金融の本来の存在意義を考えると、お金の融通なんだよね。
余っているところから足りないところへ。余裕があるところから余裕が無いところへ。不要なところから必要なところへ。そういう意味で、リサイクルとかシェアエコノミーにも似ている。年金制度も広い意味で金融。保険もね。そして、金主に対して報酬を返すわけだ。
だから、社会がやばい時はだいたい金融がやばい。要するに、広義の意味で、「助け合いシステム」がうまく機能していない。
- 高齢者問題
- 生活保護などの弱者保護問題
- 事業をやりたい人間や事業を続けたい人間に、絶対的に融資が降りない
- 貸し剥がしに合う
などの問題というのがある。
だいたい、やばい国というのは、
- 年寄りが老後破綻してる
- 生活保護を不正受給してウハウハしてる人がいる
- ビジネスしたいけど金融界隈からお金が降りてこない
- 生活再建のための一時的、投資的な支援が降りてこない
- 起業するのが資金的にハード
- 銀行員にビジネス殺される
- 経営者が「経営とは銀行との付き合い(接待)だよね」とか言い出す
・・・・・・あれ?
身に覚えがあるぞ?どこの国だろう・・・。
ただ、マクロはある意味、理想論でもあって、ミクロで見ると、あるいは拡大鏡で見るとマクロ的な理想通りにはならないのは常。部分と全体は違う。というか、全体の理想を追求しようとする過程で、必ず、部分で抜け駆けする奴が出てくる。みんなで協調しようとすると、1人抜け駆けするのが出てくる。1人でこっそり教授に取り入る奴、1人でこっそり上司とベタつく奴、1人こっそりと社長に身体を売る奴、1人だけ授業中教師に噛み付いて注目を浴び悦に浸る奴、とにかくそういうのが必ず出てくる。誰もが全体のことを考えているわけはない。自己保身に駆られている。そういうのがいる。世の中は自己保身に駆られている人間達をうまーくまとめて全体最適を目指していくシステムになっている。部分最適→全体最適を目指しているはずだけれど、「短期スパン」だったり「拡大鏡」で見ると、そうは綺麗になってない。
例えば、株主が総会屋みたいにして、会社にあれこれなんやかんや言ったとする。株主と会社側は利益を共有しているはずが、場合によっては対立する。短期的なマネーのことばかりしか考えられなくなった株主は、目先のわかりやすい指標に囚われてその成績アップを要求する。「自分のことだけ」「目先のことだけ」「短期のことだけ」を考えて、相手を大きく太らせ成長させてからWin-Winでおこぼれをもらうという発想など1ミリもできないまま、「よこせ!すぐよこせ!早くよこせ!俺だけよこせ!」の発想の人たちはいる。ただし、彼らはそれはそれで、人生戦略それでうまくいってしまっているから変えるつもりがさらさらない。で当然、会社側はこれに振り回されて、長期ビジョンを失い、経営の舵取りを変えて長期の大きな利益を失うかもしれない。目先のことばかり考えて長期の大きな利益を取り損ねる人間はどこにでもいる。手っ取り早く、というのはだいたい、損をする。実際、Amazonは創業してしばらくの間はずっと赤字だったけれど、しぶとく付き合っていた人は今頃大儲け、億万長者であろう。しかし、短期で見切った人は大きなチャンスを失ったはずだ。Amazonと収益シェア的な意味で、付き合いが長かった人は儲けている。
実際に、現実の金融の現場に携わっている人間にはどんな問題があるのか。それは、金主側に、「儲けろ!儲けろ!」と圧力をかけられるのである。とにかく、マネーを増やさなければならないという責務がある。短期のスパンでしか物を見ていない人、目先の指標ばかり見ている人に圧力をかけられる。すると、
- 手っ取り早く
- わかりやすく
- 簡単に
数値が上げられる場所を探そうとする、あるいは創り出そうとする。本来的には、実体経済に対して、黒子的な立ち位置でサポートしながら経済発展を目指すべきであるが、世の中のお金余りの人たちや金主が「金融」に対して投資意欲・資金供与意欲を失ったら、すなわち「実体経済の成長と未来」に対して期待を失ってしまっては世の中に金が回らないことになる。超長期すぎる投資には資源が集まらない。どんなバカでも50年かければ司法試験に受かってリスペクトされる人間になれますよと言われても50年かけようと人はなかなか思わない。ということで、ある程度短期スパンでの投資案件でなければ資源は集まらない。そこらへんは金融の悩ましいところである。世の中のお金余りの人たちや金主が「金融」に対して投資意欲・資金供与意欲を失ったら、すなわち「実体経済の成長と未来」に対して期待を失ってしまっては大変だ。金が回ってこないと、再投資されるサイクルが回らないと厄介だ。人生と同じで、未来に期待ができない場合は腐る。未来に期待できない会社で未来に期待できない人間ばかりいると腐る。
具体的には、
- 怠ける
- インチキばかり考える
- 抜け駆けばかり考える
- 非協力的になる
- 億劫になる
- やる気を失う
- 投げ出す
- 逃げる
- 他に移る
などなど。もし、これが「経済」とか「国家」全体に起こった場合、それを信用不安というのだけれど、それが起こればパーフェクトにやばい。組織スケールで起これば倒産、地方自治体レベルで起これば財政破綻、国家レベルで起これば国家破綻・・・・という流れになってしまう。当然、この中では犯罪が発生し、被害が生まれ、憎悪が蓄積し、判断能力の狂った人間達がヘイトをするようになり、怪しいカリスマが出てきたりして・・・・・・戦争に突き進む場合がある。「不信感」が暴走すると「疑心暗鬼」になり、この疑心暗鬼に感情の暴走、錯乱が加わると暴力的になって、にっちもさっちもいかなくなるし、過去の歴史ではそれが起こってきたのである。
世界史を見ると、過去の戦争はだいたい、
- 信用不安、恐慌
- 徴税権の奪い合いや税の乱用、税特権者の暴走など、税関係
- 軍産複合体絡み、その他大金持ちの陰謀
- 権益、利権狙い
というように、後ろでマネー的な理由が蠢いていたりする。
ということで、信用不安を起こしてはいけない。
表面的に取り繕おう、という動機が出てくるのは当然であって、そのために美味しい短期的な投資先(投機先?)などが誕生していくことになる。まさに付け焼き刃だけれど、付け焼き刃の刃にさらに付け焼き刃をして肥大していった世界が現代の資本主義なのかもしれない。あるいはそのための金融投機システムが世の中に生まれていく。どんどん肥大していく。残念なことに?人間はそういうものが大好きだから、どんどんとマネーが投じられていく。少なくとも、そうやってマネーを集めることができれば、そのマネーを使ってどこかに回すことができる。かろうじて大義は守れる。実際、トリクルダウン効果なども認めることには認めることができる。私の同級生の友人で1番お金持ちだった奴の親はビジネスをやっていたけれど、一番最初にやっていたのは金融関係らしい。そこでお金を使って、実業に流れたというわけだ。
本来、経済成長を考えた時には、何らかの産業を発芽させないといけない。あるいは、保護育成強化しないといけない。産業というのは要するに、食い扶持である。みんなの食い扶持。
ビルゲイツの資産とか年収系の話、カルロスゴーンの稼ぎ系の話題でみんなスゴイ怒る?嫉妬する?のだけれど、一つ考えないといけないのはマクロソフト社や日産の売上規模・資産規模。結局、どでかい組織では相当な仕事を産んでいて、雇用を産んでいるわけだ。そういうものを「作り上げた」奴がまずめちゃめちゃ儲かるのは当たり前。相当な人間を食わしているわけだから。だからビルゲイツが世界一お金持ちなのは当たり前。そして、カルロスゴーンのようなプロ経営者は、大所帯の組織の方向性を握っているわけで、成績が悪ければ当然首をはねられる立場にある。そこでエリート社員をやっている人たちはこき使われる代わりに安定雇用である。しかしプロ経営者は政治家のように任期がある。あれだけの組織の方向性を決定して最終責任を握るのだから、それだけの報酬があってしかるべきである。担当している組織の売上の規模と比較すれば、別に年収にはビックリしない。
金融界隈は投資先を失っている。これを見つけ出して、実体経済の中で新たに大きな投資機会、雇用、世界で勝てるビジネスを創出できたら天才である。
ちなみにだけれど、今の日本社会は、これという産業が無い。IT産業が伸びてきてから、雇用は増えてない。今、ビジネスをやっていて、少しググれば、
- 秘書サービス
- メールサービス
- リサーチサービス
- ノウハウ提供
- 営業代行サービス
- 経理サービス
- FAXDMサービス
- クラウドソーシング
- サーバー
- 荷物を預けるサービス
- マッチングサイト
と、とにかく何でもある。ほとんどある。かなり尖った言い方をすると、もはや人を雇う必要性が皆無になってきている。もう仕事は無い。ましてや、有名大学も出ておらず、資格も無く、有名でも無く、出自も恵まれていないコネクションが無い人間に人材価値が無い、と判断する経営側がいてもおかしくないような状況になりつつある。コミュ障とか、病気がちとか、高齢者とか、素直じゃない、とかになると「もっと論外」である。そもそも外国人労働者もいるし。
ということで、世の中には、「安い給料で鬼のように働いてくれるんならいいぜ」とか、「うちの会社は設備投資するほど余裕もなくて、福利厚生も死にかけている地方の中小だけれどボーナスもないけれどそれもいいならいいぜ」だとか「うちの仕事は若者に人気のない仕事でいわゆる3Kでやばいけれどそれでもいいならいいぜ」ということで、ゴミ求人が溢れることになる。そして、キャリア開発だとか、将来への期待だとか、結婚だとかそういうものに対する希望が無い人間や、そもそも非正規雇用の人間が溢れかえるようになる。1ヶ月後、3ヶ月後、1年後の自分の雇用更新すら危ういような人間が出てくる。
ここで賢い人間なら起業するはずだけれど、6歳から22歳までの16年間、何の役にも立たない勉強に時間とお金を投じてきて、やたらと見栄・プライドが高く生活水準感覚の高い普通の日本人が「起業」などとアウトサイダー的なことができるはずがない。気力も能力もない。そもそも教師は税金で食ってる側、大学には補助金という名の税金がたっぷり注ぎ込まれていて、実生活に即しているというより、むしろ「現実の俗っぽいものと少し距離を置いて、長い人生の4年くらいはゆったりと思索したりアカデミズムに浸ったり遊ぼうぜ」という方針で憲法で「大学の自治」まで認めさせて、警察官が侵入したら学生が取り押さえられるぐらい現実世界と切り離された空間なので、現実社会で使える何かが得られるわけがない。むしろ、現実世界でよくわからない肩書きを引っさげて散々フラついてマスメディアのネタとしても賞味期限を切れた頃になった「ほぼニート」みたいな人間が、客員教授として滑り込むぐらいの場所だから、もはや笑えないぐらい何の役にも使えない。それが大学。
よって、上流大学に行ってコネクションを作るということができず、就活に落ち、コミュ障で、でも一芸も無く、起業能力も無いのだけれど22歳までに「お前頭いいじゃん」とか「●●くんってお勉強できるのね、すごーい♡」「さすが俺の息子だ、●●大学に受かるとは」みたいな感じでちょっと学校のお勉強ができるという褒められ方を人生の長きにわたってされてきて、そこに根を下ろしたアイデンティティーを形成した人間は、飲み会があるたびに、
- あ?俺の友達?三●商事に勤めていて今、中東に海外赴任してて・・・
- あ?俺の友達?電●でバリバリやってて芸能人とイチャコラやってるぜ?
とかそういう「アレオレ戦法」でPRしつつ、「中卒界隈」や「高卒界隈」とは俺は違うぜ、みたいなポジショニングをとってしまった挙句、どこにも居場所がない、行き場所が無いという四面楚歌状態を完成させてしまう。ちょっと頑張って、勇気を出して就職活動をして、会社に入ると18歳から勤めてきて23歳の時点で入社5年目の人に「オメー使えねー」などいじめられて・・・・・・。そうこうしている間に、海外からたくさんの人材が入ってきて、ちょっと頑張ってシャレオツなIT企業に必死になってエントリーしたはいいが、インド人のソフトウェアエンジニアがバリバリとコード書いていてもはやついていけない・・・・。
あぁ、書いてると泣いてる人の顔が浮かんできたのでやめましょう・・・。
どうすべきか?
ここからが本題である。名付けて、西園寺ビジョン2019。
そもそも、であるけれど、日本は輸入していて、輸出している。ということは、海外の物品が入ってくるし、海外の「物価情勢」すらも入ってくる。海外のインフレが入ってくるときもあるし、逆も然りである。そして、金融経済に至っては、国内のマネーが海外に行くときもあるし、海外のマネーが日本国内に入ってくることもある。実際、日本の株式市場は大半が外国人のマネー、あとGPIFのものである。
こうやって考えると、世界は繋がっている。どう考えても海外を無視できない。
「外国人はすごい頑張ってますね、大変だ、日本で良かった」じゃなくて、その外国人と繋がった世界で商品・サービスをやりとりするサイクルの中にいる自覚が必要。簡単に言えば、外国の事情で失業する世の中である。この前、老後破綻のドキュメンタリを見ていたけれど、ベトナムに仕事を奪われた結果、大変な目にあっている老人がいた。ちなみに、ドナルドトランプに投票した層として、「忘れられた層」、つまり製造業の人たちがいたけれど自動車関係の人たちは昔、日本がボコボコにしてしまった領域の人たちもである。そう、世界は繋がっている。日本人が外資系企業に勤めるが如く、海外でも日本系の企業に勤めている人はいるし、国内にある日本企業には多くの外国人が入ってきている。
汗水垂らして頑張るとかやってもいいけど、物価とか人件費安くてハングリーな人たちに勝てるんですか?ということである。
80代、90代のおじいちゃんが、「今の若者は根性が・・・」とか言っててそれをまともにまに向けている若者がいるけれど、冷戦構造の時代、冷戦後の時代、バブル崩壊、プラザ合意、金融ビッグバン、PCの普及、インターネットの普及、マイクロソフトオフィス、ケータイ、小泉竹中路線以後、リーマンショック・・・みたいな世の中の流れ、背後にある社会経済構造の変化、違いを捉えていたら、どうにもならない領域があることに気付けるはず。
日本は社会主義だの、護送船団方式だの言われてきたけれど、「じゃあ海外はどうなの?」というと、海外も海外で、王族や主君とビジネスがズブズブだったり、国有で何もかも引っ張ってたりという世界もある。結局、日本がやってきたのは弱者の戦略なのかもしれない。つまり、国家戦略として、トップダウンで「ビシッ!!」っと方向性を決めて、人員をある方向に一致団結させてがむしゃらに働かせる。そしてそのビジョンが良かったのが過去で、それによって国民が団結して成長し、果実をシェアできていた、全体的に潤っていた。そんな時代があったのかもしれない。
アメリカなんかとは根本的に戦略が違う。アメリカは学生にしろ金にしろなんでもそうだけれど、自国にとにかく集める。ブワーッと集めて、競争させて、一部のど天才を吸い上げる。戦争ドンパチやってた時からそうだけれど、アメリカは世界中から天才を集める。頂点を取りに行く。そしてその人たちに最適化された教育システムであったりなんなりを作り上げている。ビジネスに関してもそう。トップのわずかの天才に資源が傾斜的に配分されるようになっていて、そういう連中が立ち上げたものによって潤ったものを国民で享受しようぜ、という発想。徹底的な一部の天才最適型である。
日本は違う。日本はトップダウン方式なのだ。お殿様が決めてお殿様が統治して行く。そしてみんなが仲良く、そこそこ上手くやれているか、上手に回っているか。これが重要な世の中。
アメリカはガンガン何でもかんでも集めてガリガリ競争させて時には死にそうな人間も出し、底辺は放置して、上に来たごくごく一部の天才に「最適化」した天才リード型社会。これによって得た果実をみんなでシェアするスタイル。
アメリカが先進国なのは事実だけれど、基本的な違いを捉えず、「何でもかんでもアメリカ」と言っていると痛い目を見る。起業に関しても、アメリカは金融の生態系が違う。
当然のことながら、アメリカが握っているところを日本に譲るわけもなく、日本が勝てるわけもなく、後追いばっかりしていてもいいことはない。それと同時に日本のやって来たモデルは後ろから追いかけて来た国々に奪われ、取られて行っている。日本は挟み撃ちの状態である。ロールモデル不在なのは個人だけではない。これは国家レベルの問題である。
官公庁の資料を見ると、「とりあえずプログラミング人材」「とりあえずデータサイエンス人材」ということでザックリとしたビジョンが描かれていて、これが今後の義務教育に降りてくるらしい。一応、10年ぐらい前から「とりあえずプログラミング」とか、5年前には「もはやプログラミングは遅い」とか言われてたりして、最近見たYoutubeの動画には高校生が「これからはやはりプログラミングですね」って書き込んでいたから面白いと思ってしまった。
新しい産業。
新しい投資先。
これを、金融経済サイドに示すことができれば、日本ではいくらでもお金が降りてくるだろう。日本経済に大きなインパクトを与えるような。そういう意味で、ソフトバンクは「先見性」「投資戦略」「投資シナジー」で、もともと軸足を置いていた領域の知見、蓄積をベースにして未来の重要なポイントをガンガン押さえて行っている。もはや、トヨタが組むぐらいである。豊田章男社長曰く、「新しい時代に向けて目をつけ行こうとしていたところは全部孫さんが押さえていた」とのこと。めぼしいところは押さえているということだ。
孫さんは、「インフラ」になろうとしている。「ソフトバンク」の社名の意味は深いと思う。ソフトのバンクである。情報化社会で根っこのポジションを取りに行こうとしているというわけだ。
基本的に、ITに関しては、ハードウェア、ソフトウェアも全部アメリカにやられてしまっている。WEBサービス業界についてはGAFAというとんでもないガリバーが出て来てしまったし、そこからIotだとか自動運転だとか、ウェアラブルデバイス、スマートフォーム、実店舗にまで触手が伸びる勢い。ビッグデータもそう。
もう薄々お気付きかもしれない。
ハードウェアがダメ。ソフトウェアがダメ。
だったら?
コンテンツだ。そう、コンテンツなのである。
つまり、「ハコ」の中に入れるアイデアである。
実は、日本はコンテンツの国である。外国人が日本について評価しているものは、エロビデオ、アキバカルチャー、アイドル、アニメ、ゲーム、マンガ、音楽、料理の創作性、ファッション、こういうものばかりである。全部コンテンツである。
日本が世界に評価されている、アメリカに評価されているということは、逆に言えば、「放置されている領域」なのかもしれない。とはいえ、アメリカは海外ドラマにしろ、ハリウッド産業にしろ、巨大コンテンツビジネスがあるのは確かである。きちんと美味しいところは押さえられている。むしろ、日本に残されているのは、日本らしい領域だろう。
とにかく、今後、広く国民を食わせるとしたら、オリジナルコンテンツの時代である。
コンテンツの制作は良い。おそらく、知力・気力・体力に劣る中高年でも若者に劣らずプレーできる。まさか、若者と肉体労働の現場で競おうと思わないだろう。また、家庭の事情で外に出られない人などにも良い領域である。体調が弱い、子供の面倒を見なければならない、外で働きたくない、コミュ障だ、なんでも良い。間口は広いのである。
もちろん、Youtuberという領域も良い。ところが、Youtuberはあまりにも儲かってしまうということが世間に知られまくったがために、「医者」「弁護士」「会計士」「お笑い芸人」「モデル」「女優」といったツワモノが続々参入してしまっている。高学歴、高難易度資格、高給の人たちがプライドを捨てて振り切り、アホヅラして踊っている激戦区である。Youtube(Google)がプラットフォームとして、土壌を整え、収益システムを整えたからこそ、あれだけの活況がある。そして、純粋にクオリティの高い映像、動画、そしてネタを投稿できるのかという世界になっている。
ただし、Youtuberビジネスは、一度有名になって有名人としての立場が安定すれば良いものの、元はと言えばYoutubeという場ありきの仕事であり、その場があるから稼げるという側面が強い。例えば、Hikakinはボイスパーカッションが昔からできていて、高校生時代から全国区の番組(ハモネプ)などに出ていて一部では有名な人間だったけれども、それでもスーパーに就職していた。あの番組からボイパで成り上がったというかアーティストになった人たちはいたけれど、ヒカキンはその枠では無かった。しかし、Youtubeという世界で王になった。実際に稼ぎもついてきた。
こうやって考えた時、激動する・変動する世の中を踏まえると、
「自分で一からビジネスプロセス全体を組み立てる」
ということをやらないと、差別化もできないし、自立もできないだろうし、優秀なクリエイターたちに対抗できないであろう。昔から、webサイトを作って広告を掲載するというモデルは存在し、そのシンプルなモデルでお金儲けを狙ってきた個人・法人はたくさんあり、栄枯盛衰あっただろうが、マンパワーや取材力をフルで活用できる人たちの存在も意識しなければならない。ひたすらテクニカルなSEOハックをやっている人たちだっているだろう。大手業者もいる。
もちろん、目先の短期的な誘惑に駆られて、マーケットプレイスにコンテンツ載せようか、という風になる気持ちはわかるが、マーケットプレイスに生きる者はマーケットプレイスに死んでしまうという側面がある。Abema上で活躍していたブロガーたち、Amazon上、ヤフオク上で活躍していた転売ヤーたちの顛末を見ていてもつくづく思うものである。Youtuberもどうなるかわからない。Googleアドセンスの初期の頃もバブリーなことになっていたからだ。
コンテンツビジネスを自分で立ち上げて経営する。この感覚をスキルとして体得すれば、「Contents=中身」で勝負できる人間になる。つまり、店舗だとかブログだとかいう「ハコ」に対してコンテンツを詰めてそれを商業化させられる人間になる。この練習と実績を積めば、企業社会で人材価値は暴騰する。当然だが、実店舗ビジネスでの起業にも生きてくるだろう。結局、融資・投資はコンテンツに対してつけるものであって、融資側・投資側に対してビジネスプランを見せて金主になってもらえるような実績や、高度な説明・プレゼン力、データなどを保有するようになればかなり、キャリアとしては盤石になってくる。そもそも、今はソーシャルレンディングやクラウドファンディングがある時代である。著名な人間、お金がある人間を数名口説いて落とすだけでもお金は集まるだろう。100万円を10名から集めれば1000万円集められる。そういった能力を磨く、というのも大事である。
まず、時代認識を改めねばならない。
教育や国家の歴史を知らねばならない。もはや過去のやり方は通用しない。厳しい日本の国家財政なども知っておくと良いと思う。色々細かな数字が出てくるが、国家にとってのアテは国民しかない。最後は国民にタカってくるので、年々厳しい情勢になってくるだろうと思う。今後の日本社会は厳しい。
過去うまくいったからいいや、じゃなくて、構造分析をしっかりして、冷静に、将来起こりうるシナリオを見つめておくことである。未来は見えないから、そんなことを考えても、一日眠って酒を飲んでしまえばすぐに忘れてしまう。しかし、頭の中に描いたことをやりきる人間だけが、将来の現実的な美酒に酔いしれることができるのである。
どう考えても、Webでビジネスは作れる。
株式会社の設立に最低限1000万円必要だった時代がわかる人、店舗を用意しないとビジネスなんて始められなかった時代を知っている人、ネット経済なんて無かった時代を知っている人は、今、どれだけ金を稼ぎやすい時代なのかが身にしみてわかると思う。かなり恵まれた時代である。時代に恵まれているかどうかは、比較対象として歴史を知らねばならない。どこに基準値を置くかは重要なポイントだけれど、こんなにお得な時代は無い。今の時代を謳歌している連中は大抵、起業していると思う。
うまくいけば、金、時間、場所、人間関係、すべてでフリーダムになる。歴史上、未だかつて、こんなチャンスが一般に開かれたことは無かった。どう考えても、どこに転がっても美味しい。なんたって、私のような認識をしている人間は他にも降り、webメディア運営関係の会社は幾つでもある。そこでは、アフィリエイト経験者や、SEOに詳しい人材、webコンテンツが書ける人、コピーライター、いろんな人間の求人が出されている。ところが、なかなか経験者・実力者はいないという状況だ。どう考えてもここ20年ぐらいしか歴史の無い世界で、70代、80代、90代がのさばって上から押さえつけられ、苦しめられてきた経験がある人たちは、こんなに良い世界は無い!という感じであろうとも思う。
そもそも、マーケティングコストがかからないのだから、休日にでもまず実験してみて、市場との「コール&レスポンス」を楽しんでみれば良い。そこから全ては始まるのでは無いだろうか。
そもそも、「雇われで食っていく」方がおかしいという認識が必要である。人間は本来、業を起こして食っていくべきだ。定時に起きる、上司に怒られる、飲み会強制参加、セクハラ、パワハラ、こんなものは普通では無い。狂気の沙汰である。しかし、そんなものと出くわしてしまう理由はたった一つしかない。雇われているからである。雇われていながら、ストレスフリーで、高給で、長く続けられて、キャリアの発展性があって、社会的地位があって、福利厚生も手厚く・・・・みたいな場所に勤めている人は、ラッキーである。ホワイト環境にいるのなら、ラッキーだ。
私は、リスク背負ったおかげで、昼からソープ行けたり、神戸の夜景をいつでも楽しめる身分になったけどね。
夏が来たら、また、ケツメイシの音楽を聴いて、陽気にビーチギャルのケツを眺めに行くんだ。軽やかなステップでね。
西園寺のビジョンが見えるだろうか?
- 受けた教育をリストラ・アップデートしつつ
- 実務経験を受けながら新しい教育を受けつつ
- 人材価値を上げ
- 実践を通してローコストで起業し
- お金と時間を作り
- 新時代の産業、コンテンツ(特にエデュテインメント)領域で技能を磨きながら
- ビジネスプロセスを一気通貫でやる
ということである。この辺りで実務経験、スキル、実績を積めばどこかでも拾ってもらいやすくなるはずだ。
なるべく多くの国民を食わせられる方策として、そして単なる生活保護ではなく意味ある経済活動として、そして具体的な方法として、実証して来た経験値に基づくものとして、私が発案できるのはソレだ。しかし、なるべく「多く」と言っても、やはり人数としては難しいかもしれない。それだけの独創性を発揮できる人材がどれだけいるのか、それなりのプロセスをやりきれる人間がどれだけいるのか。そもそも、「食わせる」というと「食わせてください系」が来るからどうしようも無い。それよりは、やっぱり、たくさんソープで遊んでリア充生活を見せつけてやるのが良いのかもしれない。
1万円札は「福沢諭吉」から「西園寺貴文」に変えなければならない。奴が作った大学はもはや性犯罪者しか育成しなくなった。
ちなみに西園寺は、ノウハウを突き詰めて行けば、
「Youtubeで映画館を創れる」
と思っている。
どうやって世界を取ろうかと考えた時。
やはり、私の頭にあるのは「宮崎駿路線」である。
幸運なことに、尾田栄一郎・宮崎駿レベルであれば勝てる気がしかしない(ごめん、それは嘘)。
白人はアジア人を差別する。
しかし、西園寺のチンポは受け入れる。
つまり、西園寺のContents(=頭の中)は世界に通じている(セクハラ扱いされてブロックされたことあるけど)。
ビートたけしは全盛期の月収が7億と報道されたが、今後、youtubeやブログをうまく活用して新しいビジネスを組み立てていけるのであれば、芸能界のバブリーな話が、一般市民レベルに降りて来る可能性は十分になる。
現に、ネットではつい最近まで、普通の人間だった人たちがスターになっている。
これからな時代は真面目なことは考えない方がいい。
頭のネジが1本、2本外れてる方が上手く行く。
酒でも飲みながら仕事した方が良い。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。