至高のストーリー。
アサヒビールの大躍進に関する印刷物は私の手元にあるだけでも数え切れない位ある。正確には数える気にならないほど多数ある。それらのうち主なものだけを時系列に並べてその順で読んでみると明らかにストーリーを変化している。書く人、取材に応じる人が変われば書く視点や重点の置き方も変わるためアウトプットとしてのストーリーが変化するの当然のことである。しかしここで見過ごすわけにはいかないのは時間の経過とともに変化する方向が問題なのである。明らかに時の権力者の都合の良いように書き換えられている。もっとストレートな言い方をすると時の権力者の手柄話に変わっていくのである。これは明らかに歴史の捏造だ。そのメンタリティーをまさに噴飯ものであり唾棄すべきものである。このような現象は世の中にはよくあることで何もアサヒビールに限らない。もっと大きく言えば日本の歴史書だって時の権力者の意向が働いていたり権力者の周辺の人間の阿諛追従の結果として。事実と異なる事例が多い事は周知の事実で。。。
めっちゃヒシヒシと感じるのは、経営学や戦略は所詮一般論で、実際に仕事をするとなると、その専門性に裏打ちされたアイデアが必須ということ。これ単なる知識教養からは生まれない。商品理解、消費者理解、チャネル理解、これらの更なる深耕があって成立するって話。そうだよね、一般論は一般論。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。