何が何でも成り上がりたい。
そう思った時、『社長に媚びへつらうイエスマン』というスキルが活きてくる。
私がリアルな社会経験を通して見たのは、社長に気に入られると出世の道やチャンスが拓けてくるということだ。
私の身内には、本当に末端から会社組織のテッペンにまで登った人間がいる。また、友人知人の範囲にも、重役だとか社長をやっている人間がいるから、思うことがある。
ゲームルールは階層によって違う。
ある程度の階層までと、ある程度以上の階層では、違うゲームルールが存在する。
昨今、市場価値を上げようだとか、スキルを磨こうだという話がよくされている。そこで議論されているのはポータブルスキルの話だ。会社間に持ち運びできるものだ。
ポータブルなスキルではなく、一社専属的なものを磨く道も存在する。その極みは結局のところ、社風だとか、会社独特のビジネスモデルに根付く。
その会社でテッペンまで登るには、その会社ならではのことに精通することが、欠かせないかもしれない。
そして、行き着く先はゴマスリだ。
結論から言おう。
ゴマスリは究極のスキルだ。
そもそも、サラリーマンというのは上から降ってきた指令の中で動くのであり、スキルを強調しすぎることに溺れて従順さを失えば居場所を失ってもおかしくはない。
エンプロイアビリティの最たるものは、従順さだ。
スキル云々の議論は、最終的には執行役員レベルまで。執行役員は、末端社員からスタートするサラリーマン階層の中における一番トップ。
会社法では、
- 従業員
- 役員
と分かれており、重要事項の方針は役員(取締役層)が決める。そしてそれの実行フェーズを担当するのが従業員階層であるが、そのトップが執行役員である。あくまで、会社内における『仕事ができる云々』『スキルがある云々』はその枠組みの中での話。
もし、従業員の枠組みを超えて、役員サイドに移行しようと思った時。
何が必要か?
ここにあるのはスキル云々の議論ではない。
1つヒントを言おう。
役員人事を決めるのは株主サイドだ。
Look for 3 things in a person, intelligence, energy&integrity. If they don’t have the last one, don’t even bother with the first two.
w.buffet
実は、世の中でビジネススキルを指南しているお偉いさんたちは、役員サイドの前で止まっていることが多い。
つまり、従業員階層で止まっている。
最後が部長、本部長、執行役員だったりする。尖り過ぎたがゆえにそこまで登れたが、尖り過ぎたがゆえにその先が拓けていなかったりする。
ハッキリ言って、役員層(取締役層)まで登っている人間はベラベラと喋らない。会社に対して反旗をひるがえすこともしない。
尖った物言いができるのは、自己資本のビジネスを持つものだけだ。
そもそも、サラリーマンの分際でオンラインサロンや書籍にて、自らの経験をベラベラ喋れば、その会社の利益を損なうかもしれない。取締役階層には競業禁止規定が課せられている。
キャリアは電車のようだ。
ある程度の段階で、乗り換えないと目的地にたどり着けないことがよくある。
途中から、違う路線が必要になる。
そもそも、重役がなぜ重役か。なぜ高い位置を与えられているのか。それは、その組織において反旗を翻さないからだ。その組織の利益のために活動する人間として認められているからだ。そして、下々の人たちを率いる必要がある。
お行儀の悪い重役、というのは有り得ないのである。
少なくとも、私の知る限り、重役というのは皆従順である。従順であることを第一に、その枠組みの中で物事を考えている。決めている。
圧倒的なスキルがあれば上まで上がれる、というのはある程度の階層までは正しい。
ある程度までは、だ。
もし、業態的に官公庁との関係性が重要なのであれば天下りをたくさん揃えるだろうし、それは銀行にしても出資元にしても、親会社にしても、重要取引先の人間で埋まってしまうことはよくある。
創業家が牛耳っている場合もあるし、株主の意向が大きく反映されていることも多い。
簡単な話である。
自分が長で創始者ならまだしも、そうじゃなければ必ず上司というものが存在する。最終的にはそこに行き着く。
そこを踏まえないまま暴走すると、とんでもないことになってしまう。
尖りたい、突き抜けたい、ぶっ飛びたい、自由にやりたいなら自己資本で立ち上がること。つまり、始点になること。むしろ、始点になることを選べば、尖っていることは重要なポイントになる。
逆に、そうじゃない場合は、ある程度、『使われる力』が無いと、逆に高い位置に登れなくなってしまう。
皮肉な話だが、組織社会では自分がナンバーワンというスタンスを通せば通すほどに、ある程度の階層で出世が止まってしまう。
部長、執行役員、本部長で終わってしまうのにはワケがある。
ただし、勘違いしないでほしい。
それが悪いと言っていない。
私が言っているのは、ある組織でテッペンを取ろうと思えば、その組織に最適化された人間にならざるを得なくなり、それは究極的には会社の風土、そして社長や株主の色に染まることになるということだ。
逆に、転職可能性を担保したい場合、スキルや実績にフォーカスしなければならない。転職の際に売りとなるものを持っていなければならない。ある程度、外を意識する。標準化される。
どこの会社でもやっていける、というのは、どこの会社でも上澄みには登れない、という意味でもある。
こうなると、特定の組織との完全なる適合性や、シンクロ度合いは失われる場合がある。
もしくは、例えば『〇〇系の法人営業』『ファイナンス』という部分で尖りすぎて上の方針に従う形で接続できなかったり、他者に能力を移植できなかったり、『俺にしかできない!』が強調されすぎると行き詰まってしまう。
つまり、物事のテッペンを取ろうと思えば、それに最適化されないといけない。テッペンは狙わないと取れない。なんとなくで登れるのはある程度の高さまでだ。頂上はそこに登ると決めた者にしか登れない。
そして、物事というのはだいたい、登頂して見ある世界がある。世界観がある。だから、決めて突き抜けないといけない。
管理職のトップになりたいのだろうか?
企画立案の先頭に立っていたいのだろうか?
経営サイドに回りたいのだろうか?
社長になりたいのか?
起業したいのか?
投資サイドになりたいのか?
資産家・資本家サイドになりたいのか?
・・・・・全て違うと言っておこう。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。