ドラゴンボールと鳥山明の凄さが全くわからないオレが漫画家志望に滔々と示唆を与える

 

ドラゴンボールと鳥山明の凄さが全くわからないオレが漫画家志望に滔々と示唆を与える。

 

 

私の社会不適合人生の端緒として、

周囲が面白いという漫画作品の面白さがよくわからない

という点があった。思えば、そこからもう社会不適合人生が始まっていた。周囲が面白いと言っていることが面白くないのであるから、学生時代の人付き合いは大変苦労したものである。

 

日本の漫画界で神と定評を受けているのが鳥山明である。しかし、私には彼の凄さがよくわからない。ドラゴンボールを面白いと思ったことが無いのである。

 

どれどれどんなもんか

と思い漫画喫茶で読んだことがある。中学生くらいの話である。人造人間なんとか号みたいなところがウヨウヨ出てくるところで挫折した。そして、最終巻に飛んで読んでしまった。

 

ちなみに同じパターンをワンピースでも繰り返した。ワンピースは小学生の頃に少し面白いと思った。しかし途中で挫折した。ナルトもそうである。

私の中でワンピースは白ひげが死ぬところで止まっている。それさえも周りに言われてなんとかそこまで読んでそれだ。本当は空島で止まっていた。

ナルトはサスケとナルトが千鳥と螺旋丸をぶつけたところで止まっている。

10代の頃に交際していた女性は、エースが死んだ場面をアニメで観ながら泣いていたが、本当に謎で、

わかり合えないかもしれない

と思った。案の定、わかり合えなくて破局した。

 

 

一方で、私が面白いと思って最後まで読んだ漫画作品も僅かながら存在する。

1つは、「イキガミ」という作品だ。

行政が、市民に対して「死亡宣告書」みたいなものを持ってくる。行政によって、あるとき急に余命宣告がされる。その背景にあるのは、「命の大切さ」を行政が市民に吹き込むというもので、いつ、誰が、どのタイミングで行政によって死刑宣告されるかわからない社会を作ることにより、人々の尻を叩く、みたいな内容だったと思う。

各々の人間生活がある中で、突如、余命宣告がされる。

余命宣告がされた時から、その人の人生は一転するのだ。

ある人は自堕落な人生を省みて何か事を起こしたり、あるいはある人は自暴自棄になってみたり・・・・。

これを10代の時にみて、面白いと感じた。完結までが短いというのもあったが、最後まで読めた珍しい作品である。

 

 

また、心底面白いと感じた・衝撃を受けた作品に、デスノートがある。これを最初に観た時は本当に衝撃を受けた。結局、デスノートも最後まで読めなかったが、途中までは本当に面白かった。これは小畑健の画力が圧倒的に高いことも関係している。

苦痛だったのは、台詞の掛け合いを追うことである。

昔からそうだが、話の展開を追うのは好きだが、登場人物の会話のラリーを追うのは好きじゃない。これはハリーポッターを読んだ時もそうだった、苦痛だった。ハリーポッターも第3作のアズカバンの囚人で挫折した。

 

そのほか、

  • ジパング (第二次世界大戦・太平洋戦争中の日本に現代自衛隊がタイムスリップする)
  • こち亀

など面白いと思って読んでいた作品があるが、私はあることに気づいた。

 

 

 

私が面白いと思うコンテンツは、総じて

リアリティが高い

ものばかりなのである。

 

つまり、何かしら、現実を反映・投影しているから面白い、もしくは作品の中での作り込まれた設定に矛盾がないから面白い。

 

 

ワンピースという作品に一番萎えたのは、サンジの足から火が出たことである。

悪魔の実を食べた人間は特殊能力を得る。面白いじゃないか。そう思って読み進めるが、能力者じゃない人間が能力者みたいな能力を発揮し出す。その時点で冷めてしまったのである。

もしかすると、最近のワンピースでは、「能力者じゃない人間に能力を持たせる新概念の解明」みたいなものが物語の中で進んでいるのかもしれないが、とにかく、私は色々あってワンピースから離脱した。

 

 

 

面白い統計がある。

20代にもなって、少年ジャンプ的な作品を読む大人たちは、総じて年収が低い傾向があるというデータである。

 

低所得ほど、フィクション作品が好きで、

高所得ほど、リアルドキュメンタリーが好きだという。

 

 

もうおわかりだと思うが、漫画を筆頭に、創作作品を面白いと感じるには、

  1. 現実と乖離しているから面白い
  2. 現実に近いから面白い

の2つの真逆の方向性があり、メジャーどころの漫画というのはほとんどが「1」なのである。

そしてそれは、現実社会であまりうまくいっていない人たちによって支えられている。そりゃあそうだ。定義上、社会では相対的に弱者の方がボリュームが大きいのだから。

 

 

人は漫画に何を求めているか?

現実に無いものを求めているのである。

 

 

 

だから、一般に、

漫画の中で、

 

  • サラリーマン的な悲哀
  • 現実社会の厳しさ

 

などを生々しく描きすぎると、王道にはなれない。

島耕作や闇金ウシジマ君、ナニワ金融道のような路線もあるが、メジャーではない。

 

 

現実世界でリア充をしている人たちは、漫画を読まない。

仕事上、漫画絡みの仕事をする可能性がある芸能人などを除けば、多くの高所得者は漫画を読まない。

なぜなら、高級ホテルに行ったり、高級車に乗ったり、キャバクラに行ったり、旅行に行ったりという相対的に刺激的な娯楽が溢れているからだ。子供の頃漫画にハマっていた人たちも、財力を手に入れて、相対的に面白い娯楽を見つけると漫画から離れることが多い。

 

つまり、漫画というのは、

  • 子供
  • 大人だが社会的弱者

に好まれている媒体である。漫画は安い。数百ページの単行本が数百円で買える。ジャンプだってそうだ。一方で実用書を買おうとすれば、新書でも1000円を超えるのがこのご時世である。

 

 

日本だけ、なぜ漫画産業が栄えたか?

 

には面白い逸話がある。日本の子供は、金があって、外に自由に出られるから、である。

海外は子供を1人で外に出さない。自由行動をさせない。また、定額のお小遣いというものを与えない。目的に応じて金を渡すところが多い。

一方、日本の子供は、お小遣いを握りしめて、自由に外を歩き回れる。そんな子供たちが、駄菓子を買ったり、漫画を買ったりして、この手の産業は栄えてきた、というのだ。

これはなかなか面白い話である。

 

 

元来、漫画は子供向けである。

そこから始まっている。

その後、巨大産業化して、大人も読むようになったのだ。

 

 

少年ジャンプの某編集者は、

うちぐらいですよ、若者を億円プレーヤーに化けさせているのは

そんな産業、どこにもない

みたいなことを言っていた。これは一理ある。

漫画というのは、読んでいる人は弱者だが、描いている人たちもまた、元々は弱者である。

 

 

コナンの作者である青山剛昌は鳥取県出身、

ワンピース作者である尾田栄一郎は熊本出身。

ナルト作者である岸本斉史は岡山出身。

決して都会ではない。

また、伝統的に、新潟が漫画家量産の土地として知られている。積雪で冬は動けず、伝統的に貧しい土地だから、「子供たちは漫画を描くしかない」ということである。

新潟市では、「ドカベン」の水島新司、「うる星やつら」の高橋留美子、「パタリロ」の魔夜峰央など、中越地方では「るろうに剣心」の和月伸宏、「DEAR BOYS」の八神ひろき、「頭文字D」のしげの秀一など。

 

一方で、

  • 集英社
  • 講談社
  • 小学館

は東京の一等地に居を構え、主に都市部出身のエリートを集めているエリート集団である。エリートの中のエリートである。出版社で勤める人間たちはエリートだらけだ。偏差値の高い大学を出て、厳しい就活戦線を勝ち抜いてきた人物だ。出版社は就職偏差値で最上位であり、最も就職しにくい業界である。

 

 

田舎出身の貧しい作家を、都会出身のエリート編集者たちがビジネスにしている。

ユーチューバーとGoogleの構図にも似ている。

芸人とテレビ局の構図にも似ている。

 

 

芸人たちが、

スタッフに好かれないと長くやっていけない

と語る通り、作家たちもまた、編集部・編集者に気に入られないとやっていけない。認められないとやっていけない。

編集部が求めるのは、まず、編集部の方針に合致するかどうか。漫画の新人賞なども、明確な要件があって、これを守らない人間は落とされる。そして、編集部が編集会議で「GOサイン」を出さないと、雑誌に載せてもらえない。

鳥山にしても、尾田にしても、編集部・編集者にしごかれた経験がある。

 

 

鳥山や尾田は、その言説を追う限り、

出版社・編集部・編集者の方針に合わせる

ということがきちんとできている作家である。

また、鳥山に至っては、DB連載中から「もうやめたい」と何度も思っていたのに、編集部が辞めさせてくれなかった、という逸話が有名だ。当然、ドル箱なのだから辞めさせたくない。なんだか、嵐の大野智に似ている。本人はやる気がないが、オトナたちがその才能と金を呼ぶ力に注目して辞めさせない。こういうものが本当の才能である。

 

結果、鳥山は、

手抜きをするために

 

  • 戦闘シーンは荒廃した陸地で展開した (街の景色を描きたくないから)
  • サイヤ人の髪は金髪にした (塗らなくていいから)

 

などの手抜きエピソードで溢れている。

 

鳥山は集中線の使い方がうまい!

と言われてきたが、実はこれによって風景を描くことを手抜きして誤魔化している部分が多いのにお気づきだろうか。

 

 

鳥山明は、「画力」の評価が高い。

一方で、私はそんなこと、一度も思ったことがない。

 

なぜだろうと思った時、私は漫画作品における、

「戦闘シーン」

にあまり重きを置かないタイプなのだ。

 

私は漫画作品におけるセリフ・会話のやりとりもあまり追わないが、戦闘シーンにもあまり面白みを感じない。

世界観と、その設定された世界の中での物語がどう展開されるかに重きを置いて読んでいるタイプだと思う。

 

そのため、ドラゴンボールの戦闘シーンにワクワクしたこともなければ、面白いと感じたこともなく、読みながら「わかりにくいな・・・」「何がどうなっているのだ・・・・」と思い、テキトーにパラパラ飛ばすことも多かった。

 

 

ただ、だからこそ冷めた目線ゆえにあえて言うが、鳥山明の画力の高さなるものは、その

手抜き精神

からくる、わかりやすさだろう。

 

 

また、鳥山明はもともとデザイナー会社で働いていただけあって、

 

「時空間」

 

の感覚が優れている。3Dを描くのは確かにうまい。

 

 

ワンピースの場合、読んでいると妙に線が多い。

また、尾田栄一郎は遠近が下手である。時空間センスが鳥山とは比べ物にならない。

尾田は本当に、何を描いているかわからない。初期はまだわかったが、年々わからなくなっている。

例えばこのシーンは隕石が落ちているらしいが、隕石が上に上がっているようにしか見えない。

 

ワンピースには、時空間を魅せる力はない。

キャラクターの設定のユニークさや、名言みたいなもので回ってる作品のように感じる。

 

 

一方、岸本斉史は、美術部出身で、美術の勉強を下積み時代に徹底的にやっているため、彼は構図の描き方などは上手な方である。

ただ、岸本斉史は、漫画を読んでいていつも思っていたが、

メリハリが無いな

と思っていた。

 

「はい、ここ見せ場ですよ」

と言いたいのはすごいわかったが、全然ワクワクドキドキしない。

子供ながら、そう思っていた。

うまいのだが、なんかそれだけなのである。

 

 

一方で、鳥山明の場合は、

「あくまで漫画です」

という姿勢がはっきり伝わる、メリハリが効いた構図であることが多い。岸本斉史の漫画はどうも、美術みたいな感じがあった。

岸本も岸本で、リアリティを出すために細部に至って書き込む傾向がある。しかしそれが返ってわかりにくさを助長させる感じがあった。

 

鳥山は違う。

デフォルメする。

思いっきりする。

手抜きもする。

 

しかし、遠近や時空間の配置が見事なのである。

 

現代は、パソコン技術を使い、風景写真を取り込んで漫画化するのなんて容易な時代になりつつある。

だから、小畑健的な路線や、岸本斉史的な路線は廃れつつあるように思う。

 

一方で、鳥山明は、多分、現代だからこそ価値が出るかもしれない。

 

デフォルメが思いっきり効いた「漫画」にもか関わらず、それでいて時空間の配置が見事だからである。これは職人技である。

 

 

ただ、鳥山自身は、

  • 絵が上手いが話が面白くない漫画家
  • 絵が下手だが話が面白い漫画家

のどちらが優秀か、という点で、後者だと述べている。

つまり、漫画の面白さは、話の面白さで決まる。

 

 

鬼滅の刃、カイジ、ドラゴン桜など、絵が下手でも売れた漫画はある。

 

 

 

 

私は鳥山明の漫画を読んでいて、

なぜ漫画家は20代で売れないならその後売れても大成しない・天下取れない

のか気づいてしまった。

 

鳥山明の本を読んでいて思うのだが、

実に

  • ノリが軽い
  • 楽天的

なのである。

 

一方で、尾田栄一郎や岸本斉史は話に重厚感を持たせようとして重くしようとしているところがある。

 

鳥山明の性根なのか、性格なのかわからないが、作品全体が、明るくてノリが軽い。

拍子抜けするほどのライト感がある。

 

実際、鳥山作品から抽出された「名言」などないはずである。

(「パンパン」とかはさておき)

おふざけ感がすごい。

 

 

ここに、桑田佳祐との類似性を感じる。

桑田佳祐もまた、ノリの軽いアーティストである。

 

 

娯楽作品は所詮は娯楽作品で、

あまり深い意味や重たい要素を持たせちゃいけない、

所詮は楽しむものである・・・・

 

そういうスタンスが感じられる。

 

 

 

良くも悪くも、作家デビューが遅い人の作品は、社会での現実経験が滲み出たり、作者の社会で揉まれた部分やこれまでの人生で苦労した部分が投下されやすい。

一方で、鳥山明は、

若い頃にノリでデビュー

してしまったからとんとん拍子できているので、漫画家としての実務の苦労はあっただろうが、人生の中で、社会的な苦労は皆無の人生だっただろう。それがビンビンに出ているのが鳥山作品なのだ。

そしてその明るさや、現実の苦しみが描かれていないところに人は惹きつけられる。

作品に特に重たいメッセージや政治性を持たせることもない。

 

 

若いうちにデビューして売れると、

社会性はないし社会人経験はないが、

突拍子もない発想

みたいなものを持てるし、良い意味で浮世離れしたテンションを作品に投影できる。

 

 

人がアイドルを好むのも、アイドルが純粋培養された鮎のような生き物だからだ。

現実世界にはいない生き物だからである。

アイドルはアイドルを演じている部分はあるが、若い頃からアイドルとして養成されて実社会の泥のような部分を知らずにアイドルとして活動し続けると、いい意味で現実と乖離してきて、輝きを放つ。

大人が、純粋無垢な子供に惹かれるような原理だ。

 

 

若いうちに、

  • 才覚
  • 発想
  • ノリ

で勝負して売れないと、

年を重ねるごとに、

「実社会の経験で勝負」

しないといけなくなる。才能もないのに、サラリーマン経験もなく、30過ぎてダラダラ漫画を描いてるような連中より、30過ぎて別の世界から転身してきた漫画家がサクッと売れていくようなことがあり得る。ナニワ金融道だったり、カイジの作者なんかはそうやってある程度の年齢から漫画家に転身して売れた。

 

 

ユーチューバーも同じだ。

30過ぎてユーチューブを始めたような人間が、若者と同じノリで勝負できない。

実社会での経験などを転用した発信が求められる。

 

 

20代の早い段階で売れなかったクリエイターというのは、年を重ねるごとに、実社会の経験に遅れが出て、ただ年を食った人になる。

本人も、人生が上向かないから疲れていき、作品に元気がなくなる。負け組の匂いが滲み出てしまう。

 

 

 

作家の世界は、社会人経験もないまま、バーンと若いうちから売れた

「スーパーフィクション」

タイプと、

 

ある程度の年齢から転職してきた

「ノンフィクション」

タイプに分かれる傾向がある。

 

 

その狭間がきつい。一番面白くないのである。

 

 

 

 

 

現実世界に興味がある人間は、宇宙の仕組みなどに興味を持つ。こういうタイプは科学思考を身につける。そして現実を題材にした研究の道に進んだり、エリートになることが多い。こういうタイプは小さい頃から漫画に目もくれない。

「面白い」のタイプが、現実に寄っているかいないか。

 

現実社会を面白くないと感じる、相対的にフィクション世界が面白いと思う人たちによって各種のクリエイティブワークや創作作品というのは支えられているのである。

もし、漫画家として大物になりたいのであれば、思いっきり、フィクションの世界に寄っていかないといけない。新しい世界を作らないといけない。新しい世界なくて王道にはなれない。

 

漫画家として売れたいが、燻り続けて、結果として、

専業主婦のつらさ

みたいなものを漫画で描いて、Twitterでレスポンスを得るようになったらもう終わりだ。

ポリコレで生きてるだけだ。

 

今すぐやめろ。

 

お前には才能はないのだから。

 

 

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。