「人生の大半は窓際だった」と語る吉本の大崎洋会長ですら、33歳の頃には二丁目劇場で成果出してる。ラリーエリソンだって人生うまくいくこと何もなかったとか言ってるけどそれは33歳くらいまでの話。
大阪府堺市出身。1978年に吉本興業株式会社入社。数々のタレントのマネージャーを担当。1980年に東京事務所開設時に東京勤務となる。1986年にプロデューサーとして「心斎橋筋2丁目劇場」を立ち上げ、この劇場から多くの人気タレントを輩出。1997年にチーフプロデューサーとして東京支社へ。音楽・出版事業、スポーツマネジメント事業、デジタルコンテンツ事業、映画事業など、数々の新規事業を立ち上げる[2]。 (さらに…)