アマルティア・セン『合理的な愚か者――経済学=倫理学的探究』は収録論文「合理的な愚か者――経済理論における行動理論的な基礎への批判」にて
「本人が『Aが欲しい』と言った」
→ 発言・意向・自己申告。これはそのまま信用できない。「実際にAを買った」
→ 観察された選択。経済学ではここから選好を読む顕示選好(revealed preference)という発想が出てくる。Samuelson以来のかなり本流の考え方。
ところがセンは、そこで止めるのもおかしいと言う。「xを選んだ」という行動だけから、『本当にxを欲していた』『xが本人に最大効用を与える』と逆算してしまうのは強すぎる。実際の選択には、信念、規範、義務感、他者への配慮、制度、選択肢、制約などが入っているから。セン自身、この revealed-preference 的な考え方をかなり真正面から批判している。
つまり、
発言 ≠ 選好
↓
だから「何を言ったか」より「何をしたか」を見る
↓
しかし
行動 ≠ 選好そのもの
↓
したがって行動から心理・欲求・意図を機械的に逆算してはいけない
という話。
これ、マーケティングにそのまま移すと非常に分かりやすい。
「この商品欲しいですか?」→ Stated Preference(表明選好)
「実際に金を払ったか?」→ Revealed Preference(顕示選好)
だから購入意向調査より実売の方が証拠として強い。しかし、「売れたから、この商品属性を欲していた」とまで言うと危ない。価格、流通、広告、ブランド、代替品、惰性、社会規範などが混ざっている。現代の経済学方法論でも、「choice behaviorだけでは preference を同定できず、beliefs 等の情報も必要」というのがまさに論点になっている。
しかもセンの表現に、センの顕示選好批判を扱う文献では、
“explaining behaviour without reference to anything other than behaviour is pure rhetoric”
つまり大意として、「行動を、行動以外の何ものにも言及せずに説明するのは、説明になっていない」という立場が紹介されている。
Daniel Hausman の 『Preference, Value, Choice, and Welfare』、こちらはもっと直接的に「選好=選択と定義してよいのか」を一章丸ごと使って批判している。選択を説明するには、選好だけでなくbelief(信念)が必要なので、「何を選んだか」だけを見ても何を望んでいたかは分からない、という整理。
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



