇役であるが、自分がやがてその枠であることを理解し、やがてそれすらも届かないクリリン的な立ち位置であることも理解し、最悪それ以下であることも理解していく。
ただし、友情・努力・勝利の概念は、中高の部活動の世界観に接続され、スポーツの世界でそのリアリティに揉まれていく人も多い。あるいは、そういった世界に揉まれず、いつの間にか受験競争に巻き込まれているタイプもいるだろう。
こうして、男子の世界観は上書き・更新されていく。
一方の女子は違う。
化粧をする、ボディラインを強調する、谷間を出す、足を出す、・・・・・
そういった
変身ファンタジー
を女性の場合は、なんと25歳、下手すると30歳くらいまで信じられるケースがある。
ひどいケースだと39歳までひきづる。
変身ファンタジーの中にいるから、
「加工」
も平気なのである。
変身が身近にあり続ける。
さらに、
男子が死ぬほど努力して、
有名大学に入り、
その中からごくごく一部として選抜された
就活トップエリートの時給というものを、
- キャバ嬢に変身★
- P嬢に変身★
- 風俗嬢に変身★
するだけで、瞬間的に越えられてしまう。
その時に使う名前は、源氏名。仮の姿。普段とは違う、戦闘中の「ワタシ」。
私は20代前半の頃、26歳くらいの風俗嬢と客として仲良くなり、やがてプライベートの関係になり、その女性の家にまで招かれるような関係になったことがあるが、真剣な顔で、
「お店の私は別人格なの」「スイッチが入ると違う私が始まる」
「お店にいる時の記憶はあまりないの」
みたいな謎設定(多分、本気で思い込んでいる)を滔々と語られた時に、小学生低学年、または幼稚園児の男児と喋っているような気分になった。
男子にとって、
変身
とは、10代の後半ともなれば、極めて「幼稚な概念」となる。
小さな頃、見たり憧れたりしていた概念である。
懐かしい概念である。
もしかすると、20代前半で、「変身願望」を捨てられずに、「人生が変わる!」というような自己啓発本を読み漁ることもあるかもしれない。しかし、
強い性欲
にドライブされ、女と性交渉するために、地道に靴底をすり減らしてナンパしたり、稼げる営業職について靴底を減らしてみたり、良い就職先を見つけようとしたり、風俗に行く金を稼ごうとしているあたりでいつの間にかすっかりと現実的な生き物になる。
面白いのが、その相手・対極にいるのが、未だ「変身ファンタジー」で夢を見られる生き物だということだ。
女性は現実的で男子は幻想的
とは昔からよく言われるが、
往々にして女性の言葉は文字通りではないので、素直に受け取るのは注意が必要だ。
- 優しい男が好き → 普段は暴力的、街で暴走行為をするが、私の家に近づいた時は音を消してから来てくれる、私にだけ優しい
- 包容力がある → 都合が良い、経済力がある、わがままを聞いてくれる
など本来的な意味ではないケースが多々なので、その手のワーディングはまともに受け取ってはいけない。
ここでいう女性は現実的とは、
- 男より年齢的な朽ち果てが激しいので、人生をフェーズ認識する要請が高い、時間にシビア
- 好きな異性と共になろうとした時に経済的な苦労が予測できたら切る、経済的スペックを考慮する
といったような手堅さのことであって、また、男性のようにリスクを取らない(リスクを取らなくても、ローリスクハイリターンの身の振る舞いができる)ということである。
困ったら性風俗や水商売に逃げ込めば、とりあえずの住居や生活手段が得られる生き物であるのに対して、男性の場合は身一つとなると日雇い労働しかなく、しかも給料は良くない。玉の輿もほとんどない。
言い方を変えると、男には一発逆転がほぼないからこそ、リスクをとってハイリターンを得ようとするのである。
もちろん、
女子は
「遺伝子で決まる自分の造形」
について、幼い頃から深刻に悩み、鏡を見つめているのかもしれない。
しかし、それは男子も同様で、ただ女々しいから表面化しないだけである。
男子トイレに行けば、一生懸命、鏡を見ながら髪型をいじりまくっている10代〜20代前半男子がいる。
女子がジャニーズに熱狂する姿、
イケメンを学校でチヤホヤする姿を見て、
遺伝的運命の残酷さも良くわかっている。
プリキュアは、仮面ライダーと比べると、
「人間関係」
の描写も繊細である。
人間関係について、かなり、重きを置かれた作品だと感じる。
私、●●ちゃんのこと、考えてあげられてなかったかな・・・・
でもやっぱり素直になれないや・・・・
みたいな描写がよくある。
一方、仮面ライダーで描かれる葛藤はその手の葛藤というよりは、
- 暴力と正義
- 大事なものを守らざるを得ない責任と、自由の対立
みたいなものが多い気がする。
10代の女の子が、友達と待ち合わせをしている時、
「笑顔で手を振りながら駆け寄って抱き合う」
みたいな場面をよく目にする。
男子にはそれはない。
10代で待ち合わせしていると、
「お」
「お」
みたいな感じで終わりである。
その点もやはり、色々と違うのだろう。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。