1995年とは、2000年とは、2005年とは

1995年頃に日本でピークを迎えた現象や指標の一部を、定量的に示すことができる例を挙げます。

  1. 株価(日経平均株価)
    日経平均株価は1989年12月29日に史上最高値(38,915.87円)を記録しました。その後バブル崩壊が進み、1990年代中頃には下落が続いていましたが、1995年は比較的安定した年であり、1995年7月3日には一時的に14,485.41円を記録しました。この時期の株価はバブル崩壊後の落ち込みから、ある種の安定した底を打ったタイミングでした。
  2. 地価
    日本の地価はバブル期に急激に上昇し、1991年頃をピークにその後急速に下落しました。1995年頃には、特に都市部(東京、大阪など)の地価が大幅に下がり、ピークの半分以下に落ち込んでいました。1995年の東京都心部の地価は、バブル期の最高値の約60%程度に低下しました。
  3. 出生率
    日本の出生率(合計特殊出生率)は1970年代から低下傾向にあり、1995年に初めて1.50を割り込み、1.42となりました。これ以降、出生率の低下が続き、少子化問題が顕在化しました。
  4. 自殺者数
    日本では1995年頃から自殺者数が急増しました。この年、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの社会不安が影響し、自殺者数が増加し始めました。1998年には自殺者数が3万人を超え、この傾向は1995年頃から顕著でした。
  5. 国際的な競争力
    日本の国際競争力(IMDの競争力ランキングなど)は1980年代から1990年代前半まで世界のトップレベルにありましたが、1995年頃にはピークを過ぎ、以降は経済の停滞と共に順位が下がり始めました。

これらの現象は1995年頃にそれぞれのピークや転換点を迎えており、経済や社会に大きな影響を与えました。

 

2000年は、21世紀への変わり目であり、世界的にも日本においても大きな変化や転換期を象徴する年です。以下に、2000年の主な出来事や特徴的なトレンドを時代背景とともにまとめます。

1. ITバブルの絶頂と崩壊

  • 世界的なITバブル
    2000年初頭、ITバブル(ドットコムバブル)がピークを迎えていました。1990年代後半からインターネット関連企業が急成長し、株価が急騰していましたが、2000年3月頃からバブルが崩壊し、特にアメリカのナスダック市場は大幅に下落しました。多くの企業が倒産し、IT業界に過剰投資していた投資家や企業に大きな損害を与えました。
  • 日本のITバブル
    日本でも同様にインターネット関連株の投機的な取引が活発で、多くのベンチャー企業が立ち上がりました。しかし、アメリカ同様にバブルが崩壊し、2000年以降は投資家の熱が冷めました。

2. ミレニアムへの期待と混乱

  • Y2K問題(2000年問題)
    2000年に入る前、コンピュータシステムが「00年」を誤って1900年と認識し、誤作動や障害を引き起こすという「Y2K問題」が大きな懸念となっていました。世界中でシステム更新や検証が行われ、結果的に大きな混乱は起きませんでしたが、Y2K対策への莫大な費用と労力がかかりました。
  • ミレニアムブーム
    新世紀を迎える節目として、2000年は世界的な祝祭ムードが広がりました。各国で大規模なカウントダウンイベントが行われ、特にシドニー、ニューヨーク、パリ、東京などの主要都市で盛大な花火やイベントが開催されました。

3. 日本の経済状況と政治

  • デフレの進行
    1990年代後半から日本経済はバブル崩壊後の長い低迷期に入り、2000年もその影響が続いていました。デフレが深刻化し、物価が下がる一方で企業収益が減少し、失業率も増加。日本経済は「失われた10年」と呼ばれる時代に突入していました。
  • 森喜朗内閣
    2000年の日本の首相は森喜朗でした。1999年に小渕恵三が脳梗塞で倒れ、2000年4月に森が内閣総理大臣に就任。しかし、森政権は支持率が低迷し、「神の国」発言や失言が続き、国民の信頼を失いました。同年6月に総選挙が行われたものの、自民党の得票数は大きく落ち込みました。

4. 国際情勢とテロリズムの台頭

  • グローバル化の進展
    2000年頃から、国際経済や貿易のグローバル化がさらに進みました。特に、中国が世界貿易機関(WTO)に加盟する直前であり、これが中国の急速な経済成長の起爆剤となりました。
  • テロリズムの増加
    2000年には、アメリカの駆逐艦コール(USS Cole)がイエメンのアデン港でアルカイダによるテロ攻撃を受け、17人が死亡しました。この事件は、翌年2001年のアメリカ同時多発テロ(9/11)の前兆とも言われており、国際社会でテロリズムに対する懸念が高まっていました。

5. 技術革新と文化の変化

  • モバイル通信の進化
    2000年は携帯電話が急速に普及し始めた時期でもあります。日本ではNTTドコモが「iモード」を導入し、モバイルインターネットが一般化し、携帯電話が通話だけでなく、インターネットやメール、ゲームなど多機能化しました。
  • ゲームやエンタメの成長
    ゲーム業界では、2000年にプレイステーション2(PS2)が発売され、爆発的な人気を博しました。また、音楽や映画のデジタル化も進み、インターネットを通じた音楽配信やDVDの普及が進行しました。
  • ハリー・ポッターとファンタジー人気
    2000年は、J.K.ローリングによる「ハリー・ポッター」シリーズの人気が世界的に広まり、映画化も進行していた時期です。また、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズも2001年に映画化される予定で、ファンタジー作品が大きなムーブメントを巻き起こし始めていました。

6. 環境問題への関心の高まり

  • 京都議定書
    環境問題への関心が高まり、1997年に採択された京都議定書(温室効果ガス削減目標を定めた国際的な枠組み)が2000年にも引き続き議論されていました。気候変動問題が世界の重要課題として認識されるようになり、各国で環境保護活動が活発化しました。

 

 

2005年は、世界的にも日本においても大きな変化が進んだ年であり、特にITや国際政治、環境問題、国内政治など多くの分野で転換点を迎えた年です。以下に2005年の主な出来事や特徴をまとめます。

1. IT・技術革新とメディアの進化

  • Web 2.0の進展
    2005年頃は、インターネットの利用が単なる情報の受信から、双方向的なやり取りやユーザー生成コンテンツを重視する「Web 2.0」時代へと移行し始めた時期です。

    • YouTubeの誕生: 2005年2月にYouTubeが設立され、動画共有プラットフォームが急速に成長しました。この革新により、誰でも簡単に動画をアップロードし、共有できるようになり、動画メディアの新たな時代が到来しました。
    • ソーシャルメディアの普及: Facebookは2004年に設立されましたが、2005年頃から利用者が急増し、世界中に広がりました。同時に、MySpaceやブログなども成長し、個人や企業がインターネットで自ら情報を発信する時代が本格化しました。
  • スマートフォンの先駆け
    スマートフォンはまだ初期段階でしたが、BlackBerryなどの端末がビジネスマンを中心に広まり、モバイルでのインターネット利用がさらに加速しました。このトレンドは後にiPhone(2007年発売)に引き継がれ、スマートフォン時代を迎える基盤を作りました。

2. 国際政治と戦争

  • イラク戦争とテロとの戦い
    2003年に始まったイラク戦争は2005年も続いており、アメリカや連合国の軍隊がイラクに駐留し、治安維持や民主化支援に取り組んでいました。2005年1月にはイラクで初の自由選挙が行われ、民主主義が進展する一方、イラク国内ではテロや暴力が続いていました。
  • ロンドン同時爆破事件
    2005年7月7日、ロンドン市内の公共交通機関(地下鉄とバス)で4つの爆弾が爆発し、52人が死亡、700人以上が負傷しました。このテロ攻撃はイスラム過激派によるもので、アルカイダとの関連が示唆されました。この事件は、欧州でもテロの脅威が深刻化していることを示しました。
  • EU拡大と統合の進展
    2004年に東欧諸国がEUに加盟し、2005年は欧州連合(EU)の統合がさらに進展した年です。EUの規模が拡大し、共通市場や通貨統合の深化が進む一方、移民問題や経済格差も顕在化しました。

3. 環境問題と自然災害

  • 京都議定書の発効
    2005年2月、温室効果ガス削減を目的とした京都議定書が正式に発効しました。この協定は、1997年に採択されていたものの、発効には一定の国々の批准が必要でした。特に、アメリカが不参加だったことが大きな課題となっていましたが、ヨーロッパ諸国や日本などが積極的に参加し、国際社会での環境問題への意識が高まりました。
  • ハリケーン・カトリーナ
    2005年8月、アメリカのニューオーリンズを中心にハリケーン・カトリーナが襲い、約1800人が死亡し、経済的損失は約1250億ドルに上りました。この自然災害は、特にアメリカ南部の貧困層に深刻な打撃を与え、連邦政府の対応に対する批判が集まりました。

4. 日本の政治と社会

  • 小泉郵政解散と総選挙
    2005年は日本の政治において、小泉純一郎首相が進めた「郵政民営化」を巡る大きな動きがありました。郵政民営化法案が参議院で否決されたことを受け、小泉首相は衆議院を解散し、総選挙を実施しました。この「郵政解散」と呼ばれる出来事は、日本の政治史において大きな転換点でした。結果として、小泉政権は圧勝し、自民党は大幅に議席を増やし、郵政民営化が実現しました。
  • 日本の経済回復の兆し
    2000年代初頭、デフレと経済低迷が続いていた日本経済ですが、2005年頃には輸出の増加や企業収益の改善が見られ、景気回復の兆しが現れました。特に中国の経済成長が日本の輸出を後押しし、製造業を中心に景気が改善しました。しかし、デフレや消費の低迷は依然として課題でした。

5. 文化・エンターテインメント

  • コンテンツのデジタル化
    音楽、映画、ゲームなどエンターテインメントのデジタル化が急速に進みました。2005年には、AppleのiTunes Storeが世界的に普及し、音楽のダウンロード販売が本格化しました。また、DVDが一般的になり、映画やテレビ番組の視聴方法も変わり始めました。
  • 日本のアニメ・ゲームの世界的躍進
    2005年には日本のアニメやゲームが世界的に人気を博しました。特にスタジオジブリの「ハウルの動く城」がアカデミー賞にノミネートされ、またゲームでは「ファイナルファンタジー」シリーズや「ドラゴンクエスト」などが国際的に成功を収めました。
  • 漫画『DEATH NOTE』の人気
    2003年から連載が始まった大場つぐみ原作・小畑健作画の『DEATH NOTE』が2005年にアニメ化と実写映画化され、世界的な人気を集めました。この年は、日本のサブカルチャーが国際的に注目されるようになった時期でもあります。

6. 科学と宇宙

  • スペースシャトル「ディスカバリー」の復帰
    NASAのスペースシャトル「ディスカバリー」は、2003年のコロンビア号の事故以来、初の宇宙飛行となるSTS-114ミッションを2005年に成功させました。このミッションは、国際宇宙ステーション(ISS)への補給と修理を目的としており、宇宙開発が再び活発化するきっかけとなりました。

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。