俺の晩御飯

女子か。

おいちい。

世の中には、「紙一重」という言葉があります。「天才とバカは紙一重」、なんて言いますが、私自身、人生の中で「バカ」の方に転落しないことに気を使ってきました。

楽して生きて成功する。そのために、私は自分がバカであることを自覚することによってバカをかろうじて回避しなければなりません。

私の中で、バカの定義は、あなたとは少し違うかもしれません。

自分のことを天才だなんて、恐ろしいことは言いません。1ミリも思ってません。賢いとも思ってないし、常々、「間違っている」と思います。自分は間違っていると考えながら生きています。なかなかメンヘラチックですね。

自身の頭脳に関する自信と自尊心は、学校教育のおかげで見事に削がれてしまいました。おそらく、平均以下でしょう。平均以下という自負があります。案外、この平均以下という自負を持つのは難しいことです。これは表向きにどうなのかというよりも、自分の内部でどうなのかという問題です。

「社会の皆様より私は確実に下です」、という状況に、リアルに陥ったことがない人は、多分わからない感覚です。そういう意味でニート経験は貴重ですよ。言い訳のしようがないぐらい、名実共に「平均以下」だという状況に陥り、それを自覚する状況。その経験値。ニートをやると、皆がカッコよく見えてきます。ほとんど全ての人が、自分より上だという状態。状況。感じたことありますか。

これ、結構重要なことだと思うのです。平均バイアスって知ってますか。世の中の人って、8割ぐらいの人が「俺は平均だ、普通だ」って思ってるらしいですよ。数字的にありえないですよね。

私なんてもう、ダメ人間すぎて、いろいろ辛いです。

ふと思います。世の中の人間を見渡して、「あぁ!世の中の人たちはなんでこんなに立派なんだろう!」と。朝ちゃんと起きることすらできず、カレンダーが形骸化している生活を送っている私には、周りの人たちがとても立派に見えます。そして、「なぜ、(自分は)生きれているのだろうか・・・・」と、時々不思議に思うし、自分の人生について、廃人になっていたであろうケースを想像するとゾッとするわけです。

そもそも、人生は移ろいます。自分の人生をチャートで描いた時に、ずっと高値止まりってなかなか無いはず。下がったり上がったりして当然だし、その振れ幅があれば、絶対的に自分自身について「こう!」というセルフイメージが持てなくなる。人生は時価評価です。

なんか、職に就いてなくても資格や公務員試験の勉強してたら「ニートじゃない」とか、浪人生はニートとは違うとか、売上の上がらない自営業はニートじゃないとか、「たまに仮想通貨やFX、株、パチンコで稼いでいるからニートじゃない」とか考える人多いですよね。ニートって、「Not in education, employment or training」の略でしょうけど、一般用法としてニートは「低い階級の名前」みたいになってて、これに自分は当てはまらない!と思いたい人でごまんと溢れてます。こういう時に、しれっと何食わぬ顔で、「俺はニートだ」って認識できる頭脳があるかどうかは重要だと思うのです。

綱渡りの経験をしてきて、思います。

人と同じことをやっていると、「あなたは大丈夫だよ!」というオーケーサインが世の中から提供されます。しかし、人と違うことをやっていると、「やばい人」としてのラベルを貼られます。その時、やたらと焦ったりするのではなく、淡々と、「あー、まぁ、確かに今ニートだわぁ」って認識できる人は強いでしょうね。

月300万円稼いでいても、「今ニートだな」と自覚できる能力。

月30万円しか稼げてなくても、「今はニートじゃ無いな」と自覚できる能力。

そして、変な生き方・働き方をしていても、トレンド転換したり、ブレイクアウトしていく瞬間ってあります。評価浸透していく時っていうんですかね。あるいは、自分の中で何を気にならなくなっていく瞬間って言うんでしょうか。何かをやっていると、抵抗線みたいなものを抜けられない時期ってありますが、一気に抜けて上放れしていく時があります。

上司も前例も先生もいない世界で生きていこうとするならば、そういう感覚は欠かせないと思うのです。ある意味、自己認識だけが頼りですから。

 

アホがアホを自覚した時点で、アホじゃなくなるという面白いパラドックスが世の中には存在します。私は、努めて「そういう意味」で賢くあろうとしてきました。私の好きな言葉に、「circle of competence」というものがあります。人間は、この「円の大きさ」で競いたがり、優越をつけたがりますが、長期的に見れば勝敗を決するのは「境界の認識」です。

なぜかわかりませんが、世の中的に、「希望を持つこと」と「円が大きいこと」は同義のようなのです。何だろう、自分の重要性や自分の価値を認めさせる、高める、俺って正しいっていう感覚に浸る、そういう目的で生きている人が多いのでしょうか。私の場合、さっさと自分のダメ人間っぷりを認める方向に走ってしまったタイプです。いろんなレースから早々に降りてきたのです。

世の中は結構、いろんなことが紙一重です。

スーパースターのミュージシャンと、現実を見ていないワープアミュージシャンは紙一重です。スーパースターユーチューバーと底辺ユーチューバーも紙一重。ニートと無職も紙一重。開業したけど客がいない士業と無職も紙一重。

世の中の人の、フリーターやニートに対する嫌悪ぶり、正社員を止めることへの恐怖、就活への執着、コミュニケーション依存、こういうものを観察していると、なんというか、一生懸命、自分を確認したがっているように見えます。昨今のSNSブームもそうですが、どうやら、現代人は誰か・何かに自分をぶつけることで「自分を確認したい」という欲望に駆られているようです。

 

「社長が働いててはダメだ!仕組み化しなきゃ!社長は遊んでなきゃ!」

という言説を聞いて、「そうだそうだ!」ってなり、無理して人を雇ったせいで潰れる人がいます。「俺はニートじゃない!社長だ!」と思いたくて、不相応なオフィスを借りて潰れる人がいます。

めちゃめちゃ高学歴でエリートコースの人が書いたビジネス書を読んで感化されている人や、場違いなビジネスコミュニティ、SNSに一生懸命アクセスして、周りの意見に同調することで「俺は新しいトレンドをフォローしている」と思いたい人がたくさんいます。

東京にいることで、なんとなく、自分は正解や最先端を知れている、と思いたい人がたくさんいます。

 

難しいですね。

多分、ミュージシャンを目指すにせよ、スターユーチューバーを目指すにせよ、起業するにせよ、本当の戦いは心の内にあるはずです。勝負から逃げる、勝負をしないという選択は簡単ですが、「勝負をする」と腹を括った世界であるのは、常に、内なる葛藤なはずです。そして、自己認識の世界なはずです。

 

30手前になって実家暮らししながら、ブランド品やホテルランチを、パンパンになったキャッシングでなんとかしつつ、インスタやFacebook上でリア充リッチを装いながらも、実態はただのバイトで、稼げないマルチのディストリビューターをやってる自称投資家アラサー女のSNSは、ご飯の写真でいっぱい。アーティスティックなお料理や、高級ホテルの御写真で、貧民にビンビン訴求。

西園寺さんのように、松屋での朝食をアップするのはご法度のようです。

こーゆーインスタグラマー的な人たち向けに、レンタル物件とか、高級車レンタルとか需要あるみたいです。私の昔の知人も、昔、飲食バイトやってて頻繁に金借りてくるほど金欠なのに、ロールスロイスのレンタルとかやって、スーツバッチリ決め込んで、その時撮影した写真をSNSにアップし、SNSを起点に『世の中は人脈』とかいっていろんな人にアポを取りまくっていました。それが何の役に立ったのかはわかりませんが、就活する大学生が海外経験や何とか団体の立ち上げをアピールするのと同じ発想でしょう、きっと。

それに比べて、見てください、私の写真の上げ方を。誰でも行けるところばかりです。

憧れる要素ありますか。誰でもできることの話しかしてませんね。風俗とか札幌とか京都とかの話よくしますけど、誰でも行けますね。アップルとかスタバとかナンパとか、誰でも手を伸ばせばできることの話しかしてなくないですか。

・・・・・・・・。

実は、何やかんやで、

「自動で収入を発生させて、毎日好きな時間に起きて、好きなことをやる」

ってのが地味に難しいのかもしれません。

いわゆる、贅沢や奮発の類って誰でもできますよね。世の中の人が、欲しくないマイホームを夢だと言うのは、「生きてて別に面白くないし、やりたくないことやって、我慢して働いてお金に換金しているのだから、せめて、家ぐらい買っておかないとこれまでの生きた証が残らない気がするよね」っていう理由での消費なのかもしれません。昔、日本経済が右肩上がりだった時、銀行・不動産・企業のトライアングルに庶民はガチガチに嵌め込まれていたと思うのです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。