どうも、西園寺と申します。
こちらの記事は、年収1000万円〜9999万円の方向けに書いた記事ですので、それ以外の方は退出されてください。
高所得者の貴方に向けたお話をしたいと思います。
ハイスペック高所得者限定向けのお話です。
繰り返しになりますが、こちらの記事は、低所得者の人は読んではいけません。低所得者の段階からこのような記事を読んでしまうと、中間プロセスをすっ飛ばして変な哲学を始めてしまい、生きるのが困難になるのでやめてください。
食事は全部、うんこになるから同じ、とか、
目の前に映るセカイは全て自分がそう思ってるからそうなのである、みたいな、
変な哲学を始めてしまって、ニートをこじらせる危険があるので読まないで下さい。
年収が上がれば、確実にハッピー度は増す、というかアンハッピー度が下がる、不快度が下がる(快適さが増す)。
金を稼ぐ、というのは、comfortableな生活を手にできる、convenienceな生活を謳歌できる、高水準が常に安定継続(誰かにとっての贅沢が日常化する)という感覚に近いと思います。
私も、食事に行ったり遊びに行ったりした先で芸能人を見かけたり、スポーツ選手がいたり、綺麗な子と遊んでみたり、頻繁に旅行してみたりという経験を通して、すごくそれは感じます。もちろん、エクセレントな経験というか、感動する経験、興奮する経験もたくさん積めます。やりたいことも買いたいものも買える。でも、物凄く思うことがあって、
「金で変わる部分」
と
「金で変わらない部分」
というのはあると思います。
私には、高額所得者だけれども鬱っぽいような人々とたくさん交流して来ました。
稼いでも稼いでも、幸福度が上がらない
3000万円稼いでも、5000万円稼いでも、「うーーむ・・・・」となっている人たちは結構たくさんいるのでは無いでしょうか。別に6000万円でも、8000万円でも良いですけど。私はこういう人をたくさん見てきました。
よく、下層の人たちや、大して稼げない人たちが、
「稼いだところで大して変わらないよ」
などと言っており、それに対して、貴方方は表向きの謙虚さで話を合わせて「ウンウン、そうだよ、稼いだって大変さが増すだけでコスパ合わないよ」などと言っておきながらも、本音では「自分は下(=彼らと同じレベル)に落ちたく無い」と思っておられるのでは無いでしょうか?あるいは、「変わらない、でも変わるけどな」ということを思っておられるのではないでしょうか?いわば、変わらないというのは少々、逆に盛ったというか過少申告みたいな感じですね。
私も自分より下の人たちに言われて、この過少申告をすることがよくあるのですが、内心、「いや、かなり変わるけどね」とは思っています。
稼いだ金額は、額面としてはしっかり残りますし、何より労働者市場ではそれが評価されますから(それがベースで話が進んだりする)、極力落としたく無いというのは本音では無いでしょうか?
とはいえ、稼いでも稼いでも楽にならない。さらに上が目に入ってしまう。幸福度が上がらない。もっと上に行こうと思えばリスクを取らないといけないけれども、そのリスクをとって今の足元にあるものを失うのは怖すぎる。そして、下には絶対落ちたく無い。そんなことを思っていませんか?
なぜ稼いでも幸福度は上がらないのか。その理由は、税金と肉体的限界
なぜ稼いでも幸福度は上がらないのでしょうか。
いや、正確には、確かに稼ぎが増えるとそれなりに嬉しいと言えば嬉しいですよね。とは言え、抜本的な変化を感じないというか、人生が底上げされるような感覚、幸福感に満ち満ちたような感覚は、多くの人は味わいにくいのでは無いでしょうか?ドラスティックな変化が起こらない。
特に、労働者として1000万円、いわゆる一本の大台に乗った人はそれをヒシヒシと感じることでしょう。
ひとつめの理由は、やはり、若さでしょう。
若い時は、何をやっても楽しいです。全ての物事が刺激的に感じられますしね。特に20歳までに年収1000万円とかを稼ぐと、すごく楽しいと思います。しかし、ある程度の年齢になって相応に稼いだ人であればあらゆる経験を積んでおられるでしょうし、世の中の刺激というものに慣れていきます。歳を重ねるごとに、幸福を感じることが難しくなっているかもしれない。なぜならば、出会う物事に既視感があるからですね。
加えて、稼ぎというのはある程度、「それぞれの年齢フェーズにおいてどれだけ稼ぐか」というものであって、例えば、小学生に1万円は大金であったとしても、いい歳した大人にはそうではない・・・・というような話があるのが厄介なところと言えばそうなのです。
しかも、社会人になってしまえば、学生の頃とは違い、同級生や自分の年齢プラスマイナス3歳の範囲ではなく、平気で10歳、20歳の年齢が近い範囲の人たちとある程度空間を同じにするので、そんなに稼いでも幸福感を感じにくいことがあるかもしれません。例えば、自分と年齢の近い美女が中高年男性に娶られていくシーンなどと出くわします。
2点目は、税金でしょう。
稼げば稼ぐほど、累進課税の制度によってどんどん税金が重たくなっていきます。実質的な手取りの割合というのは、減っていきます。稼ぎが少ない人達よりも、税金の負担が重くなることで、「税金のために働いてしまっている」という感覚が強くなり、加えて、政府や行政の失策・失政を見ていたりすると、物凄くモヤモヤしたりするでしょう。また、貧困な人達や、下層な人たちが、稼ぎの代わりにそれなりに楽しそうなマイルドヤンキー人生、ノーテンキ人生を送っていると逆にそれが一周回って羨ましく感じられることもあるかもしれません。
そして最後は、肉体的限界です。
1日は24時間しか無い上、どんどん身体は衰えていく。そして、自分の身体を企業社会に提供してお金を稼いでいかねばならないという状況。この中で、がんじがらめの感じというか、不自由さを感じているのでは無いでしょうか。年収600ぐらいまでは素直に上昇が嬉しかったけれども、それ以降のステージではあまり嬉しさを感じていない、という状況にありませんか?
特に、高級エリート組などの場合は、稼いでいても拘束が強い環境にあると思います。
ライフスタイルに変化を起こすためには?
ライフスタイルに変化を起こすためには、やはり、恋愛や結婚は大きな一手だと思います。特に、「ハイスペック男子」が「ロースペック女子」と結びつくことは仮にあったとしても、「ハイスペック女子」が「ロースペック男子」と結びつくことはあまりありません。
そういった意味で、ハイスペ男子というのはハイスペ女子と繋がりやすく、ハイスペ女子の世界の中から良い物件を選べるというわけです。せっかくハイスペ男子としての日常を送っているならば、「ハイスペしかエントリーできないコミュニティ」を介して、異性と出会うのは素晴らしい手だと思います。
いわば、金云々ではなく、何を買うか云々ではなく、
「現状の今の自分のステータス」
を足がかりにして、何か出会いを求めてみる、というのは良いと思うのです。これは必ずしも、高額所得者にしかできないことではなくて、どんな人も、自分のプロフィールやステータス、スペックを足がかりにして新しい出会いを求めていくことはできると思います。
ナンパを始めてみる
30代ぐらいまでのうちに、年収1000万円くらいに乗ったら、「あえて」下品な遊びというか、若い崩れ方などに身を浸してみるのも楽しいかもしれません。風俗に溺れるとかでも良いかもしれませんが。別に2000万円レベルの人でも良いですけれど、市井の下品な遊びをしてみる。それによって、新しい世界が見えてくるのはあると思います。
別に医者なんかになって年収1000万円稼いでも普通で、参加するコミュニティで相応の人たちに出会うかもしれませんが、ステータスというかスペックありきの交流になり、恋愛をしても友人関係を作っても、なんというか「窮屈さ」を感じてしまうかもしれません。稼いでいることが普通というか、それが当たり前の世界であり、普通を当然のように期待されます。学生時代は相応の犠牲を払っているわけで、働きに出ても激務の毎日です。あまり幸福感を感じないかもしれない。嬉しいのはその世界に接続した下層の人たちだけでしょう。ですから、意外と医者なんかは当の本人などは楽しくなく、逆に医者を仕留めて専業主婦に成り上がった比較的下層コースが見えきっていた美貌のある女なんかはウハウハで、こういう人たちがツイッターなどで暇を持て余して悪態をついていたりしますね。
引っ越す、住む場所を変えてみる
せっかくハイスペックで相応の待遇を手にしていも、例えば住んでいる場所で節約などをしてしまうと、生活を謳歌できないかもしれません。極端な話、周りが田んぼのところでお金があったとしてもそれをどこに使うか?という問題が出てきてしまうことがあります。商社マンや医者などのように、僻地に飛ばされて、相応に稼ぐけれどもお金の使い道が無い、という人たちもたくさんいます。
お金というのは、「極めて資本主義色が強いエリア」に住むことによって、使い道に幅が出てきます。様々な体験ができます。ですから、居住する場所を変えることで生活に変化が現れることがあるかもしれません。
私は、経験上、同じ場所に3年住み続けるとマジで活力を失います。ジョブホッパーにならなくて良いので、「アドレスホッパー」になるのは良いと思うのです。
引っ越し、していますか?ずっと同じ場所に住むって、どんどんお尻から根が映えていっちゃいますよ。頭もフットワークも重くなっちゃいます。
年収100億円でも手に入らないもの
いくらお金を稼いだとしても、手に入らないものというのはあります。その筆頭は、例えば「若さ」でしょうか。若さが手に入るのであれば、すでに、孫正義や三木谷浩史氏なんかがそれを購入しているはずです。しかし、彼らはメディアを通して見るように立派なおじさんなのです。
孫正義の頭髪の状況を見て、「あれだけ稼いでもハゲは治らないのや・・・」と絶望している人たちがいます。孫さんが治す気が無いのかもしれませんが、世の中には、金で手に入るものと入らないものがあり、筆頭は若さや若い身体だったりします。
私の周りのお金持ちや、これまで出会ってきた桁違いのお金持ちの悩みというのも、
- 身長を伸ばしたい
- イケメンになりたい
- 若さが欲しい
みたいな感じだったりして、割とありふれた普通の悩みです。結構、下層の人たちが思っているほど、リッチによって手に入るものというのは限界があります。これが何故なのかは、算数がわかればすぐにわかります。
ここら辺は簡単な算数なのですが、10億円を持っている10万人に対して提供されるサービスより、100万円を持っている1億人に対してサービスを提供される方が、金銭的には大きなリターンが期待できます。
1億円(100,000,000)×10万人(100,000) =(10,000,000,000,000)
100万円(1,000,000)×1億人(100,000,000) =(100,000,000,000,000)
でしょ?
ということは実は、最先端のサービスや技術などは、割と100万円・1000万円を出せるような比較的「卑近な範囲」に結集するようになっており、それ以上とんでもなく稼ぐ世界というのは、単に資源やサービス、特別扱いが集中的に結集するだけだと言えます。例えばディズニーランド貸切、とかですね。別に貸切しなくても、庶民でもディズニーランド行けますよね。そういうことです。クラブのVIPルームだとか、高級料亭とか、そういうところに頻度高く行ける・・・・というだけといえばそうなのです。
むしろ、お金より強いのは権力です。天皇・皇族方が道路を走るときには、パトカーや白バイを従えて、信号もいじって優先的に通過できます。
金を稼いで幸福を得られる人は、「量」を追求したい人
以上の話から、金を稼いで幸福を得られる人というのは量を追求したい人、でもあると思います。
例えば、
- 車がたくさん欲しい
- 家がたくさん欲しい
- 女を抱きまくりたい
- 下層の人間がたまにやる贅沢を日常的にやりたい
というような感じで、お金持ちの世界にエントリーしてできること、というのは実際のところはそんな感じです。これは、高額所得者の貴方にはある程度、しっくり来ていることというか、若干感じられていることでは無いでしょうか?そして、高額所得者生活を謳歌している人たちは、追求して嬉しくなる「何らかの量」がある人たちです。お金があってハッピーというタイプは、まさにそういう人たち。
そして、その量の追求すら、どうも中途半端に思えてしまう・・・・・・というのが「年収1000万円〜9999万円」というステージであり、おまけに過大な責任を抱え込み、激務に晒されながらあくせく働いている人が多いわけですから、そりゃーーーーー・・・・・幸福感を感じにくいでしょうね。なんて言ったって、いくら稼いでいるとはいえど、「時間」は限定されているわけですから。金はあるけれど時間は無いと言っている人や、金はあるけれど使い道が無い、と言っている人たちはあちこちにゴロゴロしています。
気持ちいい体験、快適な体験、便利な体験・・・・
気持ちいい体験、快適な体験、便利な体験、こういうものもお金があると手に入りやすいと思います。お金があるのに、そんなに幸福度を感じないという人たちは、「お金の使い道」が見つかっていないのかもしれません。
私にとって、好きなお金の使い道は、
- 旅行
- 情報収集
- 女遊び
- 面白い出来事や人間と繋がる
など、徹頭徹尾、「人生を面白くする」方向に向いており、これは私の人生観の前提として「とにかく生きることは面倒くさくて楽しくなくて辛いことが多いのがデフォルト」というものがあるからです。だからこそ、意図的に人生を面白くなるように動かしてきたし、お金の使い道としても面白くなるようにしている。そして、その中で、「量が増えると幸福度が増えるもの」もそれなりに見つけているのです。だから、私はお金を稼ぐという行為についてはポジティブなのです。
人として襟を正しておく
高額所得者になっても、「そんなに・・・・」という人は、もしかすると出会いに恵まれていないのかもしれません。それなりにハイスペック状態に自分を保っておき、仕事やお金以外の部分でも自分磨きをしておきながら、
自分を良い状態でメンテナンスし続けておく
と、必ずと言っていいほど、良い出会いというか、良い声掛けがあるものです。人は人を評価するときに、過去何をやってたのかを必ず見ますので、なるべく自分を高い位置に持っていき、それをキープし続ける効用というのはあると思います。何より、お金があると、新しいこともしやすい。新しいことをするにあたり必要な費用も賄うことができる。
お金は稼いでおくに越したことは無い・・・・と私は思います。
ふてくされずに、自分の評判を意識する、というのも大事かもしれません。
実は、自分の目の前にある全ての出来事は、その次や向こう側にある大きなリターンやチャンスを呼び込むためのステップでもあります。目先のことをおろそかにしていたら、次がやってこない。いかに、目先のことを100%、120%でやってクオリティを上げていくのか、それを継続するのかが社会的な評判となって、また新しいチャンスを呼び込むことになるかもしれない。
仕事が楽しいかどうかはめちゃくちゃ重要
仕事が楽しいかどうかはめちゃくちゃ重要です。休みなんて要らない、というぐらい仕事に対してポジティブな人たちはハッピーだと思います。そういうものがある人たちは勝ち組です。そういった前向きな仕事を見つけて、大好きな配偶者と結ばれた人たちは超勝ち組です。働くことが好きで、家に帰っても大好きな配偶者がいるのですから、人生に一切の不満は無いでしょう。
そして、多くの人が若年期に憧れる・目指すのがそういう人生です。だから、若ければ若いほど、「好きな仕事」「好きな人」というのを重んじるわけですが、みんな段々、「話はそう簡単ではない」ということを悟るようになっていきます。ある意味わがままになったのかもしれませんが、大人になればなるほど、考えなければならない項目が増え、憂慮事項も増え、可能性や選択肢も限定されてきます。最低限クリアしなければならないライン、制約条件なども存在します。嫌なこともたくさん発生します。そうなると、子供の頃のように「好きの一点」を通して人生選択をすることが困難になります。好きなことをやっているつもりでも、嫌なことをしなければならない場面はたくさんあります。
こうなってくると、
- いかに仕事から離れるか
- いかに仕事とのうまい付き合いをするか
という観点が必要になってくるでしょう。
私はこの視点を早くから持っていたので、とりあえず「労働力の切り売り」ではなくて、もっと別の働き方をしよう、ということは若い頃から意識していました。
労働者という枠を出てみる
労働者という枠を出てみることで、世界はガラリと変わるかもしれません。
- 日系で働くか、外資系で働くか
- ホワイトカラーか、ブルーカラーか
- 下層労働者か、管理職か
- 経営陣か、それ未満か
- 資本家サイドか、否か
- 都会か、否か
などによって、同じ金額を稼いでいても、味わいみたいなものは全く違っていたりします。・・・と言っても、転職や職位を変えることはそうそう簡単なことではありません。ですから、どんな人にでもチャンスがある「起業」「独立」というのは視野に入れておいても良いかもしれません。結局のところ、全ての人はそこに向かうことになります。自分自身が、何らかのオーナーシップを発揮できるようになることで、生きる世界は変わると思います。
私は、雇われ労働者という枠を脱してから、劇的に人生変わりました。
額面だけでは何もわからない
結局、稼いでいる額面だけでは、それがハッピーなのかアンハッピーなのか、良いのか悪いのかわからないわけです。いろんなことを総合的に勘案しながら、自分にとって良いスタイルを見つけ出していく。
これは、今の資本主義社会に生まれ落ちた我々が、人生を通してクリアしなければならない課題だと思います。私はこれを、「社会と自分の連立方程式を解く」というように表現しているのですが、良い落とし所を見つけていくというのは大事だと思います。
今と同じ所得を、もっと楽に稼ぐ方法は無いか模索してみる
自分が今稼いでいる所得と同じ所得を、もっと楽に稼ぐ方法は無いか、もっとプライベート重視・自由に稼げる方法は無いか、今目先にある仕事をもっと楽にできないのか・・・・
そういうことを意識しながら生きるのも良いかもしれません。個人的な経験から言わせると、稼ぐ金額を増やすことも大事ですが、同じ金額をどう稼ぐかについて工夫を凝らす、というのもかなり生活に与えるインパクトは大きいです。
そして、外の世界に興味を持って、「稼ぎ方」の開拓をする。自分の中で、収入源になりそうなもの、稼ぎ口を増やせそうなものを探しておく。練習しておく。先行投資しておく。チャンスを買ってみる。そうやって、視野を広げていくと、また新しい世界やチャレンジが見えてきて面白くなります。
新しい武器を手に入れる、キャリアをズラしていく。
私は基本的に、
- 新しい武器を手に入れていく
- キャリアをズラしていく
ということを意識しています。
飽き性なので、ずーっと同じことをするのが嫌というのもありますし、常に成長をしながら新しい刺激を得つつ、新しい世界を見るためにはこの意識はすごく私にフィットしています。
根本にはもちろん、軸を通しながら、徐々に新しいことをやっていく。違ったことや変わったことにも手を出していく。そういうことを意識しているのです。当然ですが、これにはリスクが付きまといますし、自分に負荷もかかりますし、何より面倒臭いといえば面倒臭い。結局、やっていることは新しい学びです。新しい学びには失敗がつきまとうもので、うまくできなかったりして嫌なこともありますし、ストレスが溜まることもあります。
でも、結果的に「自分の枠」を広げることが、自分の人生を楽しくすることだと私は気付いているのでそうしています。
幸福の定義はよくわからないけれど、「あれを買うために頑張ろう」となっているとき、人は輝く
幸福の定義はよくわかりません。
ただ、人は、「あれを買うために頑張ろう」となっているときにものすごく輝きます。
買いたいものがある、って結構大事なことです。人生経験を積分していけば、人生がキラキラしている時というのは、お金の使い道がある時というか、あれに使いたいとハッキリしている時だったりします。これがあまりにも強すぎると、仕事に精が入らないのでダメなのですけれども、
- 仕事上の楽しみ
- 買いたいものに関する楽しみ
がある程度、バランスを取っている時、人生というのは結構楽しいものです。
年収を下げて休みが多い仕事に鞍替えする、というのは「休みを買う」ということ
これは、自己資本でまったりビジネスをやっている人にしかできない技かもしれませんが、年収を下げてでも休みを増やすという手もあります。これは、事実上、お金で休みを買った、ということになるでしょう。サラリーマンでも、似たようなことを実現できる人はいるかもしれない。
こういった、戦略的売上ダウン、戦略的キャリアダウンというのも一つの手だと思います。もちろんこれは、ある程度、高いゾーンにいたからこそできることだと思うのです。下げる、というのは、下げる幅がある程度ある高い人にこそできるワザです。
「金はあるけれど時間は無い」という場合には、時間を買う、という方法の一環として、こういうものもある。もちろん、会社に近いけど家賃が高い家に住むとか、タクシーを乗り回すとか、家事代行を雇うとか、こういったことも時間を買うことの一環だと思います。物を買うよりも、こういった「時間を買う」行為の方が、人生全体に与えるインパクトは大きかったりすると思います。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。