男と女の子供愛に温度差がある生物学的理由

女は、自分の母体を通して産んだ以上は子供が自分の子供であることは間違いなく、その点で子供は100%自分の分身である。

対して男は、元来自分の子だと確信する術が無かった。DNA鑑定は最近の技術である。

子供には母性の継承が確証されるが父性の継承は確証されない。

 

お歯黒、バージンロード、結婚までの貞操の堅持などは、歴史的な社会的知恵である。

マーケターとしての知恵をアドバイスすると、処女の15歳女性は結婚まで処女を守ったほうが結婚後に幸せになれる(大事にされる)可能性は高くなると推定できる。

男と女の関係なんて理屈を突き詰めればどこまでも不合理なのだから、生物的性質の部分にBETした方が良い。

他のオスを圧倒的に排除する忠誠度の高いメスは大事にされる。

西園寺統計(いい加減)によると、処女卒業の速さと、結婚後の幸福は反比例関係にある。恋愛と結婚は全くもってコンテクストが別である。結婚という文脈において交際経験の多さは、生物の嗅覚としては事故歴の多さとして判断される。就活と同じで、転職歴の多さは、その多さに裏付けられた価値が無いと事故物件扱いされる。

 

女が元カノの話を詮索したがるのは男の男としての振る舞いの過去実績聴取を通して、男としての欠陥や優位性を見極めたいからであって、男が元カレの話を聞きたがらないのは、汚れていると確認したく無いからである。汚れているとは、他の遺伝子を継いでいる可能性である。

 

女性は尻が軽いと、結婚生活という意味では男には大事にされない。絶対的忠誠を示さない場合にも同様である。

女性が子供への愛を語り、旦那に対して子供の面倒見の悪さを責めることがあるが、あれは間違いである。同じ土俵では無い。女性の子供への愛は嘘である。

子供が大事なのは生物的エゴである。

基本的に子育てとはエゴである。

貧しい国、政情不安な国においても男女は子供を産む。子供を産まないというチョイスも、まだ見ぬ自分の子供への愛情の一つ、という見方もできる。しかし、多くの場合はそのチョイスができない。

もし、一般的な人間の多くが、金銭的に余裕がなく、才能がなく、資力が無く、子供に継承するものも無く、その国家の先行きが怪しい場合においては、子供を産まないという選択が正しいはずだが、そうならない。よって、子育てとは愛とエゴの混合である。

子持ち男女間の覇権争いもいわば組織における部署争いのようなものであって、お互いがお互いの領域を主張しているといえる。本来、同じ組織であるはずが、部署間闘争に走る場合がある。シングルファザー、シングルマザーの方がうまくいく人も大勢いるだろう。要するに、自分の描いた作品に他人の邪魔を入れたく無いタイプである。

母親の子供への愛が絶対なのはなぜか?

100%自分の分身だからである。対して、男にはその確証が無い。DNA鑑定しない限り、他の男の子である可能性はどこまでも拭えないのだ。しかし、女は自分の母体を介して産む限りは100%自分の子である。

男と女はフェアではない。

もし、この点について異論を唱える女がいたら、『じゃあ、養子を取れば?』と聞けば良い。ご存知のように、ほとんど女性は養子ではなく、自分の子が欲しいと言う。産みの親より育ての親という言葉があるにも関わらず。

要するに、本能なのだ。DNAなのだ。自分の分身を残すというエゴなのだ。

 

よって、男性の子供への愛情は、初期においては母親(嫁)の旦那に対する忠誠度、夫婦関係などによって決まり、特にそれは幼少の場合は顕著である。父親の子供へのダイレクトな愛情は、子供が知性をもって、自分の意思で愛着を父親に示すようになってからである。元来、男の父親としての役割重要性が増すのは、後になってからである。

部活動における上下関係や、会社組織における上下関係からも見て取れるように、元来、男は子分や後進に対して非常にうるさい・めんどくさいが、手間暇はかけるのである。仲間意識やサポート意識もあるのである。子供の進路介入のうるささはむしろ男の方が激しいかもしれない。

男女ともに、子への愛情がエゴの変化球的表出であるのは当たり前である。その方が、子の生存が保障されるからである。また、男女ともに自分のエゴの元に子育てが根付いていないと、他所でフラついてしまい、子の生育や安全が保障されない。

男が育児に無責任で積極的でないのは、ある程度は当たり前である。

 

イクメンとか、頭悪いと思う。

男女が共同で家事育児やるのは当たり前としても、協力とか共同って、短いスパンでしか見てないのなら話にならないからね。

人間の本質にそぐわないことを、社会的にキャンペーンしておしつけたところで、できるようになるとは思えない。

なんていうか、世の中、教養がある指導者が減った。日本みたいな無宗教国家は、こーゆー時に困るよね。

 

インフルエンサーとかで、子供に対する薄情さを発揮してる人とか見るたび、あー、嫁がハズレだったんだろうなとしか思えない。

ダウンタウンの浜田氏もスティーブ・ジョブズ氏も嫁が相当できてるのだろうと思う。

 

PS

プリズンブレイクシーズン5のティーバッグの、自分の子供に対する戸惑いの感情は名演だったぜ。

あのシリーズの脚本家は、本当に人間の本質を見てると思う。

シェイクスピアを持ち上げてる欧米的価値観を俺は賞賛したいと思う。脚本家の地位って言うのかな。

 

PPS

男の性欲の強さからもわかるように、オスはメスに向かうようにできており、また、メス次第で全ての考え方やポリシー、スタンスも変わってしまうところがあると思う。

まあ、男なら、誰だってその感触の一回や二回、感じたことがあるでしょう。

だから中途半端に恋すると危ないのだけれど。

まさか、恋愛のリスクを、女一人が妊娠可能性という形で背負ってるだけなわけが無い。

 

俺の同級生にはいるぜ。何もかもを全部女に巻き上げられて途方に暮れてるバツイチの奴が。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。