とある日のこと。某飲食チェーンで食事をしていたら、厨房でいじめというかパワハラまがいの光景を目にした。
バイトリーダー的な人間が、『声が小さいって』みたいなことを新人に注意している。しかし、その新人の返事の仕方が悪かったのか、『ねぇ、聞いてますか?』と再度尋ねるバイトリーダー。それでも、まともに相手されなかったバイトリーダーは思わず、手元にある食器をガン、とやってた。
その後も、やりとりを観察していたけど、まぁ、このバイトリーダーが言っている言い分も一理あるけど、内実は、指導の仮面を被ったパワハラのように見えた。
どっちかというと、そのバイトリーダーが、新人に対して、『ここでの権力者は俺だぜ』というマウンティングをしたいだけのやり取りに見えた。
この拡張版みたいなやりとりは、正社員の世界でもあちこちに存在するだろうと思う。どこの職場でもこーゆーのってあると思う。
動物が本能的に威嚇をするように、人間も本能的にマウンティングする。でも、日本人はそろそろ、頑張り方について再考する時期が来ているのかもしれない。中途半端な努力信奉や根性信奉があるから、人はいざという時に必死になる。その必死さが、思考を停止させて、本能的行為としてのマウンティングなどを呼び起こしてしまう。
これが、逆に自分の首を絞めるのではないか。
年長者を敬わないといけない、先輩を重んじないといけない、上位職を敬わないといけないみたいなものは当然のルールとして存在するだろうけど、たまに、そーゆーのを悪用するようなやりとりとか圧力ってあったりすると思う。
人間が権力を持ち始めるとろくなことにならないのは歴史が証明した事実で、日本の国家体制が三権分立を採用しているように、賢いシステムというのは権力の肥大化をおさえるような制度的担保が存在する。賢明な組織においては、権力者の権力には制度的にブレーキがかかっており、また、そのポジションにいる人間に対しても、各種なんとかハラスメントに対する研修、教育は行われているだろう。また、しっかりしたところでは個々人が意識的に自制しているはず。
有能な人間、出世する人間、成果出す人間は、怒っても仕方がない、騒いでも仕方がない、下の人間をいじめても仕方がないと言う場面で、至って冷静。
数少ない組織で働いた経験を思い出す時、若くして相当上に上がった経歴を持つものは皆、一周まわって逆に冷静だったり優しかったりして、オーラが出てたぐらいだった。逆にそれが怖いぐらいの人が多かった。(まぁ、それ以下の人間が嫌われ役を押し付けられてただけかもしれないけどね。こーゆーことを考えれば考えるほど、組織ってめんどくさいね。)
頭が切れるというのはそーゆーことだろう。
中途半端な職位、ちょっと偉くなった人は、声がデカイ、勢いがある、意識と根性だけでちょっと偉くなってしまったよーな面倒臭い人がおり、内実は権力の仮面を被った幼稚園児的発想の持ち主で、わーきゃー騒げばどうにかなってきたタイプの人がいたりする。
本当は周りのサポートでどうにかなったのに、上手な場面で、
『これは僕の成果です!!』
と一生懸命、上に尻尾を振って、それを側から見ていた仲間たちは、シラけてしまう、、、みたいな。
まぁ、実力主義を歌ってるよーなどこの組織でも結局、上司に気に入られたもんがち、うまくアピったもんがち、みたいなところはあるよね。
著名人のインタビューなどを聞いていてもわかると思うが、本当にずば抜けた人は肩の力が抜けているし言うことが優しい。しかし、やたら苦労してしまってる人、あまり思った通りに華が咲かなかった人の言うことは辛辣で棘が多い。
当たり方もキツイ。
それなりのところのそれなりの職位の人はむしろ、非常に柔らかくて下の人間に対する配慮がある人、褒め上手の人、パワハラに気をつけてる人は多いと思う。
業界によっては、かなり就労環境が劣悪で、自分のストレスをマウンティングやパワハラで解消しようとする人って必ずいる。また、職位を見ても、上位より中間管理職のような板挟みのポジションの人、中途半端に偉い人ほど、マウンティングに固執して面倒くさいことが多い。
AKBの指原さんの本に、『超偉い人にはフランクに、ちょっと偉い人には丁寧に、したてに』みたいなことが書いてあったけどその通りだと思う。素晴らしい処世訓。
学歴も職位もそうだけど、『トップクラスではないけど微妙にハイクラスに属するエッジの立たないゾーン』の人間が一番厄介である。まさに文字通り、腫れ物に触るような勢いで扱わないといけない。このゾーンこそ、ストレスとコンプレックスに一番苛まれているといっても過言ではない。
おそらく、世の中で
『社会は甘くないぞ!』
的なことを言いふらしてる連中は大体そこのゾーンと思われる。マナーにやたら厳しいのもそのゾーン。
自分の同年代の人間で、学生時代からの付き合いある人間を見ていても、『中途半端』な人たちで中途半端にポジションが上がり始めた人ほど、そーゆー面倒臭いことを言い始める人間になっていっている。
あるいは、自分の上にいる古い世代に気に入られたいがゆえに、上の世代が信奉している、古い日本的な根性論、年功精神などの体現者であることを積極的にPRするやり手の若手出世頭もいる。20代にして50代の偉い人たちにやたら可愛がられてきた結果、物言いがやたら50代っぽいがそれがなんとなく借り物じみていて薄ら寒いような人である。
中途半端な人間がめんどくさいのは当たり前だ。スキルも職能も、地位も報酬も、責任も中途半端で、プライベートが充実せず、何に関してもエッジが立たず、自分の立ち位置と将来を不安に思い、下からの突き上げと上からのプレッシャーに板挟みにされてる人間の心中たるや、である。
カリカリしてるのは余裕が無い証であり、むしろ哀れんで助けてやるぐらいの『フォロワーシップ』も下の人間には重要だ。むしろ積極的に心情を汲み取ってサポートにまわったり、ちょろっとヨイショでもしてあげると、気に入られる可能性はある。
(ただし面倒臭い人に気に入られても後々面倒くさいのが続く)
お悔やみ申し上げます、の勢いだ。
私の見てきた限り、ずば抜けた人や偉い人はみーんな飄々としてる。余裕がある。包容力がある。
繰り返すが、嫌われ役、面倒役を誰かに押し付けてる可能性は否定できないんだけど。
マネジメント層もマネージャー層も、その立場特有のプレッシャーや不安のせいで、まったくもって意味のわからないベクトルで下に対して過剰に締め付けなどを行ったりする。
来月の売り上げを心配している店長は、バイトの新人に『声が小さい!!』と怒鳴りがちなのである。たとえ、バイトが声を大きくしたところで来月の売り上げにはまったく波及効果が無いとしても。バイトが必要十分な声量を出していたとしても。
そして、その点について下から、疑義の上申があれば、ここぞとばかりにいじめがスタートする。
いやぁ、人間ってコワイですね。
所詮、猿なのかなとたまに思いますわ。
人間が自分の保身や利益などを考えた時に、追い詰められたり焦ったりして切羽詰まった状況で思いつくことなんて、大概間違ってる。
こうやって考えると、やることやっておけば、成るように成るさ、ぐらいの、程良い脱力感がある方が人生はうまくいきそうだ。
芸人に関してもそうだけど、トップをとっているような連中は割と寛容で肩の力が抜けてるようなスタンス、そして優しいけど、こーゆー人たちのもとでなんとか軍団を形成し、微妙に偉い側近としてのさばってるよーな人であったり、派閥の後光とゴマスリでうまいポジションを見つけた人間に限ってその領域における本旨とはまったく違ったテーマで面倒臭さを発揮している人は何名か頭に浮かぶ。
ただし、内閣総理大臣に、大臣の任命責任があるように、人間組織における猿山で、ちょっとしたポジションを得た面倒臭い人間については、トップにも多少なり任命責任はあるだろう。むしろ、トップが、嫌われ役を回避して、嫌われ役を誰かに押し付けているのだとしたらそれはそれでトップの魂胆が余計に腹黒い。
そーゆー意味で、『あの経営者はワンマンだから….』という感じで、組織内における畏怖と嫌われの視線を集めつつも、ナンバーツー以下を『好かれ役』のままで仕事させているトップは偉いかもしれない。
やはり、どの文脈でも嫌われ役は必要だから。嫌われ役を買ってる人はやはり、偉いと思う。
とはいえ、自分の保身や業績、成果などに固執しない方がいい仕事ってできるんじゃないの、って思えてくる。
誰もマーケットの上下動で発狂する投資家のもとで働きたくないだろうし、誰も気分屋の経営者のもとで働きたくないだろう。
そもそも、本当に卓越したリーダーシップやマネジメント力があればもっと上に行っているはずであって、将来そこまで行けるようなポテンシャルがあってそのプロセスとして中途半端な偉いポジションにいる人を除き、基本的にはどこの組織でも、中途半端に偉い、微妙に偉い、微妙に年長、微妙に年寄りは厄介なもんである。
無駄に責任が増えるのが嫌という意向から、役職者ポジションへの誘いを断る、降りる人間も多いのだから、上昇志向がありつつも微妙な立ち位置で立ち往生しているタイプは、本質的に厄介者の素質、条件を兼ね備えているものである。
あーだる。
組織はだるいですね。
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。