セクハラの定義として、「受けた側がセクハラと感じたらセクハラ」は絶対に成立しないことを証明しよう。

 

セクハラの定義として、「受けた側がセクハラと感じたらセクハラ」は絶対に成立しないことを証明しよう。

 

まず、どんな女も、

裏では気持ちいいことをやっている。

 

パコパコアンアンしている。

それを知らないのは非モテだけ。

 

つまり、

女性が自らの性的な部分を、

男性に対して晒すかどうかは、

 

「その男がアリかナシか」

 

という選別性が効いているのである。

 

 

 

ということは、ナシだと思った相手は基本的に、キモいのである。

 

そして、キモいと思ったら、

  • 近くにいるのも嫌
  • 話すのも嫌
  • どんな形であれ触れるのも嫌
  • 関わるのも嫌

というのが道理であろう。

 

実はこれは同性間でもあって、

若い男性が、公共交通機関で隣にオジサンがきたら嫌、とか、

会社に口臭がきつい人がいる、とか、

友達にワキガがきつい人がいて嫌、とかそんなシーンはいくらでもある。

 

牛丼屋で隣にいる奴の食べ方が汚いとか、くしゃみ・咳が多い、鼻水の音が気持ち悪い、など。

 

しかし、

汗臭罪

とか

口臭罪

とか

加齢臭罪

とか

鼻すすり罪

くしゃみ罪

とかは成立しないのである。

 

しかし、これらは立派に、「人を不快にさせるもの」である。でも犯罪ではない。

 

 

 

人は、ナチュラルに、

他人に対して

「キモい」

「距離を置きたい」

と思うことが多々ある。

 

それはシンプルに、ただ相手の顔がキモいとか、なんか喋り方が気持ち悪い、というケースもあるだろうし、

シンプルにジジババだから嫌、というケースもあるだろう。

 

 

以上のことを考えると、

セクハラはされた方がセクハラと感じたらセクハラ

はだいぶ無茶があるのである。

 

 

相手が異性であり、

何かしら気持ち悪いと感じたら、

簡単にセクハラ認定できてしまう。

 

よって、セクハラは、「不快に思った」というだけでセクハラ認定し得ない。

 

しかしながら、

「不快に思った」

「異性として気持ち悪いと思う」

「人間として気持ち悪いと思う」

ということは、どんな人においてもあり得る。

 

 

 

 

  • 人間としてキモい
  • 異性としてキモい

という認定があったら、

あとは何かしらの具体的な行為に結びつけて、

無理矢理セクハラ認定してしまう、ということは可能である。

 

逆にいえば、

人はアリだと思った異性と

粘膜を絡み合わせて、

唾液交換したり、

えぐい場合は飲尿したり、

そういうケースがある。

 

 

 

セクシャルハラスメントの場合は、

行為を類型化し、

シチュエーションと共にパターン化して

当てはめる・定義するしかない。

 

特に元来的な意味での「セクハラ」は、

お互いの立場上の優位・劣位関係を利用して、

性的なものを強いる行為である。

 

本来的にはここが肝要である。

 

それを抜かせば、あとは市井に適用される「強制わいせつ」「公然猥褻」といったものでしかない。

 

 

セクハラは

かなり拡大解釈されて、

悪用・濫用されていると言えよう。

 

 

  • パワハラ
  • セクハラ

といったものは、

本来的な意味を拡大拡張して、

劣位の者が優位な者に対して仕掛ける脅しの武器と化している感がある。

 

 

 

 

学生時代のように、

キモい人間に対して、

「キモい」

とはっきり言えるような環境でないことが、

こういった歪みを生み出しているともいえる。

 

人間は高確率で、他者の何かを見て、キモいと思う。

 

それでありながら、

一時的にしろ、長期的にしろ、

関係を強制されるケース、シチュエーションはある。

 

ここに対する本質的なソリューションこそ大事である。

 

 

 

 

私は昔から行っているが、

テロリストのような目出し帽

をやって、全員が仕事をすれば良いと思う。

 

多分、その潜在的なニーズというのは昔からあって、

コロナをきっかけに、マスク社会が到来して、

それが終わってもマスクの名残が根強く残るのはそれである。

 

 

オフィシャルな場では、マスクをつけて活動をした方が、きっと、全ての人にとって良い。

 

 

綺麗な人は、顔を隠した方が良い。

ブスな人も、顔を隠した方が良い。

オジサンも、イケメンも顔を隠した方が良い。

 

顔は隠した方が良い。

 

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。