神様の声を聞く。少なくとも、神様は俺に勉強とか資格とかを求めちゃいない。

自分がやるべきことって何だろう。親に言われたこととか、上司に言われたこととか、友達に言われたこととかじゃなくてね。

もちろん、会社という宗教に入ると、神様っぽい存在の人から降りてくるものに沿っていかないといけないのかもしれないけれど。笑。でも、基本的には市場に向いていると良いんだと思う。

神の声を聞く。これってすごい大事な概念。目をつぶり、胸に手を当てて、神様に聞いてみる。あ、ここでいう神ってのは、半分ジョーク。ガチの神様ではなくて、要するに、自分からちょっと、意識を乖離させてみるってこと。別に神じゃなくてもなんでも良い。

「・・・・・神様、あなたは私に、学校のお勉強を求めていますか」。答えはNO。だって、神様はこう言う。お前なんかより、そんなことを上手にできる奴、効率的にできる奴はごまんとおるわ、って。これは、各種資格試験などについてもそう。だから、私はそっち系に努力を振り分けてはいけない。

 

自己中を脱するということは、外に委ねることだと思う。運命とか天命とか、需要とか、言葉は何でも良いけど。時折、迷ったら神様に聞くんだよね。自分がしたいこととか、やりたいことみたいなのは「自己実現」って呼べるやつだと思うけれど、これには前提がある。自己実現を支える前提や土台を理解しないといけない。

資本主義の最前線でガリガリやっている身としては、一度とことん底に落ちた身としては、断言できることがあるんだ。やりたいこととかしたいことが、もう、パーフェクトに完全なるエゴなら、人間として基礎的なことすらままならない。やりたい・したいってより「お腹空いた」のレベルになってくる。腹ペコの状態だと、やりたいとかしたいとかそういう議論じゃなくなってくる。きっと、昔のジャパニーズはそのレベルが標準だったから、仕事に文句つけずに頑張ったんだろう。

幸か不幸かわからないけれど、今のジャパンでは、とりあえずふつーにやってりゃふつーに食えてしまう。飢餓は克服されてしまった。だから、総国民的に、もはや「食える」とかでは満足できないレベルになってきている。

 

 

神を意識するというのは、貢献意識とか天命意識を持つことかもしれない。志を持つことかもしれない。そして、貢献というものは自分の中にある個性に根付くもの。そういう意味で、やっぱり本当は、なんだかんだで素晴らしい生き方というのは自分を殺すことなく社会性も殺すこと無い道筋なのでは無いかと思う。

うーん。自分は一体、他人に対してどういうお手伝いができるか?という問いですね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。