経営学者よりは経営コンサルタントの方が圧倒的にマシな理由

 

経営学、経営学者はクソ

何がクソか?それは、表向きは経営をテーマにしておきながら、実際は経営を知らない人間が、はたまた経営とは無関係なガキ相手に『ごっこ遊び』をさせてること

これは、経営学が経営学たる所以

すなわち、経営学を学問として成り立たせてるのは、経営者個人の技量から切り離された普遍的な学が立てられるという考え、つまり学問として科学できるならば誰が言うかより何を言うかだろう、というもの

それはそれで良いのだが、これには悪弊がある

つまり、経営は極めて会社依存であり、経営者個人の色合いが出るもの、さらに置かれた環境や客の性質に影響を受けるもの

経営学者は、その解像度に迫れない

一方、経営コンサルタントは、科学性はない

むしろ、その企業特有の事情に寄り添う

そして、かなりオーダメイド方式なのである

 

だから結果として何が起こるかというと、経営コンサルタントは会社、社長にとって役に立つ

実際は役に立つのである

ただ、介入によって内部社員がピーピーギャーギャー言いやすいのと、嫌われやすいのはある

 

対して、経営学者は正直、毒にも薬にもならない

マジで毒にも薬にもならない

そこにいる人間も、その客としての大学生も、まあ、暇つぶし

そもそも楠木建みたいな経営学者は、自分を芸者と呼び、堕落した人間の行き着く先がそこだった、みたいな風に語ってる時点でお察し

 

ドラッカーが評価されてるのはあれは学者じゃないからなんよね

経営学者から学問じゃない、科学じゃないと言われてるがそこが良い

いや、異分野の学者だったが、企業コンサルに呼ばれて入って、それをやってた

つまり学者バックグラウンドを持つコンサルタント


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。