オススメの本を紹介しておこう。そしてお金に困っている君に。

10代の頃、必死に考えたことがある。一体、どうやったらお金が儲かるのだろう。どうやったら経済的に楽になるのだろう・・・・・。

そして、ある段階から結論に至った。「時給」だ。時給を上げるしかないんだ、ってね。

考えてみてほしい。時給1000円で月給30万円稼ごうと思えば、月300時間あたりの労働が必要だ。これは、1日10時間、30日フルで働いて・・・・・月給30万円という計算になる(税金等々は面倒なので省略する)。

もし、自分の生活スタイルがこれに近いと思うのであれば、あなたはどのような雇用形態であろうとも、要するに「そういうこと」。

 

時給が2000円になったらどうだろう?時給2000円で月給30万円稼ごうと思えば、月あたりの労働時間は150時間になる。これは、1日の労働時間が5時間に圧縮されることになる。1日の労働時間が5時間で、30日フルで働けば月給は30万円だ。

 

時給が3000円になれば、月給30万円稼ぎ出すためには、月当たりの労働時間は100時間で良い。

週あたり、25時間働けば良い計算だから・・・・

1日5時間の労働・週休2日で働けるようになる。

これぐらいの水準になれば、人生はグッと楽になるのではないだろうか?

 

人生が苦しい理由。それは、自分の時給が低いこと。命が安いこと。命を安売りしなければならないってこと。自分の時間あたりの価値が低いから、一生懸命安売りをして生きていかねばならなくなる。

 

そもそも、お金がなぜ必要なのかを考えてみてほしい。家賃を支払わなければならない、水道光熱費を捻出しなければならない、電気代を稼ぎ出さなければならない、カリビアンコムの料金を払わなければならない・・・・と理由はいろいろあると思う。

もし、友達にお願いして、友達の家に転がり込むことができるのならば、生活費はタダになる。いろんな友達にお願いしてまわって、あちこち住まわせてもらうことができれば、だいぶ生活コストはおさえることができる。

こうやって考えてみると、お金と人付き合いの面倒くささというのは、セットで語るべきテーマなのかもしれない。

もしあなたが、ブログを立ち上げようと思った際、ワードプレスのことがさっぱりわからないとしよう。これを、友人や知人に教えてもらえれば無料になるけれど、ワードプレスの本を買ったり、オンラインコースを受講すると、コストがかかってくる。

 

どうやら、お金には人付き合いの面倒くささを省く効果があるみたいだね。

友人に「泊めてください!」「ご飯を奢ってください!」「ワードプレスのやり方を教えてください!」とお願いする煩わしさを省くためにお金がある、って考えたらちょっとものの見方は変わるかも。

(逆に、人に甘えられる能力があればお金はいらない)

 

だって・・・・考えてみてよ。友達の家に転がり込んだり、友達に何かをお願いしてもらえる立場をキープするためには・・・・普段からどれぐらいの人付き合いへのメンテナンスが必要だろう。普段から、どれだけ周りに気を配らないといけないのだろう。人目を気にしないといけないのだろう?

想像がつくよね。どんどん自由は阻害されていく。

人目を気にしないで生きようとか、人に嫌われないで生きようとかいう本が流行っていて、あれを黙々と読み込んでいる一般ピーポーがいるけど、そもそも人がなぜ人目を気にするか、嫌われることを恐れているか知っている?

それが、多くの人にとって死活問題だからだよ。

みんな、人目を気にせずにはいられない。そして、周りの目を気にしながら自分を抑圧するしかないんだ。

多くの人にとって、人目を気にしない・嫌われないってことはしたくてもできないんだ。ライフラインが途絶えるからね。ある意味、多くの人は会社という共同体だったり、家族、友人コミュニティの中で「嫌われない」ことで生き残っているんだから。

人目を気にしないといけない理由。嫌われることを恐れないといけない理由。それは、残念ながらその人に力と価値がないからだ。だから発言や振る舞いにセーブがかかる。「自由に生きる」を実現する力と価値がない。それが許されない。だから、せっせと人目を気にし、嫌われないように細心の注意を払いながら、言いたいことも言えず、やりたいこともできず、限りある人生を安値でシコシコと売りさばかねばならない。

自由がないということは、ある意味で「発言の自由が阻害され」「行動の自由が阻害され」「態度の自由が奪われ」「命が安値で買い叩かれる」ということでもある。

  • 言いたいことは言うな
  • やりたいことはするな
  • 偉そうな態度はとるな
  • お前の時間はない
  • 言われた通りに働け

ということを、社会からの高い圧力によって押し付けられる。

誰だろう、どっかの誰か(昔の偉人)が言っていたけど、お金は鋳造された自由だって話をしてた。

まぁ、そういうことなのかもしれないね。

 

私はある時から気付いた。自分が望んでいることって、すっごく難しいことで、すっごくワガママなことなんだ、って。自由な人付き合い、自由な振る舞い、自由な発言、自由な居住・移転、自由な行動・・・・・・・・・そういうものを求めるってことは、すっごく贅沢なんだ、ってことに気付いた。そして、それは「力や価値」が無い人間には許されないことなんだ、ってことに気付いた。

どうしよう。どうしよう。

でも、せめて、時給ぐらいは上げられるはずだ。よし、時給を上げよう。18〜19歳ぐらいまでの段階では、肉体・時間の切り売りはやめようと考えていた。単なる低時給労働はやめよう、ってね。そして、自分の時給を上げることに注力をしよう、自分の命の価値を上げよう・・・・・って。

 

エリートサラリーマンになろうが、ビジネスマンになろうが、自由人になろうが、「経済的奴隷」として底辺で苦しんでいるわけではないって人たち。そういう人たちは、人生のどこかで自分の時給を上げる試みに取り組んでいる。だから、私も、自分の時給を上げようと決心した。そして、たくさん勉強をした。最初に、すごい頑張った。人生のどこかで、頑張るってことを通過しない限り、自分の人生全体の値段は上がらないって気付いたから。

時間あたりの労働生産性を上げるしかなかった。

労働がキツイ、自由がない、休みがない、給料が安いと言っている人たちにはみ〜んな共通点がある・・・・・・それは、「時間あたりの値段」が安値をつけられているってこと。驚くのは、そういう人たちが有名大学とかそれなりの資格を履歴書に飾れる人だったりするってこと。でもね、良い学校を出て、良い大学に入り・・・・・ってパラダイムは、今の時代は、そんなに時給を上げることにはつながらないんだ、残念ながら。

 

人生には、時給を上げて自由を目指す生き方とそうじゃない生き方がある。そうじゃない生き方をしていてもハッピーな人たちには共通点がある。それは、彼ら・彼女らは自由がなくても気にしないってこと、人付き合いの面倒くささを許容できるタイプだってこと。自分の発言や態度、行動に縛りをかけられても全然良い。人付き合いの面倒くささがあっても良い。そういう人たちは、時給を上げなくてもそれなりにハッピーにやっていけるんだ。

一番やばいのは、「自由じゃないと嫌」なのに、力や価値がない人間。こういう人はどうなるか。まず、周りから「変」「頭オカシイ」と指を指されて疎外されていく。でも本人は、「俺は特別だから、俺はマジョリティとは違うから」みたいな感じで悪い解釈をしていく。周りから嫌われたりハブかれたりするから、人からの支援を受けることは困難になっていく。何かしらのコミュニティで生かせてもらうことは困難になっていく(会社、地域社会、親戚コミュニティはある意味、互助会みたいな側面があるからね)。

だけど、力と価値がないからお金は稼げない・・・・。

そしてそこに自由はない・・・・・。

 

こうやって考えると、「自由を愛する」というのは相当な覚悟が必要だ。そして、選ばれた人間だけが手にいれられるのが自由だってことがわかると思う。発言や行動や態度について、あまり周りからの圧力・プレッシャーを気にしないで振る舞えるのは、それなりの力と価値がある人間の特権だ。そうじゃない人間が、いくら、変人ぶったり「我が儘」を貫き通そうとしても、誰も関知しないし、助けないし、関わりたがらない。

自分を殺して生きていくことができれば、人生は簡単だ。

 

残念ながら、私は、自分を殺すことはできなかった。

たくさんの人が泣いている。大企業に就職した人も、資格を取った人も、みんな泣いている。毎日がしんどくて、毎日が悲しくて。国について文句を言ったり、学校教育について文句を言ったり、会社について文句を言ったり・・・・・と初期の頃は、みんな色々喚く。でもね、ある程度の年齢になってくると「諦め」の境地に入り、受け入れのモードに入るんだ。それはきっと、30歳ぐらいだろうね。

 

ちなみに。

仕事に埋没する人生を受け入れて、「じゃあ、だったら、どうせ仕事だらけの人生なのだから、好きなことを仕事にしよう!」って発想もあると思う。でも、私はその発想が受け入れられなかった。なんでかっていったら、そこまで好きな仕事とかなかったから。そんなに好きなこととかもなかったから。

そもそも、「好きなこと」とお金を結びつけたら、それは好きじゃなくなってしまう。好きなことまで仕事にするなんてアリエナイって話。

好きなことがある人はいい。でも、私には無い。無かった。だから好きなことなんて仕事にしなかった。できなかった。

 

第一、好きなことってのは自分の感性させ喜ばせられたらそれで良い・オッケーなわけであって、「仕事」になってくると、他者のことを考えねばならない。お客さんの視点とかニーズにまで思いを至らせないといけない。これはだいぶ面倒。好きってことはあくまで自分に向けられたことだけど、仕事ってのはあくまで他者に向けられたもの。こうやって考えると、本当の意味で、自分自身の満足というのは仕事からは取り出せないものだと思う。仕事を本当の意味で愛するってのはちょっとできないんじゃないか。

自分が本当の意味で、心の底から喜べることってのは、社会とか金とかそういうところとは別の領域にある。

 

・・・・・・・・・・ということで西園寺の結論。

金は金。

プライベートはプライベートだ。

 

ということは、私たちはどういうことをすればいいのだろう?

まず、本当の満足は仕事からは得られないということを理解すること。だから、ライフスタイルデザインとして、その中で仕事への向き合い方・折り合いのつけ方を考える必要がある。仕事に埋没してはいけない。仕事をライフスタイルの奴隷にすることだ。間違っても、ライフスタイルを仕事の奴隷にしてはいけない。

そして、時給を上げること。時給を上げなければ、全ては絵に描いた餅になる。ライフスタイルがどうのこうのとか、自由がどうのこうのとか言ってられない。そんなことは許されなくなる。

 

じゃあ、時給を上げるためにはどうしたらいいだろう?

それは、「情報武装」をすることだ。

 

世の中の産業というのは、3つに分類することができる。

  1. 労働集約型産業
  2. 資本集約型産業
  3. 知識集約型産業

これは、個人の働き方としても分類することができる。労働集約型モデルで稼ぎ出している人もいるし、資本集約型モデルで稼ぎ出している人もいる。知識集約型モデルで稼ぎ出している人だっている。

だいたい、労働で疲弊している人ってのは労働集約型の働き方をしている。

だから、資本集約型か労働集約型に移行しなければならない。でも、ほとんどの人には資本なんてものはないはず。資本という日本語は、「それなりにまとまったリソース」ということを意味している。

となるとあなたは、知識集約型の働き方を採用する必要があるし、そのために人生のどこかで、学習なり研鑽なりを積まなければならないということは一目瞭然ではないだろうか。私はそう考えて、自分自身の知識力・情報力にシコシコと投資をしてきた過去がある。

 

今の時代、情報とお金は等価である。情報とお金の間で、高速の交換を繰り返し続けることが、最強のライフハックとなるかもしれない。お金を情報や知識に変える。そしてその情報や知識で稼ぐ。そしてそのお金でまた研鑽を・・・・・というやつ。学びて富みて、富みて学ぶ、的な?

とはいえ、ゴミ情報・ゴミ知識ばかり拾っていたのでは話にならない。

もう古くなってしまった産業モデルに根ざすもの、今となっては価値が劣化したことに関する知識や情報に投資をしたところで、報われやしない。その選択眼というか、判断を間違えると、人生、損をしてしまう。

つまり、学びさえすれば良いってもんじゃない、ってのも大きなポイント。

 

それなりに勉強しているっぽい人の間で、裕福な人とそうじゃない人は明確に差がついている。それなりに賢い・勉強してきたはずなのに、全然お金がない人とかうまくいっていない人とかたくさんいる。・・・・・・やっぱりその差は、選択眼だね。

まぁ、何事もそうだけど、どんな人も最初は失敗する。

最初は右往左往する。

絶対間違える。

 

だから、そんなに気張らずに、まずは勉強をすることからスタートしてみると良いと思う。

覚えておいてほしい。

あなたがそれなりに勉強をしてきたのにも関わらず、人生でそんなに報われてこなかった・・・・というのなら。もしかすると、勉強をするべき対象を間違えていたのかもしれない。

本当に良い勉強というものは、現実世界で、必ず、換金できるものなんだ。西園寺はきっと、良い勉強を続けてこれたのだと思う。学歴も資格もないけど、学歴や資格がある人たちよりも、きっと良い勉強をしてきていると思う。そして、シンプルに、これまでの人生で何も勉強してこなかった人より勉強の量は明らかに多い。

 

西園寺は勉強の量と質が良かった。そこそこ良かった。そんなに外れてなかった。だから時給が上がった。自由になった。終わり。

それだけの話。

 

さぁ。

あなたはどうする?

時給、上げる?

 

PS

オススメの書籍群を用意してみた。お気づきかもしれないけれど、これらの書籍はだいたい、同じような源流を汲んでいて、米国で発展してきたDRMの本山に近いもの。そして、DRMは換金性が高い知識・情報であることを付け加えておく。

もし今まで、報われない勉強をしてきて疲弊しているのであれば、そのことは忘れてほしい。報われる勉強は、ある。一度、頭をまっさらにして、これらをかたっぱしから勉強してみよう。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。