自分より頭の悪い人たちを集めるというよりも、自分より頭が良い人たちを集めた方が良い。
そして、そうやって集めた人たちで何ができるか?というビジョンがあった方が良い。
自分より頭が良い人たちに自分を利用してもらう感じ?
お金どうこうよりも、面白いことがしたいよね!多分、きっとみんなそう。面白いことしつつ、お金も儲かったらいいな、みたいな。
どんな面白いことができるかな、ってすっごい考えるんだけれど、まず、「人材輩出機関」みたいなイメージができて、良い人材が来て、巣立ってのサイクルができるととても良いと思う。それはリクルーティング的な意味で。
プラス、何やるか、なんだけれど、トップが考えるのはビジョン。
あとは各々で考えよう、みたいな。じゃないと賢い人たちを集めている意味がない。
どんなビジョンが良い?
もう、俺は明らかに「第三帝国の創造」みたいなのは必要なビジョンだと思うよ。
もう、「どんな企業が生まれて欲しいか」とか「どんな商品・サービスが生まれて欲しいか」じゃなくて、そろそろ、世界の創造になってくると思う。
世界が欲しいよね?
新しい世界が欲しいよね?
第三帝国作った方が良い。こんなことやったら国に反対されるのだけれど、いよいよもう、
擬似国家的なもの、新しい第三世界的なもの
が求められているような気がする。
サードプレイスだね。
俺、基本サードプレイスが好きなんだよね。旅行好きだし、スタバ好きだし、ディズニーランドみたいな、なんかこう、ファンタジーでもなければ、お役所みたいな現実の空気感ばっかりが漂っている場所でもなく、第三の場所。
国とか地方公共団体から、どっかの土地とかを買って、そこで新しい街づくりをする、みたいな。もちろん、そんなことはそうそう簡単ではないのだけれど、
- 街づくり
- 土地づくり
- 仕事づくり
- ランドづくり
- 遊びづくり
- 教育づくり
みたいなことを、なんらかの形で実現したい。
考え方間違っているかもしれないけれど、日本を分割して欲しい。
- Aの土地は家族と仕事で回る典型的な社会人的価値観を重んじる世界
- Bの土地はセックスにラブロマンスに、キラキラしたものが好きな世界
- Cの土地はハードなビジネスマンの集積地
- Dの土地は実験好きでとにかく面白いことをやりたい好奇心に溢れている人たち
- Eの土地はとにかく穏やかに安定して暮らしたい人の世界
みたいな感じで、分割して多様性がある国。
いちいち揉めないでしょ。
好きなことを好きなようにさせれば良いんだ。
もう、日本人を1つにまとめないこと。
そしたら、まず、進路選択というか「世界選択」みたいな感じで、あらゆる可能性・選択肢が考えられるし、その多様性がイノベーションを産むと思うんだよね。
で、問題はそうなった時に、
「ハードなビジネスマンの集積地」
ばかりが栄えて、
「とにかく穏やかに安定して暮らしたい人の世界」
が貧しくなるみたいなことが起こりうるわけで、その時に初めて、「自分たちの世界観がどうなのか」ってのに気づくのよ。一人暮らしした子供が初めていろんなことがわかるように。
そうなってくると、安定したい人たちの中にも、「なんかやろうぜ」って人が出てくるのかもしれない。
自助努力的な動きが生まれる。
自分たちの世界観を守りたい!って努力する動きもあるだろうし。
昔から俺は思ってたんだけど、
日本ってなんで戦争したの?
って思ってて、別にさっさと負ければ良かったのに、アメリカに統合されりゃ良かったのに、伝統とかマジでどうでもいいのに、日本的ポリシーとか世界観守って自殺率高いの意味ないのに・・・・・
とかすごい思ってたんだけど、結局、「日本的なもの」を守りたいみたいな話に辿り着くのかな、ついたのかな、って。
正直、国という単位はデカすぎてナンセンス。
都道府県もデカすぎ。
・・・・・でも、なんか、各地を回って気づいたぜ。
地方によって、色はある。やっぱあるよ。
1つの価値観や世界観を強制性しないで、分割して、多様化して、そして勝ち負けを明暗にすれば良いんだよ。
みんな好きにさせれば良い。ただ、勝ち負けや結果は露骨に示すこと。
人間はボコボコに負けてはじめてやり方を変える。夢は叶えるならとことんやった方が良いし、砕けるならトコトン砕けた方が良い。
敗者、弱者、貧者を救ってはいけない。
絶対にいけない。
救わないことで、「あ、あの人ってすごかったんだな」とか、「あの世界観って正解だったんだな」とか思い直して、鞍替えして、そこでようやくはじめてリスペクトみたいなものが生まれてくる。
わかりやすく、世界を分けること。
そして各々の世界の色を明確にして、勝ち負けをわかりやすく示すこと。
人は価値観の押し付けに怒るし、自分の世界観みたいなのがあって、譲らない。だから、「こうなりなさい」じゃなくて、普通に分割して、あらゆる世界を用意して、好きなように選択させれば良い。
今のやり方って、全体を結びながらも多様性を確保しようとするからあっちこっちで批判の声が上がったりするのであって、そうじゃなくて、本当に分割して多様にする代わりに、救わなければ良いんだ。
そして、勝ち負けや貧富をわかりやすくすれば良い。
中途半端に弱者救済とかするから、わかりづらくなる。
中途半端に混ぜるから、わかりやすくなる。
自分のスタンス、ポリシー、世界観を好きなようにさせれば良いんだ。
そして、それで「うまくいかない」って思って初めて、何かを改めたり、うまくいっているのをすごいと思うのであって。
まず、「好きなようにさせる」が欲しい。
可愛い美女はどのエリアに集まる、みたいな風に露骨に差が生まれたら、「あー、そうなんだー、俺やっぱり女が好きだから、穏やかで安定だったけど、ハードなビジネスマンになろうかなー」とか思うし、逆も然りでしょう。女と仕事はもういいや、貧乏でもいいやみたいな。
俺だって、本当はこう生きたいとか、元々の自分がこうだったとか、ああやりたいとか色々あったけれど、「こんな感じじゃないとモテない」「こんな感じじゃないとうまくいかない」みたいな敗北のプロセスを経て、色々修正してきた訳で。
弱者に中途半端に、
- 性の喜び
- 愛の喜び
- 生活の喜び
- パートナーがいる喜び
みたいなものを与えるからいけないのであって。まぁボチボチでいいやとか、そういうことを考え出す。
中途半端にごちゃごちゃにするから見えにくくなる。
あちこちを分割して、露骨に明暗分けたりして、貧しくなったところなんかは一切救わなければ良い。
ハリーポッターじゃないけど、スリザリン、グリフィンドール、みたいな感じで分けて、
「あそこの世界はその方向性で走って、それで歴史的にどうなって、最後はどうなった」
っていうわかりやすいストーリー・ヒストリーが残されていれば、それはそれでまた、理解に資する。
・・・・・って色々考えてみたけれど、
こんなことを言うまでもなく、
世の中は「好きなようにやること」を許容しているな、と思った。
歌手になりたい、小説家になりたい、漫画家になりたい、俳優になりたい、芸人になりたい・・・・・・
誰も止めない。
好きにやれよ、って。
まず好きなことをとことんやるから、その後に「勝ちに、成功にこだわり抜いて鞍替えする大切さ」とかにも気付くのかもしれないしね。
若いうちは好きなことをやった方が良いんだね。納得のためにも。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。