①x→y
②x←y
1は単純に、xを押して、yを確認している。
- 値域とは、関数において独立変数(x)が定義域の値をとるときに、それに応じて従属変数(y)がとる値の範囲です。
- 終域とは、写像において、集合を関数に対応付けている要素の集合です。
これは、最大値・最小値を求める問題で使われる。
一方で逆パターンもある。
2は逆パターンであり、これは「定義域内に存在するか」という問題になる。
エグジストの問題になる。
∃である。
前者の例:ナンパ
私は前者の例について、よく「ナンパ」で考える。
ナンパ行為において、
- 原因
- 結果
の分析をするのだ。
原因行為において、私は、時間・気力・体力を消耗している。
そして結果を求めている。
この際、「努力=原因創造」と、「結果」を分けるのだ。
努力については、時間計算で考えれば単純線形問題である。
これは時間と声かけの関数とでも見ておけば良い。
一方で結果の方は違う。
声かけ数に対して、どのような結果が出るかは約束されない。
だから、前者と後者の重なりを考えながら、何をどうすべきかを考えたりする。
これは、「範囲」を考えているに等しい。
努力の原因をコストとして考えれば、そのコストと、結果の差分が拡大すればするほど、人はそれをまるで「赤字」のように考える。
後者の例:ビジネス書
ビジネス書は、顕著な成績・実績を持った人が、その原因を語るものだ。
そして、読者がその恩恵を得ようとするものだ。
だが、私は常に考えるのだ。
そのY(結果)は、本当にドメインの中にあるのだろうか?
私はいつも思うのだが、大抵の場合、300ページ、400ページのビジネス書の中に、その答えはなくて、巻末の経歴のところに答えがあるのだ。実はそこがxなのだ。
xとyの対応をしっかりと考える
まず、xとyの対応をしっかり考える。
これは大事なことである。
どうして、
- 単射
- 全射
- 全単射
があらゆる数学書に書かれているのか。
これは非常に大事なことだからだ。
「全て(all)」と「ある(some)」の重要性
- 全て
- ある
は大事である。
あるは、先のexistとも関係する。
「全ての女性はクズである」に対して、
「クズじゃない女性がいる」という命題が証明できたら、論破できる。
つまり、「全て」に対して「ある」は反論できるのだ。
例えば、
ガロア理論
という数学の最高峰の高み、みたいなものがある。
これは、
- +
- ー
- ×
- ÷
- √
によって、あらゆる数が生成できる、ということをベースに、「演算カテゴリ」で数のグループを見ていく。
その掘り下げの中に、
●●の解は存在するのか?
という問いに答えていく。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。