Xを自分の才能(傑出した生来の能力、特筆すべき資質、得意)とする。Yを凡百な能力とする。Zを他者や平均に劣る能力・資質とする。
自分の能力 = (X+Y+Z)× 教育・啓蒙歴、自己投資・努力・学習歴、職歴 / 一般平均
なお、この際、X,Y,Zの街灯項目としてリストアップするものは、「名詞」の場合は定義が不明瞭かつ誤解があることが多く、「形容詞」の場合は評価的であり評価軸は文脈依存性があるのでひとまず除外する。
動詞でリストアップする。
そのあとで、「他人から(肯定的に)言われたことに限り」、形容詞でリストアップする。
基本、Xがなかなかわからないので、Zから埋めていく。ただし、人は環境により出来る出来ないがあるので、幼い頃を振り返り、昔から、様々な環境・別の文脈の中一貫してダメだった「安定の苦手項目」を挙げていく。ポイントは、
- 努力したのに報われない
- 努力したのに平均を越えられない、平均がやっと
- 周りがなんで上手に出来るのかわからないこと
- 人から怒られる、認められない、評価されない、直せと言われること
など。
次は、Yである。Yは、「突出しても無い」が「平均以下というわけでも無い」という項目である。
多分、大方の能力なんてコレでしょ・・・・・・。
YとZをリストアップしていき、消去法的にXを探ってみる。
また、過去に自分に対して行ってきた(自主的、または環境要因による)トレーニングの数々としての、読書歴、学習歴、職歴などをリストアップしてみる。
こうやって、なんとなく炙り出した自分の「個性」のようなものは、あくまで「一般的な平均と比較」して算出したものであるが、
多くの人はこうやって導き出したものから、安直に、自分には「音楽の才能があるだろう」「自分には勉強の才能があるだろう」などと考えてしまい、その後悲劇のキャリアを歩んでしまう。
地方で「頭が良い」とチヤホヤされて、黙々と勉強し、上京して有名大学に行くと何が待っているのかというと、自分と同等のレベルがある人間たちの世界である。その中で必死に抜きん出ようと努力をするが、「上には上がいる」のレースがひたすら続いてしまう。
すると、自分の強みや才能は相対的に意味の無いものになってしまう。
だからこそ、自分の「分子」としての特徴を掴んだ上で、それを希釈化させない「分母」を求めて最適な環境に行くのである。
つまり、ぬるま湯を探すのである。
発想法としては、このような形である。
- ババアばかりのスナックでチヤホヤされる
- 大して可愛く無いのに理系大学院に進学してその環境で可愛い扱いされてみる
- 発展途上国で仕事する
- 美人なのにAV女優になる
- 高学歴なのに低学歴向けの知の伝道師になる
- 海外で寿司を握る
- 弁護士youtuberになる
- 本気で歌手目指して能力を上げて、最終的にはキャバ嬢になる
報われない人生を送っている多くの人は、大した器じゃ無いのにアメリカ移住を目指す、今からamazonの株を買う、出世レースに勝ち残れないのに出世レースにしがみつく・・・・・というパターンが非常に多い。
逆に、世の中で成功している人は、「もともとそこまで」という領域に身を置いてそこで切磋琢磨し、あとあと、その領域の地位が上がっているパターンが非常に多い。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。