教育にかけたお金がそのまま将来の年収に直結する理由

私が見てきている限り、そして自分の経験から感じる限り、教育にかけたお金はそのまま将来の年収に直結しますね。大卒者と高卒者では生涯賃金に2500万円ほど差があると言われていますが、まぁ、18〜22歳時期に4〜500万円と4年という時間を投じた成果はあとあとジワジワと効いてきます。一般的ホワイトカラーサラリーマンやるなら、ですけど。

大学に行くかどうかは頭の良し悪しで議論されがちですけど、ほぼほぼ環境要因が大きいです。親の学歴と親の所得が、子の教育水準にモロに影響します。強い相関関係がありますから。基本的に教育格差というのは親のレベルを再生産するような仕組みになってますね。

親が豊かで、余裕があって、

  • 子供にいろんな習い事をさせられたり、
  • いろんな経験をさせられたり、
  • 塾に行かせることができたり、
  • 良い教師をつけることができたり、
  • 子供が勉強に集中できるようにお小遣いをあげたり、
  • 勉強に必要なアイテムを買ってあげられる家庭

と貧困家庭ではハナから勝負になりません。貧乏家庭の人たちは上流家庭、例えば慶應とか行くような人たちの世界を全く知らないので子供に勉強しろと駆り立てますが、その道に子供を突っ込めば突っ込むほど容赦ない家庭格差のゲームに子を送り込むことになるでしょう。

学歴と年収の相関係数は0.93、企業規模と年収は0.96らしいので、企業規模の方が重要なんですけど、大企業はご存知のように求人が殺到して、事務コストの問題等々から学歴フィルタリングかけますから(新卒なんてどれ取っても大して変わらんし、そもそも新卒の1人、2人を取るか取らないかで会社の命運左右されるのならその会社はマネジメント的におかしいし、そもそもそんなスーパー人材、普通のルートでの就活とかしない)、結局は元の論点に戻ります。

学歴。それと親の家庭環境。それからコネ。

 

親が金持ちだと言われやすい医学部の6年間の学費は平均して4000万前後であることが多いですが、東大の4年間の学費はこれの10分の1にも達しないそうです。

とはいえ、ご存知のように東大生の親の平均年収は1200万弱と平均的な大学生の親よりも高い。

歯学部、薬学部など、然るべきプロセスを経てそれなりの高年収を叩き出せる職種は世の中にいくつかありますが、例えば薬学部なんかは6年間で平均して1200万円強くらいの学費がかかりますね。

 

要するに、世の中で稼げる仕事は金を出して教育を受けられるかどうか、またそこにリーチできるまでの過程でそれなりの教育費を捻出できる過程に生まれたかどうかで決まることが多いわけです。もし仮に、そこで、苦学生をして頑張ったとしても、その世界ならではの競争ゲームはずーっと続くということを忘れてはいけません。

 

そもそも、特殊な領域を除けば、特殊なスーパーマンを除けば、人間の才能・センスなんて大差ないですから、その大差ないほとんどの人間の中で、何が他者に対して差別化要因になるのかといえば、勤勉さとか信用力とかコネ力とか親の財政状態そういうものの積み重ねなわけです。

社会は、

  • カネ
  • コネ
  • 信用

です。純粋な実力主義が問われている世界、純粋な能力主義の世界なんてごくわずかですしそこに対応できる人間なんてほぼいない。

だから学歴とか資格とかが重宝されているんだと思います。

 

一般的に貧乏な人々は毎日の生活に精一杯で、子供に教育投資をする余裕がありません。そして、学校に行けなかった子供たちは教育を受けられないので高収入を得られる仕事に就けません。毎日の生活で精一杯です。そして、その子供達にも貧乏が連鎖していく・・・・というのが、社会階級の再生産です。

そんなに貧乏ではないという並みの家庭出身で、親が大して金持ちじゃないけど本人の努力で良い大学に行く人とかいます。そういう人ですら、毎日の労働のせいで余裕が無く、・・・・みたいな状態にいる人はたくさんいます。

 

そもそも、社会は不平等で格差に満ちている、ということはさっさと気づきべきです。ビルゲイツも同じようなことを言っていますけどね。

世の中には、どうやっても抗えない構造、パワーバランス、格差、見えないガラスなどが存在しているのです。それを可視化させて理解するためには、知識や感受性が大切です。が、25歳ぐらいになってはじめて、「社会は運次第だということがわかった」とか言う大人が、はっきり言って多すぎます。無駄な努力しすぎです。おそらく22歳ぐらいまで何も考えず、何も見ずに生きてきた結果でしょう、そういうのは。

30歳ぐらいになると見事にやる気をなくすというか、燃え尽き症候群になるというか、順応しかしなくなるのが人間です。って考えたら、なかなか、多くの人が「知らず知らずのうち」に、「詰んでいる街道」をボケーっと歩みがちなのかなと思いますけどね。

将棋と同じで、最初は良いけれど、だんだん局面が進んでいって、駒を取られまくっている状態になるといよいよ詰んできます。もはや時間の問題、という負け試合に突っ込んでいることを知らないまま生きている人って結構多そうです。

 

試験は平等なのだから誰でも努力すればというのは幻想です。

これが幻想だと気づけない人はなかなか、センスが悪いです。

田舎から出ていったエリートが、大学生になってこの現実に気づくというのはよくある話です。

学校教育街道が、公平性・客観性・正当性が保たれた人事評価レールであると18歳まで信じている人が多いですが、早い人は馬鹿馬鹿しさに早期に気づきます。ちなみに私は6歳でその正体を見破りました。

 

あと、世の中に存在する、「試験」「面接」の類は純粋に自分の質を計られているのではなくて、ある種の政治的思想というか意図が背後にある「適性検査」「素質検査」であることも忘れてはいけません。

出題意図、という言葉がありますが、もっと大きなレイヤーでは「試験意図」「選別意図」が存在するものです。

エリートの人たちを見て、「凄まじい努力だなぁ」と感心したことがある人は多いと思いますが、努力家の人たちというのは脳の中にある苦痛を感じる部位が弱いそうです。そういう意味で、学校教育を土台とするエリート組み上げシステムというのはスーパーハードワーカー・努力家を見事に選別するようにできています。

基本的に、仕事というのは「苦」です。海外の宗教では、「労働のルーツは罰」とされているところもあります。ですから、だいたい、この世界ではどこでも、「苦労を苦労と思わずにがむしゃらに働く人間」が求められているのです。

  • 才能がある人間か
  • 苦労を苦労と思わずにがむしゃらに働く人間

のどっちかが重宝される人材です。

 

こうやって世の中の構造を理解していくと、「youtuberになる」とか「ブロガーになる」とか「芸人になる」とか、一見馬鹿馬鹿しくても非常に理に適った選択といえるでしょう。まさに適材適所という感じでしょうか。海外に行くというのも良い選択だと思いますよ。

そもそも、世の中というのは様々な利害が対立したり、組織構造があったり、ヒエラルキーやパワーバランスが存在したりします。一企業や一個人がどうこうできないことは腐るほどあるのです。だから、スティーブ・ジョブズのように世界をひっくり返すような天才は賞賛されるのですが、基本的に日本という国は外圧でしか変わりません。内側から何かが変わるというのは極めて稀です。人生においても同じことが言えますが、自分の人生なんて自分では変えられません。どこかで誰かと出会ったり、衝撃的な情報に触れたりしてはじめて変わるものです。

 

基本的に、世の中の人は努力の方向性を間違えている。

これは間違いなく言えることです。

そもそも世の中の仕組みがわかってない人が多い。

 

社会というのは基本的に人が構成していますが、世の中の多くの人は人生についてうまくいっておらず、不満を抱えており、自分がした苦労を「お前も味わえ!」とばかりに押し付けたがる人が多いです。足の引っ張り合い、誹謗中傷、いじめ、派閥、こんなものはどこの世界にも存在しています。こういうものがさらに拡張されたのが社会とか世界です。

「要領が悪い」人というのは、そこらに対する理解や洞察が足りず、押してはいけないボタンを押してしまったり、キーマンを見誤ったり、参加するゲームを間違えたりというようなことばかりやってしまっています。そして、それを招く最大の理由は、無知・無学・無教養と、投資意識の無さです。

昔から、勝負師と呼ばれる人間たちは情報にかける情熱が凄まじかった。それがゲームの勝敗を分けると知っていたからでしょうね。

 

今の総じて、「KY(=空気読めない)」とするのなら、もう一つ、「TY(=立場読めない)」というのも理解しておく必要があるでしょう。結局のところ、発言権とか行動の裁量、自分ができることなどは、立場によって大きく変わってきます。同じようなことを言っていても、それが誰かによって、評価なども大きく変わります。残念ながら、これが世の中の現実でしょう。自分自身の価値と値段を読み損ねる人もまた、息苦しさを抱えることになるでしょうね。

空気「読めない」と、空気「読まない」は全然違います。立場「読めない」と、立場「読まない」も全然違うでしょう。もし、人間の言動・行動が空気と立場に制約されるのであれば一生、できることは限られてくると思いますが、成り上がるのが上手い人間はここらの攻め方、外し方が非常に上手いのです。自己主張が強い・弱いって言葉がありますが、強い・弱いではなくて「巧いか・下手か」の問題でしょう。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。