メルマガ9

 

▶︎第0部 : 西園寺のつぶやき

 

トゥー♪

トゥルルー♪

 

トゥー♪

トゥルルー♪

 

トゥー♪

トゥルルー♪

 

トゥットウットウッ〜〜♪

 

パラパ〜パ〜♪パラパ〜パ〜パパ〜♪

 

俺の名は、高時給ニート、西園寺貴文。(パシャーパシャー)

落ちこぼれで落第生だった俺は低偏差値高校に遊びに行って

働きづくめの怪しげなクズ人生を送っていた!!

 

金を稼ぐのに夢中になっていたオレは、

自分の人生を安売りしていることに気づかなかった・・・・

オレは雇われ街道に邁進し、目が覚めたら・・・・

 

ワープア人生まっしぐらだった!!

 

このまま大人になってしまえば、生活費だけは増え、自分の人生に危害が及ぶ。

ロバートキヨサキの助言で、資産で稼ぐことにしたオレは、

低脳のくせにとっさに独学をはじめ、

金儲けの情報をつかむために

勉強修行の人生に転身することになった・・・・・。

 

 

はい、どーもー。

今日は、めちゃめちゃ重要なことをお話ししておきます(長くなります)。

今更なんですけど、「西園寺さんは間違っている」というお話です。

 

西園寺さんは、学校教育で落ちこぼれて、低偏差値校に行き、まともに授業を受けずにパチンコを行っていたような時代がありました。もう、この時点でだいぶまともではありません。その年代からそうだったのです。はじめてキャバクラに行ったのは17歳ぐらいだったと思います。おかしいでしょ、そんなやつ。学校行っても、空いている教室で麻雀とかやってましたから。高校卒業した後は、修羅のように勉強しましたが、きっかけは「奴隷じゃ無い自由な人間になりたい」というなんともお粗末な理由。その時期も自分1人で延々と哲学的なことに頭を悩ませ、図書館に入り浸りながら、哲学的思索と空想の世界に1人で旅に出まくっていたり。

若い頃からそんな感じだった。

 

また、大人になってからは、外国人のお友達が割といるということ、アメリカ源流の自己啓発などに害されまくってきたということもあって、だいぶ「日本的な常識」みたいなのが揺らいでいます。

風俗にも行くし、ニートをやった経験もあるし、「働きたくねー」とか「社畜生活無理ー」とか思っている時点で、もう、一般的にはだいぶヤバイ奴です。

そして、あちこち移動するし、変な生き方をしている人も結構見てきました。

 

そうです。西園寺さんは間違っている人間です。

忘れちゃいけないですよ。私は「おかしい部類」の人間なのです。

 

私はだいぶ、勢いとかノリで生きている人間だと覚えておいてください。

おまけに、思いつきをペラペラと喋り、思いつきで行動しています。

 

そんな西園寺さんも、大昔は、「公務員になったら、バランスの良い安定した生活が送れるかな」と典型的なことを考えてみたり、「水商売なんてものは邪道だ」「お金のために体を売るなんて狂ってる、買う側も狂ってる」「ニートや無職なんてものは正しくない、けしからん」「ホームレスってなんでなるの?」と思っていたような時期があります。まぁ、大昔の話ですよ。中学校以前の時の話。

大人になった西園寺さんはどうか。

安定とは程遠い不安定な道を選び、平日の昼間から風俗に行き、無職を自称してニートを肯定しているフシがあるくらいです。路上で寝そべり、口を広げて空を仰いでいるホームレスを見ては、「同類だ。自分と紙一重。」との感想を抱きます。

 

昔の私は割と、「正しさ」とか「正解」なるものを信奉しているような人間でした。

それは親の言うことや学校で習うことに影響を受けていたのかもしれませんし、自分でそう思ったのかもしれないし、その両方かもしれない。

 

でも、若かりし頃に、「正しさ」「正論」がどれだけ危ないものであるのかをとことん学ばされる機会がありました。交際していた女性と、このあたりの価値観の違いで、すごくウマが合わなかった。そして、それをきっかけに色々考えるようになったんですね。そっからですかね。

(いつかどこかで話そうと思いますが、私の恋愛ストーリーはなかなか悲惨なものがありますよ。「浮気された(衝撃的なシーンあり)」とか彼女が実は●●だったとか、彼女が友人と●●とか。笑)

 

今でもよく考えます。

正しいって何なのか。

間違っているって何なのか。

 

いつも考えても、行き着く答えは結局、「人間は主観で生きている」ということです。私は心理系の知識もあることはあるので、「いかに人間が自分にとって都合の良い情報処理をし、バイアスのかかった現実観測を行い、自分に甘いのか」ということも、アカデミックな知識の裏付けと共によくわかっているつもりです。

なので、ある程度、「自分を信用してない」ところがあるんですね。自分を疑っているというか。

常に、心のどこかで「自分は間違っているかもしれない」って思いながら生きているフシがある。いや、むしろ「自分は間違っている」と思っています。それは常時胸にある思いです。

 

私は、「正しさ」という言葉は、割とどうでも良いと思っています。

そして現に、自分の好きなように生きているいい加減な人間です。

 

楽しく生きれれば良い。

幸せに生きれれば良い。

 

外を歩いていると、車がけたたましいクラクション音を鳴らしていることがあります。「なんだ」と顔を向けると、ドライバー同士が睨み合っていたり、場合によっては路上でトラブルに発展していたりします。「こっちが優先だ、どけ!!」と言わんばかりのジェスチャーをしながら、睨み合った車同士が立ち往生しているシーンとかもたまに見かけます。

公共の場では、「正しくない行い」をしている人に対して「正しさ」を伝えて、それが言い争いの場合になっていることもあります。また、そーゆーことを企業に対して行い、クレーマーと化している人もいます。別にそれ自体は、何も思いません。というか、正義感を持って生きている人はすごいな、と尊敬します。

しかし、西園寺さんは若い頃から夜の街を歩いていた経験があったり、あと海外的な感覚を習得しているせいか、いちいち他人に過干渉をしようと思いません。理由はシンプルに、危ないからです。

 

あと、ちょっとドライなところもあるかもしれません。

ぶっちゃけ、他人のことは、どうでもいいと思っています。

 

小さい頃は割と、正義感が強くて、お節介で、世話焼きで、分け隔てなく付き合い、優しくて、言葉遣いが丁寧で、・・・・みたいなところがありましたが(そしてそれが良いことだと思ってたし、良いと褒められてた)、大きくなるにつれてそれほど世の中は単純ではないことに多く気付かされ、

  • 正しさや正義は割とどうでも良い
  • 他人は他人
  • 人に干渉しない
  • 人は思いっきり選ぶ
  • 割とドライ
  • 言葉遣い汚い
  • 御都合主義で生きる

という方向にシフトしてきた経緯があります。

「世の中にはいろんな人がいるんだ」ということを知っていったり、東京のような街に出たり、世界を知ったり、いろんなタイプの人間と触れ合ったりすると、一見「いい奴そう」な生き方が巡り巡って悪い奴になったり、通用しない場面、危険なシーンに逢う場面、人にかえって迷惑をかける場面というのと出くわしたりするものです。

 

「日本ってすごいなー」って思うのは、常識とか倫理感みたいなものが、ある程度、「同じ程度・同じレベル」で全国民的に共有されているところです。だからこそ、日本は、集団が一つにまとまって同じところを向いた時、強い。実際、そのパワーを活かして経済発展してきた歴史があります。そして、治安が良いし、高信頼度社会がまわってる。

(余談ですが、日本の経済破綻を危惧している悲観論者もたくさんいますが、借金ばかりに目があてられてますけど、資産は相当なものです。社会的なインフラもすごいし、治安は良いし、何に関しても「平均」のレベルが高いし、すごい国なのは間違いない)。

 

ただ、日本に住んでいて、息苦しさ・窮屈さを感じる人は、「日本的常識」「日本的価値観」に苦しめられているのは間違いないでしょう。西園寺さんも、そういう日本的なものに割と「合わない」と感じるタチです。

(私のことを「地球不適合者」呼ばわりする知人もいるので、もしかすると居場所はこの星にないかもしれません。笑。)

 

私の勝手な感想ですが、大人になってきた過程で、どうも、私の場合は「正しさ」に固執すると、不幸になると悟ってきたフシがあります。

疲れるというか。

革命とか、業界健全化とか、正義の実行とか、そーゆーって割りが合わない。ものすごい疲弊するし、誤解されたりするし、割りに合わない。危ないシーンもある。だからこそ、何かをやった偉人は歴史に名を残すんでしょうけど。どんな業界も圧力とかリンチまがいのことあるからね。

「自分が正しい」と思っていると、「正しくない」と思う人間に対して敵対心が生まれることがあります。最悪、揉めた場合には相手を是正したいと思うでしょうが、そうそう人は変えられない。そもそも傲慢になってしまう危険性もある。

ストレスが溜まったり、怒りを覚えることがあるかもしれません(しかし相手は相手で、「こっちは正しい」と思っているわけです)。

そして、正しさや正解を追い求めていると、ある意味、情緒不安定になります。どっかに正しさや正解があるかもしれない・・・・と、さまよえる子羊のような心境になる。仮に、「正しさ」なるものを見つけて、そこに安住していても、自分の中にある「気持ちや感性」を押し殺してそこに染まっているとやはり苦しくなるし、また、後でその「正しさ」がひっくり返された時、「今まで、なんだったのか」と、私は思ってしまうタチ。

だから私は、Have toよりWantで生きてます。

 

人は生きていれば必ず、「誰かに迷惑をかける」「誰かを怒らせる」「誰かを傷つける」「誰かに嫌われる」ものです。たとえ、「我、完璧人間なり。我、常識人間なり。我、人格者なり。」と思っていてもです(万人ウケや万能は100%無理です)。

「私は人に迷惑をかけていない、怒らせていない、傷つけていない」と自分では思っている人はいますが、大方の場合は本人がそう思っているだけで、必ずどこかで迷惑を被っている人、怒らせている人、傷ついている人がいると思います。しかし、「正しいことをしている」という感覚にドップリ染まっていると、その自覚に疎くなるように思うし、場合によってはその免罪符が暴走を強化・助長させることだってある。

正しいことを求める理由が「人に嫌われたくない、社会に迎合したい、社会から承認されたい」というものであれば、おそらくそれも完全に満たされる日は来ないと思うわけです。なぜなら、生きてれば、必ず誰かに嫌われるし、迎合できないシーンがあるし、承認されないシーン(自分が自分を承認しない、も含め)があるからです。

そして、一番やばいのが、人は自分のことを正しいと思っていると、正しくない人間を見つけた時、その人を「やばい奴」「おかしい奴」「狂っている奴」とラベリングし、レッテル貼りをします。

それを、「個人の思い」として実行する(そしてその自覚がある)のなら別に勝手でしょうが、それを「一般論、絶対論としてそうだ」と思い込むようになると、その先に生まれてくる感情が「制裁欲」「社会的正義の実行欲」「蔑視、差別、非人間的扱い、糾弾」「戦闘欲」といったようなものです。制止が効かなくなることもある。特に、これに集団性が加わるとマジでやばい。

 

マクロの視点で見ると、「正しさ」を共有するコミュニティでは、ある程度自浄作用が効くという利点はあると思います。そもそも、日本がこれだけ「出る杭は叩く」風潮なのは、長年、島国で同一の血統・民族が共生をしてきたという背景があり、集団の中で和を乱す人間は「集団に危害を及ぼす・集団の未来を邪魔する」可能性が高かったので、徹底的に排除してきた・自浄してきたという歴史が影響しているとどっかで読みました。それが国民性として現れている、と。

 

・・・・・・・・まーまーまー、

話が長くなりそうなのでこの辺で止めますけど、

要するに、西園寺さんは、「正しさ」ってものにフィットしなかった。

それは、とことん「正しさ」みたいなものに寄せていった人生が先にあって、その後、逆に振り子が振れたという経緯があるんです。

色々あったんですよ、ボクも。。。。。

 

じゃあ、今、何を大事にして生きているか。

それは、「好き・嫌い」です。

私は、好き・嫌いで生きています。そして、それはなぜかというと、「幸せ」になりたいからです。私はお金持ちになりたいわけでも、最強になりたいわけでも、圧倒的勝利が欲しいわけでも、正しくありたいわけでもありません。

 

幸せになりたいのです。そう思ってきました。

ハッピーでいたい。

 

私にとって幸せが何かと問われると難しいのですが、「自己完結的なハッピー」と「他者補完的なハッピー」があると思っています。

例えば、一人でボーッと海を眺めているとハッピーですが、これは自己完結的です。幸い、平日の昼間からボーッと海を見てられる良いご身分です。実にハッピー。

他者補完的なハッピーというのは、出会った人にすごい感謝・感激されたり、面白い人と出会えて交流できたり、良い友達ができたり、素敵な人とデートしたり、クライアントに「あなたのおかげで人生変わりました」と言ってもらえたり・・・・・みたいなハッピーです。

 

で、今実際、「超ハッピー」。

 

Are you Happy?

と問われたら、

「YES」と2秒で即答できます。それぐらいハッピーなのです。

 

そして、ハッピーであるために大切なことは、「自分が欲しいものを、自分で本当にわかっている」ということです。

 

この前、ハタチそこそこの女の子に

「マジ独身、かわいそう」

と笑われながら言われました。60%ぐらいはジョーク・いじりのニュアンスがこもってそうな感じでしたが、その子の頭の中では「結婚=幸せ、独身=不幸」というような定式が染みついているようでした。

(そもそも、私、独身をいじられるほど歳をとっているわけでもないんですけど。)

 

「でしょ!かわいそうでしょ!一人で毎晩オ●ニーしながら泣いてる、シクシク・・・・」

 

とかテキトーなことを返しましたが、言うまでもなく、全然ハッピーです、私は。

 

結婚して超不幸そうな顔をしている人もいれば、独身で超幸せそうな人だっています。また、「結婚することが幸せだ」という一般的な風潮に乗せられ、「結婚すれば幸せになれる!!」と思い込んでいる人だっているかもしれません。

「就職」「結婚」「起業」「初セックス」は、やったことない場合は、それ以前の段階ではやたら幻想を抱くものの筆頭と思ってますが、大方の場合、良い意味でも悪い意味でも実際はイメージと違うことに気付かされるんじゃねーかなーって勝手に思ってます。

結婚したい人がいる一方で離婚したい人がいるのです。

起業したい人がいる一方で再就職したい元起業家がいるのです。

 

絶対的な正解があるわけない。

ケースバイケース、その人次第です。

 

何に関しても言えることです。

 

結婚という「概念」的な言葉、「パッケージ性」あるコンセプトは、一体それが何を指しているのか、定義は何か、構成している要素は何か、とそもそも話はややこしいのですが、

  • 異性同士が一つ屋根の下で共同生活をする
  • 役所に書類を提出する
  • 苗字が変わる
  • みんなから「夫婦」と認識される
  • 結婚式を挙げる
  • 結婚指輪をつける

といったそのどれもが、別に大したことではないというか、ダイレクトに幸福をもたらしてくれるものとは(個人的には)思えず、結婚して幸せな人はそもそも結婚する前から幸せだった人じゃないか、と思うわけです。

あるいはプラシーボ効果的に、「幸せが手に入った」と思うことで、本当に幸せになるとか(これは理由として、でかそう。人生って自己満だしなー)。

 

「お金欲しいー!!」と思い、実際、お金を手に入れても幸せそうじゃない人が大勢いることと似ている、と個人的には思っていて、これは「幸せ」を考える上でとても重要な観点だと思っています。

 

私は自分が「本当に欲しいもの」をわかっています。

そして、それを手に入れた。だからハッピーなのです。

 

もし仮に、私が「私はハッピーだよ!」と人に言って、

「え、でも独身じゃん!!」とか、

「え、子供いないじゃん!!」とか、

「え、良い会社で働いてないじゃん!!」とか言われたとしても、それは全く意味を成さない、ということになります。

 

自分が本当に欲しいものを知っているということ。

これは、自分の感情や感性に素直でないと、なかなか気づけないものだと思います。

自分がわかってないとなかなか見えてこない。

 

幸せになりたければ、「好き・嫌い」を大切にして生きることの重要性に気づかされます。「好き・嫌い」は幼稚な感情と思われがちですが、私は一周まわって、これほど大人な感情は無いのでは、と思うのです。なぜなら、正しさは「一般幻想」であり、好き・嫌いは「個人の感想」であると思うから。

もちろん、正しさなるものは世の中にあるでしょうし、社会に存在する「正しさ」っぽいもののアウトラインや輪郭ぐらいは感覚的にわかってないと大変ですが、ここで言っているのは、正しさという言葉が自然と孕んでいる「絶対性」のニュアンス、これに対するアンチテーゼ的な発想です。

そこに染まりすぎると、不幸になるのではと思うわけ。

 

個人の感想は自分に根付くものであり、「自分は自分、他人は他人」というマインドをすくすくと育ててくれます。そして、これは自然と「個人の尊重」という概念にも派生していく発想だと思うんです。

世の中いろんな人がいて、本当、いろんな感性がありますから。

 

味噌汁は国民食ですが、味噌汁が嫌いな日本人は確かに存在していて、その人は決して「間違っている」「おかしい」わけではありません。カレーライスが嫌いな人だっているわけですしね、世の中には。

「正しさなるもの」もの代表格である「法」の世界でも、最上位に君臨する憲法の中の最上位とされているのは、13条の「個人の尊重」です(多分そうだったと思う。学生時代の勉強のうろ覚えですけど)。

 

個人は尊重されてしかるべきです。公共の福祉に反しない限りで。

 

こうやって考えると、たとえ、自分が「社畜辛えぇー」って思ってても、そんなに自分を、過剰に責めることもなくなるし、ニートをやっている人を見ても「別に良いんじゃね?」ってなってきます。個人の尊重ですね。まぁ、人それぞれですから。

要するに、多様性への理解が進む。

 

好き嫌いで生きていると、別に「変な人」「おかしい人」「やばい人」を見ても「ふーん」ってしか思わないし、世の中にはいろんな人がいるんだとわかっていると「自分が知らない・理解できないもの」を「怪しい・怖い・いけないこと」と断定的に断罪することにも、ブレーキがかかるようになります。

あとは自分が個人的に「好きか・嫌いか」「接点を持つか持たないか」だけです。

 

私は、自分の感性・感覚で生きている自負があるので、たとえ他人と衝突しても、「自分がおかしいかもな」とか思えるし(少なくとも、「自分は絶対正しい」とマジで思い込むことはない)、そもそも正しさに固執してないので、他人と議論して話に決着をつけようとも思わなくなる。

そーゆーことをする価値も必要性もないし。無駄な言い争いもしなくなる。

マーケティングとか勉強してきたせいで、プライベートでも、人の感情を煽るような扇動的表現がポロっと出るときがありますが、これは言い過ぎた、と思うときはすぐ謝ります。

 

人生は短いので、嫌いなことや嫌いな人を考えている時間、他人と揉めている時間は間違いなく「無駄」と思います。少なくとも、時給が高い上に、ハッピー至上主義者の私は、本当にそう思う。

 

で、問題はここからです。

よく言われるのは、「好き嫌いで渡っていけるほど社会は甘くない」、ってやつです。社会人として社会に飛び込んだら、まずファーストステップとして「好き嫌いを押し殺し、人と接する」「自分の好き嫌いはさておき、やることやる」ってものを習得しなければならない。

おっしゃる通りです。

 

でも、私の場合、これは「損・得」との兼ね合いだと思うんです。

ぶっちゃけ、ほとんどの人が社会に出て働くのは、それが「得」だからでしょう。お金が得られるからでしょう。好きで社畜やっている人とかいないんじゃないですか?

 

仕事すれば、たとえそれが嫌いでも、「得」は得られますし、その得で何かハッピーなことと交換し、埋め合わせをすることができます。当たり前ですが、仕事というのは嫌われてる行為ではある反面(みんな働きたくねーって思ってる)、結局多くの人がそれに人生の大半を投じているという意味では、「総じてポジティブなもの」であるのは否定できないでしょう。報酬や喜びがあるんですよ、結局。人間、本当にダメなものは続けられないものですから。

続けられている、というのはある意味ポジティブなものだってことですよ。

得のために、ある程度、「嫌い」を押し殺す、ってのもすごく大事な点だと思います。ましてや、自分の「好き」がはっきりわかっている人は、「得」を通して「好き」を得られるビジョンが見えているでしょうし、その喜びもわかっているはずです。だから、そのために「嫌い」なことも頑張れる。

好き嫌いはあっていい。

押し殺さないで良い。ただ、そこは損得との兼ね合い。

 

また、大きな価値を生み出していたり、需要されていたり、自分自身が重要なポジションについていたりすると、ある程度、自分の「好き・嫌い」を通しやすかったり、それに沿った生き方だってできるようになるはずです。

成功してればしてるほど、自分の「好き」を多くかき集めた人生を送れるのではないかな。

 

まー、こんな感じー。

 

私は、自分の「好き・嫌い」を中核において、自分の勝手な感覚や考えで生きてます。我流で生きていますね、本当。

もちろん、「正しさ」なるもの、そうされているものの輪郭もなんとなくわかっておく必要がありますし(常識、倫理、マジョリティの風潮、日本的価値観etc)、場合によっては「損・得」のために、自分の「好き・嫌い」を多少犠牲にしなければならない場面だってあります。

ただ、ここら辺はプライオリティの判断、時間軸を考慮した判断だったりしますし、自分自身に力があったり、第3の選択肢を出せる発想力があったり、逆転の発想ができる頭があればまた、視野と状況はガラッと変わってきます。

 

「好き・嫌い」ではやっていけない・・・・って本当でしょうか。

私はそう思いません。

 

そして覚えておいてください。

このメルマガは、そんないい加減な人間が書いているということを。

 

毎度毎度、わざわざ言うのは面倒くさいので今、言っておきます。

私が言っていることは全て、「私はそう思う」という個人的な意見、見解でしかありません。そして独断と偏見が大量に込められています。個人的な好き・嫌いはむき出しです。トゲトゲしています。

 

そして、もう1つ、覚えておいてください。

 

自分が好きなことをよーーーーーーくわかっていること、これが満たせていること、それが本当に幸せってこと、勝ち組だってことです。少なくとも、私はそう思うしその通りに生きている。

 

私は基本的に男と喋るのが嫌いです。

理由は、男はマウンティングや自慢がひどい人が多くて、気持ちが悪いと思ってしまうから。

もちろん、上流の人たちはみ〜んなあっさりしてて、肩の力が抜けてますよ。温和で穏やかな人たち、幸せそうな人たちが多い。

問題はその下。マジョリティです。

 

みんな、ハッピーじゃないんですね。

まず、そういう「気持ち悪い」行為自体が、自分の承認欲求が満たされていないことであったり、ハッピーが完結的に得られていないということの証左でもあるわけです。自分がちゃんと満たされていると、他者を尊重したり、他者の話をしっかり聞くことができます。少なくとも、気持ち悪い自慢やマウンティングに終始することは無くなるでしょう。

 

私は、社会が「男性にかけた洗脳」の正体を見破ってしまいました。

女性は、その多くが「幸せになりたい」と思っています。そして、「幸せになろうね」と言い合ったり、「幸せになってね」と言われています。

 

しかし、男性はどうだろう。

幸せになりたい・・・・って言っている奴、いる?

 

「金持ちになりてー」

「勝ち組になりてー」

「最強になりてー」

「崇められてー」

・・・・・・・そーゆー人ばっか。

 

平気で価値が移ろう交換券・紙くずでしかない金をたくさん持っていることの、一体何が勝ち組なのか。人からチヤホヤされることの一体何がハッピーなのか。

幸せというのを外部に求めたら、不幸になります。

でも、自分の内部に求めたら幸せになれます。なぜなら、100%自分の中に根付くものだからね。特に自己完結型の幸せはね。

 

自分は何が楽しいのか?

何でハッピーになるのか?

 

孤独に生きたり、孤独感を味わって生きていると、自分の中にある欲や願望が濾過されていきます。そして、誰にも邪魔されない、純度の高い「幸せ」が見つかります。

それを見つけてしまったら、もう、・・・・・・・・・・・・幸せですね。笑

そして、そのためにだったら人間、頑張れるもんでしょう。

 

一体、何が自分のハッピーか?というのはよーくわかっておいた方が良いです。

 

私は日本男児ですが、いつもこう思っています。

 

「幸せでいよう。幸せであろう。幸せを掴もう。」

 

何が自分のハッピーか、わかってる?

 

私は宝物を見つけてしまいました。

さぁ、あなたはどう?

 

 

 

▶︎第1部 : お金について

 

さぁ、今日はちょっとマインド的な話をダラダラとしましょう。

この社会では、「お金を稼ぐために勉強しようぜ!!」っていう風潮があります。しかし、その風潮に過去、散々乗せられた人たちが口々にこう言っているのです。

ーーーーーーーーー

もう疲れた・・・・・勉強したくない・・・・・

ーーーーーーーーー

 

勉強なんてものは、無理矢理やるとアレルギーになります。

また、人間が一生のうちでできる勉強の範囲なんて限られている。

 

「50寸前まで、ずっと勉強しまくってました」なんていう人生、嫌でしょ。

 

西園寺さんも、もう、勉強したくない。

勉強と思う勉強はしたくないし、自分が楽しいと思えないものは、はっきり言ってやりたくないです。

 

で、勉強したくないなーって思って、どうやったら勉強せずにマネタイズできるかなって考えると、行き着く答えはだいたい同じなんです。

  • 人と組む、人を使う
  • 既存のリソースで勝負する
  • 外部機会を拾う、便乗する
  • 需要を探す、感じる
  • アイデアで勝負する
  • 過去、学習したもののブラッシュアップをする
  • 別の市場に出る
  • 自分の強みを活かす新たな文脈を探す
  • 情報、ノウハウを買う、自己投資する
  • 金を使う

だいたい、こんな感じ。

 

でね、ぶっちゃけ、アカデミックな書物を買って勉強するのは大変です。マジで大変。何が大変かって読み解くのが大変、理解するのが大変、覚えるのが大変。そして、それを現場で使えるようになるまでにすごい時間がかかるはず。

そういう意味で、ビジネス書はお手軽です。アカデミックな知見をプラクティカルな知に転換しているものが多くありますからね。とはいえ、そんなビジネス書ですら現在は供給過多で、玉石混合。そしてそれすら、現場で使うのは難しい。

また、自分の目的に沿う形で、知を再編するのも大変。

 

西園寺さんも、ビジネス書疲れってのはありますね。

アカデミックコンテンツ疲れもありましたけど、ビジネス書疲れも経験しました。

 

もう・・・・・だからね、

  • 実際に優れたマーケティングをしているビジネスで消費者体験を積む
  • マーケティングテストにお金を使う
  • 優れたマーケティングの知見を獲得しているところからノウハウを買う
  • 需要に対して供給が絶対的に不足している分野を勉強する

ってやっている方が、よっぽど良いと私は思っています。

疲れたんでね。

私はそうしてますけど、ガリガリ勉強のやる気がある人は頑張ってください。

 

(コンテンツビジネスやるなら、1個、ネタになりそうな学問をフィックスして一通り勉強した方が良いと思うけどね!)

 

っていうか、

ーーーーーーーーー
<1>リストを集める
<2>リストに教育する
<3>リストに販売する
ーーーーーーーーー

というフォーマットに沿って営業をかければ、成果は上がるはずです。

DRMモデルって、無能は人でもちゃんと実行すれば稼げちゃうので。

今、いろんな人たちが使っています。

本当にあらゆる業界・分野で使われている。

 

競争が激しいところはさておき、そんなに競合が強いと思えなさそうなところで実行してみてくださいよ。

お客さんとの関係性、グッと縮まりますよ。

 

進研●ミがやってたのもDRMですね。

全国の学生のリストデータを所有しているわけです。そして、中学生には中学生向けの、高校生向けには高校生向けの、あのお決まりの漫画雑誌を送付するという。

わかりますか?アレ。笑

ーーーーーーー

進研●ミに入ったら、

勉強も恋愛も、スポーツも絶好調!!

人生最高だぜ!!

ーーーーーーー

みたいな漫画が送られてきますよね。笑

 

あれ、すごいうまい。

(ご丁寧に、両親の説得の仕方まで、ストーリーで解説してますから。笑)

 

あれがまさに、

<1>リストを集める
<2>リストに教育する
<3>リストに販売する

です。

 

まずは、モデル全体を完成させることを頭に入れてみましょう。そして、そのモデルの中に詰め込むコンテンツの考案のために、図書館とかに行って、勉強したら良いのではないでしょうかね。テーマというか、ネタですね。

いろいろ、テストとかもしてみてください。

何を売るかによりますけど、情報コンテンツの販売をしたいのであれば、図書館とかで勉強すると良い。あるいは、英語圏の情報にアクセスしたり、特殊な業界の経験や、自分の実体験を売る。

 

別に、物販事業でもいいとは思いますけど。

 

基本的に、お金というのは「商品」「サービス」と交換するものです。そして、その交換を実現するためには、売り先と販売方法がなければなりません。そして、お客さんから「お金払ってもいいかな?」と思われる信頼度がないといけません。

商品は仕入れがないもの、物理的制約・時間的制約を越えるものが理想ですね。

 

見込み客リストを集めて、見込み客リストに対して情報教育を行い、見込み客リストに対してセールスをかける。

こうやって作ったお金を、さらにビジネスに再投資していく。

そのサイクルを完成させると、ビジネスは立ち上がっていくことになります。

 

繰り返しますが、コレ、わかんない人はわかんないです。価値と意味が。

で、わかる人はすぐわかる。

 

ーーーーーーーーーー

「その絶妙な感じが良い」

ーーーーーーーーーー

のでしょうね。やる人、やらない人綺麗に分かれます。

そして、やる人の中でも、ちゃんとやり遂げる人、やり遂げない人で分かれますから。

 

・・・・・・・・・さて。

話変わります。

私は、人生なんてものは意外とポンポンポーンと変わってしまう、ということを知っています。

 

自分の年収を、年表グラフにすると、同世代の社畜と比べた時に、変なグラフになるはずです。バコン、って上がってますから。

ということは、ですよ。これは、落ちる時にも簡単に落ちるということだと思うんですね。

 

人生の変化というものを求めてきた以上、上昇変化だけに容易性を求めて、下降変化の突発性を否定するというのは、変だと思うわけです。落ちるときは、落ちる。終わるときは終わるわけです。

・・・・・・・・・でも、それが人生だと思うんです。

「変化」というものに、真摯に向き合えばそうなります。

 

変化というものを求めるなら、良い方にも悪い方にも変化することを恐れてはいけないと思うんです。

落ちる変化を恐れれば、また、次の「上がる」変化も手に入らないと思うから。

 

私は10代の頃から働きまくって、お金の味を覚えてしまいましたが、勉強修行に突入するために働くことをやめ、収入が途絶えたときは本当に大変でした。でも、「今、これをクリアしておかないと、大人になるともっと大変になる」とわかっていたのです。多くの大人にとって、給料が途絶えるというのは恐怖以外の何物でもないでしょう。みんな、給料に依存しているのです。

 

これが、「変化」を起こそうとする人の姿勢です。

 

大切なことは、変わること。私はそう思っています。それに対する意味づけなんて、正直、後付けなんですよね。良し悪しなんて、後から二転三転するんです。人間万事塞翁が馬です。

それよりも私は、変化してないってのが嫌なんです。自営の醍醐味は変動ですよ。変動に満ち溢れた人生ですよ。安定を捨てるなら、変動を利用し、変動を思いっきり楽しまないと、どうするんですか。人生をジェットコースターだと思って、上がっても下がっても興奮しないと。

 

ってか、変化してない人生って、こわくないですか。

5年、10年変化していない人生って、何が楽しいんですか。

 

特に、「別れ」「手放す」ってのは新たな「出会い」を呼ぶんですね。間違いなく呼び込むんです。だから、ダメだ、って思ったものからはさっさと引く。

 

長く活躍しているお笑い芸人さんの話を聞いていると、「これはもう、ダメだ」って感じ取った場合の、乗り換えの判断が的確です。

大成功している著名人の話を聞くと、負けの潔さもすごい。

 

負ける・諦めると道が拓ける、ってのもあるのかな、って。

人生負けトーナメントみたいなところあるよね。

西園寺は、人生負けまくってきましたよ。だから、道が拓けてきた。

 

学歴レースで勝ってしまってたら、今はないかもね。

高時給の人生は。

 

 

 

▶︎第2部 : 世界について

 

ブラック企業に勤めている人の話を聞くと、すごい泣けてきます。

悲惨ですね。

世の中の人って、あんなエグい働き方しているんだ。

 

今日は、「ブラック企業脱出法」というテーマで、ちょっと小話をしたいと思います。

言うまでもないですが、ブラック企業でブラックな働き方をしている人たちは、時給が低いことが問題です。

世の中には、「大手・高給料ブラック企業」と「ワープアブラック企業」がありますが、前者は、給料が高いでしょう。スキル身につくとか経歴に箔がつくとかある場合も。

後者のワープアブラックは最悪ですよね、ほんと。

給料低い、時間ない、スキル身につかない。もう、終わっている。

 

(西園寺からすりゃ、両方最悪だけど。)

 

時給を上げたいと思ったら、みんな何やるのかな。

ブラック労働を脱したいと思った人って、会社帰りにマックで資格の勉強をして、居眠りして、くしゃみで目覚め、「うー、寒、帰ろ」みたいなことを1年繰り返して月給1万円上げる、とかやっているんですよね。

 

ダメですよ、こーゆーことしてたら。

西園寺の社畜の知人は、会社に交渉して給料5万円上げてましたよ。すごくないですか?

交渉で、ですよ。

「会社を辞める」・「他社に移動する」という交渉カードをちらつけて、会社と交渉して給料を上げてた。ほんとすごい。

まぁ、彼が日頃からやることやってきたおかげでしょうけど、これは一つヒントになりませんか?

ちょっと、参考にしてみてください。

(西園寺もバイト時代に交渉で時給あげたことあるわ)

 

大事なのは、

  • やることやって認められておきつつ
  • 時給を上げろと交渉(要求)すること

です。

 

お笑い界で言えば、吉本がだいぶブラックであることは有名ですが、ダウンタウンの浜田さんは若い頃から会社とギャラ交渉をしていたそうです。で、若い頃から上手にギャラ交渉して、給料上げていたんだとか。

 

ブラック企業で働いている人に問いたい。

会社と交渉してますか?

他社を検討してますか?他社への転職を交渉カードとして持ってますか?

 

それと、職業訓練校とか良いですよね。なんか、ありますよね、スキルとか身につけられるところ。

「人生サバイバル」に敏感な人は、「需要があるスキル」を習得するのがすごい上手です。女性で、大型トラックの免許を取る人とか、建築系の免許を取る人とかいますけど、ああいうの、賢いと思います。

(大型免許、大型特殊免許、クレーン運転士、フォークリフト、高所作業者、移動式クレーン運転士・・・・とか、建築・土木・工場系)

確実に需要があって、職につける道を確保しておく、ってヤツ。

 

PCスキル系も良いですよ。

動画制作、画像制作、web制作、プログラミング・・・・とかそーゆー系ね。

 

ニートやりながら自費で、司法試験、司法書士試験、会計士試験、こーゆーの受ける人、アホですよ、はっきり言って。その分野が好き・思い入れがあるなら良いですけど、学習に関する見積もりだとか、自分のスペックを把握する力とか、現実を見る能力が低い証拠だと思います(意識高い大学生が大体通る典型的な失敗の道ですしね)。

しかも海外で使えないじゃん、っていう。

そう考えると、いかに政策的な供給調節に振り回されるか、ドメスティックな人生に限定されるか、ってことですよねぇ。

「稼ぎたい」とか「高給になりたい」とか「独立してー」とかいう漠然とした動機で、今時そっち系の資格目指す人、危ない。

 

良い大学出てもいないのに、プラスアルファのスキルもないのに、「なんとなくすごそう」って思って、一発逆転狙う人。元フリーターからの一発逆転とか。

仮に受かったとしても、その投資センスの無さは独立する時に響くでしょうね。結局、「雇われ奴隷」の身分から抜け出せないはずです。

中小企業診断士とかFPとかも同様です。

危険物乙4とか日商簿記2級とか宅建とかも、「うーーん・・・・」って感じですけどね、私からすると。

 

時給を上げたい、って場合にはよくよく考えましょう。

何を学ぶか、何を取得するか、何に明るくなるか?っていう点について。

 

でね、ブラック企業で働いている人は、一番大事なのは

ーーーーーーー

キャリアシフト

ーーーーーーー

を考えることだと思うんです。

 

上手にキャリアシフトしていく能力。

 

ブラック企業にいる人は、とにかくがんじがらめになっています。どうしても、そこから抜け出せない・辞めれないという場合には、私だったらその環境の中で自分の「強み」を活かすことを考えます。あるいは、同じ業界の中の別の会社で「強み」を活かすことを考える。

これならまぁ、資格取得とか副業みたいなものより、取り組みやすいんじゃないですか。今の仕事の中でできることですからね。

あと、なるべく、その状況下の中で「換金可能性が高そうなもの」を仕入れておくわけです。何か、今いる環境の中で、将来的な換金に繋がりそうなものがないかを探しておく。

 

組織内にいるのなら、積極的に自分から働きかけて、自分の強みを買ってもらったり、値段をつけてもらう努力が必要だと思います。本当にやる気がある人などは、人事権がある人間などにプレゼンをして、配置換えをしてもらったりとかしてますもんね。会社の中での位置どりを変えるというか。

時給がどうしても上がらなそうなら、とにかく労働の時間と重さを軽減できる方向で、動けないか頑張ってみる。楽になれないか、あれこれ手を打ってみる。

それがうまくいったら、今度は、「自分を取り巻く環境」自体をガラッと変えることを次のステップとするわけです。2段階方式でいくわけですね。

 

まー、生活水準さえ下げきれるのなら、やばい環境はさっさと逃げた方が良いと思いますけどね。

 

昔から、3K仕事ってよく言いますけど、これ加えて、「ダサい」「怪しい」「恥ずかしい」みたいな仕事とかにも目を向けると、チャンスはいっぱいあると思うんですね、私は。

個人的には、「プライドを捨てる」は一気に時給が上がるのでオススメです。みんな、こんな簡単なことを避けたがるのです。嫌がるんです。だから、「よし」って割り切っちゃえば、その瞬間からガーンと時給が上がっちゃう。

希少人材ですからね。

 

やりがい搾取とか、生きがい搾取とか、成長搾取とか、いろんなものがあるらしいですね、人材市場には。社畜の世界には。

でも、西園寺的には、会社で自己実現とかやりがいとか、アホくさいと思うわけ。会社でのキャリアと自分の人格自体を重ねることが間違いと思う。中途半端に、そういう気持ちを持っているからこそ、大多数の人は苦しんでいる。

別に、持って良いと思うんですよ、そーゆープライドは。でも、プライドって能力伴わないと苦しいだけですから。

 

周りの社畜を見ていても、「結局プライドじゃん」「結局人目じゃん」って思ってしまうんですね。

もともと、プラプラしてた人も、正社員になってしっかりした職につくと、友人知人、親戚家族、異性から認められる。手を叩いて歓迎される。あの美酒に酔ってしまうと、人はなかなか抜けきれないわけですわね。

 

 

 

▶︎第3部 : 人生について

 

さて。

この生き馬の目を抜く厳しい社会で、本当に役立つスキルは何か、どうすれば身を立てることができるのか、というのを真剣に考えてきたのが我が人生でございます。スキルハック、ライフハックとゆーのを真剣に考え、哲学レベルからあれこれしてきたのです。

そこで、今回はジョーク込みで、リアルガチに人生サバイバルで重要なお話をしていきたいと思います。

 

 

<1.生活水準を落とすスキル、戦略的キャリアダウンスキル>

一番大事なのはこれです。生活水準を落とすスキル。どん底でもヘラヘラしてられるスキル。

生活水準さえ落とすことができれば、生活ができないということはありません。そもそも、高校生でも学校行きながら月20万稼げるのが今の日本社会。ここで飢えるということはまず無いです。

常識と人付き合いと見栄、プライドから解放されるスキルと言ってもいいかもしれません。すべてを失っても、ゼロになるだけだと本当に開き直れているかどうかはかなり重要です。

SNSで友達と繋がってなくても、友達が開催するパーティーに行けなくても平気な能力。孤独でも、ご飯食べて、寝て、自然を見て、「幸せだなー」って感じる能力。これ、大事ね。

 

あと、若いうちに猿のようにセックスしまくっておくと、割と色欲耐性もつきます。性欲というのは凄まじい欲求で、臭いものに蓋する感じにしておくと、必ず悪臭を放ち発酵し始めます。だったら、若いうちに、欲望に身を任せておいた方が良くないですか。西園寺さんは20代前半まで、本当、街ゆく女の脚と谷間ばっかり見てましたからね。まぁ、今も見てるけど。

 

お金と時間にある程度余裕を持てるような成功を手に入れたとしても、別に大したことはないんだな、とゆーことを若い年代のうちに存分に味わっておく、悟っておくことも重要かと思います。昔、不動産ビジネスで成功して時間とお金を持て余しているおじさんと喋ったことがありますが、

ーーーーーーー

「やべー、バイトしてぇ!!、情熱を持って働きまくりたい!時給は最低賃金でもいい!というか、別に今の環境や財産をすべて失ってもいい!」

ーーーーーーー

って言ってました。おじさんは独身でした。その気持ち、よくわかります。

 

このおっさんは、ゼロから成り上がったことを自慢してたので、もう一回同じことができると信じてやまないのでしょう。

 

西園寺さんはポケモン世代ですが、ポケモンは全クリアしたら、つまらなくなるので、データを消して最初からやりなおすのが楽しみ方の定石です。人生も同じことが言えます。ジョブズは事業を三回成功させました。ましてや、自分を食わせるためのスモールビジネス、これの1回すらまともに成功させられない人は・・・・・・・・・・。

人は人生ゲームで1発当てるだけのことで四苦八苦します。

 

ちなみに西園寺さんのポケモン攻略法は、「強い敵と戦って死にまくる」「アイテムを買いまくる」でした。やはり、「限界ギリギリを攻める」ことや「投資」というのは成長のために欠かせない概念です。

また、いい歳になるまで、興味本位でいろんなシリーズをやってましたが、毎度毎度、自分のパーティに決定的な特徴があることに気づきました。

それは、

 

===
「最初のポケモンは必ず残る」

ex:カメックス、リザードン
===

===
「汎用性高いポケモンは必ず残る」

ex:ピジョット、カイリュー
===

*(別に思い入れはないんだけど、ダンジョン攻略や戦闘などあらゆるシーンで便利、もしくは手放せなくて残り続けてるタイプだったりする。こいつが勝負所で、最後の決め手を放ってくれて、「今まで冷たくしてごめんね」という気持ちになります。)

===
「打たれ強さ」はなかなか侮れない

ex:カビゴン、ラッキー
===

===
「スピードと特攻精神は侮れない」

ex:マルマイン
===

===
「伝説のポケモンとピカチューは使えない」
===

===
「え、こいつなんでこんなことできんの?」ってやつは残る

ex:ギャラドス、ニドキング、ケンタロス、ラプラス、スターミー
===

===
「特殊なやつ」は残る

ex:フーディン、ゲンガー、ルージュラ
===

===
「反則レベルで最強」はゲームが殿堂入りしてから(一度あがってから)。

ex:ミュウツー
===

===
「万能」は幻

ex:ミュウ
===

です。

 

つまり、

「最初から一貫して付き合い続けたものは大体強い」

「応用性高いものはやっぱり残る」

「メンタルや打たれ強さ、根性、粘りは大事」

「スピードと特攻精神は勝負を覆し、敵を驚かせる」

「華や知名度、煌びやかさが目立つものは意外と使えない」

「パラレルキャリアは便利」

「特殊な能力、技は重宝する」

「一通り終わらせないと最強を手に入れられない」

「万能は幻」

です。

 

まさか、そこから学んだエッセンスが人生全般に応用できる法則になるとは、当時は思いもしませんでした。

え、こじつけだって?

結構、ガチですよ。

 

  1. 一貫して何かを磨き続ける
  2. 応用的なものを習得する
  3. やっぱメンタル、マインド
  4. スピード、特攻精神、度胸が局面を打破する
  5. 花より団子(名より実を取る)
  6. 一つのキャリアに安住しない
  7. 特殊な能力を身につけ、特殊な存在になる
  8. Done is better than perfect.
  9. 万能幻想に囚われない

ですね。笑

 

RPGゲームって、結構、人生を学ばせてくれます。

私がFFやドラクエにはそこまでハマらず、ポケモンにはハマった理由は何かなー、と思ったら、やっぱりポケモンは、「敵だった存在が、味方になる面白さ」だと思うんです。モンスターは倒して終わり、ではなくて捕まえることができます。敵として戦い、その強さがよくわかっている相手ほど、味方になった時の頼り甲斐ったらありゃしませんよね。また、敵を見つけたら倒すばかりが芸ではなくて、味方にする、というのはより現実世界に近い表現・描写だと思うわけです。

また、ポケモンは「6匹しか連れて歩けない」「ポケモン1匹が覚えられるワザは4つ」というのも素晴らしいルールだと思います。たくさんのチャンスがあるけれど、そのチャンスの中から選べるのはごくわずか、というのは現実世界と近い設定だとすごく思うんです。

人生でも、人が持ち歩ける武器領域は生涯かけても6つ程度でしょう。現役の全盛期間中は、実用に耐える水準の武器は、現実的にはせいぜい3つが限界なように思う。

 

しかも、3つ程度に絞る場合と比べ、6つをフルに伸ばそうとすると、それぞれの経験値・レベルを積むのに相応の時間や労力を必要としてしまいます。そこまで勉強しまくる・仕事しまくる人生もねぇ・・・・微妙よねぇ・・・・。

「相性」の考え方も大事ですね。ポケモンの世界にはタイプ相性が存在し、相性は場合によってレベルの劣勢を跳ね返します。人は、物事をついつい「レベル」「経験値」「技量」「技術」といった軸でばかり見がちですが、「相性」という見方もできるようになると尚更良いと思います。

人事全般に言えることですが、「相性が合わない人」「適性がないスキル習得」「向かない仕事」・・・・こういうものと戦うと大変です。非常にHPを消耗します。

 

それと、ポケモンが画期的だったのは1つのゲームソフトで完結しないこと。友達と戦ったり、交換したりすることに面白さがありました。

つまり、「自分のいる世界」とは「別の世界」の人と交流し、切磋琢磨したり交換したりすることの重要性を教えてくれます。人生で言えば、業界外とか海外を見ろよ、ってことになるでしょうか。

 

金、経験値、レパートリー、相性、選択、交換、外の世界・・・・・。

 

いやー、ポケモン。

学べますねー。

 

 

<2.バイトリーダー化能力>

比較的、間口が広い仕事、例えばバイトや派遣社員などで仕事をスタートして、職場にスッと適合し、仕事を覚え、そのうち頭角を現すようになり、信頼されるようになり、職場の人間に認められ、仲良くなるようになり・・・・・

という能力を「バイトリーダー化能力」と勝手に読んでいます。バイトなら間口は広いだろう、という理由でそう命名しました。

どんな時でも、仕事は探せばある、選ばなければあるはずです。そうやって見つけた仕事先で、しれっと入っていき、しっかり適合し、頭角を現していける。

その成果と実感を、3、4回ぐらい、全くジャンルの違う職場で繰り返すことができれば、こう思えるようになるでしょう。

「あぁ、自分はどうにでもなるな」

 

どんな職場にも、嫌な人間というものはいるものです。特に、バイト界隈には、チャラチャラした「音楽活動も並行してます」と言わんばかりの、20代の彷徨えるバイトリーダーがいて、その人は現実世界で満たせない自尊心を職場で満たそうとしていたりします。すごい偉そう。

そして、そういう人が、30代〜50代の人に、「呼び捨て」・「タメ口」・「〜ちゃん呼ばわり」していたりするものです。

本当にあるんですよね。40代・50代のおじさんが20代の人に「〜ちゃん」扱いされているシーン。

 

ーーーーーー
「●ちゃん、よくできたジャーン!やるジャーン!」
ーーーーーー

とか言って肩スリスリされてるシーンとか。笑。

こーゆーの、発狂しますか?

私は全然。

(歳を取れば有能化する、ってのは嘘だと思っているんで。)

これは、プライドの高い世の中の人間が、レールを外れるのを恐れる理由の筆頭にきそうですね。笑。おとなしく社畜やっていれば、一回り以上も下の世代に雑な扱いをされる可能性はグッと低くなる・・・・と、みんな考えてそう。

 

西園寺さんが20年後くらいに、どっかでバイトして、今の小学生世代のバイトリーダーに、

ーーーー

「西園寺ちゃ〜〜〜ん、こんなこともわからないんでちゅかぁ〜〜〜」

ーーーー

って、すっかりハゲ散らかした頭をなでなでされながら嫌味を言われたら、

ーーーー

「そうなんでちゅよ〜〜〜」

ーーーー

って言いながらニヤニヤしようと思います。

陰で「マジでゆとりのハゲは使えねぇぜ!」とか愚痴られているのでしょうか。

(それ、人工知能に言われるよーになってたら笑えますけどね。笑)

 

泣ける・・・・。

その際は、なけなしのお金を握りしめて風俗に駆け込み、「●●ちゃん、おっ、おじさん、きっ、気持ちいいよぉぉ(パンパン)」ってストレスを発散することにします。(プライド無さすぎ。笑)

その頃は人工知能を搭載したダッチワイフとセックスする時代なんでしょうか。

 

西園寺さんは高校生年代から働きまくっていて、おかげで現実社会における下層の労働環境の酷さや、人間関係のドロドロぶりをたくさん見ました。特に女は怖いですよ、女は。男はあっさりしているからまだ良いけど、女がやばい。まじで。

OLやっている子とかと話をすると、だいたい、職場における「やばいおばさん」のヤバさを聞かされますが、女の世界って大変だな、っていつも思います。

 

西園寺さんは幸か不幸かわかりませんが、中学時代はなぜか「私の年代」だけ超スパルタな軍隊風の校風で、そのくせ、やばい先輩がバット持って、挨拶しない後輩を校外でしごくという悲惨な環境で揉まれ、高校に入れば働きまくって現実社会の洗礼を受ける・・・・

というように、若い頃から変な苦労をしてしまいました。

もっとお上品な家庭に生まれて、お上品なお友達に囲まれたかったなぁ。

本来、おとなしくて真面目な「世間知らずボーイ」だったのに、やたらと現実の嫌なものをたくさん見て育ってきてしまった。強烈なものに揉まれ、過酷な労働環境への耐性が不本意ながらついてしまった部分があるのです。

若くして。

 

私が労働を忌避するようになったのは、こう考えると致し方ない経緯ですが、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という昭和臭いフレーズを「ウゼー」って思いながら育ってきた、ゆとり世代らしい感性がある反面、「一理ある」と思ってしまう気持ちがちょっとだけあります。若いうちに苦労すると何が良いかというと、限界の枠が不本意ながら広がってしまい、それが将来自分の身を救うことになる場合がある、ということだと解釈しています。

した方が良い苦労と、しない方が良い苦労ってなんなんですかね。

個人的には、

  1. 若い時代
  2. 「最低」と「限界」の物差しの幅が拡張される

の2つが揃うなら、した方が良いのかな、って。若い時代に、低い基準(もうあれは嫌だってやつ)を体験しつつ、自分の限界が引き上げられる経験をしておくと、後々役立つかなーって。

 

人間、喉元過ぎれば熱さを忘れるので、将来的に自分を長く支えてくれる「応用的な何か、基盤」を身につけるため、「朝まで呑んでオールして、その後出勤してもピンピンしてられる年代」までに、多少無理をしてでも根性を発揮し、限界突破しておく経験の重要性を、私は否定できません。西園寺さんは、「根性」という大事なスキルをその時に身につけました。そして、その無理ができる年代というのは、21歳ぐらいまで、だと思います。私も21くらいまでは、2日ぐらいはフルで働き、睡眠ゼロで夜通し呑み明かしてもピンピンしてました。

まぁ、とりたててオススメはしませんけど。

もう、今はそんなこと、100%無理です。おじいちゃん化しています。

 

40歳以降の人生はアディッショナルタイムと考えると、その折り返しであるハタチちょいぐらいまでの経験で、その人の基準や常識が固定化するのは致し方ないでしょう。大学卒業するぐらいまでに、どういう苦労をしたかで、その人の土壇場力は大まかに決まってきそうな感じは、個人的にはします。

私は、自分にとっての幸せな労働環境の基準値が低い。その上、自分の限界の枠を、無理やり広げられてしまった。それが我がティーン時代。

 

今、社畜をやっている友人・知人たちが会社に対して抱いている愚痴や文句を総括すると、

「自分が無能扱いされることへの苛立ち、不満」

「自分がやりたいようにできないことへの不満」

「上層部への不満」

「自分があのポストにつけばそれなりのことができるのに、そこに引き上げてもらえない、正当に評価してもらえない」

といったような、「やりがい系」の観点から文句を聞かされます。

 

一応黙って聞いているのですが、私は、内心、「うーん」って思ってしまいます。

そもそも、会社に自己実現なんかを求めるのが間違い、やりがいなんかを求めるのが間違いだと、現実主義の私は思ってしまうわけです。そーゆーのを求められる会社もあるのかもしれないけどねぇ・・・・。若い頃からバリバリ実力主義でやれて、上が見えて・・・・・ってのは外資系とかに限られるんじゃないかな、って。

 

そもそも、非実力主義の業界・会社の良いところは、自分が歳をとった時に、会社に対して、若い時に奉仕した分のTakeができることであって、若い頃は割が合わなかったことも長期的に見るとwin-winになってたりすルものです。だから、そんなに視野狭くて良いの?って思ってしまう。まぁ、その未来が信じられないんでしょうね。年金不安と一緒ですね。

西園寺さんからすると、会社勤めの良い点は、

  • ビジネスモデルを学べる
  • 場合によっちゃスキルを学べる
  • 長い目で見れば会社に助けてもらえることがあるかも
  • 結婚適齢期にそれなりの社会的信用、生活基盤がある状態が整う
  • 給料が保証されている度合いが高い

ですね。

同級生を見ていて、「結婚しないのに、会社で学ぶこともない(らしい)のに、将来的にリターンが無さそうなのに、超きつそうな労働環境で働いているし、会社員の信用力を活かして他に何かをしようとするワケでもなしに、会社にやりがいと給料の上昇を求めて何をやってんだ?」とよく思います。

 

そもそも、サラリーマン社会に正当な実力主義評価を求めているのも、私からすると「?」って軽く謎です。サラリーマンで出世するって、世の中の立身出世の中で最高難易度ですよ。変数が多すぎる上に、狭き門ですからね。無理ゲーでしょ。

会社の中で自分のプライドを満たそうとするから、会社でイラついたり、不満が出てしまう。

「好き」と「仕事」を同化させすぎたり、会社の中で「自己実現」「やりがい」みたいなものを求めすぎたら、そりゃ、ストレス溜まると思うわけです。

 

そして、思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そもそもお前らコモディティじゃん!俺がお前ら雇ったら月給2000円だぜ!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

って。

 

そもそも君らにそんなこと言える器ある?って。

 

転職っていっても同じ業界だけだし?

特殊な業界の特殊なポジションだけでしか生きれないし?

ポストとか席にしがみついているだけだし?

外国人にやらせた方が安い仕事だし?

機械にやらせた方が安くて正確な仕事だし?

組織の中で資源と看板与えられているから仕事できてるだけだし?

結局評論家だし?

 

新興国の人間がどれだけ勉強してきたか知ってる?

 

ーーーーーー

「俺な、4ヶ国語喋れんねんで!中国語とな、英語とな、日本語とな・・・・あと1つ、なんやと思う・・・・?関西弁やで!!爆笑(ケラケラ)」

ーーーーーー

とかいって、自分が使える言語に「関西弁」をカウントするという、関西人もビックリの「オチ」を、流暢な日本語と気持ち悪いエセ関西弁のMIXトークでかましてくるシンガポール人の知人は、コンピュータサイエンス系の院を卒業後にアメリカで初任給5000ドルくらいの仕事に就職していきましたよ。

大学時代は遊んだことないし、「奨学金の借金を返すために、あと数年は働き詰めだー、勉強だらけの日常が終わったら今度は仕事だらけ」とかケラケラしながら言ってましたけど、これがグローバル人材の上層です。

シンガポール人ってバイリンガルであることが普通ですからね。しかも、この先、明らかに重要度が増す中国語に明るい、コネクションがあるって人が多い。それ、強いですから、ほんと。

才能もスキルもないのに、大学時代にサークルと女遊びにうつつを抜かして、TOEICの点数ごときでどうこうしてきたジャパニーズが勝てる相手ではありません。

世の中が、製造業から情報産業に軸足を移していく中、K-popコンテンツで世界的に躍進しているお隣韓国。彼らが直近数十年で国策的に取り組んできた全国民的スーパーハードラーニング、超競争社会の形成と、それに伴う進化などを見ていると、これからは国家的に資源が乏しくても「ネット」「情報産業」「語学」「勉強力」といったものを活用して新興国の人材がどんどん躍進していくでしょう。

韓国の自殺率の高さと働きっぷりもエグいね、なかなか・・・・。

インド人の数学力やコンピュータエンジニアリングでの強さ、中国の可能性、シンガポール人の語学力や勉強力、ヨーロッパ人の知性と戦力的ポジショニング能力・・・・・こういうのをマジマジと見ていると、本当に考えさせられます。

 

ーーーーーー

「私、頭良くないし勉強はすごい苦手で・・・・。でも、日本で働きたいの!だって、日本は天国だから!」

ーーーーーー

と、自分の賢さを超控えめに語るこれまたシンガポールの知人女性は、英語と中国語と日本語を使いこなすトリリンガルで、USCPA持ってましたね。日本で働くのを狙ってると言ってたなぁ。

 

オーストラリアから日本の会社に来て働いている友人も、本当はアメリカで働きたかったけど(ぶっちゃけ日本の国民性は好きじゃない)、アメリカは競争が激しすぎる、でも、自分が働きたい業界の選択は譲れない、とのことから日本に来てます。慣れない日本語と格闘しながら頑張ってる。

「仕事は余裕だし、日本人は生産性低すぎて、自分は仕事を早く終わらせて時間が余っているぐらいだけど、『日本語』と『日本的コミュニケーション』がよくわからない」

と頭を抱えてます。

自分が就職した業界、やりたい仕事のジャンルのために、文化も言語的特性も全く違う国に、若くして飛び込む度胸と行動力がある。

 

そもそも、海外じゃあ国選びから職探しはスタートするのが普通。英語圏の人間たちは世界規模で就職をしていっているし、それに続けと言わんばかりの、非英語圏の国もたくさんある。

 

あ、あと、日本は学生の感覚もだいぶおかしい。インターンをバイトと思っている人がほとんど。無能だし、就職するかわからんし、おまけに「ビジネスモデル」とか「ノウハウ」を平気でパクっていくような危険性がある若い人たちに、時給払って働かせるのが日本企業。超優しいですよね。海外だと、無償で労働力を提供するので経験を積ませてください、が普通。

日本だけですね、こんな超ドメスティックで意味わからないことしているのは。これ、あとあと、絶対痛い目見ることになるよね。

 

日本語と、複雑な日本的コミュニケーション、この2つが参入障壁になっているだけであって、これが崩れると、というか移民系の法案が変わるといよいよ、エグいことになってきますよ。既に、日本語とか日本的コミュニケーションとかどうでも良い分野、領域から外国人の参入が相次いでいます。

「日本に生まれてラッキー」

は確かにそうですが、本田圭佑の言うように、環境に甘えたら大変なことになるでしょ、この先。今の10代〜30代はキツイよ、これから。

 

西園寺さん、最近TWICEにハマっているんですけど。

観てください。かわいいでしょ。ナヨンちゃんとサナちゃん、かわいいでしょ。

 

メンバーのうち、三人は日本人(サナ、ミナ、モモ from 関西)ですよ。

もはや、今の日本の10代は、韓国に行って芸能デビューし、逆輸入される時代ですよ。

 

グローバル化ですよ。

 

そもそもこの国は外圧により平気で国の方向性変えられてしまう国家なので、そのうち、グローバル化の潮流というのが目に見えるような形になるでしょう。いや、もはや目に見えているんですが・・・・。

本物のグローバル資本主義がやって来ます。おそらく、大方のジャパニーズ社畜がキンタマ縮み上がる展開になるはずです。

日本語・日本文化という参入障壁、終身雇用と年功序列による人事体系のバリア、そして、一種の互助会・保険制度として機能している会社という制度やシステム、

・・・・・というお気楽な仕組みは果たして、今後続くでしょうかね。

 

 

・・・・・。

そもそも、クラウドソーシングが普通になってきているので、グローバルレベルで競うような宿命の仕事は、すでに競争が始まってますね。プログラミングとかはそうですね。

 

こうやって考えると、まぁ、日本の会社で、無能なくせに意味わからないプライド?希望?を持っている人たちは割と悠長です。

でも、意外と、今の日本のサラリーマンって「給料が少ない」って嘆いている人は少ないように思います。そこらへんは現実的です。きっと、多くの人はわかっているんでしょうね、バイトでもなんでも複数掛け持ちした方が稼げるとか、デリヘルのドライバーかなんかでも、週末にやれば稼げるってことは。

 

「今いる会社の中で給料を上げたい」とか

「今いる会社の中で正当に評価されたい、自己実現したい」とか、

そういうことを思っているから、おかしくなる。希望のベクトルがおかしい。

 

雇う側の視点に立ってそれを考えれば、それがいかにおかしい考えか、叶わぬ願いか、一発でわかります。

私、基本的に、世の中の人がハッピーになれない理由は、「希望を持つべきではないところに希望を持っている」っていうのが筆頭に来ると思っています。方向性がおかしいっていうか。

 

希望を持っちゃいけないところに希望を持つことをやめて、

身の程をわきまえて、

いざという時にはプライドを捨てて働けるようになること、

どこかでどうやってでも馴染んでいくこと。

これが本当の「食いっぱぐれないスキル」かもね。

 

(稼ぎを増やし、生活水準を根本から引き上げたいのであれば、副業・独立起業にしか希望はないでしょう)

 

そもそも、「自分の値段」を感じ取る自覚力と「需要」がわかってれば、食いっぱぐれないでしょ。

「食いっぱぐれない●●!!」とかの前に、自分の値段を見極めることができれば相応のところに収まることができるので、職はある。私はそう思ってます。なので、「いざという時はブラック企業万歳」ぐらいに思っておけば、なんとかなるでしょ・・・・・って、マジで思ってるフシがある。

福沢諭吉先生に言わせると、高い自己評価にその実力が伴わない人物は、自分が就ける仕事は全て自分には合わないレベルの低いものに見えてしまい、結果として本人のレベルに合った仕事に就くことを好まないんだそうですよ。

 

西園寺さんなんてもともと底辺だし、周りからボコボコに言われまくるとか慣れちゃってますからね。

10代で労働に絶望して、元カノに浮気されて絶望して、学校の勉強に絶望して、自分の才能の無さに絶望して、友達付き合いの下手さに絶望して、ニートもやったことあるし、18歳ぐらいの時までには低時給14時間労働の経験をしたこと有り、とか、一通り絶望しているので、全然へーき。学校の先生、親親戚、友達から奇異の目で見られたこともあるし。

友達いなくなっても、彼女できなくなっても、親・親戚と疎遠になっても、ニートになっても、「え?それの何が絶望なの?」ってノリなので全然へーき。

 

しかも、小さい頃から戦争映画を観るのが好きだったんで、「おおおおお、今の時代、この国、よゆー」って思っちゃってたし。

 

ってか、明らかに、世の中見渡せば、変な奴でも変な生き方して食ってるからね。プライドと見栄さえ捨てればどーにでもなるでしょ。

西園寺さんがレールから外れた生き方をして一番感謝しているのは、「●●でなければならない」っていうのが頭からポンポンポーンって消えていったことです。

 

「独身なの?」

「おい、ニート!」

「負け組だね!」

「ハゲ散らかしているね!」

「臭いね!」

「痛いね!」

「友達いなくてかわいそう!」

「おい、この無能!」

「社会不適合者!」

「カス!!」

 

とかこの先言われることになっても、「へ?どもども!!」って言い返せるようなメンタルを若い頃に形成して良かったー。

ましてや、アメリカ人とか、内陸の方はアジア人ってだけで「このファッ●ンチャイ●ーズ」みたいなノリの人たくさんいますからね。笑。もう、人種で完全アウトみたいな世界があるんですよ。

日本にいて、「このファッ●ンチャイ●ーズ」とか言われることないでしょ。笑。日本人だし。笑

 

人種差別をくらわないありがたさね、まず。

 

まぁ、そもそも私、自分のこと有能って思ってないですからね。自分のこと、有能・無能とか思う前に、成果出すことに固執してしまった。やることやる能力?そーゆーこと考える前に、さっさとやっちゃうので。

あと、プライドとか、そーゆー飯が食えないものについて、どーでも良くなってくるんですよね、真面目に成果に向き合っていると。

プライドくすぐられたからやる気出たー、とか、プライド傷つけられたから凹んだー、とかそういうのがどうでも良くなってくる。そして、いちいち、職業と自分を同化させなくなる。そりゃー、振り幅ある人生を送ると、いちいち肩書きと自分を同化させなくて済みますわ。浪人とかニートとか無職とか、社会的にニュートラルな期間を過ごしたことがない人って、「●●生」とか「●●株式会社●●部」みたいな肩書き失うと一気にシュンってなるでしょ。

サラリーマンとか公務員とかって、仕事と人格重ねまくってるからね。

 

もう、西園寺さんとか「無職」とか「ニート」とか、ラベリングはなんでも良いですから、ほんと。

 

そして、純ジャパの人生、余裕。

 

 

<3.ヒモになる能力>

知人の女性が昔、こんなことを言っていました。

「将来、起業したい(自分でお店を持ちたい)から、今、婚活しているの」

これ、ちょっと「え?」って思いますよね。因果論理がおかしいというか。なぜ起業したいから婚活しているのか。それは、「セーフティネット」を確保するためだそうです。自分がやりたいことをやって軌道に乗せようとしている間、収入が無いのを支えてくれる相手が欲しい、と。笑。狙い所は公務員なんだとか。笑。

そのためにガチでプランを立てて実行していました。

今風に言えば、「家庭内ベーシックインカム」か。

金のために結婚する、というのは狂気の沙汰と言われたりしますが、社会が厳しくなってくるといよいよその「狂気」さえも真剣に打ち手として検討しなければならない層が出てきます。

給料の良し悪しのみならず、安定性とか、業界の違いによるリスクヘッジとか、社会的地位とか、そういう要素は職業によって違うので、結婚によって経済力を補完するという考え方は良いと思います。

 

最近は、男性が結婚相手に経済力を求める風潮が強いですね。「自分より稼ぎが良い女と結婚したい」とか、「ヒモになりたい」とか、「専業主夫になりたい」とか言っている男性、増えてます。私の友人も、キャバ嬢のヒモになりたいと言っていました。

彼曰く、ライバルはチワワなんだとか。「『家事ができるチワワ』で差別化する」だそうです。真顔で言ってましたけどね。

面白過ぎて吹き出しそうになりました。

 

いやー、西園寺さんもヒモになる能力を次は磨こうかな。

チワワ化する能力。

 

この話、結構バカにできなくて、フラフラしてても生きている人ってなんか、女の人に助けられてたりするんですよね!

 

まぁ、ガッツリ、ヒモになるかどうかはさておき、ダブルインカムのパワーは侮れません。稼げる女性とつながるパワー?

「コモディティ化・マジョリティ化」しているのに、専業主婦をお抱えに走るなど、西園寺からすると「メンタルつえー」って感じ、マジで。まぁ、カッコいいけどねー。西園寺さん、かっこよさゼロなんで。

 

親戚のおじさんに、

「男は女と家族を養って一人前になるんだぞ!」

って言われて

「へー・・・・・」

っつって、カルピス飲みながら聞き流してたよーな人間ですからね。

 

自分一人で自分の幸せを、ある程度完結できないのに人と結びつく。すると不幸になると思っています。なので、「背負う」「養う」みたいなのがよくわかんない。

そもそも私、人は救えないって思ってますから。

自助独立以外ありえない。外部からはお膳立てができるだけ。

 

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っていうか、実は、ここでツラツラ書き綴っている現実的なアイデア自体も、その多くは女性から吸収したりしています。

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西園寺が接する限りでは、世の中の女性は非常に「現実的」に行動をしているように思えます。そして、私が意見を聞く限り、

  • 「やりがい」とか「自己実現」とか幻想、自意識過剰。
  • 多くの男は、「俺特別」って意識をもっと抑えたらうまくいく。
  • 毎日つまんない顔して帰ってこられても困る。
  • 自分がいざという時に助けられないのは嫌。
  • レールを外れようとしているのを止めるのは、「ポテンシャル」が無さそうだからで、ポテンシャルありそうな人には何も言わない。っていうか、女に止められた時点で諦めるなら、もう「向いていない」と思う。
  • 変な生き方をする人間と一緒にやっていくのは、それなりの覚悟が必要だしそれなりのバックアップが必要だから、何かやりたいのなら若いうちからさっさとやっておけ。
  • (チャレンジについて)やろうとしていることの内容と年齢による。
  • 失敗したら、プライドを捨てて職を選ばず働け。
  • その人が何をしているか、どんな職業かってより、その人がどういう人か次第。

ってな感じの人は結構多いよーな気がしてます。

結構、良い意見じゃないですか(そして、女性というのは辛辣ですね)。

結婚当時、サラリーマンだった人が「何かやる」「しかも30越えてから」みたいなのが、嫌なんでしょうね、女の人は。

 

もちろん、中には面白い人もいて、「私も一緒にやる!!」とか、「私もなんかやりたい!!」とか、「別にニートになってもフリーターになっても可愛かったら許す!!」とか、いろんな意見は存在します。

マジで。笑笑。

世の中広いし。

あー、あと、地域によって女性の、「男が何かやろうとしていることへの受容性」は全然違いますよ。

そもそも地域によってモテる職業が違いますからね(地方は公務員がモテる、とかね)。

 

ましてや、外国人とかになると話はもっと別。

外国人の場合、「その仕事愛しているの?」とか「ライフスタイルは充実してんの?」とかそういうことを聞いてくる人が多いような気がする。

 

なんか男って、

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「男:俺が守るからね(ハート)」

「女:うん(ハート)」

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みたいなのを考えている人が多いのかもしれませんけど、ほら、夫婦って、だいたい先に死ぬのはおじいちゃんだし、痛みとかに強いのって、人体設計的に、女の方ですからね。爆笑。

基礎モデルが女にあるから、男にも乳首残っているんだって話を聞いたことあるけど、真偽のほどは知らない。

でも、生物学的には男性が異常設計で、女性が正常設計らしい。

 

女が強いんですよ。

メスが強いんです。

 

ほんとはね。

 

か弱いフリしてるだけでしょ!めっちゃ強いから!

(社会の現実・真実を見れる力がある人は、世の中は女中心にまわっているとわかるはずです)

 

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女より男が強いと思い込んでいる人は、社会の洗脳に騙されてます。

生物学的に、女は妊娠・出産期に行動不可能になるから、
強いオスを求めて「か弱いフリ」をしているだけです。

女性とたくさん接し、女性の真実を見ている人は明らかに女性の方が強い・有利であることがわかるはずです。

 

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  • 子供の男女別の病気率 → 男の方が高い
  • 男性の自殺率は女性の2倍、女性の鬱率は男性の2倍 → 女性の方が、ホルモンバランスを崩すイベントが多く鬱になりやすいのに、男性よりも耐えていると言える(男よりメンタルも肉体も強い)
  • 平均寿命は女性の方が長い
  • 1つの卵子に億の精子が群がる → これが男女関係の基本構図
  • 将来的にマラソンの世界記録は女性が男性を上回るといわれている
  • 日本の女は世界市場でモテる (日本の男は世界市場で絶望的にモテない)

 

はっきり言いましょう。

女性が男性よりか弱いだなんて「大嘘」です。

 

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女性経験が豊富な人や、女性のシスターがいる人は、明らかに女性の人間としての優位性、社会的な優位性に気づいているはずです。

 

弟がいる女性が、男の前で、

「かまってぇ〜〜〜〜〜(ハート)」

「ぎゅ〜〜〜〜してぇ〜〜〜〜〜〜(ハート)」

とか言っておきながら、

 

弟の話題になると、

「あいつまじで、女に興味ないのか、心配なるわ」

「変な女連れて来たら、こ●す」

「マジでナンパぐらいして来て、1発かましてこいっていつも言ってんだけどなぁ」

「いつもお節介だっつって嫌われんのよな」

「あいつ服ダサいからお姉ちゃんが買ってあげないといけない」

と、態度を一転させてブツブツ語る姿。見たことあるでしょ?

 

同じ「男」を前にしているのに、弟という存在になると頼もしいアドバイザー、加護者、上司となって弟を支援する姿であったり、

母親になった時の強さ、

おばあちゃんになった時の強さを見ても、

 

「あれが明らかに女の本性」でしょう。

 

女性経験が少ない人や、異性のシスターがいない男は、なんとなく社会のステマに騙されて、過剰に女性のことを背負おうとしがちです。男の甲斐性なるものを発揮し過ぎようと気負ってしまう。まー、確かに、そういう場面は男心くすぐられるし、女性は女性で可愛いリアクションするからねぇ。

少女漫画に出て来そうな、「ややうつむき、赤面、照れ笑い」とか神的に上手な子とかいますけど、もう、あんなものは「俺男!!」ってテストステロン出まくっている男は興奮しちゃうワケね。

 

しかし、それをやればやるほど、相手は、

「ラッキー」

って思うだけです。

 

もっと女を頼った方が良いよ。笑

 

西園寺さん、女に相談ばっかりしているけど、女のアドバイスは的確。

逆に、男の場合は「アドバイス」の仮面を被った「俺すごいPR」が返ってくるだけなので、本当使えない。

 

===
※この言説は、西園寺の独断と偏見に基づくものであり、
全ての女性に当てはまるわけでも女性を侮辱する意図があるわけでも
ないことをご理解の上、用法・用量を守って正しく鵜呑みにしてください。

ピンポーン
===

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

話変わります。

 

この前、テレビで街頭インタビューやってたんですけど(youtubeで観た)、

「なんで日本人夫婦はセックスレスだと思いますか?」

っていう質問を路上の人にしまくってて、奥様方が、

 

ーーーーーーーーーーー

「いやー、疲れてそれどころじゃないですよね」

「やっぱり子供生まれてからはねぇ」

「いやー、、、もうちょっと、無理ですよね」

「やることが多すぎて、それどころじゃない」

「もう、そんな気持ちじゃない」

ーーーーーーーーーーー

 

とか色々言いまくってたんですけど、

そのあと、外国人夫婦にマイクが向けられた時が面白かった。

 

ーーーーーーーーーーー

外国人夫婦 「そりゃー、無理だよ!!あんなに働いてんだもん、日本人は!!」(男女声揃えて)

ーーーーーーーーーーー

 

・・・・・・・・笑

 

育児に力入れすぎ、もっとベビーシッター使えとか、

働きすぎとか、

男が家事しなさすぎ、とか色々言ってましたね。

 

ちなみに、外国人夫婦は、日本人夫婦よりもラフな格好(安そうな格好)してたし、休日は公園とかで夫婦の会話の時間を作る、みたいなことを言ってました。

 

日本の主婦は・・・・

ママ友とランチ。笑

しかもシャレオツなところで、シャレオツな格好して。笑

 

結婚したことないんでわかんないんですけど、夫婦が別の作業をするのが当たり前化したのは「サラリーマン&専業主婦」という組み合わせが生まれてから、だそうですよ。共有時間が違えば、すれ違いが生まれる。そりゃそうですわ。

彼氏・彼女レベルでも、メッセージアプリのやりとり回数が減ると、あれじゃないですか。ねぇ。

 

働き方改革した方が良いですねぇ。

 

西園寺さんなんて、

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女:「ねぇ!何しているの!!」

西園寺:「本読んでいる!!」

 

女:「本読まないで!!」

西園寺:「わかった、あと10分したらやめる!!」

 

女:「10分待てない!!」

西園寺:「じゃあ、こっち来て!!・・・・ハイ、ちん●しゃぶっといて!!」

 

女:「なんで!!バカじゃないの!!!笑」

西園寺:「しゃぶられると、クリエイティブなアイデアが出るんだよ!!」

ーーーーーーーーー

 

という会話を、ズケズケと上がっていった人の家で、交わしてますからね。

ひどいですねぇ。

 

まぁまぁまぁ、ということで、

「男の甲斐性が・・・」とか、そんなチンケなことは場合により、言ってられない時代がいよいよ到来中。

そもそも、自分より有能な女性なんてゴロゴロいるでしょう。そういう人に手助けしてもらった方が良いよね。女の人って男の人と頭の動き、全然違うし。同時並行で何かをやる能力、高すぎ、マジで。

なんなん、あの、LINEしながらいつの間にご飯作ってました、みたいな能力。

 

女性は男が1つのことにしか集中できないのが理解できないらしいので、「ねぇ、聞いているの!!」とか「返事遅い!!」とか怒られるハメになるわけですね。

最近、ノマドとかブログで食うとか、意味不明な職業が増えてますが、そういう人たちは総じて嫁が優秀です。嫁の能力、稼ぐ力、職業がしっかりしている。

イーロンマスクとか、ホリエモンとか、起業時に彼女を巻き込んでますよね。いいですねー。それぐらいやった方が今の時代は良いのかもしれません。

 

 

出会い系サイトで、

「飼い主募集中♪」

とか、

「かまって(ハート)」

とか、

「金欠ぅ」

とか、

「飼って(ハート)」

とか、

「2・5 ホ代別」

とか、

「王子様どこ〜〜〜」

とか言っている人たちに「Internal Cum」をかまして、気がついてたらパパになってました、とかシャレになりません。嫁、家で韓国ドラマ観てます、みたいな生活。

西園寺調べだと、世界人口の70%は「サタデーナイト」と「ウイスキーorテキーラ」の組み合わせの力による「衝動」で生まれてますからね。

 

パパ、ママ、ガッコのセンセたちの言うことを聞いて、22を過ぎて「気がついてたらコモディティ化路線特急で進行してました」って人が、薄給労働に耐えかねて癒しを女に求め、そのうち同棲を始め、家に帰ってきたら目立つところにゼクシィが置いてあった・・・・・みたいになると、いよいよ王手寸前です。金銀、飛車・角、桂馬に囲まれている状態。

そして、ふとスマホを取り出すと、母親からのLINEが。

 

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「そろそろ孫の顔が見たいなぁ」
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はい、チェックメイト。

 

Boy Meets girl♪

どよーび遊園地 1年経ったらハネムーーーン♪

 

 

<4.1発屋を目指す>

「国民総芸人時代」とは有吉先生のお言葉ですが、社会がそういう空気になってくると、一発屋芸人たちに再評価の兆しが見えてくるかもしれません。そうです、1発当てるのって大変なことですから。1発屋に対して、「1発当てるだけかよ」っていう目ではなくて、「俺も1発当てたいから学びたい」という尊敬の目に変わるかも。

テレビ上ではすごいいじられていて、芸人ヒエラルキーの中でも下層に扱われているからかわかりませんけど、一般人は一発屋を見下します。しかし、多くの一般人が1発すら当てられない人たちなのです。そもそも、1発屋の多くは、日陰でコッソリと稼いでいたりします。そこらへんのフツーの社畜たちよりも稼いでいたりするのです。ダンディ坂野さんの今の年収とか知ってますか。パイロットより高いらしいですよ、ヨユーで。

 

1発だけでも大花火を打ち上げて、あとはそのネタを使いまわして稼ぎに稼ぎ倒す、ってことはなかなか賢い策です。

需要さえあれば、1個掘り当てるだけでも一生食っていける。

働く、という概念を刷新した方が良いですね、そろそろ、日本人は。1発ホームラン当てて、あとはそれで食べていく・・・・ってのも全然アリじゃないですか。

このインパクトですね。社畜には理解できないコンセプトでしょうが、「人生は長打1発でも幾分長いこと食っていける」のです。当てたことで新たな展開も生まれますしね。

人間が働けるのって40年くらいでしょ。1本のヒットで5年食えるとしたら、8回ヒットを当てるだけで人生渡っていけますよ。打率も上がるしね。

 

だから、バットは振らないとダメ。9回空振っても、1発当てれば全然割が合いますからね。事業を起こした経験がある人はわかると思うけど。

だから、借金抱えても、元経営者は割と平気で構えてたりするんですよ。サラリーマンが「何千万」っていう借金抱えたら「終わった・・・・もう・・・・」ってしかならないでしょ。それは、毎月、コツコツ返済しても何十年かかるっていう将来への悲観からきます。しかし、ビジネスを起こしたことがある人はそこまで絶望に落ちません。事業を当てれば短期で借金返済できますからね。

 

人生のどこかで、何か大きなヒットを打つ。

そして、当てたら、それが需要が「少しでも」ある限りは、なんと言われようと搾りカスになるまで、そのネタと需要を使い倒す。そういう生き方もたくましいかもしれません。ダンディ坂野さんのライブを観てたとき、マジで、そう、しみじみ思いました。

 

少なくとも、今は個人が1発当てられる機会があるでしょう。確実に。

そう、ネットの中に。

今、1発当てないでどうするんですか。ありとあらゆる手段を使ってでも、1発当てようという人たちがネットには群がっています。個人的には、手段を選ばないのはオススメできません。しかし、真面目に腰を据えて取り組めば、まだまだ全然なんとかなります。

しかも、1発当てた後は、必ずリストが残るわけですからねぇ、リストが。自分が集めた自分のお客さんの心に、何かインパクトを残すことができたら絶対次に繋がりますよ。そういう意味で、アホな商材・くだらないコンテンツを顧客に届けまくって信頼ゲージを下げまくる行為が長期的に見ればどれだけ勿体無い事かが一発でわかるはずです。

 

 

<5.金持ちに媚びる>

私の知人に、青森の人間がいるんですけど、昔こんなことを言っていました。「上京した友達が久しぶりに地元に帰ってきて地元で会った時、金持ち自慢というか生活自慢をする人間に変わってた」、と。キモいインスタグラマー化してたそうです。

この、「上京した人間が帰ってくると変わってた」現象は、日本全国の田舎で巻き起こっています。また、日本にはそれぞれの地方に「ミニトーキョー」みたいなスポットがあります。その周辺地域の人間が、都会を求めて移住する場所ね。そういうミニスケールでも、「都会に出ていって毒された現象」は起こってます。

あぁ、あとね、なんか「俺金持ちになるぜ!!」とか「俺成功するぜ!!」とか言って、やたら自己啓発とか読み始めて、金持ち社長とかとアポとって会って、「マジ本物は違かった・・・・」「上のステージを垣間見た・・・・」「5年であの人と肩を並べる存在になる、絶対・・・・」とか、意味不明なポエム投稿をツイッターとかインスタに上げる人いますよね。

 

まぁまぁ、西園寺さんもこのブログで、

「マジ気持ち良かった・・・・最高の快感・・・・」

みたいなのとか投稿しているような人間なんで同類なんですけど。

 

ビジネスポエマー、エロポエマーなんで。

 

なにこれ、意識高い系?

意識エロい系?

意識ゲスい系?最悪ですね。

 

なんだろーー・・・・・久しぶりに会った友人が、物理的にも精神的にもどっか行っちゃってて、帰ってくると羽振りが良くなってました現象、これって要するに「金持っている人と繋がっちゃった」「なんか上の世界見てきちゃった」現象なわけですよ。

女の子とかも、田舎から都会に出て行って、しばらくするとインスタ映えしまくるよーな画像アップしまくってたりするわけですが、一生懸命見栄張っているか、夜の世界に身を浸したか、金持ちの男捕まえたか何か、なわけ、だいたい。

(それかSNSで「スマホ1台で稼げる稼ぎ方教えます!」とか行っている人たち系の界隈に行ったか。)

 

で、ぶっちゃけ、人脈に頼って成功するのって結構簡単です。

ホント、簡単なんですよ。一回、とことん金持ちに媚びるやり方でお金稼いでみてください。「媚びる」ってマジで侮れないですから。お金持ちと意地で繋がって、なんか媚びまくってたら、どうにかなることって結構ある、本当に。

こう、世の中には独立してビジネスしながらも、一生懸命、誰かとか何かの界隈にしがみついている人たちがたくさんいます。なんか、あるじゃないですか、群れている界隈があちこちに。「今日は●●さんとなんとか会・・・・」とか「●●の●●さんと・・・・」みたいなのをブログに書きまくっている人たち。

 

金回りが良い世界では、なんというか、変なポストというか仕事の斡旋がある。「それやってくれるだけでお金あげます」みたいなのとかあったりするんですね。ジェームズスキナーの本に、「私の知人には、名義貸しをして、何かあった時には法的責任を負う契約をし、普段は南のビーチでバカンスを楽しんでいる男がいる」みたいなことが書いてあったんですけど、世の中にはそーゆー変な稼ぎ方だってあるわけですよ。

他にも、うちのアンバサダー的な役割してくれとか、推薦者として登場してくれ、とか、とりあえずこのパーティーで箔をつけたいから出席してくれとか、客寄せパンダになってくれとか、新しいビジネスモデルのマスコットキャラクターになってくれ、・・・・・・・とか色々あるわけですよ。

とりあえず、金持っているところに寄っていて、そこで何か需要を掴めば、割とお金の入りが良くなったりすることはあるあるなんです。愛人業とかもそーゆー仕事ですね。

残念ながら西園寺さんには適性皆無です。おこぼれで成功したくねーって。

 

 

<6.実力派?を目指す>

見てください、コレ。

  • 弁護士(予備試験) 6,000時間 3%
  • 弁護士(法科大学院) 6,000時間 40%
  • 公認会計士 3,000時間 10%
  • 司法書士 3,000時間 3%
  • 弁理士 3,000時間 7%
  • 税理士 2,500時間 10%
  • 不動産鑑定士 2,000時間 10%
  • 国家公務員Ⅰ種 2,000時間 6%
  • 米国公認会計士 1,500時間 35%
  • 社会保険労務士 1,000時間 7%
  • 日商簿記1級 800時間 10%
  • 行政書士 600時間 7%
  • 宅地建物取引主任者 400時間 15%
  • 日商簿記2級 250時間 30%

資格取得に必要な勉強時間と、合格率だそうです。

上位の資格はエグいですね。だって、勘違い君も含めて「俺、受かるだろ」と自分の頭の良さに自信がある人たちしか受けないですから。そういう上位群って。

そして、その中でも「わずか」しか突破できない難関。必要投下時間も長いわけですね。スタートに立つまでに、ですよ。その後食っていける保証はありませんよ。まして独立とかになると尚更。

いやー、現実って厳しい。

 

1万時間の法則って聞いたことありますか。

人が、何かに対して熟達するのには1万時間かかるというやつです。わかんなかったらググってみてくださいね。

 

すっごい地味だけれど、何かの分野に1万時間を投下すると、そりゃー力がつきます。仕事したら3年はやめるな、って言われるのには訳があって、毎日10時間ぐらい、計3年ぐらい働くとだいたい1万時間に到達するからですね。1万時間到達すると、力がつくので、戦力としてしっかりしてくる。だから、会社でも戦力として扱われて、会社の対応や状況が変わるかもしれない・・・・・ってやつ。

ちなみに、西園寺さんも既に「1万時間」投下してきました。DRMに。まぁ、そんなに時間を投下する必要はないんですけどね、DRMはマーケティングモデルですから。ただそのモデルに沿ってビジネスを構築するだけ、・・・・の世界ですし。ただ、各論を自由に掘り下げることはできます。私はそれをやってきた。

まぁ、私の場合、正確には「マーケティング」というジャンルに1万時間投下してきたんですけど。ドラッカーに言わせるとマーケティングとは「顧客創造」であり、「セールスに負担をかけない活動」らしいです。はい、私はその分野のプロです。

 

1万時間の法則を機能させるのに、3〜4年かかるとして、2つの分野で習熟しようと思えばだいたい、計7〜8年ぐらいかかりますね。だいたい、2つの分野に熟達していれば、食いっぱぐれることは無いような気はします。結構、根性論ですけど。物事って、7〜8年ぐらいのスパンで捉えると、だいたいのことは達成すると思う。だから、人生はある程度先を見据えて、時間を味方につけるようにして動いた方がいいかも。

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「マーケティング」×「●●」
ーーーーーーーーー

の「●●」は個々人のチョイス次第です。2つ揃うと結構いい感じですよ。

西園寺が何かやるときには、「儲かるのか?」ってよりも、そこに投下した時間と労力が、将来的に自分を長きにわたって支えてくれる資産・財産として、「自分の脳内B/Sにストックされるか?」ということが気になります。

 

ただ、人生、40年ぐらいしか働けないので、そのうちの7〜8年を勉強・仕事詰に投下するのはどうなんだ?

って感じですよね。

 

って考えたら、1万時間の投下は1つに留めておいて、あとは「スキルに頼らない」やり方で勝負に出た方が良い。

あるいは、5000時間、3000時間、1000時間の投下に留めて、DRMモデルとの組み合わせで勝負する、とかね。

 

お気づきかもしれませんが、西園寺が金遣いや自己投資にこだわるのは、

ーーーーーーーーー

働きづめ、勉強づめが嫌だから

ーーーーーーーーー

ってのが大きいです。

参考にしてください。

 

DRMって良いですよ。国内の事例だと、借金1億2000万円ぐらいから身一つで復活したケースがありますからね。その人は、DRMの力を用いて、士業や不動産業、コンテンツ販売業などの領域でどんどんお金をつくっていって、10年ぐらいで完済したそうです。スゴイですよね。

西園寺さんは、DRMをweb上で駆動させて自動化したい派の人間です。そして、特に、文章を使ったビジネスモデル構築にこだわりがあるタイプ。

ただ、注意が必要なのは、1万時間を投下した領域で、獲得した力を人のために使わなければ意味がありません。もっと言えば、人の役に立てそうもない武器に1万時間を投下したって、無意味といえば無意味です。

 

 

<7.金を使う能力>

人って、大人になると2通りのパターンで後悔するように思います。

  1. もっとお金を貯めておけば良かった
  2. もっとお金を使っておけば良かった(勉強したりいろんな経験をしておけば良かった)

で、大方の場合、「もっとお金を貯めておけば良かった」と言っている人は考え方のベクトルを間違えています。貯めてたって、きっと、何にもなってませんからね、絶対。

薄給のうちから、微々たるお金を貯めて一体何になるのか。ならないですよね。絶対ならない。

稼いだお金はどんどん流れていきます。どんどん流れていく。

 

どんな人でも、小学校時代から25歳ぐらいまでに使ったお金を総額計算すると、相当な量になっているはずです。要するに、生きてりゃお金は減るんです。たとえ節約したとしても、この金額を数%、数十%カットできるだけでしょう。で、それで生まれた貯金で何するの、って。

問題は貯金じゃない。お金の使い方です。というか、使ったお金で得た体験・経験から何を学んだか、です。失敗したと思った買い物について、激怒している限りはおそらく商売で大成することはありません。ビジネスセンスが良い人は、使ったお金についていちいち執着していないし、お金を使うということを「経験」とか、「機会の獲得」ぐらいの軽ーい感じで捉えています。

センスない人は「貯金」ばっかり言ってます。センスある人は「使い方」とか「経験」とか「借金」みたいなフレーズが出てきます。西園寺さんも、若い頃はクレカ数枚停止させるぐらい使って、それをシコシコ分割で返済したりしてましたからね。

 

別に浪費のススメをしているわけではないですよ。ただ、「貯めておけば良かったー」っていう考え方は、それ自体、もしかすると思考の問いの立て方を間違えているかもしれないよ、ってことです。

外国人と友達してみてください。彼ら、そんな「貯金、貯金」言ってませんから。マジで。それは通貨に信用がおけない国が多いってことと、貯金しても意味ないってことがわかっているからでしょうね。日本は日本円に対する信頼が強すぎる。そのせいで、大事なものが見失われがち。

海外だと、金を何か意味ある・価値あるものに変えることに、それに焦点を当てている人が多いような気がします。

 

 

<8.「金」<「人」>

西園寺さんが愛してやまない言葉があります。

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お金を残すのは三流、

名を残すのは二流、

人を残すのは一流。

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はい、現実世界を見渡してください。

無能な人間から「お金を残す」ことに必死になってますね。その末端が、微々たる貯金稼ぎに必死になっている社畜さんたちです。

少し上のレベルになると、名を残そうとします。「うわー、あの人すげー」とか「あの人有名だー」とか、「業界で名が通ってるよねー」って思われるようになろうとするっていうのかな?確かに、知名度はマネタイズできますもんね。

西園寺さんの場合、違います。

 

「人を残す」

ということに命を賭していると言っても過言ではない。

 

たとえ嫌われていようとも、「あいつのおかげで今の自分があるわー」と1ミリでも思ってもらえたら、そしてそんな人間が複数いれば、人生はそれで良し。数は問題ではない。そして、そーゆーことを事業の上で行うことができたら、まぁ、なんとかなるでしょ。

 

西園寺さんは過去、こんなことを言われたことがあります。

ーーーーーーーーー

「困ったら連絡して!お金なら俺が貸すわ。」

「あなたに出会えて、本当に良かった。」

「あなたに言われた言葉を、書き起こして、いつも眺めてる。」

「お前のおかげで、俺はここまでこれた。」

ーーーーーーーーー

 

うわー。

友達いないくせに、結構良いこと言われてますねー。

 

西園寺さんは、人付き合いが絶望的に苦手で、だるくて、友達いないんですが、「人の心にインパクトを与える能力」だけはあるようです。おかげさまでパーティーには呼ばれないのですが、大事なところで人に救われてたりするので、根っからの人嫌いにはなれないんですね。

いや、基本、人付き合い怠いですよ。ええ。

 

秘密は二つあります。

  1. その人が本当に何を求めているかを察知する能力
  2. その人が本当に求めていることに貢献する助言をする能力

西園寺さんは、昔から相談されてきた回数が半端ではありません。そして、相談をされると、ちゃんと真剣に聴きます。そして、その人の話を聴いて、その人の深層ニーズを特定するのが得意なのです。

そして、その深層ニーズに貢献する助言をします。その助言は、場合によっては毒や棘が多く含まれています。人の心に、ささくれのように埋め込まれてしまいます。刺した瞬間は、反発を生んだり摩擦を生じさせたりするのですが、それがあとあと感謝される・・・という場面に何度も出くわしてきたのです。

 

ただ、大人になるにつれ、「お節介っていかんわ」と思うようになり、人に対してテキトーに助言をする機会もだいぶ増えました。

とはいえ、アントニオ猪木にビンタを求めるファンが列を成したかのごとく、西園寺さんの毒を摂取したがる人間が意外と多いのも・・・これまた事実なのです。

私、人の話をちゃんと聞く能力だけは高いです。ちゃんと聞いて察することができ「過ぎる」フシがあります。特に、この「察してください」系のニーズが強いのが女性で、あまりにも感度の良さがバレると、相手が甘えてきて調子に乗り、負担が増すので、むしろあえて「鈍感なフリ」をしているフシがあるぐらいです。わかってるくせにわからないフリとかも結構してきてます。

面倒くさいんですヨ、なかなか。

 

西園寺さんを見て、「こいつ女遊びしてんなー」って思っている人多いかもしれませんが、(確かに遊んでいる方かもしれませんが)自分でチョイチョイ引っ掛けているというよりは、どちらかというと「需要されている」という言い方の方が的確です。

連絡が来るんですよ、向こうから。

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「ここまで私の気持ちを理解してくれる人間と出会ったことがない」

「あなたといると、私はとても落ち着く」

「元気出たわ〜」

「話聞いて!」

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とか言う人が結構多いんですよね。

最近なんて、むしろ、知り合った女性が「私のお家来て!」みたいな感じですが、「え?帰っていいすか?(疲れました)」的なノリですからね。笑。

人のお話を聞くのって、結構疲れる。私の人間関係における疲弊のしやすさは、アンテナが良過ぎることに根を差しているよーな気がしてます。とはいえ、大方の人とはテキトーに接してますんで、相手もテキトーに接してくるけどね。

 

とりあえず、人の話をちゃんと聞いていれば、人のニーズというのは見えてくるものです。人が他人のニーズを理解できないのは、自分の欲や願望が先行してるのが一つ。そして、もう一つは、相手のニーズを把握しても的確な助言ができないのが一つ。

ここら辺に長けてくると、接した人に対してインパクトがある存在になれます。

相手が、「お金<人」だとわかっている人間だと、なおのこと良いですね。そういう人に対して、奉仕するのは良いことだと思いますよ。インパクトを残した相手が増えれば増えるほど、ここぞというタイミングでお金の話を持っていくと割と交換に応じてくれる人は多いんじゃないですか。

 

西園寺さんも、お金の融通の話を持ちかけられて、嫌になる相手とならない相手がいますが、ならない相手っていうのは私の中で、「その人>お金」ってなっているってことですからね。

お金を持ってくるのは人です。人からお金をもらえない人というのは、他人からお金を出すのが勿体無いって思われているってことですから。

 

 

<9.手抜き能力>

この社会では、「手抜き」が嫌われます。理由ですか。世の中の人がみんな手抜きしたら困るじゃないですか。ましてや、マジョリティは労働力をマッチョな長時間労働により換金するしか方法がないので、そんな人たちが「手抜き」を覚えたら社会全体としては荒廃するわけです。海外だと、そーゆーやつらがたくさんいるせいで、なかなか大変。消費者は、相応の対価を払わないと良いサービスを受けられないって場面がたくさんあります。

しかし、自分の人生を考えると、どう考えても「手抜き能力」を向上させた方が良いです。

西園寺さんの元には、「もともと会社を数社抱えていて、失敗してしまい、借金数千万円を抱えている状態です・・・」みたいな人が相談に来たりします。どう考えても、そーゆー人の方が、私より、人脈作りとかビジネス交渉力などに長けているはずです。じゃあ、なんで私みたいな青二才のいい加減人間のところに相談に来るのか。

それは、私の「手抜き能力」が高いからです。

非常に簡素なビジネスモデルを効率よくまわして、テキトーに生きていそうに見えるからだと思います。実際、その通りで、西園寺さんは「ビジネスに成功する」とか「儲かる」とかそーゆーことはどうでもいいのです。

問題は、「時間に余裕が生まれるか?」です。

 

ビジネスには「下請け受注型」と「顧客獲得型」があると言えますが、前者はコネ・接待・人脈がかなりものを言います。が、後者の場合は明らかに「起業・経営能力、マーケティング力」が求められます。そして、後者でも、「疲弊しているタイプ」と「そうじゃないタイプ」がいます。

 

そして、世の中、働き方に序列をつけるとこういうことになります。

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働かないで稼げる(生産性が高い) > 働いて稼げる > 働いて稼げない

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これ、なんでかわかりますよね。

 

時給の違いですね。

 

年収いくら、とかどーでもいいんですよ。

 

重要なのは時給ですから。

どう考えてもそうでしょ。

24時間365日なのは所与のもので動かせないから。

 

私は応用的にマーケティングができて、時給が高い、しかも若いという稀有な人材なのです。

 

そもそも、ビジネスに興味を持ったのは金持ち父さん経由だし、「ライフスタイル」「QOL」「生産性」とかそういうのを理由として、ビジネスの世界にドップリ浸って来ただけで、「ギラギラ系」でもなんでもない。そして、ビジネスを手段として使っているだけです。

目的は、パンクに生きたい、ロックに生きたい、テキトーに生きたい、自由に生きたい、仕事に埋没したくない、生産性をあげたい・・・・・・・とかいうところにあります。

 

儲かる儲からないはどうでもいいです、私は。

時給を上げたい。

各種費用対効果を上げたい。

 

ビジネスというのは、上層に行けばいくほど、生産性の高い働き方をしてナンボです。

「意思決定」の質が問われるのがビジネスをまわす上層の人間に課せられたもの。それさえ良ければ、労働時間は5分でも良かったりするのです。極論ね。

私が簡素なビジネスモデルが好きなのは、構成要素を減らすことによって、売上を上げるための本質的な部分に向き合うことができるから、そしてそこで蓄積したスキル・知見・能力が、応用的に使えるだろうと考えるからです。

極論言うと、ビジネスは「意思決定機能」と「営業」以外はアウトソーシングが可能です。

 

  1. 上層の仕事 → リーダーシップ、意思決定
  2. 中層の仕事 → 専門性、管理、分析、企画提案
  3. 下層の仕事 → 作業

これ、軍隊も民間も公的機関も、基本、全部同じです。

一人でやるなら、全部に明るくないとダメですね。

 

上層に低学歴がたまーにいたりするのは(政治家、社長etc)、リーダーシップや意思決定能力に「低学歴」であることがあまり関係ないからです。だから、西園寺は判断力や決断力を上げたいと思って生きて来た。

CFO、CMO、CEO、COO、CIO・・・・とか色々言いますけど、CEO・COO・CMOが統括のトップだとすると、それ以外は全部「専門性+意思決定補助」ですね。

トップが何をやっているのかというと、「持続可能な長期利益の確保、あるいは売上の確保のために、外的機会と照らし合わせながら経営資源の投資意思決定をする」ということです。方向性と実行を担っている。

 

アパホテルの社長が、投資・蓄財術みたいなものを問われた際に、「一番良いのは自社にお金を突っ込むこと」って言っていました。ロバートキヨサキが言う、インサイダー投資家というのもそういうこと。ビジネスの上層が売上獲得の最前線でやっているのは投資意思決定ですからね。

これが上手な人が、ビジネスもQOLも上げられるのは当然じゃないですか。

 

 

<10.喋り・書く能力>

喋る能力、書く能力。

この2つを鍛え上げたら、今の時代は大変なことになります。本当に大変なことになります。

結局はコミュニケーションだ、って話ですけど、コミュニケーションって喋りか文字しかないじゃないですか。ね、基本そうでしょ。手話とかもあるけど、手話通じる人は限られているじゃないですか。

あなた、日本語話せるんですよ。

日本語を喋れるし、書ける。この能力、存分に使い倒したら良いのではないですか?

現代人、忙しいです。

 

要件は、テキストに書き起こして、それを都合の良い時に読んでもらえばいい。

なんなら、音声を撮って、人に渡しても良い。

 

この技術、いろんなところで使えませんか?

 

そもそも、今の時代は、自分が書いたものをこーやって、公衆の面前に晒すことができる時代なのです。このインパクトたるや・・・・ですよね。

バフェットはパブリックスピーキングが一生涯のスキルだ、って言っていました。公衆の前で、話す能力ですね。当然、書くスキルもこれに加えることができます。

書くだけで、喋るだけで、それを保存してUPすれば、自己PRが出来る。

書くだけで、喋るだけで、それを保存してUPすれば、露出ができる。

書くだけで、喋るだけで、それを保存してUPすれば、人と繋がれる。

書くだけで、喋るだけで、それを保存してUPすれば、人にコミュニケートできる。

 

もっと、書くということ、喋るということを見直してみてもいいかもね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。