ほか弁の唐揚げ弁当(440円)を食べながらダラダラと語ります。
マズローの欲求五段階説。
- 生理的欲求
- 安全欲求
- 愛と所属の欲求
- 自我・自尊の欲求
- 自己実現欲求
- 自己超越欲求
これは、経験上、本当だと思う。私も、見事にこの順番でステージを駆け上がってきた。そして、最近は本当に、「あぁ、確実に自己実現のステージに入っているな」ってのをすごく感じる。下位の欲求が、どうでも良いというか、心が動かされない。
よく、自己啓発書などでこんなストーリーがある。大成功して、お金持って、調子に乗ったけど、お金じゃ幸せを買えないことに気づいて、お金についてどうでも良くなる・・・・・みたいな。あれって本当。西園寺の場合、元々庶民上がりであったこともなくて、そんな大それたレベルではない段階から「あぁ・・・お金ってしょーもな」「これ以上稼いだってしゃーない」ってなるようになった。それはどんどん加速して、そのうち、そこらへんの人では理解できない意味不明な悩みや苦悩、葛藤で脳のリソースを使うようになった。自我・自尊欲求のはじまりレベルの人間、愛と所属欲求レベルの人間、安全欲求レベルの人間に自分の悩みや苦悩を吐露しても、「は?ナニソレ?意味不明。十分幸せじゃん・・・・」ってなリアクションをされて全く理解されないという。
誰もが、自己啓発とか、マルチとかにハマっている人で、自己顕示やマウンティングがひどい人を見たことがあると思う。ブランド品で武装して、パーティーにシコシコ参加し、人前であれこれ自分のすごさを主張する。あれは、ある意味、低いレベルであることを自己証明してしまっている。承認欲求の奴隷、自尊欲求の奴隷である。
上位ステージの人間は、下位ステージを全部体験してきているから、その人の発言・行動、態度でその人間がどのステージの人間か、秒で見抜ける。その人がいくら、「株で成功してて・・・」とか「すごい人脈があって・・・」「こんなことしてて・・・」と口先で言っていようと、欲求は必ず滲み出るから一瞬で見抜ける。これ本当。男が女の谷間を見ずにはいられないように、美女の美しい肢体を前に勃起不可避であるのと同じように、人は欲求に抗えない。
だから、人は欲求に従順な発言・行動をする。これを観察していれば、その人間は見抜けてしまう。面白いほどに。
そして上位ステージの人間は、下位ステージのどうしようもない人間の嘘や虚勢を見抜くし、関わっちゃいけない人がわかる。スルーすべき人間がすぐわかる。よって、人付き合いも恵まれるし、落とし穴も踏まない。そういうロジック。
高いステージの人は、下位レベルのこと、しない。たとえ、下位レベルに属するような言動や行動をとったとしても、それは一時的に出していたり、わざとだったりするだけで、コンテクストを読んでいけばわかる。高いステージの人は、他人の承認とかどうでも良いと思っている。それは開き直り・諦めではない。純粋に、特に響くものがないのである。大人になった女性が若い頃に傾倒していたアイドルを前にしても特に無反応になっているのと同じで。
高いレベルの人は、自己実現しか考えてない。好きなこと、理想とするライフスタイル、人生を楽しむこと、幸せに生きることを考えている。
結構、みんなが若いうちにやりがちな失敗。すごい人の前で、一生懸命自己PRに走ったり、後から考えたら赤面するようなことを言い放っていたり。
ステージの高い人は、それを優しく受け止めたり、まともに取り合ったり、スルーしてくれてたりするけれども、後になって自分の稚拙さに気づく・・・・ってヤツ。でも、それは別に悪いことじゃない。その当時の姿がそれなんだから。
高いステージに立つと、他人が「俺ってすごいだろ!」とか「俺の方がすごいんだぜ!」とかアピールしてくると、平気で譲ったり、下に出たりする。何か、相手がマウンティングなり、競いなりをふっかけてきても、平気で負けたり逃げる。逃げるっていうのは、そそくさと上手に距離を置くってこと。ビジネスがちょっと軌道に乗り始めた人とか、調子付いた人とか、自己啓発やマルチにハマりだした人とか、自分に自信を持ち始めた人とか、お金が入り始めた人とかは、気が大きくなる。そして、結構、人前で「どうだ!」みたいのやりがち。中には攻撃的に人に絡んだり、これまでお世話になった人に対して「今だ」とばかりに見下すようなことを言ったりやったりして、下克上のようなことをやったりする。自分を引き上げてくれた・育ててくれたことを忘れて、自分一人でそのレベルまで達したかのような勘違いに陥る。
「俺、天才」
「俺、見る目ある」
「俺、本当にあのレベルまでいける」
「今の俺なら・・・・・」
とかが口癖として増える。
こういう時期の人って、わかりやすいもの、ギラギラしたもの、過度な上昇志向、華やかな世界にめちゃめちゃ惹かれる。すごい人とか、師匠とか、メンターとか、そういうのにハマる。パーティーとか、人脈とか。
まぁまぁ、人間なんてそんなモノ。特に、元々従順なタイプとか大人しかったタイプ、人に媚びへつらってヘコヘコしていたようなタイプは、「上下」にこだわりがあって、だからこそ自分が「上に上がった!!」と思ったら態度を急変させたりする。下としての態度を全うしていたからこそ、上にいったらガーンと逆に振れるというわけだ。
(先輩に対してめちゃめちゃへこへこしていたやつは後輩ができるとすっごい偉そうになるのと同じ)
これが、お金持ったら人が変わるとか言われる理由の、一つの根拠でもあったりする。逆に、金がない頃からあまり媚びへつらってなかったり、メインストリームから平気で外れたり、権威に流されてなかったタイプはお金を持ったところであまり変わらなかったりする。上下にこだわりがないからだ。
西園寺さんは、自己実現ステージだけど、自己超越は無理だ。はっきり言って無理。20代でここ行くのは無理だと思うわ。もうこれは偉人レベルっていうか、マザーテレサレベルでしょ。そんなん無理です。20代でそれは無理。
自己実現ステージですね。自分の基準とか、自分の中での自己評価とか、自分らしさとか、そういうものがもっぱらの関心のステージです。JDにたまにボロクソ言われたりするんですけどね、全然何も思わない。まぁ、仲良しの愛情表現の裏返しでしょうけど、すごい誤解されたり勘違いされたりして、disられてもピクリともしない。逆に人に褒められてもありがたいなぁ、とは思うけど、それに飢えてるわけでもないから特に何も。あんまり何も思わない。
いやぁ、でも本当に思います。幸せですね。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。