2010年に逝去したチェーンストア理論の伝道者、渥美俊一。おそらく、日本最高の経営コンサルタントであろう。
ランチェスターの田岡信夫と渥美俊一がダブルトップでは無かろうか。田岡も松下電器、花王石鹸、イトーヨーカ堂、大塚製薬をはじめ、数多くの企業で絶大な成果をあげる。
両者は、一倉定、船井幸雄、小山昇らと比べても群を抜いているのではないか(小山を出すのは流石に間違いか)。
渥美俊一は2008年にこう言っていた。
大手ほど自己満足に陥って革新性を失った。売り上げのみ追い求め、人海戦術に頼る。標準化、マス化、エンジニアリングが徹底できていない。現場の頑張りを期待してはダメだ。
脱チェーンストア!という流れは、個店経営の流れでもあったと言われる。
チェーンストアの前提にあったものが崩れた。
そもそもチェーンストアが登場した要因としては食料雑貨が差別化できない一般的なステープル商品(staple merchandise、必需品)であり、身近な店で買うのが消費者の購買慣習であったことから、都市人口の増大により、多数の店舗展開が可能になったためであった。
チェーンストア理論の枠組みから脱却し、個店経営・フロアでの判断に移譲したビジネスは強くなっている。
そもそも、マイカルはもうない。ダイエーはイオンに吸収され、西友はウォルマートに。つい最近まで西武もまたセブン&アイのもとで、「外資に売られる」と労働ストなどがあった。日本でのセブンイレブン生みの親、鈴木敏文はチェーンストア理論に反旗を翻した。
私は2015年春の「取引先懇談会」で、「ヨーカ堂はチェーンストア理論から脱却する」と表明した。チェーンストアの発展を支えてきたアメリカ仕込みの理論はすでに役割を終え、また、決して日本の商売風土に合ったものではないことが明らかになっているのではないか。このことが明らかになって長い年月が経つにもかかわらず、日本のGMSはいまだに、この「アメリカの物まね」から脱却できていない。数々の取引慣行を変えることができず、ビジネスを時代の変化に対応させられないまま、今ここに至っている。
日本の小売業、特にGMS(総合スーパー)と百貨店は、売上高の減少に歯止めをかけられないでいる。過去10年間を振り返ってみると、チェーンストアの総販売額は14兆224億円(2006年)から13兆1682億円(15年)へと約1兆円減らし、百貨店も7兆7700億円(06年)から6兆1742億円(15年)へと約1兆6000億円減らした。
チェーンストア理論によって支えられたGMSは限界を迎えている。
ピークは97年。80年にダイエーがはじめて小売で1兆円を突破してから、17年かけてピークに達してその後は衰退。
いわゆるスーパーマーケットの誕生は1953年(昭和28年)、東京・渋谷に紀伊國屋が開店したのを皮切りに、その後、ダイエーが57年、西友が63年に誕生。浅草の洋品店だった「羊華堂洋品店」が「ヨーカ堂」としてスーパー業態に転換したのも58年、岡田家(現イオン)や西川屋チェーン(現ユニー)など、GMSの有力企業たちは一斉に50~60年代(昭和30年代)に業態変化が進んで誕生。そこからおよそ40年かけて最盛期を迎えたモデルであるが、日本の経済成長・人口ボーナスと連動していたと言えるだろう。
チェーンストア理論・ペガサスクラブに興味を持ったことがある。何せ、加盟企業・実績がやばいのである。そのため、渥美俊一の本をとりあえず買い集めたことがある。
また、ペガサスクラブ出身の井崎 貴富のセミナーに参加したことがある。DRM(ダイレクト・レスポンス・マーケティング)をフルボッコにしていて面白かった。売上なんて言っている経営者はバカだと。売上じゃなくて、買上だろと。売れる商品を並べるのが全てだろ、と。そのコンサルタントの話はシンプルで、売上は資産が転化したものであり、資産とはチェーンストアなら売れる商品を並べた広大なスペース。そしてこの広大な売り場面積に比例する形で売上は伸びる、と。
そもそもチェーンストアとは何か。鎖一つ一つをつなげるかの如く、複数店舗を集中管理しシステムとして捉えることで、「良い製品を安く」を提供するモデルだ。ニトリやくら寿司はこの成功パターンである。チェーンストアは200店舗を超えると強い力を発揮し、500店舗を超えると物凄いことになるという。ニトリの似鳥会長も「200店舗を超えたところから劇的に交渉力が上がった」としている。
そもそも小売は立地に左右されやすい。もっというと、出店する土地によって天候や周辺施設の状況に振り回されやすい。最初から小売ビジネスというのは一店舗より多店舗の方が収益を出しやすいモデルなのだ。一つの成功パターンを作って横展開すれば、成功の再現性を保ちながらリスクヘッジもできる。さらにはエリアにドミナント的に出店すればそのマーケットの客層を囲い込むこともできる。
しかし、tiktokで「ほぼ廃墟となった田舎のイオン」がアップされていたけれどガラガラだった。ダイエーと同じく、人口ボーナス社会の戦術だったのではないか。
チェーンストア理論は最強のマーケティング・MDだと言われている。
ただ、チェーンストア理論で成り上がった鈴木敏文や柳井正がその限界を指摘して脱却を図ったことからもわかるように、それなりに功罪・デメリットはあるのだろう。
一方で、チェーンストア理論の優等生、ニトリの似鳥会長は「人生の師匠」と呼ぶ渥美氏からチェーンストア理論を忠実に学んで実践、コロナ禍にあっても34期連続増収増益と業績は絶好調を継続。
「チェーンストア限界論が言われるのは、それができていないからだ。チェーンストア理論は正しい」
とインタビューで答えている。
個店経営はチェーンストア理論の否定ではなく、進化形なのかもしれない。
そんなときに出合ったのが、チェーンストア理論の第一人者、渥美俊一先生の本でした。旭川のメーカーまわりをしていたとき、ある会社の応接室に1冊だけ置いてあったのです。何気なく手に取ってみたら、日頃の悩みに対する答えがすべて書いてあって、目からうろこが落ちる思いでした。
衝撃を受けたのは、チェーンストアの店舗数です。当時は「5店舗以上になると社長の目が届かなくなって倒産する」というのが店舗経営の常識でした。ところが、渥美先生は「最低11店舗なきゃチェーンストアじゃない」という。そういう世界があるのかと驚きました。読めば読むほど、もっと知りたいことが出てきます。そこで渥美先生が主宰する「ペガサスクラブ」に入って教えを乞うことに決めました。
しかし、34歳の頃にペガサスクラブに入ってからも、劣等生でした。渥美先生は「経営は科学。数字を入れて話しなさい」といいます。それなのに、私は基本的な自社の経営の数字ですら頭に入っておらず、何を聞かれてもまともに答えられない。よく怒られて、会話を打ち切られていました。
https://president.jp/articles/-/22222?page=1
ニトリに関しては、単純に、安い家具を大量供給するというのがまだまだ需要があるため、伸び代があり続けているだけではないだろうか。チェーンストア理論は、社会に安いものを届ける小売業が社会的に需要された結果である。まだまだ家具・家電領域に関しては、需要が飽和しきっていないのだろう。衣食に関してはチェーンストア理論が早い段階でピークに達したのだと思われる。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。