不安がある世界と、不安が無い世界。この俺の根拠ある自信は自分に対しての自信じゃねぇ。

  1. 不安がある世界
  2. 不安が無い世界

この2つが世の中にあると思う。

不安が無い世界というのは、就職する、資格を取る、勉強する、みたいな感じで目の前のハシゴを登る生き方。不安がある世界というのは、まるで、暗闇を歩くような生き方。

暗闇の中を歩くのは半端なく怖いですぜ。

なんでそんな危なっかしい生き方ができたのだろう。

 

理由は3つある。

まず、1つ目は「孤独」だったこと。若いうちから孤独感を感じて生きてきた。表には見せないようにしていたつもりだけれど、常に孤独な気がした。特に、人がワイワイやっている中にいればいるほど、自分の心の内がハイライトされるような気がして、どこか虚しかった。

でも、世の中は因果なものだと思う。

孤独であることというのは、思考の独立性みたいなことに繋がってくる。実は考えることというのは、孤独を要求する。孤独になって延々と陰謀論にふけったり、「俺は何のために生きているんだ・・・・」「俺の生きている意味は・・・・」とかの無限ループに入っている人は、ただの鬱。それと、「俺はマジョリティとは違う」とか言って、大衆から距離を置いて大衆をやたらdisるだけとか、スティーブ・ジョブズの本を読んでいるだけとかも、これもまぁ、ファッション孤独。あんまり人とうまくやれないとか、ニートみたいなこととかを経験して、乗り越えて、我流で生産的というか前向きになると、とことん周りと自分とのギャップを感じるようになる。自分と周りとの溝っていうん?

若いうちから慣れていると、大人になると強い。22歳まで、みんなで仲良くやる生き方だったり、誰かに追随する生き方、寄らば大樹の陰でやってきたならそっから「孤独耐性」を身につけて行くんは難しいでしょう、まず。

 

もう1個の理由は、まぁ、「地に堕ちること」です。

人生を振り返ると、自分の中で、「死神との交渉」をしたような時期がある。

自分がやってみたいと思ったビジネスアイデアで、生活を賭けて勝負に出た時。心境としてはもう、死神と交渉したような気分になった。

友達もいりません。今後一生恋人ができなくても構いません。結婚できなくなっても良い。家族・親族の恥になっても良い。今後一生両親に会えなくても良い。まともなサラリーマン街道に戻れなくても良い。底辺に落ちぶれても良い。

 

・・・・・・・だから、俺に自由をよこせ。

 

で、結局、死神との交渉に勝った。

なんか知らないけど、捨てたはずの異性交遊とか友達関係とかも戻ってきた。経済的に自由になれたのは「必然」と言えるけれど、今ちゃらぽらんに遊べているのは「偶然」と言える。

資格で独立とかフランチャイズをやるとか、既存のものを丸パクリするとかなら割とメンタルは健康でいられるもの。株にしろMLMにしろFXにしろスポーツ選手になるにせよ、既存マーケットでの奪い合いに参加することに関しては全部同じだね。でも、自分で考えたものを実行するのには本当に勇気がいる。というか、恐怖に殺されそうになる。ガクガクと震えますよ、マジで。泣ける。

そうやって修羅場を乗り越え、悟りを開いたりするようになると、若干、狂気を纏うようになる。多分、脳の回路のどこかが焼き尽くされた状態。我流を通して本当に成功してしまうと、どんどん勢いづいてくる。自己強化のスパイラルに入って行く。

きっと、世の中の人間がファッションとかで一生懸命に個性を強調しようとするのは、無個性だからだと思う。本当は、自分が無個性な日常を送っているのをよくわかっていて、コモディティ人間だとわかっているから。非力だとわかっているから。だからプライベートで無理矢理に個性を強調しようとする。道で肩をぶつけて荒々しい声を出す。群れないと何もできない人間に限って、髪型をエグザイルにして筋トレしてタトゥーいれ出す。

ちなみに、男の場合は妻や家族があると、精神的に安定するらしい。健康になるらしい。自信が持てるらしい。生まれ持った家族にせよ、作った家族にせよ、そういう存在があるのなら強くあれるらしい。私にはそんなものはなかった、土壇場の時。

 

そんな感じで生きていると、そのうち、「変な人」になっていく。十分変な人になっていく。どんな感じに変なのかというと、風俗に行って女の子から、

「なんかすごい独特なオーラが出てるんだけど、何なの?笑」

と言われてしまうぐらい。会話も交わしてないのに。他にも変なことを結構言われる。会話していると「時間が歪む感覚がする」とか、「なんかちょっと変だね」とか、「面白いね」とか。たぶん、褒められている場合とdisられている場合の両方ある。ちなみに、disられる時はとことんdisられる。すごい言われる。

 

最後、3つ目。

それはもう、マーケティング。マーケティングだ。この話を抜きにして延々と自分語りをしていたら、私はきっとただのナルシストか、自己陶酔者か、精神異常者か、カルト信者でしかないと思う。もちろん、そういう気質があるのかもしれないけれど、結局、根底にあるのはマーケティングの力なんだと思う。マーケティングはとことん現実的で信頼のあるもの。自信とか不安とかの前に、「JUST DO IT」を突きつけてくる。とにかくやれって。「TEST、TEST、TEST」って言ってくるんだよね。失敗しろ、傷つけ、泣け、って。

私はこれを、人生レベルで拡大解釈している。

だから、さっさと若いうちに壮大な大コケをしておこう、ぐらいの軽い感覚でしか生きて来てない。

ミニマムな失敗を重ねていれば、そのうち、学習する。

転売、輸入転売、日用品のEC、ECでのディストリビューター、クラウドソーシング・・・・あぁ、そういや色々やったわ。忘れてた。キツかったな。雇われ労働に関してもそう。接客も、営業も、顧客対応も全部やったわ。

アラサーの大阪人に、「おちん●んの挿れ方がスムーズすぎてやだ♡」って言われたことがあるそんな私の初体験、まともに勃起しきれず大失敗だった。既に経験済みだった彼女。「もういい」とキレられてしまった。気まずい空気が流れた。つまり、そういう失敗の上に今は成り立っている。それだけじゃない、女の子とキスをするときに歯を当てて軽く怪我させたことだってある。10代後半で、「モリッ♡」とミニ糞がケツから出たこともある(人にはバレてないけどカミングアウトして笑いを誘ったこともある)。

自分の固定概念、思い込みを正す重要性もマーケティングは教えてくれる。脳の狂いが極めて大きいことも学ばされる。もし、1個1個の物事に対して見方がズレていたとしたら、それが重なると累乗的に大きなズレとなる。手を突っ込んでみないと、足を突っ込んでみないと、わからないことがたくさんあることを教えてくれる。レビュー社会が進んで、情報化社会が進んで、人はますます集合知にしか頼れないようになるから、なおさらコモディティ化圧力がかかるから、だからこそ馬鹿になって手を突っ込む、足を突っ込む力が大事になってくる。

そもそも、私たちの頭ってそもそもそんなに優秀だったか?

不完全な頭脳(アタマ)で何かを考えようとするからダメなんだろう。

あの釈迦でさえ、人間の頭で考えることは大したことじゃないんだよって言ってる。少なくとも、私なんかは自分の頭なんて信用してない。

学校教育が、勉強すればいろんな不安が取り除けるよ、とか嘘を吹き込んでくるから悪いのかもしれない。学校の勉強ができると万能な人間になれるような気がしてくる嘘を吹き込んでくるから。

そもそも一切のものは正しい正しくない以前に「新しい」「古い」の問題が出てくるからこの点には注意が必要だ。例えば、今私がこうやって吐き出したことも(耐用性がある話とはいえ)この瞬間から時間の経過という雨風にやられて錆びついていくことを忘れてはいけない。

 

PS

不安がある世界を渡るのに味方になってくれるかもしれない。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。