びっくりするほど安い値段で寿司が食える日本

今、お寿司をパクパクしています。働いてないのにお寿司食べていて、我ながらいいご身分だなぁ、と思っています。まぁ、格安寿司チェーンですけどね。ってか、はじめて入ったんだけど、すげぇわ。低コスト構造で勝負してるところはやっぱそれなりに大企業なんだけど、すげぇなぁ、ってなっちゃう。

いや、おいしい。モグモグ。

 

なんでこんなに今、人生イージーモードに入ってるんですかね。よくわかりません。ただ、50代の役員のおっさんとかと話すと、いろいろ共感しあえることがあります。そーゆー人は、若い頃に『寝ずに働いた』って言うんです。私の場合、それに加えて『貧乏した』『クレカ3枚止まった』『リボ払いしてた』『先行きが見えなかった』『女遊びできなかった』『友達付き合いを断絶してた』、、、などなど、ネタには事欠きません。

まぁ、自分では苦労したとは思ってないんですけど、まぁ、レール外れようとするとそれなりに大変なことはいろいろあるってことです。

師匠とかつくらない人間はこーなっちゃいます。

少なくとも、人から馬鹿にされたり、笑われたり、劣等感を感じたり、絶望の底に落ちたり、、、、、みたいなことはありますね。プライドはボロボロになります。だからまぁ、挫折は若いうちにしておくに越したことはない。

 

昨夜、とある方に自分の人生を説明すると

『苦労したんだね』

って言われてしまったので、そうなのかなぁーってなりました。うーん、喉元過ぎれば熱さ忘れるではないけれど、結局そーゆーことなんですかね。

自分の中に割とマッチョなM的資質があって、根性論やハードワークをバカにしきれないところがあるんですけど、それはやっぱ、過去の頑張りに支えられる生き方してるからですね。

とは言え、ジャパニーズサラリーマンと比べるとぜんぜん、過労になんてなってないです。頑張りの方向性を工夫してるんでね。

 

あ、そうそう。お寿司の話。すごいですよね、この国。こんなに安いお値段でこんなに美味しいお寿司が食べられるんだー、って感動したんですけど、悲しいかな、今私がいるお寿司屋さんはかなり人件費が削減されている模様です。

ここ10年で世の中変わったなぁ、て思いませんか。私はそう思います。そして、10年の時がたてば、10年前の先輩たちは、その分、歳食ったことになりますよね。そしてその分、新しい世代が出てきてるってことです。

世の中は変わるのか、変わらないのか。人は変わるのか、変わらないのか。私が見ている限り思うのは、世の中には変わりやすい領域とそうじゃない領域があるということです。

 

変わらない領域って?

例えば年寄り。例えば権力組織。例えば頑固な人たち。

変わる領域って?

例えば若者。例えば柔軟な人。新しいテクノロジー。

 

諸行無常の世の中ではありますが、変化に取り残されて淘汰されていく人、そうじゃない人。変化を味方につける人、嫌う人。何かにしがみつく人、そうじゃない人、いろいろいます。世の中の全ての人間が、自分のことをかわいいと思い、自分のポジショントークに終始し、自分を肯定する。それが世の中です。そーゆー意味で、政治的なセンスというのは欠かせないのかもしれません。

自分はどんな風に生きたいのだろう。

そーやって考えた時、常に考えるのは制約条件のことです。何をやりたいか、を人が考えられないのは、人生において常に制約を受けているからです。

昼間、スタバに行けない。性欲を自由に処理できない。引っ越しできない。嫌いな人との付き合いを避けることができない。スキルがない。休めない。時間が無い。親に怒られる気がする。人目が気になる。

 

制約条件をひとつひとつ、外していける知識、スキルがあると良いですね。そして、some moneyとほんのちょっとばかしの勇気、そしてどこかで人からの愛を受ける機会があること。十分な休みと満たされるセックスができていること。

気持ち良く射精して、心を通わせられる人と抱き合って、たっぷり休んで、旅をして、成長して、学んで、おいしいものを食べて、寝よう。

 

ビジネスは楽しいですか?仕事は好きですか?

私は嫌いですよ。

ただ、自分の望むことを実現し、自分を不毛な搾取から解放してくれる偉大な武器として、Business力には感謝し、畏怖の念を抱いている。

 

資本主義が嫌いなのかもしれません。しかし、資本主義から多大なる恩恵を受けている現実から目を背けることもできない。資本主義をサバイブする戦闘力が無ければ、出家でもしなければなりませんね。それもそれで、、、、、って感じ。

ニートも嫌。フリーターも嫌。専業主夫も嫌。サラリーマンも嫌。正社員も嫌。起業もだるい。そんな人間は、アントレプレナーシップを身につけ、真剣に理想的ライフスタイルの実現を考えてみると良いですね。

 

有能で働き者なら、バリキャリになれば良い。無能で怠惰なら、とことん使われるが良い。

有能で怠け者なら、人に尽くせば良い。有能で働き者、無能で怠惰な人に尽くせば良い。

 

無能な働き者は?

ゼークト将軍に言わせると処刑だそうです。銃殺刑だそうです。

こわいこわい。

 

でも、意図することはとてもよくわかります。

意外ですよね。実は、無能な怠け者より、無能な働き者は生きる場所が無いらしいのです。無能な怠け者は素直にこうべを垂れてどこかで居場所を得ることができます。

しかし無能な働き者は間違いを重ねてしまう。

無能なのに、間違いに気付けない、変な主義主張を持ってしまう、我に固執してしまうのなら、手のつけようがありません。間違ったところに思いっきり進んでしまう。組織ならはじき出されるでしょうし、個人としては痛い目に遭うまでどんどん負のサイクルで落ちていくでしょう。

正直、耳が痛くなるような気持ちは少々ありますので、自分に無能な働き者の素質があることは感じる次第です。

 

有能になるか、素直に迎合するか、ですね。

東京タラレバ女子という漫画の中で、結婚に苦労してる人が『自分の適性価格がわかれば….』みたいなことを言っててすごくジーンと来るものがありました。

 

おそらく人は、こうしたい、こうでありたい、自分はこうである、という自覚や願望領域と、実際の自分の現実やポテンシャルの狭間で常に揺れ動きます。

私みたいな現実主義者かつ悲観者は、守破離を大切にしつつ、割とガチめに成果に固執し、かつプライドを捨てます。実験、実験、実験です。

 

ひとつひとつ、確実なものを積み上げていくしかありません。人は、自分の中で積み上げた山の上に座って、ようやく、それなりに自己満しながら生きられるのだと思います。そしてその積み上げた山というのは、I think, I want to, I hope, I am, I’m going to….. で記述されるものと実際のレスポンスのギャップを検証するところから、なのではないでしょうか。

ドラッカーは、自分の強みを確かめる方法として、期待を書き留めておき、それを後々、現実と照らし合わせて検証しなさいと言っていました。うむ、なるほど。その視点で言えば、私にペーパーテストや学校の類が向いてないのはとてもよくわかります。期待通りの点数が帰ってきたのは小学校まで。ただ、働くということに関しては、いつも、どの文脈でも、だいたい期待以上のポジティブなレスポンスが返ってきました。理由はシンプルで、とりあえず素直になる、我慢する、生き残る、慣れる、成果出す、成長する、褒められる、感謝する、仲良くなる、協業する、効率化する、上を助ける、のサイクルがもう身に染み付いてるから。でも、何らかの組織に雇われて働くことは、これはもう、もっぱらギャンブルです。事前の期待と実際がもう、ズレまくりです。だから辛く、だから楽しいんですけど。

というか、人生、予定通り、予想通り、思惑通りってなかなか無くないですか?

むしろもう、発想を変えた方が良いと思うんです。

期待して期待通りが起こるのを行動の軸に置くことをやめる。計画を立てるのをやめる。あの女とセックスできるだろうと考えるのをやめる。

人生は巡り合わせです。

素敵な異性との出会いも、予期できるものなんかじゃあありません。

だから、自分の現実を見つめて、望みを決めて、方向性を定めて、なるべく自分らしい環境を求めつつ、自分らしさを活かしつつ、需要に対して上手に歩み寄る。

好きな言葉があります。

やたら銃弾が飛んでくるな、と思うのならその立ち位置は間違ってる、ってやつ。

 

最近、とある女の子に、心底嬉しい言葉言われたんです。

人って、仕事との結びつきは避けられないもので、その人の人間性は仕事によって育まれることが多いだろうし、今面と向かって接した感じの印象とかも結局、仕事がうまくいってるか・合ってるかどうかに影響を受けると思うんだよね、って。

すごくカリカリしてたり、イライラしてたり、余裕が無かったり、怒ってばかりならその人は今の仕事や働き方が合ってないんだよって。

そーゆー意味で、あなたはとても素敵な仕事してると私は思う、って言ってくれたんですね。

褒めすぎだと思ったけど、たしかに、その時々でどーゆー仕事してるかは自分のキャラクターにモロ影響を与えてるな、ってのはすごく思いますね。振り返って。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。