消極的動機で稼ごう!

お金を稼ぐ理由は何ですか?

一つ、私が強調したいことがある。それは、『消極的な動機から金を稼ごう!』ってのも流行っていいんじゃないの?ってことです。

世の中にはポジティブな動機で稼ぐ人がいます。前向きで積極的な動機で金を稼ぐ人がいます。服が欲しい。旅行したい。高級車に乗りたい。そしてなんか知らんが、こーゆー人にフィットした設計で世の中はつくられてる????

でも、消極的な動機で稼ぐ人だっているでしょう。なんとなく、社会にいると疲れるという人。人付き合いで疲弊するという人。別に意識なんて高くない人。どうしてもいじめられがちだという人。どっかのコミュニティに所属すると必ず不利益を被る立ち回りを強要される人。ムカつく奴とばかり働くハメになってる人。なんか知らんけど人生がうまく回らない人。

 

人生がうまくいかない理由の一つに、人が人をなんとなくで判断する、というのは大きいと思います。私の個人的な感覚ですが、基本的に、世の中、『誰でもいい、どれでもいい、どうでもいい、どっちでもいい』という感じでまわってることが多いと感じます。ですから、その渦中にいれば理不尽な目にあうことも多いのです。

なぜなら、精査されないからです。

テキトーに判断されるからです。

人から尊重されないとか、自己重要感を感じないとか、理不尽な目にあうことが多いと感じた時、なんとか自分をうまくPRしようとしたり、マウンティングしたり、ちょっとばかし努力しても状況が改善しないことってよくあります。それはシンプルな話で、『どーでもいいことをPRされたり改善されたりしてもどーでもいいから』でしょう。

私は今日買ったコーラの色合いが、これまでと比べて変わったとPRされてもどうでも良いですが、炭酸の強度が強くなったとしたならそれは嬉しい。

アップルやスターバックス、アマゾンやレッドブル、ヴィトン、シャネル、フェラーリ、コカコーラ、ティファニーのように指名買いされてるのってどれだけあるのでしょうか?大小さまざまな沢山のビジネスの中で、果たしてどれくらいでしょう?これは個人に関しても同じ。いわゆるコモディティ化の渦中にいたら、『誰でもいい、どれでもいい、どうでもいい、どっちでもいい』として扱われる対象が自分になります。これはこのまま、責任の軽さや身軽さに直結します。しかし、同時に不毛な競争に巻き込まれて疲弊する原因になると思うのです。

人は人をなんとなくで判断します。

わかりやすいもので判断します。

理由は大方のことはどーでもいいからです。ヒューリスティクスに頼った方がコスパが良いんでしょうね、きっと。

『即断即決された!』

『出会った時から結婚したいと言われてて嬉しかった!』

『即採用された!』

とか言って喜べないかもしれません。相手はそもそも、どうでもいいと思ってる可能性があります。

人は、なんとなく決めることと、そうじゃないものがある。

営業成績とか、見た目の問題も大きいです。嘘だと思ったらティッシュ配りの現場を見てください。美人の成功率は圧倒的です。

だからこそ、損をしがちな人っていると思います。ルックスが良くない、学歴がない、資格が無い、勤めていた会社がしょぼい、特に大した実績が無い、これといって面白いことをしてきてない、、、、

でも、そんなのって、別に、普通です。逆に言えば、だからこそ人は必死に、わかりやすい指標をかき集めるのでしょうか。

イケメンや美女は印象が良く、面接に受かりやすいそうです。若くて綺麗な女は、ハロー効果によって何をやっても賞賛されます。美人が『ニーチェの言葉』とか『7つの習慣』みたいな本一冊読んでるだけで、周りは賞賛の大合唱です。

セールスの世界ではよくノンバーバルコミュニケーションの重要性が語られます。言ってることじゃなくて、雰囲気とか見た目で決まる、ってやつですね。昔、営業職の上司が力説してました。

サラリーマン男社会で出世する人間に、デブ(身体が大きい)、声がでかい、威圧感がある、なんとなく扇動的な身振り手振りが激しい、という特徴があるのは偶然ではありません。秋元康さんもリーダーになる人の特徴として似たようなこと言ってました。

逆に言えば、言ってることを注視すれば雰囲気に飲み込まれることはなくなります。私はこの方法で、怪しいセミナー講師、怪しい社長、怪しい営業マンなどを見事に回避してきました。

サラリーマン社会を生きてれば、カタカナ語の使用頻度とか、ゴマスリのうまさとか、声のデカさとか、そういった瑣末なことで競争に巻き込まれたり、マウンティングされたり、ひどい時には攻撃されるとか足を引っ張られることもあるでしょう。アフター5が主戦場だったりするでしょう。そういう経験をしたことがある人は多いでしょう。

いわゆるお局問題もあります。そーゆー面倒な人との関わりもあります。どこにも嫌な先輩、嫌な年寄り、嫌な上司はいます。いじめやら陰口やらで、自分の寄生する環境におけるアドバンテージを保とうとする人はどこにもいます。新人いじめ、若者いじめ、そういうのもどこにでもあるでしょう。ある程度の偏差値以上の人が集まる場所や、ある程度以上のプロフェッナリズムを要求される世界、ある程度都会に行かないと、未だにそーゆー変な文化、変なコミュニティに触れることってあると思います。

外を見てください。外で車を走らせてみれば、怒りやストレスによりぶちまけられたクラクションの合唱の中。ストレスのオーケストラ。電車では死んだ顔したサラリーマンたちがいて、ぶつかったり足踏まれる。それでも何も言ってこないかもしれない。謝られるどころか、『あぁ!?』みたいな顔されて、思わず言い返したらワイワイガヤガヤ。お巡りさん走ってくる。嫌なことがあって、落ち込んで、疲れて帰ってたら電車でキモいおじさんにお尻を触られる。飲み会で女の子に『えー、お金無さそうー!(キャハハハハ!)』と笑われる。理不尽さえに耐えた報酬として得た給与から、国は容赦なく税をぶんどり、リビングのスペースを陣取るだけのトドと化した嫁に金をとられ、微々たる小遣いを渡され、お昼下がりのどこかのカフェでATM呼ばわり。そう。世の中はそーゆーところです。

下に行けば行くほど、嫌なことはてんこ盛りです。

上に行っても嫌なことはてんこ盛りですが、かろうじて、自己重要感とかプライド、誇り、達成感、高い報酬がある点、そっちの方がいいかも。何より、上の方が嫌な人が少ない。それはやっぱり、上に行けば行くほど、人間性がヤバイと引き摺り下ろされやすくなるからだと思います。

エリートの人たちや、中流以上の人たちが、必死こいてレールから外れないようにしたり、お受験や就活を頑張るのは『下に転落するのが怖い、なぜなら下の人たちはヤバイのが多いから』というのがありそうです。たぶん、それはその通りです。下といっても世界は広いですが、下の下ぐらいの世界は一通り泳ぎ切ってきました。もともと私はそっち界隈出身ですからね!努力して、多少は上方にシフトしてきた。いや、斜め上に出世してきた。

キラキラネームが横行する世界や、マイルドヤンキーと呼ばれる人たちが支配する世界、低偏差値世界には結構ヤバめな人がたくさんいます。会話もヤバめです。何がヤバイって、言い尽くせないんですけど、『ノリがランダムでつかめず攻撃的』『周りが盛り上がり過ぎてて、そこについていけない自分が強烈にハイライトされ、何が面白いのか笑えるのかわからず、生きてる意味がわからなくなるような、そんな空虚な会話に巻き込まれる』『しょーもない噂話と陰口の総合デパート』とか?低偏差値×体育会系とかになるともっとヤバめです。辛いですよ、そーゆーところで働くのは。経験者語る。というか、私は属性的にもともとそっち寄りです。

私立の中高一貫校とかで育った人、都会の優れた教育環境の中で育った人にはわからないでしょうが、田舎には未だにヤバイ先輩が凶器をもって後輩を抑圧してるような社会が存在します。部活とかに入らなくても、そーゆーのに強制的に巻き込まれることがある。地方出身で、今の20歳ぐらいの東京に住んでるような女の子が、中学時代にそーゆー経験を持ってたりします。つまり昭和の話でも何でもない。

先日、林修先生の初耳学で、灘中灘高のクイズ同好会が取れあげられていたのを観ましたが、すごい光景だと思いました。高校生の先輩が中学生の後輩と和気あいあいしながら勉強した知識を分け合ったり、競い合っていました。温和な空気でありながら、切磋琢磨してました。素晴らしいです。生きてる世界が違う。

彼らは、たぶん、高校生ぐらいになっても、変な人がたくさんいるところでバイトとかしないんでしょうね。理不尽な支配や暴言が横行する世界で、人の顔色を伺いながら働くという経験を積むことは無いのでしょう。そこには、教科書の中の世界と違い、プリンシパルも何も存在しません。粛清されるのを恐れて、金正恩みたいなやつの下でプルプル震えながら働く経験もないかもしれない。

社会に出れば、そーゆーやばめな人たちに揉まれてきた人がいるし、そーゆー畑から出てきたくせに鬼のように勉強してきて、度胸と学のハイブリッドタイプで這い上がってきたタイプの人とも出くわします。挫折を重ね塗りしてでかくなってきたメンタル強者がいたりします。ストリートスマートがいます。『ばか、無能、無教養、非常、クズ、落ちこぼれ』と罵られながらも、必死に耐えて向上し、『ばか、無能、無教養、非常、クズ、落ちこぼれ』の全てを治癒してきたタイプもいたりします。温室育ちの中では出会わない人と接点を持つことがあります。

もちろん、社会に出た時点から入り口が違ってて、棲み分けられた世界を高速でかけあがっていくからエリートはエリートなのかもしれない。

 

、、、あれ、何の話だっけ。

そうそう。

私が言いたいのは、お金というのはある意味で、自分がいる環境を変えたり、環境から逃げたり、別の世界に移住するチケットになるということです。やはり、世の中がお金という共通の尺度でまわってる以上は、定量化できる実績を持っていたり、数字に沿った活動ができると強い。単純にお金があると良い情報にアクセスして、良い機会が得られるというのもある。何より人ですね。活動するにあたって、お金がかかるのは普通ですが、そのお金をまかなえるならどんどん世界や視野は広がっていく。いろんなことがわかり、いろんなところに行けるようになる。もちろん、シンプルに、お金を稼いで貯金し、しばらくの間戦線離脱しても良い。たくさんお金を稼げるような人間になって、今いるしがらみだらけの環境から抜け出しても良い。会社も個人も同じですが、自分に対して誰かの資本が注力されてると身動きは取れません。実家暮らしは不自由です。誰かに食わせてもらうのは不自由です。ニートは不自由です。親会社の支配下は不自由です。

お金で何かを買えるということよりも、お金がもたらす自由。そこに価値を感じる人はいるはず。

ほら、どっかの偉人が言ってますよね。

金は鋳造された自由だ、って。

 

私が追い求めてきたのは、自由です。

だから、例えば書店にあるような『貯金術!』『倹約術!』『資産運用!』みたいなのはあまりピンと来ないんですね。わかりますかね、これ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。