A型はムラ社会での同調と不自由に疲れて夢を見る。
好きなように生きるB型に魅了されて、同じような道を志してみる。しかし、自分にはwillがない、情熱がないことに気づく。彼らの自分らしい生き様は心の底から湧き上がるものに根付くセンスでもある。やがて、再現性がないことに気づく。
B型に師事しても、感覚的な物言いといい加減さに疲れてくる。遠くから見ていると輝かしく見えたが、近くに行くほどテキトーさが見える。こうしてイケダハヤト、八木仁平、高橋歩的な存在から離れる。何より彼らは自己陶酔しているナルシストであって、彼らが演じる彼らが主人公の英語にキャスト、エキストラとして出る構図に疲れるのだ。
やはり、マッチョでなければならない。
こうして、A型はO型的なマネジメントの世界に流れていく。そこは数字と論理が支配している。そこでは、A型にもわかりやすいルールが敷かれている。B型のようにテキトーではなく、明解で、枠組みがある限りはその中では自由だし、そこそこ結果も出る。だから、そこにフィットしていく。
しかし、そこは、孫正義、三木谷浩史、ビルゲイツ、柳井正などが跋扈するような世界。ワーカホリックで、ある意味血も涙も無い。そこで生きていると、
一体、何をしているのだろう?なんのために生きているのだろ?どこに自分らしさがあるのだろう?
と迷うようになる。
『お前は一体、誰を金持ちにしているのだ?』
という声が囁く。
やがて、最終的にはその世界からも離れる。
好きなことややりたいことでは生きていけない。かといって数字が支配する厳しいマネジメントの世界でもやっていけない。
辿り着くのは、同じような仲間たちの世界。
ああ、こんな世界があったのか
当初は感動する。しかし、やがてそこが村社会だと気づく。ゲマインシャフトなのだ。O型のような厳しさはなく、B型のような奔放さもないが、退屈で、定規杓子的、何より自由がない。
こうして、元いた場所に戻ってしまうA型。
するとAB型が囁く。
もっと器用にバランスよく生きなよ!
そうか!その手があったか!何に対してもフラットであれば良いのか!
そう思ってAB型の真似をしようとすると、A型はついていけない。要領が良くないのだ。何より中途半端でダメなやつみたいになる。
こうして、A型は村人Aに戻っていくのでした。
おしまい
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。