どうやったら、心の底から「満足」が得られるのか。これは、金とか、友人とか、恋人とか、そういうものを通して得られるものではない。・・・・と私は思う。幸福感はもっと、抽象度の高い次元にあって、それらをいくつかの概念として提示することができる。これら概念を、現実世界のリアルなシーンを通して、五感を介して具体的に実感できた時、幸せになることができると思う。充実感でいっぱいになると思う。少なくとも、私はそうだった。
思うに、以下だ。
- 変化、進化する
- 本質や真理を突き止める体験をする、特別な智慧を得る
- 必要とされる
- 特別な存在として扱われる
- 主導権を発揮できる、思い通りになる
- 心の平穏と安定
- 楽しむ、喜ぶ、刺激を得る
- 成功、賞賛、勝利
変化し、本質を突き止め、真理を覗く。必要とされ、特別な存在になり、主導権を持てる。心は平穏になり、安定し、楽しめる。そして、成功する。
有名な漫画の名台詞で、「富・・・名声・・・力・・・、この世の全てを手にいれた男・・・」ってのがある。あれは表現としてはわかりやすいけれど、「幸福感」という点では少し違う気がする。幸福感を前提とした、本当の意味での成功・達成という意味では、ね。
個人的にはこう思う。・・・・・・物質的な、即物的なものではなくて、幸福は、「感情と意味(Feeling & Meaning)」の次元にある。そこに、究極の幸福は存在する。自己満足と一蹴してしまえばそうなのだけれど、究極の自己満足の世界が幸福なのだから。
その対内的なものを、対外的な具体事象を通して「体験」できた時。最高のエクスタシーを感じることができる。社会的知性を持つ人間としての至上の喜び。最高の興奮を得ることができる。
カネが得られた・・・
出世した・・・
恋人ができた・・・
そういうものは人に喜びをもたらすけれど、「そういうものとは圧倒的に質が違う何か」。自分自身にだけわかる、特別な意味と感情。胸の中にグッと押し寄せるもの。気付けば、ふと、涙がポロポロとこぼれ落ちるもの。これまでのことが走馬灯のように流れ、過去の出来事が全て繋がるもの。心の底から、生きてて良かったと感じるもの。
苦難があった。不安があった。迷いがあった。葛藤があった。そういうストーリーがあったからこそ、自分の中で、特別な想いがじわりと湧き上がってくる。大なり小なり、そういうものを生活の中で見出した人は幸せだ。
もっと言えば、幸福感に包まれた状態で、衣・食・住や性的交流といった、原始的な欲を満たすと最高に気持ち良くなれる。でもこれは、幸福とは程遠いストレスに晒されまくった状態では感じられないものだと思う。ストレス下でそういうものを得たとしても、そこにあるのは、60点の喜び。ありがたいけれど、心の底から喜べない感情。でも、「もっと悲惨な人はいるのだから・・・・」「人生こういうものだよね・・・・」って、心を思考で納得させる感じ。気持ちを頭で創る感じ。
働くということが、自分の感性を滅殺・減退させて他者の感性を満たす行為であるならば。給料日の翌日には、磨り減った自分の感性を充足させる行動に走るだろう。充填しなければ。これでプラマイゼロになる。そして、明日からまた、マイナスの日々が始まる。
イヤイヤで高給激務に就いても出費が止まらない、充実感が得られない、幸福になれないのにはワケがある。ただ快楽や享楽に走っても充実感を得られないのはワケがある。美味しい食べ物を食べ、セックスをし、旅行に行ってもどこか虚しいのは・・・・・・・。
生きる意味も、人生の目的も、自分で探し出す必要がある。むしろ、そうやってジタバタしたプロセスが、そのまま、望んでいる何かを形成していくのだから。下支えするのだから。結果を追い求めているようで、全ては終わりなきプロセスであるということがいつか、理解できるようになる時が来る。そう信じるというより、そうなのだから仕方が無い。
カネも、役職も、恋人がいるというシグナルを手に入れることも、消費的なものなのさ。刹那的なもの。
そこにストーリーはあるか。それだけで、問いは十分だ。
良い人生だった。良い旅だった。
そうやって、終われるように。
もうダメだ。安定とか、福利厚生とか、キャリアとか。
そういうワードじゃあ興奮しない。
仕事とか、お金とかね、恋愛とかね。なんだそれ、ってね。だからこそ、それほど執着せずにサクッと乗り越えてしまいたいものではあるんだけれどね。俗物的なものは。こーゆーのは。
本当に望むことで生きる興奮を味わってしまったから。
自分が本当に望むことは、一人で、夜、絶景を見ながらじっくりと考えるものなのだと思う。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。