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高卒以下は「高校卒業レベルの学識」が客観的に証明できないのが今日の学歴主義社会の理由だ。「高卒」は高校を出ているものの、卒業試験が無い以上は当人が立証しない限り中学レベルの学識と誤認される可能性がある。多くの父母が「お願いだから高校だけは出て」と子息に必死に訴えるのは、小学校卒業レベルの学識しか客観的に証明できないことに加え、中学までは義務教育で自動昇格できるため小学校卒業卒業以下と誤認される可能性もあるからだ。

意外に知られていないが、

  • 中卒 = 小学校卒業レベル学識or小学校卒業未満レベル学識
  • 高卒 = 中学校卒業レベル学識(高校入試に合格しているため)
  • 大卒 = 高校卒業レベル学識(大学入試に合格しているため)

なのである。日本社会だと、院卒は大卒(学部卒)より給料が落ちてしまうが(統計データで平均的に院卒が学部卒以下の生涯年収で終わることが確認できる)、「院に行くならば研究者などのコースに行け、企業社会では評価しない」、ということである。

最終学歴のデータを見ると、中卒の割合は18%程度と高い印象を受けるが、昔の人間が混ざっているため誤解しやすい。20〜40代に限定すると中卒は5~6%しかいない上、20代に至っては中卒+高卒を足しても50%にいくかいかないかであり、現在は高校を卒業した後に何らかの学校(専門・短大・大学)を出るのが主流である。Fラン大も多くなった。ゆえに中卒は相対的に厳しい。

学歴別の集団に対して、刑務所入所者数で%を出すと、中卒は大卒の32倍刑務所入所率が高い。とはいえ、中卒でも全体の0.22%程度しか入所していないため犯罪者自体は超少数派である。しかし、前科がある、犯罪行為やそれに近い行為をしたが捕まっていないだけ、などの暗数や問題行動率を考えると偏見が生じてもおかしく無い。

それ以上に、「大学を出ているのに社会人としてのキャリアがひどい」という場合は、教育環境や学識にも恵まれているはずなのに「よほど反社会的思想が強いのか」などと疑われ、言うまでもなく中卒で真面目に働いている人より評価が悪くなるケースもある。そして、この現実に気付かないまま、高いプライドを拗らせてしまう大卒・ドロップアウト組はニート界隈に多い。

また、言うまでもなく「学校」と「社会」は違うため、有名大学を出たが就活で箸にも棒にもかからない上、ビジネスパーソンとしてのキャリアが途絶えている・始まっていないというケースも危険だ。大卒なのに犯罪者、というのは、一橋卒なのにハイジャックを起こした全日空61便ハイジャック事件の犯人のようなケースがある。オウム真理教事件でサリン生成に高学歴信者群が貢献したケースもそうだったが、高度な学識が反社会性に化けると加害の手口が狡猾になる。ただ、地下鉄サリン事件は、世界で初めて都市において生物化学兵器が使われた事件であったため、霞が関がターゲットになったことからも、日本社会の歪みを投影したのかもしれない、とも思う。オウム事件の時期、日本はバブルのピークを迎えており、ヒトラーが経済苦のドイツで台頭してきたのと同じく、オウム事件は金と欲に浮かれる日本社会で疑問を持った人間たちによって成されたものであった。マスコミは未だにこれを報じない。また、あの事件以降、日本社会は失われた30年を送り続けてきたのも事実なのである。死刑執行されたオウムの元幹部は、尾崎豊のファンだと語り、「オウムに入った若者たちの心境は尾崎の歌の心境に近い」と証言している。

オウムの某幹部が中学三年生の時に書いたとされる文章がある。

俺たちは本当に幸せなのかな?
この世界、金さえあれば何もかも手に入ると考えている大人たち
朝夕のラッシュアワー
時につながれた中年達
夢を失い
ちっぽけな金にしがみつき
ぶらさがっているだけの大人達
工場の排水が
川を流れていくように
金が人の心を汚し
大衆を飢え死にさす
(大衆どもをクレイジーにさす)
時間に
おいかけられて
歩き回る一日がおわると
すぐつぎの朝
日の出とともに
逃げ出せない
人の渦がやってくる

救われないぜ
これがおれたちの明日ならば
逃げ出したいぜ
金と欲だけがある
このきたない
人波の群れから
夜行列車にのって…

兄の孫正義と同じく起業家で、堀江貴文と久留米附設で同級生であった孫泰造氏は、ブルーハーツの

「満員電車の中 くたびれた顔をして  夕刊フジを読みながら  老いぼれていくのはゴメンだ」

という歌詞に共感してレールを外れたというが、表面的に見るとオウム信者の発想と大差は無い。片や、こちら側は成功者として賞賛され、社会的にも受容され需要される。ホリエモンもある意味、世間を騒がせた犯罪者であるが、東大卒業生で初めて死刑判決・執行を受けたオウムの豊田亨とは違い、同じく東大(中退であるが)経由のレールを外れた人間として未だ社会的影響力を持ち続けている。ある意味彼の盟友であった、灘中高経由・東大卒・元官僚の村上世彰も、実刑判決を受けた過去があるが未だ健在だ。青汁王子も、執行猶予こそ付いたものの前科調書に載り、今後刑事裁判の際に量刑判断に前科が必ず影響するという意味で前科者であるが、社会的には受け入れられ賞賛されている・憧れられている部類だろう。彼は高卒であり、どこにも就職できなかったと自身では語っている。

成功と失敗の境界線はどこにあるのだろう。

人事権のある人間として、履歴書をさばき面接官もやったことがある私から言わせると、前科者だったり懲戒解雇・懲戒免職された事を隠す人間だったり、人材登用のフィールドは玉石混合である。サッカーのフォワードが89分寝ていて1分仕事して点を入れたらOKなのに対して、ディフェンスが89分仕事していて1分気が緩んで点を入れられたら意味が無いのと同じく、企業の人材登用はディフェンシブである。このディフェンシブな入り口もまた、犯罪の要因になっているかもしれない。刑務所から出所した人間が生きる場所を探そうとして失敗し、刑務所にUターンする例も後を絶たない。

世の中には、Titleで自らを証明する者とContentsで自らを証明する者がおり(もちろん相互互換性がある)、80%のいわゆる「凡人」はどっちつかずの中間に位置する。華々しいTitleをかき集める訳でも無く、Contentsを習得するために努力する訳でも無く、惰性で平凡な毎日を生き続ける。彼らは自ら事を起こす力も無いため、あるタイミングから奴隷市場で評定を受けなければならず、平穏な日々はシャバに出るタイミングでぶち壊される。その際に客観的に価値を証明できないケースが多く、だから「普通」はレールに乗り、「新卒」のタイミングを逃さず、「社会的プロトコル」を守って社会にエントリーし、学習・修行の機会を得て何者かになろうとする、又は自立した日常を手に入れる。こうして人は、18歳、22歳の段階で「群衆の中の自分」を意識するようになるが、ここでつまづくような自己顕示欲・承認欲の発露に飢えたタイプに生育環境問題・愛情不足が重なると、犯罪者になる。神戸児童連続殺傷の「酒鬼薔薇」こと元少年Aと、世間のプライドの高いニートはだいたい同じような文章を書く。

 

“僕を見て!僕ってすごいでしょ!”

 

人はどこで道を間違えるのか。

私が思うにこの元少年Aこと酒鬼薔薇は、犯行当時の警察を挑発するような声明文だったり、中学校の正門に頭部を置いたことであったりその行動から推測して、推理小説に出てくるような畏怖される凶悪犯罪者になり自己顕示欲と承認欲を満たしたかったのだろう。異常心理の研究目的で読んでみたが、冒頭に「クラスの端っこにいる誰にも思い出されない自分」を回顧的に描いているあたり、学校社会でカーストの低い人間であったことを自覚しているが、内心これを認めていない・不服としているのは明らかである。また、犯行後、言うまでもなく社会から見下されてしまった人間であるが、自分が「畏怖される」思惑でやった手口が全て嘲笑・嫌悪・憎悪の対象になる恥ずかしさを前にして、言い逃れできず全面降伏的に平身低頭を装っている。しかし、動機が動機のため、素直に打ち明けることもできず、ゆえに遺族への態度・言葉は全て空回り、贖罪の体裁を取りながらも冗長な芸術まがいの表現に走るあたり、奥底で社会的評価を期待していることが伺える。

事実、米国では連続殺人鬼の絵画が高値をつけて取引されている事例であったり(ジョンゲイシーの絵画はジョニーデップが持っている)、法学に触れたことがある人間が聞いたことがあるであろう死刑適用の「永山基準」の元となった永山則夫死刑囚(1997年死刑執行)のように獄中で小説を書いて新日本文学賞を受賞し評価されたケース(今もamazonで彼の著書の評価は高い)があるから、いわばそういった評価を酒鬼薔薇こと元少年Aは期待しているのだろうが、全てが空ぶっている上、人々に見透かされている。根っからの悪を演じ切って死ぬ・殺される覚悟もなく、また、根っからの異常者として生まれたわけでもなく、「壮大な中二病」として認定されてしまった。彼が異常なのは間違いないが、この手のタイプは異常と評されると喜ぶタイプであり、「異常」を免罪符にしつつ「異常性」の後光で神々しさ、俗世の論理を超越した何かを演出して同じ気質の人間からの支持を集めることを最後の望みとするタイプであるから、異常者扱いで騒ぎ立てるのは逆効果かもしれない。当人は「全て裏目に出た感じ」に気恥ずかしさを感じているだろうが、これで萎縮する気持ちと謝意をごっちゃにしているように見える。おそらく反省はしていないだろう。また、自分が警察関係者を睨みつけた時に警察官が内心ゾッとしたと語ったことを武勲としていることや、文春の記者を恫喝したあたり、ヤンキーになれないがヤンキーイズムを実行しようとしているように見えなくも無い。周りを萎縮させたいがそんなことができる見た目・器でもなく、社会的賞賛を受ける要素が何一つ無いどころかいじめられやすいタイプ(収容された施設でもいじめられたという)が、唯一周りを黙らせられる対人接触法が残忍な凶行であったり、異常性をチラ見せするやり方なのだろうと思う。

まともなサラリーマンの世界でも、「上司の前で格闘技をやっていることをほのめかして畏怖させようとする」みたいなことをやる人間は非大卒の世界にはたくさんいるから、根本的な発想としてはありふれているが、過激な方法を取ったところで逆効果である。警察に捕まった当時も反抗的な態度を取り、取り調べにて「警察を舐めるなよこのクソガキ、証拠なしで引っ張ってきてるわけ無いだろ」と恫喝されてボロボロ涙を流しており、全体として、一言でいえば物事を舐めているというか、自分の価値を過大評価している・またはあまりにも社会的承認に飢えているように思う。案の定、「絶歌」出版当時、有料ブロマガをFC2で配信しており、その当時のクローズドな空間におけるやりとりが流出しているが、メディア関係者がわざと崇拝者を演じたか、異常心理に興味がある人間がわざとカマをかけたか、本当に似たようなおかしなタイプが寄ってきたのかわからないが、明らかに自己陶酔的な内容で、遺族が見れば卒倒するのではと感じた。運営元に苦情が殺到してアカウントが停止している。遺族は出版にも怒っているが、幻冬社の見城徹が太田出版に紹介し、また、元少年Aに生活費400万円を貸したという。

クレヨンしんちゃんで家庭を学び、名探偵コナンで異常と正常の境目を学んできた私からすると、秋葉原連続殺傷の加藤のように親が漫画・アニメを禁じたという家庭は危険だと感じると共に、コンテンツビジネスの影響力を逆説的に感じる。土浦連続殺傷の金川は哲学書の内容を曲解して犯行に及んでいる。酒鬼薔薇も、ジョンウェインゲイシーやチカチーロなど世間を騒がせた人殺しのコンテンツをかき集め、テレビタレントや野球選手のことなどは全くわからず、「同級生の女子がジャニーズタレントの情報をかき集めるかのようにして殺人鬼の情報を集め憧れていた」のだという。

工藤新一・江戸川コナンは、あまり、犯罪者を前にして激昂することがない。彼は犯罪者に対して諭すように静かに語りかける場合がほとんどだが、私が思うに、知性の高さゆえ犯罪者の「哀れさ」「頭の悪さ」「誤った論理」が透けて見えているのではないかと思う。つまりある種見下している。「見下し」という言葉からバカにするようなからかうニュアンスが連想されるかもしれないが、マイルドなパターンは「哀れに思うこと」である。かわいそうに、と思うことだ。酒鬼薔薇のような世間を騒がせた人間の発言や文章を見るとき、私は率直に「知的障害者」「低知能」「学習・教育不足」という感想を抱く。と、同時に哀れに思う。実際、日本社会における刑法犯の大半は非大卒未満で、大卒の刑務所入所者は5%程度しかいない。酒鬼薔薇に関しては親も手記を書いているが、親もおかしい。野村克也、橋下徹、スティーブ・ジョブズらが言うように30歳あたりで人生が決まるとしたら折り返しは15歳である。酒鬼薔薇は犯行当時14歳の少年だった。18歳まで親と同居するのが普通だとしたら、生まれた環境に恵まれない時点でいろんなことがうまくいかなくなってくる。あらゆるものを憎んでもおかしくは無い。社会的に死ぬレベルの凶行に及んだ人間に唯一、肯定的な理解・同情を寄せることができるとしたら、「親に恵まれなかった」点であろう。酒鬼薔薇の母親の手記には「やはりどこかおかしい、言い訳がましい」と批判が殺到しているし、父親は警察に被害者の名前すら知らないことを叱責されている。

 

悲しさとは自らの内面に関して、哀しさは外に関するもので、哀れに思うとはある種の見下しでもある。怒りはあるべき形に沿わないものに対して抱くものであるが、私はこの手の犯罪者を見ると怒りより哀れだと思う。仕事も恋愛も、他者に自分を評定される活動であるが、失敗の果てには犯罪がある。書店では成功本・自己啓発本が多くならぶが、対極である「失敗」の世界とは、アクシデント、インシデントの世界である。

 

ゴルゴ13とルパン3世はインシデントのprovokerで、名探偵コナン・工藤新一はインシデントのobserver/resolverであったが、西園寺貴文は成功のCausal relationshipを読解するcauserとして、バチェラー、マスター、ドクターの階段を登ってきた。

 

 

団塊世代を指導した大正生まれ世代は、田中角栄を筆頭に総理大臣経験者でも軍歴があるものが多いが、その教え子である団塊世代からは軍事従事経験がほとんどなく、焼け野原から立ち上がった日本の中核的存在だったわけでもない。団塊世代に数年先んじて生まれたのが麻生太郎、数年遅れて生まれた(いわゆるしらけ世代)が安倍晋三であり、どちらも戦争に行ってないし軍歴も無い。ちょうど彼らを叱って止める上の世代が軒並み死に、戦争体験者から直接話を聞く機会が全く無かった世代が選挙権を持ち始めてから、にわかに憲法改正議論が立ち上がってきていることに注意されたい。女・子供・年寄り・権力者は戦争に行かないから、いくら抽象的な国防論を議論しようと、現場で手足吹き飛ばしてくる役目をするのは15〜30歳ぐらいまでの男子が主役になる。

安倍氏も麻生氏も両者とも勉強不足で軍事の素人であるためわかっていない可能性が高いが(意図的に騙しにかかっているかもしれない)、彼らの選挙演説を聞くたびに疑問に思うことがある。仮想敵国論として中国の話をよくするが、戦争の基本は攻撃側が防御側より戦力を必要とする・苦戦するのであり、加えて日本海を隔てて中国と面しており地の利がある他、朝鮮半島は運良く二分されてお互いいがみ合っている上、中露も蜜月と呼べるほどでもなく、何より日米関係がある。大隈重信・福沢諭吉的アジア侵略思想にアレルギーがある中国は日本の強硬路線を良しとしないし、相手は核保有国で既に負けているのだから、中国を持ち出して軍備の必要性を訴えるのは詭弁である。「アメリカやロシアに対して軍備強化」と聞いたら多くの日本人は馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、「中国に対して」と聞かされて納得するのは中国を見下している・脱亜論的価値観から抜け出せていないからであるが、とっくの昔に中国の軍事力は日本を超越している。日本は中国軍にはもちろん勝てないが、現在、韓国軍に勝てるかも怪しいのである。装備面では日本の方が勝るとはいえ、自衛官は予備も含めて24万人程度しかいないのに対して韓国は50万以上、加えて予備役が300万控えているため、戦争になれば自衛隊だけの損傷で済むと考えている一般国民は大間違いである。「当事者意識の欠如」と「盲目的自衛隊万歳」がセットになった人間がネットにたくさんいるが、彼らに言いたいのは「自衛隊は弱い」ということと、「日本の誇り、ありがとうございます、給料上げてあげて!じゃなく戦争に行くのはオ・マ・エ」である。自分は血を流さず、自衛隊を送れば終了と思っているのだろう。現代戦争において素人を徴兵したら効率が悪いからありえない、などと語る合理主義者は、この国が未だにハンコ主義で、IT担当大臣がハンコ議連会長、サイバー担当大臣はパソコンが使えないことを忘れてはいけない。海自・空自はまだしも、陸自は実際の先頭で機能しない可能性大で、陸自が事実上の素人集団・災害救助隊であり、戦闘経験皆無の点では一般国民と変わらないということ、また、自衛隊の幹部は相当質が悪く(日本の軍人・高級公務員は昔からそう)、幹部養成校である防衛大学校の生徒はまともに戦史も知らない上、授業中居眠りしているというし(元自衛隊幹部が著した書物を読むと相当レベルが低いのがわかる)、加えて統帥権干犯の歴史と反動としてシビリアンコントロールにより、ただの内閣の犬であることを忘れてはならない。ヒトラーばりの軍事音痴指導者の鶴の一声で軍事運用に干渉する可能性大である。そうすれば軍事合理性は期待できず、ヒトラーも「これは殲滅戦だ」と発破をかけたが、日本もそういう国であることは「アベノマスク」で再確認できたところであろう。先の大戦においても、軍の高級幹部は軍事合理性を超えて「子々孫々に、国を守るために命をかけて頑張った先祖の姿を残す」が軍事目的になるという、もはや高級軍人というより素人の発想・論理・思惑で、止められるはずの玉砕を止めなかった歴史があり、戦後は証拠隠滅・逃亡した高級幹部が多数いたことも注意されたい。ネットによくいる自衛隊万歳集団と、戦前・戦時の皇軍万歳・軍神神風イズムは同じである。この国に合理などなく、根幹にあるイデオロギーは「国体(メンツ)の維持」というヤクザイズムであって、指を詰めることに合理的な理由が無いのと同じく、徴兵することにも、取り立てて理があるわけでもない。

時代は、中核的世代が入れ替わる30年周期で同じことを繰り返す。バブルなどはその最たる例である。そして、「もう二度と同じことは繰り返さないと反省した決定的な過ち」は、存命三世代がゴッソリ入れ替わる90年単位で繰り返される。なぜなら、直接の体験者・当事者が消え去り口伝される機会が失われるからである。

私の先輩が離婚した際、

相手の弁護士を殺したいと思った。一生顔と名前を忘れない。

と言っていたが、嫁の理不尽かつ一方的な離婚要求に、相手側の弁護士が法的論破で追い風を吹かせてくるという二重苦であったらしいが、その弁護士が女で年下だったという。女性で法曹になるタイプは、「女性の自立」「男尊女卑が許せない」「養育費踏み倒しなどの悪が溢れかえっている」「男性に頼らず負けず女は強く生きる」という発想の輩が多いため弁護に熱が入る。女の気持ちがわかるのは女ということで、女側に女の弁護士がつくことがあり、心情的に連帯した弁護士が法律を武器に家庭事情にグサグサ入り込んでくるがこれは相当に恨みを残すことが多い。そもそも離婚というのは、合意すれば離婚に至るのであり、これを裁判離婚に依頼しようとする時点で泥沼なのである。弁護士になりたい人間は、「企業社会で働きたくない」「ずっと仕事に困らずやっていける強い資格が欲しい」というような控えめな理由か、もしくは「一人で大きな力を持ちたい」「社会正義を実現したい」「悪を打倒したい」と考えている比較的好戦的なタイプ・積極的な人間が多いが、おそらく殺される確率が高い仕事No.1である。のリスクに加えて、合格・資格取得までの長い勉強プロセスの代価としてのあの年収なのである。

警察・検事が扱うのは公共悪であり誰もが納得いくような罪であるが(しかも集団プレー)、弁護士は正解が無い領域に介入し、法的に決まったことに国家権力の強制実行力が働いて、権利・財産・組織などをバラバラにしたり、潰したり、財を移転したりしてしまう。しかも個人プレーなのである。「合法」「国家権力」の後光によって錯覚しやすいが「強制力」で自由・権利・財産・関係性に介入していくという論理自体は、犯罪者やアングラな勢力と変わらない。軍隊に行くような気持ちでならないといけない、と言ったら大げさかもしれないが、皮肉なことに我が国では自衛官より死亡率が高い仕事である。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。