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教養は何のためにあるか?
自分自身の生まれつきの傾向からあるべき姿に修正するために教養があって、なおかつ、人間が森羅万象を理解して全知全能になることなど到底無理であるということを知りつつも、よりよく人間生活を送り、願わくば自分の望むものを得る、望む姿に近づくために正しい努力と研鑽ができるようになる。そして何より、あらゆる分野の一流を知り、自分の位置を知り、時と場合によっては大きく自己否定し、自己変革によって自らを高みへと引き上げる。 おそらく、天才なるものは我流でいろんなことがうまくいくのだろうが、普通はそうじゃない。そして、天才と評される人であっても、途中でさらなる高みを知ってボコボコになったり、途中で評価されることなく消えたりする。スポーツ界とか見ててもそう。中田英寿、中村俊輔、遠藤保仁、彼らと同年代には彼らよりも資質があるとされ、天才と評されたのに日の目を浴びることなく消え、もはやただの一般人として埋もれてい