【オレの広告論(5)】 現代サッカーと現代広告には、無駄がない

 

柏木陽介という元サッカー日本代表選手が

現代サッカーはつまらない

と言って引退した。

中村俊輔と小野伸二も似たようなことを言っていた。

 

現代サッカーはフィジカルが要求され、昔のようにファンタジスタがおらず、中盤がタイトである。代表で言うと、中村俊輔政権から、本田圭佑・遠藤保仁政権に移った頃から変化したと言える。

 

昔の日本の広告を見ていると、サッカーと同じことが起こっている。

昔の日本の広告はファンタジーが溢れていた。

キラキラしていた。

広告に出る人も、芸能界も、広告代理店も、そして一般人もキラキラしていた。

 

おそらく、厳密な広告効果検証はされなかっただろう。そして、経済が豊かだから、広告をやればそれなりに伸びた。クライアントもガバガバだった。消費者もそうだ。大抵はブランドイメージ、ということで許容された。

しかし、時代が変わってしまった。さらに、効率が良いインターネット広告も生まれてしまった。

 

まさに無駄がない。

 

早く点(=売上)を決めろ、ということ。売上に直結することをしようとしている。

 

 

現代サッカーが大きく変わってしまったのは、

  • クリスティアーノ・ロナウド
  • メッシ

によるところが大きいと思う。

圧倒的なドリブラー、ゴールゲッターでありながら、1.5列目から攻撃を仕掛ける。ダイレクトに攻撃をするかと思えば、パスを選択することもある。

1.5列目に、フィジカル、テクニック、スピード、全てを兼ね備えたプレーヤーがいるスタイルが、旧来の「真ん中に王様がいるスタイル」を破壊した。彼らが無双する時代が長かった。結果的に、彼らに憧れる次の世代が育ったし、何よりそれに対応するチームが増えた。

 

広告の世界でも同じことが起きた。

ダイレクトレスポンスが、従来の緩い広告を打破した。

シフトしてしまった。

筆頭格はもちろんグーグル、楽天。

 

そうこうしているうちに、SNSも出てきてしまい、イメージ広告的なものもおかぶが奪われてしまったマスコミ。つまり、従来なら効果測定が曖昧だったイメージ広告的なものも、いいねだったり、ブックマークだったり、あるいは直リンクでの勾配によって反応が取れるようになってしまった。

 

 

今の時代、コンテンツに関しても、大作は作られない。

製作費がない。予算がない。視聴率が取れないからだ。

 

 

集約しないのだ。分散したのだ。

こうなっていると、タラタラやってられない。

 

美しさはない。

直販だ。

ダイレクトだ。

即商談だ。

 

昔の恋愛ドラマのように、ドラマチックのようなストーリーの時代じゃない。山Pは走らない。

今はマッチングアプリだ。サクッとスワイプして出会うのだ。それが現代の形だ。

 

現代は、美しくない時代なのだ。冗長ではない時代。

 

ユニクロを着て、Amazonで買って、アプリで出会い、テレビ電話をする。インスタやBeRealで現況を報告しあう。そういう時代だ。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。