「人生の大半は窓際だった」と語る吉本の大崎洋会長ですら、33歳の頃には二丁目劇場で成果出してる。ラリーエリソンだって人生うまくいくこと何もなかったとか言ってるけどそれは33歳くらいまでの話。
大阪府堺市出身。1978年に吉本興業株式会社入社。数々のタレントのマネージャーを担当。1980年に東京事務所開設時に東京勤務となる。1986年にプロデューサーとして「心斎橋筋2丁目劇場」を立ち上げ、この劇場から多くの人気タレントを輩出。1997年にチーフプロデューサーとして東京支社へ。音楽・出版事業、スポーツマネジメント事業、デジタルコンテンツ事業、映画事業など、数々の新規事業を立ち上げる[2]。 2001年に取締役、その後、専務取締役、取締役副社長を経て、2007年に代表取締役副社長、2009年に代表取締役社長、2018年に共同代表取締役CEO、2019年に代表取締役会長に就任[2]。沖縄国際映画祭、全国47都道府県に「住みます芸人」を住ませるなど、次々と新施策を成功させる[3]。 吉本興業・左遷時代 入社時は同期でビリの窓際族。母親のコネで入ったので仕方なかった。たまたま母が通う手芸教 (さらに…)