男の俺から見ると、化粧品はどれも同じに見えるが、「M.A.C」は違う

女の子は化粧品にいつ頃から手を出すのだろう?高校生?中学生?小学生?

いずれにせよ、どっぷりと浸かってしまえば、「まっさらな視点」は失ってしまう。だから、私のように、男でありかつ化粧品に関する知識が全くない人間からすれば、百貨店の化粧品コーナーを回っていると、どれも同じに見えてしまう。

エスティローダーやシャネル、SK-Ⅱ、資生堂、コフレドール、KATE、インテグレイト、マキアージュ、メイベリン、アナスイなど、聞いたことがあるブランドや、斜めな視点(例えば経営の視点)から知っているブランドもある。

だけれど、基本的に、私に化粧品の知識は(客層である世の女性たちと比べると)皆無に等しい。

 

そんな私にも、明らかに、店頭レベルで「これは違う」とわかるものがある。

それが、M.A.C。

 

他の化粧品ブランドが、女性としての格の向上や、エレガンス路線、高級ブランド戦略、基礎素材のクオリティアピールや、海外イメージなどでPRしているのに対して(そして、そんなに差異が見えないのに対して)、M.A.Cだけは違う。

非常に、違いがわかりやすい。

まぁ、化粧品なんてのは思いっきりマーケティングの主戦場だから、私がそのあたりの感性が鋭いだけなのかもしれない。

だけれど、素人目に見て、M.A.Cだけは違う。

 

なんというか、このブランドだけは、「アート」を訴えているような気がした。

女性はなぜメイクにハマるか?

美しくなれるから。自分が変化するから。コンプレックスがあるから。隠したいものがあるから。世の中が同調圧力をかけてくるから。

いろんな視点から分析できる。

 

ただ、あれだけの情熱を見ていれば、「純粋に楽しいのだろう」とわかる。

そして、日常の中で楽しめる一つの趣味、アート、娯楽的要素があるのではないか、と思う。

男なら、誰もが一度、彼女と深い関係になる中で、彼女の部屋を見たり、身の回り品を目にしたりすることがあるだろう。そして、パンパンになった化粧ポーチ、何が違うのかわからない化粧品を大量に買い込んでいる姿を見て、

お前らは画家か

と思ったことがあるだろう。でも、実際、そうなのである。あれらは、一種の画材道具みたいなもんで、純粋にアートを楽しんでいるのではないか、と思う。そういう感覚もあるのでは、と思う。

その点で、毎日、料理メニューを考えている専業主婦なんかも、クリエイティブでアートな頭の使い方をしていると思う。

男性の場合、一部の職種を除けば、そういう頭の使い方をしていない人は、多い。女性に華がある(男に華がない)と言われる所以である。

 

https://youtu.be/_uRwMfsz59I

最近、非常に思うことがある。

それは、日本でちょうど、バブル時に流行したような価値観が通用しなくなり、それと同時に、その頃などに隆盛を誇っていたブランドたちがこれから失墜していくのではないか、ということである。

CHANELのように突き抜けたブランドは、既定路線でもしぶとく残ると思うが、例えば日本に関して言えば、多くの化粧品ブランドが既定路線のままやっていくのは難しくなるのではないかと思う。

例えば、高級車に乗っていたらカッコいい、みたいな価値観は、未だ残りつつも、徐々に廃れつつあるのが現実である。

むしろ一転して、従来型の「THE ラグジュアリー」に対して、ダサいと感じ始めている層も増えているように思う。

 

最近のトレンドは、純粋なラグジュアリーを求めて大衆が上に上にと向かうような、見栄消費が減りつつあるように思う。なぜなら、そういう大衆を吸収する、機能性と感情的便益を兼ね備えたブランドの台頭が目立つからだ。

言い方を変えれば、昭和女子たちが、高級レストラン、高級バッグ、高級衣服で満たしていたような感情・感覚を吸収するような、機能性も兼ね備えたミドルレンジのブランドの台頭が、あちこちで目立つような気がする。

これはある意味で、日本経済の沈没を暗示しているのかもしれないけれど、純粋な享楽、快楽、恍惚感に溺れたり、感情便益だけに流されることを良しとしない人間が増えたことが示されているようにも思う。

 

センシティブに世の需要を感じ取り、そこにジャストミートするような形で打って出ていくブランドは、「待ってました」と言われんばかりに需要を大量に吸収する。ユニクロが台頭した時もそうだった。あれはファッション業界におけるセグメンテーションの革新だった。世の中には、私みたいに「服なんてどうでもいいけど、かといってシャツイン青ジーパンリュックサックは無いわ、っていうか10代は勉強で忙しいんじゃ」なんて層がゴロゴロいるからね。

このM.A.Cというブランドに関して言えば、化粧を一つのアートして捉える感性が強い人にとっては、強く訴求される部分があるのではないかと思う。凝り性の人というか、技巧・技術に惹かれる人、自分であれこれ手を動かして極めたい人とか。

 

都市型人間の、シティーな生活は戦前から変わってない。つまり。オシャレをして、百貨店に出かけて、ファッション品なりなんなりを買い、演劇その他の鑑賞系娯楽を楽しんで、ちょっと外食で奮発して、みたいな休日の過ごし方は、本当に戦前の頃から変わってない。昔は娯楽が無かったから、そこに対する人々のコミットメントは強かった。デパートの屋上にミニ遊園地的なものがあった頃の全盛というか。

ところが、今はどうだろう。

そのスタイルは残しながらも、徐々に、徐々に、緩やかにいろんなものが変わりつつある。

でも、逆に言えば、びっくりするほど、世の中はそんなには大きく変わってないという見方もできると思う。というか、人々の生活スタイルが、そんなには大きく変わってないということ。

 

何かしら、事業を立ち上げて成功させる、ぐらいの点で言えば、「微差」が勝敗を決しているといっても過言では無い。逆に言えば、微差で良い。

 

The Devils is in the details.

神は細部に宿る。

 

同じことを表現するに当たって、「神」と呼ぶか「devil」と呼ぶかの違いに、日本人と欧米人の感性の違いが見て取れるような気がするけれど、感受性が死んでいると、物事の違いが見えないということになりかねない。それは、人生をつまらなくするし、事業センスを殺すことにもなる。

男性が認知可能な色合いの範囲と、女性が認知可能な色合いの範囲は違うらしい。つまり、女性の目には、男性以上に、もっと色鮮やかで多彩な景色が広がっているということであり、違う世界を見ているということでもある。

同性間ですら、感受性の違いで、見えている景色が違うはずだ。

 

男たちは、やたら、「思考思考」「思考停止」「行動力不足」とか言ってたりすると、そうなんじゃなくて、「感覚停止」「感受性不足」なんじゃ無いかと時折、思ってしまう。そしてそれは、例えば日々、女性と触れ合うことで、彼女たちの見ている世界に擦りあわせるような習慣が無いと、気付かないことでもある。

 

よく、オッさん経営陣たちが、「若い人たちの感性が欲しい」と言っていたりするけれど、「俺は若者だ」と思っている22〜3歳ぐらいの人ですら、もう、一部の感性が死にかけていることを自覚した方が良い。

中学生は、コンビニにある青年誌の表紙グラビアで、ズボンがはち切れそうなぐらい勃起するんだから。

 

 

PS

そう、そして私はもう、感受性が老化していることに気付いた。

オンラインゲームで知り合った中学生女子と会話していて思ったよ。まぁ、中学2年生の女の子と対等にお友達感覚で喋れるところは自分でも褒めてあげたい。

そして、最近のゲームは危ない!ゲームプレイしながらお喋りできる機能があるから、子供達は平気で大人たちと繋がっちゃってる!!

(いや、まぁ、俺も中学の時からネットカチャカチャして大人の世界見てたけどさ)

 

PPS

今の中2の女の子の同級生の親で、1番若いのは30歳らしいぜ。笑

 

あと、中2ってガキンチョだと思いますか?

5〜6年後のハタチですよ。彼女たちは。

 

未来はどこにあるのか?って考えた時、一番、効果的なマーケティングリサーチは、「3年後」「5年後」「10年後」に社会に出て活躍し始める人たちが今、どういう生活をしてどういう感性で生きているのかを知ること、です。

 

PPPS

「クラスの男子が本当子供で・・・・」

「クラスの男子がうざくて・・・・」

「えー、お兄さんすごいモテそう♡」

「声が好きです♡」

 

とか言われて、なんていうか、女の子って怖いって思った。

 

「あー、ありがとうございます(汗)」的なことしか言ってないけど。

 

最近、某メンバーの件で話題になってるけど、この前JKから話を聞いたんだけど、「女は16から結婚できるんだから、つまり16から女なんだから、ある程度自分たちはその年齢から大人の女だという意識はあるし、男に対してもある意味、簡単に誘惑することは可能だから、だからその歳から自分の身を自分で守って、自覚ある行動が必要」みたいなことを、17〜8歳ぐらいの子が言ってて、フツーにすげーなって思ってしまった。

みなさん、知ってますか。

今、JKの間では、あの事件に関して、同性の同年代の女の子たちですら「女が悪くね?」という風潮らしいですよ。

 

世の中の女の子はしっかりしています。

だからこそ、良識ある大人は、若い女性たちに対する扱いをしっかりと考えなければなりませんね。そして、自戒的になる必要が。

とりあえず、18歳未満の女性に対して、異常に興奮してしまうという感性をお持ちの方は、欧米圏の人と友達になって、矯正してもらうと良いです。

欧米人では、18未満の女の子に大人の大人がそういう目を向けると神的に変態扱いされるので、そういう文化に触れておくとまともな大人になれるかもしれません。AKB48グループは海外では、「性的搾取」みたいな見方をされてる部分もあります。

 

大人になって、ある程度の「性的倫理観」を持つためには、若い頃に無茶苦茶やっておく必要があります。

今、私はJKとか見て興奮するみたいなのは特に無いというか、アダルトビデオでJKものを特に選好して見るみたいな感性は無いですけど、これは、高校生の時に、制服着た同級生とたくさんエッチしたからですね。

 

おおおお、感性の劣化という話と、ここでも見事にリンクしています。

大人としての成熟とは、ある意味、感性の劣化でもあるのかもしれませんね。

 

感性を殺すというか。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。