国という単位で共振してもね。

政治家が掲げる「日本」という日の丸概念に乗る民たち。皇族や官僚、公務員連中そのほか、世の中には「日の丸団結」が強くなると得する連中が沢山いる。

公務員の給料は民間給料と連動していて、基本的には市場原理の淘汰を受けない「税金特権界隈」である。よって、日の丸全体の趨勢が大事だ。

これは皇族も、政治家もそうだ。

彼らが「日本は美しい」「日本はすごい」「日本を愛する」という言葉に、庶民が共振していたりする。

 

日本という単位で見れば、日本を強調しても特権階級しか恩恵を受けない。

にも関わらず、日本では下々の庶民まで「日本」という単位を好きになりすぎている。

 

低いラインに甘んじている人が、国民国家概念や、自分の家系を尊重する思想に傾倒しても、何にもならない。

なぜなら、自分が乗っかっている国というものが上がっていかないからだ。自分の家系にしてもそうである。

 

「つまり、労働の対価は塩で、命の対価が銀。日本人のサラリーマン、兵隊は、塩しか与えられないんだよ。」

「確かにそうですね。」

「サラリーなんだよ、サラリーマン。塩しかもらったことないからわかんないだろう。」

「正直、わかりません」

「塩ばっかり与えられて、ナメクジと似ているな(笑)。死ななように、そばっかり与えられているんだな。」

「しょっぱい毎日です。(笑)」

「それは元気でないって。日本の兵隊は塩しかもらえない。それで精神論ばっかり言われるんだ。」

「そういう面はあるかもしれません。」

「なっ。塩以外を求めるのは不謹慎だ、武士の風上にも置けないとかって。そうは言っているだけど、武士だって塩しかもらってないのは江戸時代だけで。そうだろう、戦がなくなった後の施策だよ。家康の前の時代は、それこそ国盗り物語だよ。この城一つやると言って、信長なんかバンと報奨を与えまくって、秀吉も与えまくっていたじゃない。」

 

徳川家康の時代、「日本」とはすなわち徳川家のものであった。

大なり小なり、国家の私物化はどこでもある。いつでもある。

 

昔は、国家はガッツリ私物化されていた。もちろん、それ以前の戦国乱世を考えると、天下泰平を実現した徳川家の功績は大きいし、それ以前でなかなか実現しなかった平和で安定した世の中を作ったのは彼らだ。

昔の日本は、末端で飢えや争いによる死者が多数いた。

ただし一方で、徳川時代から今に至るまで、世の中が安定統治されたために階級が固定化されていったのも事実である。現代の日本に既得権益として根を張っている巨大利権や権力は、江戸時代由来のものだったりする。ギリギリ最後の革命は明治維新であった。

 

孫正義は、1980年代に黄昏たアメリカがもう一度復活したのは、シリコンバレーのストックオプション制度によるものだったという。それによって、もう一度、ウォール・ストリートに活気が戻った、と。

普通の平均的人間が、一生で使い切れないだけの対価を渡す、アベレージの人間が退職金で使い切れない金額を渡す、一攫千金。

そういうものがあったから、だという。

確かに、アメリカは強い。一度落ちかかって、それでも復活してる。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。