【誤】もっといい男いるよ、もっといい彼氏いるよ
【正】現実はどんどん悪くなる
解説:恋愛は、10代>20代>30代・・・というように、若い方が質が高い。それは、恋愛は「精神的な鮮度」「外見的若さ」が大事である。
歳を重ねるほど、恋愛できる案件やその内実の質は悪くなる。
【誤】社会人になってからも出会いある
【正】出会いはほとんどない
解説:マッチングアプリが出てくるまで、男女の結婚において、ワンツーフィニッシュの出会いの場所は、職場と学生時代のつながりであった。
昨今は、すぐSNS拡散するし、不同意性交が厳しくなったし、セクハラコンプラの関係もあって、職場はリスクだと考える人が多い。そしてそれを埋め合わせるように、マッチングアプリ経由での結婚がNo.1になってきている。
学生までの恋愛が、「顔が好みか」「フィーリングが合うか」という要素だけだったのに対して、結婚というのはあらゆるファクターが絡む。お互いの職業、経済的事情、家族など。これらの条件を擦り合わせるのは困難である。
芸能人や女子アナなどは、「容姿が良い」「家柄が良い」「稼ぎがある」という条件が揃った大人たちであり、一定の条件を満たした人たちの世界でマッチングしている。
大抵の社会人は、大人になって出会う案件は、「外見は良いけど年収が・・・」「スペックは良いけど顔が・・・」「もし結婚となると生活環境が・・・」「条件良いけど何かドキドキワクワクしない・・・」というように、何かしら条件が合わないことが多い。
さらにはデートする時間、お互いの距離を縮める時間もない。
よって、学生時代の恋愛の方が、純度の高い恋愛であり、そのままストレートに恋愛結婚した方が質が高いものとなる。
社会人は出会いがない上、あらゆる条件を揃えるのが難しくなり、さらに良質な案件は学生時代からの付き合いが続いて結婚予定という形で囲い込まれている。
「彼氏なし」「彼女なし」で社会人になると、25歳までにどこかで妥協して折り合いをつけた結婚をしないと、その先はどんどんできなくなる・条件が悪くなる。
【誤】老後を見据えて貯金した方が良い
【正】老後よりも、もう「今」負けている
解説:老後を見据えて貯金などを考えるのは不安からくるものであるが、大抵の場合、もう「今」負けている。
老後云々ではなく、今負けているのだ。今すでに終わっている。
【誤】20代は失敗した方が良い!
【正】30代以降負けが許されず、誰も教えてくれない
解説:20代は失敗した方が良い、と言われるが、正確には、「30代以降は負けが許されない」「30代以降は誰も教えてくれない」が正しい。
例えば30代で何らかの責任を負い、仕事を行い、結果が出なかった、居づらくなった、・・・という感じになって仕舞えばキャリアはそこで終わる。可能性で仕事を振られることもないし、実績も無い、ということになる。また、何か基本的なことが欠けていたりやらかしていても、誰かに注意したり叱れることはなく、静かにフェードアウトされたり切られるだけである。
その意味において、20代は、叱ってもらえる、失敗しても次がある、ということである。しかしそれは、どんな失敗でもOKということでは無い。致命的な失敗も存在する。
例えば、25歳までに都会に出てくること、などは致命的な失敗の部類に入る。ある程度の年齢までに都会に出て、都会でキャリアのスタートを切っていないと、その先は縮小均衡の人生しか待っていない。田舎の中小企業でしょぼいキャリアを歩むことになり、薄給人生が確定する。
【誤】若いうちは可能性を広げよう!
【正】可能性を現実化することが一番難しく、この可能性の現実化こそ社会人評価の全て
解説:若いうちは可能性を広げよう、というのは歳上から歳下にされる無難なアドバイスの典型。
だが、可能性は誰にでも若い頃にあり、可能性を広げる活動自体も造作ない。ただ海外行ったり、大学行ったり、キャリアを模索してるだけで成立する。
もっと大事なのは、可能性を現実化すること。こここそ、最も負担がかかり、最もリソースの投下や集中が必要で、競争が激しい一番しんどいフェーズ。
ダメな大人は、可能性拡大に終始していたり、可能性探しを延々と続けていたり、現実と格闘していない。
ある程度の年齢になると、可能性=ポテンシャルの評価は消える。残るのは厳しい現実評価。
そして、シビアな話、10代の段階から、可能性の現実化に取り組んでるプロコースの人たちはたくさんいる。
【誤】これからの時代、学歴はくだらない
【正】高学歴は低学歴の上位互換。低学歴は高学歴の下位互換であり、低学歴ができることは高学歴にもできる
解説:学歴否定論があったとき、その理由だったり、代替として述べられるのは全てくだらない。
なぜなら、「低学歴ができることは、高学歴にもできる」のである。
喧嘩の強い高学歴、お笑いができる高学歴、クリエイティブな高学歴、ごまんといる。「高学歴にできず、低学歴にできること」などほとんどない。
よって、学歴はあったに越したことがない、となる。また、たいていの低学歴には上位互換の高学歴が存在する。それに気づかないのは生きてる世界が狭いだけである。
【誤】中卒・高卒でも成功してる人はいる!
【正】そいつが凄すぎるだけ
解説:中卒・高卒で成功するというのは、大卒でハイキャリアを歩む以上に困難だったり、その人が単に凄いだけだったりする。
はっきり言って、「大卒」より「非大卒」「高卒」「中卒」の方が、明らかに人生は辛い。ハードルが高い。損することも多い。
ほとんどの場合、「大学に行ったのに中退」したような人間は、その先もあらゆる物事を中退する。過去にやらかした「見込みの甘さと忍耐・管理力の無さ」を別の形で発露することになる。「大学に行けなかった実家財力の乏しさ」「学校に適応できなかった社会不適合性」は、社会人になっても弱点として発露する。
【誤】結婚にメリットはない、今は多様性の時代
【正】独身のデメリットが多すぎる
解説:基本的に、独身というのは「職業不定・無職」くらいの怪しいステータスである。年々緩和されているが、「おじさん」「おばさん」というのは怪しく怖い。歳を重ねると、できることも減っていく。
だる着でふらっと外に出られるのは若いからできる。これを歳を重ねてやると随分怪しく映る。
結婚にメリットがあるかないか、というより、独身のステータスのまま、歳を重ねて生きていくことが非常に困難である。これを埋め合わせるように、ブランド品で武装したり、高級車に乗ったり、社会的地位を高めたり、何かしらすることでカバーはできる。
「承認欲求」に追われるのはくだらないが、一方で、ある程度のフェーズから「不承認回避欲求」というものが生まれる。
独身40代は気が狂う、と言われているが、10代、20代に当たり前に備わっていた「基礎的な人権」みたいなものが中高年には存在しないのである。
【誤】他人の批判とか、他人の目とか気にするな!
【正】批判されるのは「理由」がある
他人の目なんか気にするな、俺は地方馬だ、周りからdisられてきた・・・
という歌詞が多いAK-69(ラッパー)だが、「ウケが良い」からそう言っているだけだ。彼自身、苦労人のようなブランディングをしてるが、実はラッパーをはじめてかなり早い段階で賞レースで賞を取っている。
彼に限らず、成功した人たちは、「私たちも批判されてきました」というポーズをとるが、それ以上に承認・賞賛されてきている。B’zの松本さんなんかが「人の批判を気にするな、私たちも批判されてきた」などと言っているが、ああいう人が言ってることは、ごく一部の批判である。
批判されるのと同じ量、賞賛されてきたり、批判より前に承認されてたりする。
例えば、粗品はめちゃくちゃ批判されている。しかし、M-1、R-1で優勝し、ファンも多い。承認の要素があるから、耐えられているのである。
江頭2:50や出川哲朗も、嫌われ時代から、需要があったからキャスティングされていたのである。江頭2:50は、専門学校か何かの挨拶に登壇し、「抱かれたくない芸能人No.1といわれてきたが、好きなyoutuber1位になることもできた」という感じで嫌われることを正当化しているが、彼は昔から、芸人として一定の評価を得てきた人である。出川もそうである。
嫌われる・批判されるを勘違いすると、ろくなことにならない。
大抵の場合、社会的成功者の「嫌われることを恐れるな」「人目を気にするな」という発言を握りしめている人はただの現実逃避である。
これらを、何の承認実績もない人間が、猿真似して、尖って、人の批判を無視して突っ走ったところで待ってるのは地獄である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。