改めて確認したい公職追放された人たちやA級戦犯、戦後日本 【就活生必見】 @check

政治 赤尾敏 – 右翼活動家、翼賛選挙では非推薦で当選。1951年解除後、大日本愛国党総裁に就任。 赤城宗徳 – 護国同志会の会員であったため、1946年1月から1951年8月まで公職追放。追放解除後、農林大臣、官房長官、防衛庁長官などを歴任。 池田成彬 – 三井合名理事、日本銀行総裁、第1次近衛内閣大蔵大臣、1945年A級戦犯容疑者に指定。翌年指定解除になるが、公職追放される。1950年追放解除を果たせぬまま死去。 石井光次郎 – 衆議院議員。戦時中、朝日新聞の取締役を務めていたため、衆議院議員転身後の1947年、商工大臣在任中に追放。1951年に解除されると、朝日放送社長を経て政界に復帰。後に法務大臣、衆議院議長。 石橋湛山 – 政治家、ジャーナリスト。戦前からの東洋経済新報社主宰を理由として、大蔵大臣在任中の1947年に公職 (さらに…)

維新志士集合写真は、ウソ (フルベッキ群像写真)@CORRECTION

  坂本龍馬、西郷隆盛、伊東博文、勝海舟、高杉晋作、大隈重信、西郷隆盛らが集まって撮ってる・・・・・・みたいなのよく言われてるけれど、これ、嘘よ。 この前行った飲食店に普通に飾ってあったー・・・。       PS 西郷隆盛顔違いすぎぃ === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, make you think."   SGT&BD (Saionji General Trading & Business Development) 「人生を変える」にフォーカスしたブランド           Lose Yourself , Change Yourself.(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気 (さらに…)

アメリカは衰退したな

アメリカ衰退の現状・・・・・左右ブログ https://t.co/cSUzpzOFuN — yuhu1118 (@yuhu1118) February 12, 2020 https://twitter.com/epppac/status/1227668459326144512?s=21 軍産業複合体の狙いを隠すトランプ「貿易戦争」その1 https://t.co/X8EUjHJ2ud …アメリカの製造業の衰退は衝撃的である pic.twitter.com/TmtGi8Du9K — un志水 満 (@tennsi21) February 11, 2020 日本がアメリカとならんで、最も相対的貧困率が高い国になってしまっている現状に対して何らかの思い切った手立てを打つ必要があると私は考えています。そうしなければ社会の衰退を通じて、今はまだ勝ち組でいる層も早晩転落するのは (さらに…)

日本人が、世界に嫌われてる理由を現代っ子は意外と知らないんじゃないか

【太平洋戦争を記録した映像5選】モノクロの記録映像を最新のデジタル技術でカラー化、完全版『Nスペ カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~』⇒ https://t.co/tK4KPc5lPz ほか4本⇒ https://t.co/VbsWu5Bvr9 #終戦の日 — NHKアーカイブス (@nhk_archives) August 15, 2016 #水木しげるさんの言葉「ぼくは、玉砕で生き残るというのは卑怯ではな く“人間”として最後の抵抗ではなかったかと思う」 今週土曜放送のフルカラー映像で描く太平洋戦争と日本人の記録「The Last War」より。https://t.co/nKCzQpQBlf — NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) December 2, 2015 その植民地支配を終わらせた日本を恨んでますね、オランダ。 &m (さらに…)

日本陸軍将官総覧、日本海軍将官総覧

日本陸軍将官総覧 日本海軍将官総覧 日本の軍隊は明治維新の建軍以来、陸海軍ともおよそ80年でその歴史を閉じている。 その間に養成された少尉任官以上の士官の数は膨大で、正確な記録は残っていない。 しかし、「将軍」と言われるエリート軍人の将官、すなわち少将、中将、大将の数ははっきりしていて、記録が残っている。 陸軍のその数は、明治の建軍から昭和20年の敗戦までに3,460名を数える。 本書は、大日本帝国の興亡を演出した陸軍の将帥たちの総覧である。   これは貴重な資料だなー・・・・ === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, make you think."   SGT&BD (Saionji General Trading & Business Development) 「人生を変える」 (さらに…)

指揮官と参謀 (commander & counsellor)

コンビの研究 指揮官と参謀 (文春文庫) 天皇「もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」 杉山「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」 天皇「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」 杉山「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります」 天皇「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかなる成算があって3ヵ月と言うのか?」 杉山はしどろもどろだったが、こんなところで永野は当意即妙な返答で持論を展開した。 天皇「絶対に勝てるか?」 永野「絶対とは申し兼ねます。必ず勝つかときかれても奉答出来かねますが、外交で対米妥結といっても、一年や二年限りの平和では駄目で、少くも十年、二十年でなければなりませぬ」 (さらに…)

全然教科書に載らない、永野修身の弁 @check

A級戦争犯罪人として真の権謀策動者たる諸君と同列に取り扱われ知りも知らざる沢山の事項に対し同類項の如く一括起訴せられ誠に遺憾千万也。自分はかってシナ問題はもちろん其の他一切の謀略域は政治的策動等に関与したることなく終始一貫純然たる海軍軍人として極て公明正大なる公私の生活を営み来たり。昭和16年4月、伏見宮軍令部総長殿下病気御離職の際その後任に推されたるが自分としては年久しき宿痾もあり至難なる時局特に陸軍の態度に対応して善処し得る自信もなく大に進退に苦慮せしが総長殿下の特別なる御思召もありて用意に拝辞し難く且つは自分拝辞せば誰かが矢張り大なる自信を持たずに此の至難なる位置に立ただるべからず。又陸軍多数の長老に釣り合ふ為には古参たる自分が此の際総長の職に就く外なかるべしと信じ遂に身を捨て国難に当りたる次第。今日に於て当時の進退に関し何等の遺憾あることなし。さて、昭和16年4月自分が軍令部総長に (さらに…)