【オレの広告論(1)】 広告・メディア・コンテンツのポリコレ化は、ブランド価値の毀損と、マーケットシェア損失を招く。

大企業に所属する毛並みの良い・育ちの良いマーケターたちが、広告・メディア・コンテンツのポリコレ化を進める。

HairWeGo

みたいな就活と女性の自己主張を絡めるP&Gのキャンペーン、モード誌SPURの渋谷での生理ナプキン配布によるキャンペーン、ディズニーの「多様性」に配慮したポリコレビンビンのコンテンツ(黒人をキャラの中心にする)、そのほか、あらゆる「美」を追求する雑誌で採用され始めた

  • 多様性枠

での広告のキャスティング。ゆりやんとか渡辺直美とかね。

そして、平均年齢50歳の日本では爺婆に忖度したメディア・コンテンツ・CMが作られる。

 

でもその反動は必ず起こる。

時代の価値観を操作すればするほど、「女性は30歳から」が嘘くさい。真実に乖離している。テレビがいい子ちゃんをやろうとするほど、youtubeの下品なコンテンツが人気を集める。知らぬまに、若者に最適化されたtiktokやBeRealが爆速で伸びる。

 

気がつけば?

こうしてやられるのだ。フェイスブックも、一時期、危なくなって焦ってインスタを買収した。でもその足元をtiktokが崩している。アメリカは法案を通して難癖つけてブロックするやり方をしてる。

ディズニーはポリコレやりすぎて人気が落ちた。

指原莉乃や田中みなみ的な人間が求心力を集めるほど、潜在的なヘイトが溜まる。男たちをジリジリ追い詰めるような言動、自分勝手な立ち回り、「元々可愛くなかった人がこれだけ可愛くなりました」的なストーリーからの大御所振る舞い。これで潜在的に溜まったヘイトが、ある刺激でブーメランを起こす。こうしてファーストレイパー指原莉乃は、セカンドレイパー発言のブーメランで今、タレント生命の危機にある。

 

どうして人はテレビを観なくなったか?

乖離が大きくなったからだ。

綺麗事が過ぎた。

 

テレビ全盛の時代は、タレントたちは誰もプライベートを明かさなかった。神秘のオーラ、ベールに包まれていた。共感性を訴えなかった。でも、youtubeが出てきてから、それが変わったのだ。

いわば、広告による現実からの乖離が行き過ぎると、ダメなのだ。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。