社会経済的な成功者というものがあるとすれば、コインの裏側として社会経済的な失敗者というものがある。
そして、社会経済的な失敗者は、
- それを望んでいない
- 社会経済的成功を志したが失敗した
- できるなら社会経済的な成功側に回りたい
と考えているとする。
そうすれば、世の中には
「社会経済的な成功を志してそうなった人」と
「社会経済的な成功を志したがそうならなかった人」というのが存在する。これが多数派を占めることになる。
そうなると、当然
- 運、不運
- ハックの巧拙
- スタート時の手助け
などが差を生む。生まれた環境の初期条件も含めて。
要するに、
真面目にやったが、報われず、歯がゆい思いをしている
という人がいる。
成功者にしても、失敗者にしても、
それは社会構造の写鏡なのだ。
社会構造の良いところ、悪いところを表現している。
当然、歪みも。
となると、完璧なシステムはないので、社会経済的成功者として目立つ人は、必ず、苦虫を噛み締めて眺めている人がいるのだ。目立てば目立つほど、それは確率的に発生する。アンチが必ずいるのである。
当然のことながら、「成功の規模」というものが大きくなるほどに、その人は社会全体の投影のような存在になる。
ということは、いつか必ず、手のひらを返される時が来る。攻撃タームがある。
よって、成功者の多くは、
- 絶頂の賞賛
- 反動としての批判、非難
- 社会的定着
というフェーズを辿るのである。
こうして、最終的に安定化していく。
つまり成功というのは、広げた後、萎む。手堅い土台として、しっかり固められたものが真実の成功ということになるのである。
その意味において、悪目立ちしすぎたり、風呂敷を広げたりしすぎると、必ず反動があるのだ。
ホリエモンしかり、
ドナルド・トランプしかり、
ああいったクラスは、反対勢をねじ伏せるパワーを持っている。
イーロンもそうだ。
それは権力なり、言説なり、で。
つまり戦いが常に必要なのである。
成功のスケールが大きいほど、ねじ伏せないといけない勢力が出てくる。ファイティングポーズを取れるタイプほど、スケーリングするのだ。
問題は、その世界は、かなり疲弊するということだ。疲れるのである。かといって、叩かれないように八方美人的にイメージを保つと、どこかで必ず手のひらを返される。叩かれるタイミングがやってくる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。