社会人の常識とか、サラリーマンとして出世するには、サラリーマン生活をハックするには系の本を読んでいます。
なんか、総括するとこんな感じですね。
- 大企業の管理職を目指すのか、起業/ベンチャーを目指すのかハッキリさせる
- 世の中の職能には大きく分けて、「売る」「つくる」「サポートする」があって、それぞれの職能で上に行けば給料が増える
- 宴会芸は全力でやれ
- 仕事は根回し
- 常識、マナーを習得する
- ほうれんそうは大事だが、信頼されるようになると量を減らしても良い
- 大学卒業後、2年以上プラプラすると厳しい
- 時間が守れない人はダメ
- 約束をドタキャンする人はダメ
- 1年待たずに退職する人はダメ
- 元気で笑顔の挨拶
- 上司と話を合わせる
- 自分が相性の良い人が多い環境で働く
- 営業は量をこなせ!
- 転職市場では2年、3年の実務経験を求めることが多いのでその期間は我慢して働く
- 人に上手に仕事を振れるようになる
- 発想力を持つ
- 仕事を増やさない、手抜きをするのも大事
- 仕事に慣れてきたらできない仕事量を把握して、断るのも大事(自分の限界のラインを知る)
- 上司の都合を理解して上司を助ける
- 部長以上はいろんな人を動かさないといけないので愛されキャラにならないとダメ
- 部下のモチベーションを上げるやり方は続かない。続けられる環境、仕組みをつくらないといけない。部下が楽できるようにしないといけない。
- 手柄を部下に渡す。
- 信頼を得る。
- 親しみやすいおっさんじゃないと仕事なくなる。
- 偉い人と思われすぎると人から絡まれなくなる。
- 偉そうすぎると使いづらいと思われる。
- 一生懸命受験競争を戦い抜き、やっとの思いで大企業に入社して、高学歴エリート同士の熾烈な出世競争に身を捧げて30年戦い続けてもせいぜい、年収1200万円。
- 専門学校卒のギャルのおねーちゃん、中卒のおっさんがビジネスで成功し自分より稼いでいる現実を知って、学歴エリートは目を覚まして起業をスタートするが、起業とサラリーマンは全くもって別世界であるので求められるスキルが違い、サラリーマンとして培ってきたものに足をすくわれて、多くの人が失敗する。
ほほう。
面倒くせーって感じですね・・・・・。
確かに、こうやって見ていくと、学校生活の中でうまくやれていた人はサラリーマンとしてうまいことやれるかもしれない。
ただ、こういうのって、面倒臭いけれど適応しておくと、グローバル競争に巻き込まれないで済むので良いかもしれない。
外国人が対応できない日本ローカルな風習・風潮は、味方につけられる。日本だけの習慣や慣行に適応できるってことは、外国人に対してアドバンテージになるでしょう・・・・。
あと、今読んでいる本の中に
「組織における意思決定って属人的なので、組織の中で誰がキーパーソンなのかを見極めてその人を見極める能力、その人と仲良くする能力、あと出世する上司(ついていくべき人間)を見極める能力、人脈力、根回し力・・・・・とかが大事になる」、
みたいなことが書いてありました。
ふんふん。
これ、学校生活でも同じでしょうね・・・。
なんか、お笑い芸人とかがよく、「学生時代、自分は冴えないキャラだったけれど、キーマンと仲良かったからいじめられなかった」とか言ったりしますよね。ああいう能力ですかね。
いやぁ、我ながら思います。
サラリーマンキャリアは向いていないと・・・・。
人って、どういう環境で育つのかによって、オーラとか、話し方とかも変わりますよね。やっぱり、社会人らしい社会人として、サラリーマンとして揉まれた期間が長い人は(業種によるけど)、それっぽい雰囲気が出てる。当然、思考も、なんか、それっぽい思考になる。
じゃあ、「事業を起こす人」「商売人」として大切なことは何でしょうか。芸人、芸能人、事業家・商売人、スポーツ選手、完全歩合制の営業マン、音楽家、ユーチューバーなど、実力主義の人たちの秘密の最大公約数を取っていくと、
私が思うに、
- 若い頃から働いてる
- 変化や柔軟性があり、外部環境に適合・適応していける、自分を変えていける、時代が読める。
- 需要を読みつつ、自分らしさ(独自の貢献)を考える。必然的に孤独耐性がある。
- 人と違っても、変人でも、時代の先を行き過ぎて人に非難されても、嫌われても割と平気。
- プライドを捨てられる。
- 度胸と行動力がある。
- 客は選ぶ(売り先を選ぶ)けれど、選定した先への貢献の仕方は柔軟に。
- 請負型、傭兵型の働き方で大事なのは、「自律心」「専門性」「営業力」
- 下請け社長、フランチャイズオーナーとして大事なのは、「マネジメント力」
- 起業、事業創造型に求められるのは、「クリエイティビティ」「発想力」「アイデアを形にする力」「マネタイズ力」
って感じがしますね。
スキル・能力・技術力がある、
営業力がある、
フランチャイズや下請けビジネスを始める資金と人材を抱えている、
アイデアやマネタイズ力がある・・・・・
これらが独立の要件なのでしょうか。
ただ、「ビジネス」そのものを設計することに関して、あんまり難しいことを考える必要はなくて、
「新しい何かを生み出せる人」
はそれを生み出せば良いし、
「チャンス、タイミングが読める人」
は売買や投機、転売、投資、取引で稼げば良いと思います。タイミングや時代さえ読めれば何かを生み出すことなくお金を稼ぐことができるでしょう?何かしらの専門領域に詳しい人とかは、マーケット別の価格差とか利用してお金を稼ぎ出すのがうまいですよね。例えば発展途上国で仕事しようとか、アメリカのビジネスを輸入しようとか、日本の中古車を海外で売る貿易ビジネスやろう、とか、パソコン組み立てて売ろう、、、、、とか。
その両方もできないという人は、
「人を使う、人を動かす、人を育てる」
力を使って何かをしたり、
「仕組み、システムを構築する、いじくりまわす」
力を使って何かをしたりすれば良いです。
例えば、ドナルドトランプのようにPRのうまさや販売力、ブランド構築力を軸にしてビジネスを構築していく人もいれば(リパッケージやブランディングがうまい)、リク●ート社やグー●ルのようにうまいマッチングビジネス・プラットホームを考える人、マク●ナルドのようにうまい仕組み・システムを考える人だっているわけですね。
一口に「売り物」と言っても、
- 財
- サービス
- イベント
- 経験
- 人
- 場所
- 資産
- 組織
- 情報
- アイデア
と色々あります。
人口、地域状況、経済、所得、金利、社会文化、歴史・慣行、ブーム・トレンド、自然環境、技術、政治、法、国際情勢・・・・こういうマクロ環境も頭に入れながら、何か面白い方向性を探ってみると良いですね。
抽象度の高い形で、「Businessを構築するための方法論、考え方」が頭の中に格納されていると、人生、生きやすいかもよ、っていう。
私なんかは、サラリーマンキャリアで生き残っていくのがすごくハードに思える・難しく感じる気がして、何より、頭がついていきません。
頭と気力がついていかない。
でも、お金をつくるためのアイデアとかに関しては結構、浮かびます。
何かをつくる、何かを売る、人に教える、人を動かす、タイミングやチャンスを読む、マッチングする、値上がりを見越して仕込んでおく、有能な人材や将来性あるビジネスを見極める、面白い仕組みを考える、既存のビジネスに対してソリューションやノウハウを提供する、JVする・・・・・・・
など、色々思いつけます。
私は、ビジネスの中を駆け上がるよりも、ビジネスをつくる・やる側向きですね。
はい。
話変えます。
未来予測はできないのですが、未来の筋書きを書いている権力者達の話ならできます。そして、その筋書きが公表されているのなら、当然、世の中はその通りに動いていくっていう話もできます。
ご存知ですか。
未来の設計者っているんです。
実は、日本経団連は1995年あたりから、日本の労働者を、
- 長期蓄積能力活用型
- 高度専門能力活用型
- 雇用柔軟型
に区分し、計画的に労働人材の活用を分類していこうという意思・計画を持っていたようです。
(「新時代の経営 ー挑戦すべき方向とその具体策」)
http://www.janis.or.jp/users/ohkisima/rekisi/199505nikeirennsinnjidai.html
びっくりしませんか?1995年当時からですよ?
この当時から、人材の流動化・低コスト化は描かれていたということです。
会社と結婚するという、日本的サラリーマンスタイルの制度崩壊はこの頃から始まっていました。
そして、それを実現するための各種の法制度(縛り)を徐々に溶かしていこうというビジョンが、日本の経営トップの人たちの間で共有されていたということです。
そして、現実社会はどんどんその通りに進んでいます。
その当時、世の中の上層がそういうことを考えていたなんてことは、多くの人が知らなかっただろうし、私も知りませんでした。
そして、その後、あれこれ時間がかかってこの計画を本格的に実行する体制が整うまでに20年かかったと言われています。
長期蓄積能力活用型というのはサラリーマンのこと。
高度専門能力活用型というのは士業、保険営業とかですね。
雇用柔軟型というのは派遣社員、パート、フリーターです。
権力者達の計画では、
「会社に残して長く働かせ、経験と能力を蓄積させて出世させる人材」
はごく一部にとどめようという考えが昔からあったのです。
つまり、従来的な、会社に長く勤めてどんどん出世していき、役職を得て・・・というキャリアを描ける人間はごくごくわずかに絞ろうという考え方。そして、それ以外の人間はどんどん流動化させよう、低コスト化させよう、という考え方です。
会社が、正社員を抱え込む余裕が無くなった。それが予見されていた。
1995年当時から、日本の経営トップの権力者集団の中で、そういうビジョンがあった。ただ、当時の時点ではあまりにも制度的な縛りが強すぎるから、徐々に日本の労働スタイルを変えていこう、という共通認識があった。
で、実際、その通りに世の中は動いていきました。雇用に関する制度は色々変わりました。
つまり、これからは、ほとんどの人間にとって、「この会社に囲ってもらおう、守ってもらおう」という考え方は無意味・無関係な時代になっています。
会社と結婚しよう、会社にしがみつこうという考え方は危ないのかも。
どこどこに入れば安定だ、というのは終わってしまった。
安定の源泉は自分の中にしかないと思った方が良いでしょう。
学生時代、学校の先生に「優良企業に入るのと入らないのとでは、これだけ生涯賃金が違うんだぞ!また、年収別の結婚率はこのようになっててだな、つまり今頑張って良いところに入らないと結婚もできないし生活も安定しないぞ!!」みたいなことを煽られましたが、おそらく正しくは、
「自分の人材価値が上がる、自分が強くなれる場所・踏み台として、企業をうまいこと利用する、その心構えで就職・起業する」
ことで自分の価値を上げ、自分をマーケットに買ってもらえるような状態に仕上げていく・・・・のが正解だったんじゃないか、と個人的には思っています。いわゆる、ポータブルスキル(持ち運び可能な能力)とマーケット感覚、スペシャリティを得るために就職する・・・みたいな。
企業寿命が人間寿命より短いのだから、どうせ、1つの会社で勤め上げるのは無理な運命です。転職しないといけないし、常に労働市場の中で必要とされる存在じゃないといけない。
(歳とって雇ってくれる人いなかったら起業するしかないしね。。。。)
実際、賢い人、情報収集している人、能力がある人で、従来型の「ジャパンサラリーマン」スタイルを信奉し動いている人なんてあんまりいないのではないか、と私は思うくらいです。
今、頭良い人、賢い人、情報感度高い人からどんどん「レールからはみ出た」生き方しているように見えますね。「ハコの中に入ること」に全くもって価値がなくなかったから。
正社員が無くなる、会社が無くなるってことを予見している人は多いと思います。
さて、今後、会社の中で長く残される職能と人材(会社の中でじっくりと温められて育てられる職能と人材)は、
- 管理職
- 総合職
- 技能部門の基幹職
であり、
- 企画
- 営業
- 研究開発
- 技能
- 経理
- 人事労務管理
- その他
などはどんどん切り離される、低コスト化、外注化、流動化が進むのだと推測することにしましょう。
実際、近年のビジネスの歴史を観察していると、伸びているところって、企業が抱える職能・機能についてアウトソーシングを促す、低コスト化や流動化・外注化を促すようなモデルがほとんどだと思いませんか?人事の手間を減らす、経理の手間を減らす、小規模ビジネスの集客・営業を助ける・・・・・
(SPIやリクナビなどを提供するリク●ート、食べ●グ、アス●ル、want●dly、fr●ee、クラウ●ワークスなど)
会社の中で常時雇用を続けるのは一部の管理職と基幹職だけ。そのほかは、給与・賞与・昇格・昇進も全て不安定。退職金も年金もどんどん削られ不安定さが常につきまとう。
これは1995年当時に描かれていたビジョンです。
わかりやすく雑に言うと、
役員レベルまで登りつめれるような人材(総合職人材)、その候補者と超有能な基幹技能者・技術者
以外は、基本的には、会社は囲い込み続ける気がないのでは、ということです。その体力も動機も持たない。だから、それ以外の人間は、
「強制フリーランス化」
「強制ノマド化、強制放浪者化」
というニオイがしますね。長い目で見れば、そういう風になるのではないかと。あちこち転々としないといけなくなる気がする。
不安定が普通の世の中になるのかな。。。。。
そもそも、これまでがちょっと特殊だったのかもしれない。
「戦後、焼け野原から、有能な日本人たちが頑張って経済を立て直していった」みたいな日本人の自尊心をくすぐる「よく言われる魅力的なストーリー」はカバーストーリーで、戦後の経済発展は、
- 朝鮮戦争による漁夫の利
- 戦後のベビーブームなどの人口動態的な要因
など外的なコンテクストでほとんど説明がついてしまうそうです。なので当然、外的な環境が厳しくなってくると、煽りは受けるの必然と考えることができる。追い風の環境ではない、国際的に競争力が(相対的に)落ちるとか、貨幣価値が変動するとか、そういうことがあるとやっぱり、煽りは受けます。
近年、諸外国で人口が爆発しているところは経済的に伸びてますが、あれと同じことが日本はいち早く起こっただけです。それが日本の高度経済成長だった。
ここからは、私の完全な独断と偏見に基づく「余談」なのですが、日本における「結婚」という制度、そのイメージやライフスタイルのモデルは、長期安定的な雇用を旦那さんが得ていること、これが前提のような気がします。
旦那の経済状況が不安定になること、あちこちフラフラするハメになること、明日の保証が無いフリーランス的な生き方をせざるを得ないこと、これらを事前に考慮することができている女性は果たしてどれだけいるのでしょうか?
昔のイメージを引きづったまま、結婚している若い人もたくさんいます。
最近、
「旦那デスノート」
なるものがネットで話題となりました。なんか、旦那の文句を書くサイトです。
ほとんどすべての女性が、結婚にあたって相手男性の「経済力」について程度の差はあれど「査定」を行って結婚に至っているはずですが、「そこだけにウェイトを置いて結婚する女性」は、昔から一定数います。
こういう人たちが、旦那の「業績不振」に怒り狂い、結婚生活のストレスを思うがままぶちまけた内容などなど・・・・・がかなり話題になっているのが「旦那デスノート」です。
書籍化までこぎつけましたが、国家という経済単位が変容すれば家計という経済単位が影響を受けるのも必然で、そうすると家計のあり方や、男女のパートナーシップのあり方が変化するのも当然・・・・でしょう。
経済状況は人の心理状況に影響を与え、人の心理状況が変われば他者との関係性も変わってくる。家計も荒れる。
私が若い頃の話ですが、私の先輩で、仕事ができ、トントン拍子で出世していたのに、体調不良で仕事を辞めてから、その後、見事に家庭生活が転落していった方がいました。それまでのラブラブぶりが嘘のように。
・・・・・見てて怯えました。
その後彼は、「起業する」みたいなことを言い出した結果、やたら奥さんに攻撃されていたんですけど、なんか、人生の悲哀を見た気がしました。「サラリーマンとしての〜」を買う意味で結婚したんでしょうか。
奥さんは奥さんの労働観で物事の善悪を判断し、彼をやたら責めているようだったので。
ロバートキヨサキの本で、「クワドラントが違うと会話が噛み合わないから結婚とかする際には本当に気をつけた方が良い」みたいな話がされていたのですが、なんか、わかる気がします。
私も若い頃、金が無かった時代交際していた女性に、
「なんで貯金しないの?」
って言われてそれで怒られたというか、愛想尽かされたというか、そういう経験があります。「貯金しても意味がないんだよ」「資産を持たないと意味がないんだよ」「紙幣は紙くずなんだよ」「昔ね、日本がアメリカに金銀交換の比率で不平等な条約を結ばされた時に国内から金が大量に出ていったことがあるんだ。あと、プラザ合意って言ってね・・・かくがくしかじか。つまりね、資産価値とか貨幣価値ってのは案外、そうやって政治的なパワーバランスで一気に崩されたりするような儚いものでね・・・・つまりお金というのはある種の宗教で・・・・本質的には意味が無く・・・・・」
みたいな話をしていると
意味わからない
ダメだ、こいつ、どうしようもない変化球的な貯金できない男だ(未来が無い)
的なことを思われて、嫌われたことがあります。
ちなみにその元彼女は、エンタメ業界のある会社に就職して、毎日死にそうな顔で働いているそうです。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。