人生に迷っている人に、ガツーンと衝撃を与えるお話ししたいと思います。
そもそも私は、デフォルトの状態で、
- 人生が楽しくて明るいものだと思えない
- 仕事は基本的にやりたくない
とどうしようもない気質を抱えています。
そう、メンヘラなのです。社会不適合気質なのです。
ほら、西園寺さんって読書家じゃないですかー。
保有しているだけで数万冊の図書があって、そこいらの小学校の図書室レベルなわけですよ。オフィスにぶっ込んであるもの、実家に放置してあるもの、Kindle、電子化したデータなど様々。
保有しているだけでもそのぐらいなので、図書館なども含めて「読んだ数」になると、相当な量になると思います。
10000冊、ってのはかなりコンサバな数字を出しています。
結構色々読むんですよね。
瀬戸内寂聴さんの本から、Cancam、石原慎太郎さん、五木寛之さん、見城徹さんの本、「フリーターが1億円蓄財しました」系の本に、「置かれた場所で咲きなさい」とか「願えば叶う」系のスピリチュアル本、数学とか哲学(カントとかプラトンとかニーチェとか)とか心理学(フロイトとかユングとかアドラー)とか、「なぜ生きづらいのか?」みたいな病んでる系の本に、MBAとか自伝とか就活の本まで。ドラッカーも読むし、大前研一さんの本も読みます。本田直之さんとかも。
そして、
「人生」とか
「生きがい」とか
「生きる意味と価値」とか
そういうのをもう、ずーっと悶々と思索したり、考えたりするわけです。
キャリアとか。
すっげーーーーーーあれこれしてるじゃないですか。
・・・・でも、いつも思うことがあるのです。
女の体は難しい話抜きでマジで良い
ってことです。
もう、そこに理屈とか何もなくて、脳みそで変なスパーク起こってるの感じるんです。難しい話、全部ポーンって飛んじゃうんです。女の体を見ているのが一番良いわけです。
仕事とか勉強とか人生とか、何もしないでも頑張れる人はどうぞどうぞご勝手に
なんですけど、そうじゃない人間にとって、自分を走らせてくれる人参は何になるのか?
・・・・・・・女だ。
オンナしかねぇ。
とりあえず女と金があればいいんじゃ無いか、という軽薄な価値観は、重厚な世界に散々突っ込んだ後に余計にハイライトされる価値なのです。
Don’t think, Feel
じゃないですけど、明らかに良いものは良いじゃないですか。女体ってすごく良いじゃないですか。オンナ、オンナ、オンナ。
重要なことは、誰でも良いから女に抜いてもらえれば良いヤーーーーみたいな、格安風俗に行くような負け組思考ではないということです。
もっとこう、顔を上げて、街を見渡してください。
声をかけることに躊躇するような圧倒的美女を見かけたことがありませんか?
そういう女性を見かけたことが無いという人は、
- 相当な田舎に住んでいる
- 相当な世間知らず
- 自分のことを根拠なくすごいと思いすぎ(身の程知らず)
の3つのどれかに該当しているでしょう。
ある意味、幸せだと思います。そのまま何も目覚めない方がいいかも。
すっごいバブル世代みたいなこと言ってますけど、「うわ、あの女に堂々接して最終抱いてやろう」というモチベーションが大事なのです。
彼女とか奥さんとかがいて、「こういう人たちを守るために頑張ろう」と思うモチベーションは素敵ですけど、もともとポンコツは家族のために頑張れないです。絶対、途中で弱音吐きます。すでに、安住の場所があるからです。
しかし、常に手元に無い高みの異性を追っている人間には不屈のモチベーションがあるのです。
私の中で、これは人生を変える!幸福度上がる!って買い物は、
- 猫(動物)
- 女絡みのこと
- 旅行絡み、美しい景色
- 美味しい食べ物
と大体、相場が決まっているのです。
男の場合、勉強ができる人からできない人まで、「国家洗脳」のおかげで22歳の就職時までに世界の仕組みがわからないまま、レールに乗ります。すると、企業社会でのハシゴを登ることに一生懸命になります。そればかりに夢中になる。おかげで、人生の大部分を毀損するわけです。何のために仕事するのかよく考えた方が良いです。24時間のうち、8時間も仕事に取られるのです。世の中には、雇われの人が多いので、「何のために仕事するか?」みたいなことについて、いろんな言説が披露されていますが、私からすると、不自由な奴隷たちの言葉遊び、解釈遊びに見えて仕方が無いのです。
7つの習慣という世界で最も売れた部類の自己啓発書に、
「自分が登っているハシゴの上に行くことに精一杯で、ハシゴがかけ間違いであることに人々は気付かない」
という話がされていますが、まさにそれ。企業社会で出世したところで、雇われとしての出世ですから自由はありません。責任が重くなれば、プライベートでの縛りも増えます。税金の負担も増えます。付き合いも増えます。人間社会でのしがらみがどんどん重くなるのです。
サラリーマンたちに元気が無いのは、オンナを追いかけていないからです。
男はオンナを追いかけていると元気が出るようにできています。
私は結構、日下公人先生の本が好きで、彼の本の中に「日本男児は昔、女と子供のために生きて働いていた」という記述がありました。綺麗事抜きで、人生というのは昔は、家族を支えるためにあったのだろう、というのをなんとなく感じ取れました。これも1つの、「人生の意義」の見方でしょう。
これは結局、女のために生きる、というのの変化球型だと思うのです。
とりあえず、男は女を追いかけていると思うのです。
人間である以上、本能には逆らえません。
結局のところ、キラキラムチムチしている女を追いかけていることこそが、あらゆる逆境や困難、面倒くささをはねのける原動力になると思うのです。
この世で最も強いモチベーションはスケベ心だと思うのです。
「いつの日か、お前ら全員、やり散らかしてやる・・・・!!!」
これで、底辺の男たちはやる気を出せます。
頑張るのです。
「今は、そういう時代じゃなくなった」などと、若者を中心に言われますが、それは嘘です。
だって、私が10代の頃もそういう風潮がありましたもん。
しかし、「オンナの味」を誰かに教えられたのです。教育されたのです。
本当の教育とは、知識を突っ込むことではありません。モチベーションを埋め込むことです。「蜜の味」を教えることです。そして、ほとんどの場合、それは「この世の美味しい部分、楽しみ方」を教えることに繋がります。
男からすると、それはオンナであることが多いのです。
美女と夜景があれば、人生はすごく楽しい。
問題は、そういうプラス点を、いかにキープできるか、です。マイナス点を潰せるかが大事です。ウザい上司、面倒くさい人間関係、満員電車・・・など、世の中にはマイナスポイントが沢山あります。
私の人生は、
- プラス点をめちゃめちゃ高めて
- マイナス点をめちゃめちゃ減らして
- 単なる常識、慣行で運用されていることをバスバスと捨てる
という3つによって成り立っています。
女に生まれたことないので、女の感覚はわからないのですが、基本的に男は正道であれど邪道であれど、女を追っていれば人生の幸福度であったり、社会的に正しい道から外れずに済む、というのが私の人生経験知です。誰か特定の女性を追うとかそういうものではなくて、カテゴリー的に「オンナ」というものを好きでいて、追っかけていると人生楽しいと思いませんか。やはり、夏のビーチで水着女子たちを見ていたり、暑いシーズンになって女性たちが薄着になると人生楽しくなってきませんか。気持ち的にもハッピーになるし。女好きが身を救うのです。女好き過ぎると、「お金なんてどうでもいいや、ニートでいいや」みたいにはなりません。
このオンナ好きというのは、国内に止まりません。海外にも向けられます。
国内にも国外にも、
それなりの理由をつけて言語学習の動機を説明する輩がいますが、
どーせみんな本音は、
「外国人とラブロマンスしたい」
に決まってるのです。
女好きが、キャリアの防波堤になります。女遊びには絶対、金と清潔感とコミュ力と仕事力が要るからです。
日下先生の話に戻りますが、彼は東大の経済学部を卒業しており、国家公務員試験を首席で合格されています。そんな確かなキャリアと学識に裏付けされた、フレンドリーでポジティブな語り口調が彼の一連の書物の魅力なのですが、一貫して、「日本という国の素晴らしさ、国際社会での優位性、未来の明るさ」が話されています。なんかとにかく、いい感じなのです。一連の書物もすごく勉強になります。絶望より希望を描いている。その人がどういう人なのか?というのは、割と文章などを読むことで、いろんなことが見えてくるものです。こういう、昔ながらの「ハイバランスな立派なおじいさま」の、希望に溢れるフレンドリーな語り口調のお話は、私のような小市民にはグッとくるものがあります。
とはいえ、こんな本を読んで気分を良くしているだけで終わるなら、それは気休めに浸りたいだけでしょう。東大を出て国家公務員試験を首席で卒業した人と、そこらの小市民の視座は違います。日本が明るく見えるか、暗く見えるかなんて、立ち位置次第でもあります。
常々思うのですが、国公立大学卒、有名大学卒業者、大企業勤務者とそれ以外の人は「基本的なところから違う」というのは頭に入れておいた方が良いと思うのです。
人生は生まれた瞬間に、
- 支配者層、既得権益者層(皇族、政治、財閥その他)
- エリート家系層
- その他
- 大ハズレ家系
と、この瞬間に区分があります。
「日本が豊かかどうか」「将来がどうなるか」「自分の未来が明るいか」どうかなんて、自分の立ち位置で結構、動く問題です。
ですから、そういう意味で、
「女と金があればハッピー」
という軽薄な価値観は、特別な生まれではない人たちを救うと思うのです。実際、私はまさに「特別な生まれではない」人間だったので、女と金があればいいよね、という人生観で生きてきました。そして、私の場合はそれに「時間が要るわ、1日24時間じゃ足りない」という条件を付加してきました。色々考えた挙句、「労働時間は邪魔だな」ということで、労働時間を省く方法を色々模索してきたのです。
お金の話をすると、必ず反発する層が出てくるのですけど、これは国防の話とも似ています。
あなたに戦争に興味が無くても、戦争はあなたに興味がある
これ、誰が言ったんでしたっけ?
お金の話ってまさにこれですよね。「お金に興味がない」「普通の暮らしをできれば良い」とか、無関心を装っても、世の中がお金で回っている限りそうはいかないのです。
多少無理矢理にでも、お金に貪欲ぐらいの姿勢をキープしておかないと、誰かの役に立てないどころか、誰かの足枷になってしまう可能性も高いのです。
意識高い系というのは、往々にして誤解されています。
意識高い人というのは、
- 危機感のラインが高い
- 社会がマネーで回っているという現実を直視している(社会的な協調性を発揮している)
- 自立せざるを得ない状況にある(親や配偶者を頼れない)
- 一度、どん底を体験したことがある
- 自分の状況がヤバイことを冷静に客観把握できている
というような場合が多く、それは知性の賜物でもあります。
「地位を追う」「名声や名誉を追う」というのと、「金を追う」というのは話が全く別です。
地位や名声、名誉というのは早い話、「みんなに認めてもらえること」です。ですから、みんながやっている世界に参入して、そこで大出世することが大事なのです。
対して、「金を追う」というのは、場合によっては誰も触らない領域に行きます。ですから、理解されない、叩かれる、誤解されることも多いのです。しかし、確実に、誰かにサーバントしているからお金は儲かる。
中途半端に同級生の目を気にして、
「俺、ベンチャーで就職してくるから!!」
とかワケのわからないことを言ってるより、田舎で手コキ専門店を開業した方が金になります。
理由は単純で、その方が世の中の役に立ってるからです。
社会的地位ばっかり追わない方が良いですよ。
馬鹿になりますよ。
自己本位的になりますよ。
あってもなくてもどっちでもいいようなベンチャー1つがどうこうしたところで、どうでもいい話です。
少なくとも、私の日常の中では、
どうでもいいベンチャーの生息状態など、
本当にどうでもいい感じです。
私の頭の中は基本的に、
- 儲けること
- 女
- 美しい夜景や景色
- 人生を楽しむ
- 世の中に面白いものを創り出す
とかで埋め尽くされてますもん。
お金稼がなきゃ、というアンテナを真面目に張っていると、それが真剣である限りは、何らかの形で生産的にならねばなりません。貢献的であらねばなりません。生産的・貢献的になるためには、実際に生産性を上げるための努力であったり、誰かの悩みや苦しみに耳を傾けたり、資源調達であったり、資源利用であったり、先行投資であったり、色々やるようになります。
お金に無関心を装っていると、社会的には「無能」「怠惰」「役立たず」のレッテルを貼られて、挙げ句の果てに周りにも迷惑をかけることがあります。世の中がマネーで動いているのだから、仕方が無い。
何もしないことは正義では無いのです。
貢献するための成長にフォーカスを当てていれば、物事が好転していきます。
少なくとも私は、実家暮らしをしながら、あるいは配偶者に食わせてもらいながら、あるいは親に相当な援助を受けながら、あるいは会社や周りに食わせてもらいながら、「お金やお金儲けに興味が無い」なんて言い張る精神性は理解できません。
私が見る社会というのは、「金出せ!」で回っているからです。
どこ行っても、金を出せ!と言われます。
別に、それは良くも悪くも無く、ありのままを受け止めた姿がそれだと思うのです。世の中はお金じゃ無い、と言い張れるというのは、自分の周りの人が代わりに現実対処をしてきたという意味で、守られてきた幸せな人だと思います。
自己啓発本を読んで、
「この手の本はもうお腹いっぱい、疲れたわ、成功者は普通とは違う、
平和に普通に穏やかに暮らせればそれで良い」
とか言ってテキトーな戯言を吐ける人を羨ましいと思います。
雇う側はそんなこと思ってないので、いざといいう時にはこの人を平気で切るでしょう。
・エリートでは無い
・親に頼れない
・配偶者に頼れない
・老後が危ない
・人工知能や外国人時代がやってくる
・英語が公用語化する
・若い世代が台頭してくる
・歳を取ると気力体力精神力、全てが低下してくる
など、頑張る理由は将来も見据えれば、いくらでも出てくるでしょう。
「今だけしか見えない」
「自分だけしか見えない」
「国内だけしか見えない」
という感じだと、テキトーな諦めを吐けますが、
「将来も見る」
「自分ではなく社会の動きや構造も見る」
「海外も見る」
という感じだと、いくらでも頑張る理由、頑張らなければならない理由が出てきます。
まとめると、
「雇われないで、お金と女に恵まれてたら人生ハッピー、ただそれだけ、おわり」
というなんとも軽薄な価値観。
これが私を貫いているのです。
しかし、これが思いの外、めちゃめちゃハッピーなのです。
すごいいい感じで人生が運ばれていく。
運が良くなる。
運という字は、「運ぶ」と書きます。
多分、良いマインドセット(コンパス)を持っていると、自分という運命の川に流されている存在が、ゆらりゆらりと大河に出ていくのだと思います。
- おっぱい
- くびれ
- ケツ
- ツルツルの肌
- 金
- 時間
- 太陽と海
- 夜景
が揃えば、ハッピーなのです。
うわ、なんか陽気なラテンおじさんみたいなこと言ってますね。港区おじさんみたいなことを言っていますね。でも、そう思いませんか?
オフィスで仕事とかしてたら、南国のビーチでウクレレでも弾きながら、ぷるぷる揺れる美女の尻を眺めて生きたいという衝動に、駆られたくなると思うのです。
仕事なんか放棄して、女の尻を触りながら横浜ベイブリッジでも眺めたくなると思うのです。
日下先生だけではなく、森永卓郎氏の言も私は興味深いと思っています。森永卓郎さんも、日下公人先生も、二人とも学のあるおっちゃんです。東大卒です。国公立は私立とは根本的に、求められる学識のトータルバランス性が違うそうですね。そして、東大は総合的に、やはりズバ抜けているらしいです(・・・とエリートの友達が言っていました)。
そんな彼らが、庶民たちに、高いレベルの学識と成功したキャリアを持つ人間としての観点から、「どうあるべきか、どう生きるべきか」みたいなことを指南している。二人とも、
娯楽や趣味に走れ
ということを言っている意味では共通しています。経済的成功を目指してガリガリサラリーマンをやっても報われないだろ、的な話ですね。
森永さんなんかは、「年収300万円時代の・・・」
みたいな本を出していますが、
私の場合は、
「組織の外で食い扶持を作ることに精を出せば、時間の問題も人間関係の問題も解決するじゃん!」
と思うのです。
どうですか。
私は割と、間違ったことを言っていないと思うのです。
日本が戦後、高度経済成長して、大国の土台を作る過程にあったものは色々と崩れていますしね。これから先、悪材料も色々あります。だからこそ、です。
もちろん、私が言う「オンナ」ってのは、女性ってのとはまた違います。仕事してたりすれば、女性と絡む機会が多いですが、それは関係ありません。
仕事とかとコネクトさせると大抵事故ることになります。公私混同しない。あとはなんだろう、友達ネットワークとか?そういうので「オトコとオンナ」こじらせると面倒臭いですよ。穴兄弟とか、すごい面倒臭い。だから、ビジネスとか「公私の公」とは全く無縁の、遠い文脈で漁る。全然知らないオンナをプライベートで探しに行く。
夏になって、ビーチ行くじゃないですか。
ビーチで女の子の身体を見ると全部パーーーーンって吹っ飛んじゃうんですよね。あの、女性の体の歪曲したラインっていうんですか。丸みを帯びたデザインというか、くびれのラインにお尻のライン。あと胸の膨らみ。
ナンパとか、そこらへんで出会うとかになると、お身体のお披露目までに時間とコストかかるので、なるべくいろんなものを見たいってなったらビーチ行くとか風俗行くとかが手っ取り早いんですけど、ほんと、すっごい楽しい。
ちゃーんと、自分が手に入れたいものを描いて、そこから逆算して人生プランを決めるのです。
私は、海も、夜景も、女も、楽しみたい。
酔いたいのです。
欲しいものがハッキリしていると、「ダメな選択肢」がすぐわかるので良いですよ。
「あれはダメだ」
「これはダメだ」
って判断できる。たとえ、それが社会的にすごく良いとされている道であっても、です。
真面目に生きていると、
たまーに、
こんな感じで
〜〜〜〜〜
ふざけたことを言う
〜〜〜〜〜
と出会いますよね。こういう人が自分より稼いでいるとイライラするわけです。
私は別に、
イライラだけさせて終わってませんからね。
自分が使う、お金稼ぐのためのフォーミュラとか、メソッドとかも出してるじゃないですか。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。