縦社会の集団はなぜ面倒臭いのか

ここに、縦社会の集団が存在するとする。トップの人間をSランク、それ以下をA、B、C、D、Eとする。

Sランクは一人、Aランクが二人、Bランクが三人、Cランクが四人、Dランクが五人、Eランクが六人いるとする。

末端のEランクが、Dランクの人間である某氏に対して、不満を持ったとしよう。しかし、Dランクの人間のEランクに対する扱いの悪さは、もしかするとCランクの人間を原因とするものかもしれない。いや、もしかするとAランクレベルに起因する、組織全体に根付く問題かもしれない。

 

縦社会の集団における厄介な点は、『誰も誰を恨めない』というところにある。人間が人間である以上は、直接、面と向かって不合理や不条理を押し付けてきた人間に対して不満を覚えるものだ。

しかし、構造全体を理解すると、遠因にまで洞察が及ぶ。すると、目の前で起こっている悪い現象について、それを担当している人間を責められないことに気づく。

 

中間管理職の悲哀や、クレーム処理を押し付けられる担当者、組織人の悲哀などはだいたい、このパラダイムで説明がつく。

また、今の事例はネガティブケースを説明したが、ポジティブケースにおいても同様の問題はある。つまり、末端メンバーの頑張りによって成された成果も、上の人間に評価と報酬が吸い取られていってしまうのである。

 

集団や組織には、特有の特徴がある。

これを理解した上で、自分は組織人に向いているのか、出世を目指すべきか、独立すべきかはよーく考えるべきだ。人間には必ず、向き不向きがある。

どんな仕事がしたいか、どんな生き方をしたいのかを考える前に、まず、自分が個人プレー向きなのかチームプレー向きなのかをよく考えることである。

そして、チームプレーの場合は、どの程度の規模におけるチームプレーが向いているのか、どのポジションに向いているのか、こーゆーことをしっかりと考慮する必要がある。

 

組織では有能な人間が、個人プレーでは無能であることは多い。また、個人では無能な人間が、組織では有能であることが多い。

また、チームプレー、組織プレーにおいても、自分が得意な職位、ポジションというのは存在するものなのである。

 

基本的な特徴としては、集団に属すると、個人的な報酬や評価というのは反映されるのに時間がかかる上に、成果も組織に吸収されてしまう。しかしながら、ネガティブな要素も組織によって分散吸収されるのである。

また、成果の出し方も、個人プレーで出した成果なのか、組織プレーで出した成果なのかによって、また、話は変わってくる。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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(Saionji General Trading & Business Development)

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Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。