幸せと才能と。人生と日本社会。宇佐美貴史が認めた天才のストーリー。

「消えた天才」という面白い番組がある。

今、各分野で第一線級で活躍している人たちが、若き頃、衝撃を受けた天才について紹介する番組だ。

「あの人は凄かった。今はどうなってるんだろう?」

それを追求する。

 

私たちは、誰もが義務教育のレールに乗せられる。

そしてその中で、勉強・スポーツの競争社会を味わせられる。

クラスで一番勉強ができたアイツ。

スポーツがめちゃめちゃすごかったアイツ。

誰もがそんな経験をしている。

 

中田英寿。

イチロー。

孫正義。

 

言ってみれば、その全国トーナメントでの覇者が世界に名を売る。

彼らは、若い頃から、サクサクと周りを蹴散らし、ストレートに登りつめていった存在だ。

 

勝ったり負けたり、すごい奴がいたり。

その延長線上に、例えば「東大」「ハーバード」だとか、「プロスポーツ選手」という世界がある。

私は学生時代、歯を食いしばって勉強をしたことが無いし、別に勉強を好きでもなかった。勉強も早々やめた。

だけれど、スポーツに関しては一時期、それなりに好いて頑張ってみたことがあるからわかる。

上には、上がいる。

持って生まれた才能で、どうしても歯が立たない相手がいる。

 

中田英寿にも、本田圭佑にも、中村俊輔にも、宇佐美貴史にも、香川真司にも。同世代を生きた「すごかった奴」の記憶がある。自分を遥かに上回る存在の記憶。

だからこそ、「消えた天才」のストーリーにはドラマがある。

最近の放送で、劇的なドラマがある回があった。それは、宇佐美貴史がガンバ大阪ジュニアユース時代の頃から、「圧倒的な天才」として認めていた1つ上の先輩の物語である。

そもそも、宇佐美自体が天才なのである。圧倒的な。日本サッカー界が誇る逸材。

その宇佐美に、

伝説

と言わしめる消えた天才の存在があったらしい。

宇佐美に、

僕が海外に出てプレーできてるぐらいなので、あの人はもうそんなレベルじゃない

と言わしめた人間。

ここで、宇佐美貴史を知らない人たちのために、彼がどのくらい凄いかを簡単に説明しておこう。

 

宇佐美は大阪出身だから、関西圏では名前が知られ続けた存在だったかもしれない。その点では、ガンバ大阪下部組織上がりの稲本や家長もそうだと思う。本田もそうかもしれない。

しかし、宇佐美の凄いところは、14歳ぐらいで既に、全国的な知名度があったことだ。その頃から将来の日本代表確定と言われており、同世代では太刀打ちできる人間がいないとやたら評価されていた。

ガンバ大阪育成組織史上、「最高傑作」と言われて、14歳ぐらいから既に「将来の日本代表確定」と言われていた存在である。実際、私も宇佐美が14歳ぐらいの頃からその存在を知っているのである。

彼は14歳ぐらいから雑誌でデカデカと載っていた。

そんな宇佐美に、「自分より上」と認めさせる逸材の人生。

 

その天才は、中学時代から、高校生年代のプレーに参加できており、そこで自分の技術が見劣りしない実感を得ていて、「俺はプロに行ける」と確信していたという。

ガンバ大阪のジュニアユース時代から、ユースで実力が通用することを実感していたということだ。

中学時代から、確かな実感を持って「自分がプロに行ける」と感じていたという点では、プロ野球の中田翔を思い起こさせる。彼も、中学時代から自分の実力がかなり通用する実感を得ていたらしい。つまり「自分が化け物だ」「自分の実力はプロにまで届く」という確かな実感があって、中学生時代からプロに行けることを疑いもしなかったという。プロに行けることを当たり前だと考えていたということだ。確かな実感を持って、だ。きっと、この点では宇佐美も同じに違いない。宇佐美が自分より上だったと語る天才サッカー少年についても同様だろう。

しかし、その天才サッカー少年の人生を潰したのは、日本のスポーツ教育であった。

彼は、高校生年代に上がり、プレーする中で、自分の特徴である個人技を封じ込められて、ひたすらチームプレーに徹するように教え込まれたという。そこから、サッカーに対する魅力を感じなくなってしまい、サッカーをやめる。そして、生きがいを失った彼は、非行に走ったという。高校も辞めてしまった。

 

将来の日本代表候補から、暴走族へ。

そんな非行に走る彼を支え続けた当時の彼女。

中学生からの付き合いだったという。

毎日のように、

あなたは変われる人だから

という直筆の手紙を、書き続けた女性。そして、それが今の奥さんだというから驚きだ。つまり中学の同級生と結婚しているのである。そして子供は27歳にして二人。

子供の頃から自分のことを知っている相手と結婚している、この点で宇佐美も同じだ。宇佐美も幼馴染の女性と結婚している。

結局、この物語は、総括すると、

  • 将来を期待された超天才
  • 日本の、天才性や個性を押し殺す教育によって逸材、潰れる
  • 潰された天才がグレて
  • そのグレた天才をずっと側で見続けてきた彼女が支え
  • そして最終的には結婚し
  • 幸せな家庭を築いている

というお話である。

今や国民の誰もが知る、一線級で活躍している現役のトッププロ選手が、「そういうすごい人がいたんですよ・・・・」と紹介するお話だ。自分より確かに上をいっていた人について、語る番組。

宇佐美に対し、宇佐美の先輩にあたるこの元天才少年は、

宇佐美はもっとやれるから!まだまだやれる!

という、日本全国のサッカーファンが思っているようなことを投げかけていた。

とはいえ、この先輩はまだ27歳である(宇佐美は26だ)。しかし、子供が二人おり、すっかり普通の良いパパさんになっていた。そして、

最近、長男がサッカーに興味を持っているのですよね。やる気があるのなら、代表クラスになれるように教えこもうかな。

と笑顔を見せていた。

そこには、家庭に注力する男の姿、次世代に望みをかける男の姿があった。

 

この物語に触れて、印象的だったことがある。

まず、宇佐美が、

あの人は人間的に魅力的だった。人間的に魅力がある人には、魅力がある女性の一人や二人、そりゃあ付いてきますわ。

と語っていたこと。

実際、非行に走っていた時期に、中学から付き合い続けていた女性からの一途な愛を受け続けて、最終的には結婚し、そして20代後半になる頃には既にその女性との間に子供が二人できているというストーリーはなんとも感動的である。

巷の婚活難民や、不倫女性たち、ヤリチン・ヤリマンの世界とは無縁の世界だろう。

世の中にそういう物語がある、ということを知ると、いい意味で、いろんなことが相対化される。世界を見る目が変わる。

宇佐美は幼馴染と結婚し、(その先輩にあたる)元サッカー天才少年も中学から付き合っている女性と結婚している。本田圭佑も高校時代に、試合でケチョンケチョンにした相手チームのマネージャーに突撃告白していって自分の女にしている(これが現在の奥さん)という男前ストーリーがある。

これが才能のある人生である。

才能がある人間は、中学くらいで「自分はプロに通用する」という実感を得ていたり、将来を嘱望されていたり、全国的に知名度があったりする。そして、その頃から、その人の本質を見抜いた魅力的な女性が側におり続け、懸命なサポートであったり支援を受け続けている。

周りに、その人の本質をしっかりと見続けてくれている人がおり、期待され、応援され、支えられ、愛され、信じられている。別にそれが、最終的には「プロサッカー選手になれた」「普通の労働者になった」でも同じことであって、幸せとは何かと考えさせられるような気がする。

重要な点は、これが市井のリアルストーリーだということだ。

人は、一定の年齢になれば、結婚とか、仕事とか、進路とか、いろんなことで悩む。しかし、早熟の天才たちは、もう、中学生年代で、高校生年代で、「大人の現実」の中で戦っているのである。そして、自分の実力についての実感を得たり、将来の道のりを考えたり、挫折したりしている。

 

「俺の人生はまだまだこれから」

「俺の人生の先は長い」

そんなことを30過ぎても悠長に言っている人がいる中、20代後半で既に子供が二人おり、幸せな家庭を築いている人たちが沢山いる。幸せの価値観は既に、自分以外の存在、自分の分身である次世代に対して投資をすることに向いている。次世代に目を向け、子供達のために頑張っている人が沢山いる。

もちろん、何歳になっても、自分らしく、幸福や自由を追求する生き方は素晴らしい。だけれども、それをやるのなら突き抜けておかないと、後々やってくる危険性がある後悔の念に対して、太刀打ちすることができないだろう。

 

勘違いはバカがすることだけれど、一生し続けたら天才

という言葉をどこかで聞いたことがある。

早熟の天才たち、若い頃から能力がある人たちは、自ずと勝手に高い世界へと引き上げられ、大人の世界を覗き見し、早々にして絶望したりしてしまう。早々にレールから降りてしまったりする。

妄想や思い込みだけで生きている人と、実際に高いレベルで生きている人には決定的な差がある。

それは、高いレベルを肌身で感じているということ。実感しているということだ。

「高い世界を知っている」

「上の世界を知っている」

この体感値は決定的に重要。

まだ、普通なら、自分の人生や将来に希望を持っているであろう高校生年代、大学生年代で、既にいろんなことについて諦めモードに入っている、別の道に舵を切っている人たちはたくさんいる。

実際、天才タイプは降りるのが早かったりする。

引き際が早かったりする。

 

どうだろう?

優れた人たちのストーリーを聴かされると、「優れてない人たち」の悩みや苦しみなどが、もしかしたら、10年ぐらいスパンが遅れているのでは無いか?と考えさせられてしまうのである。

ダルビッシュは、「10年後の自分は、10年前に戻ってやり直したいと思うはずだろう。だから、10年後の自分が神様に一度だけチャンスを与えられ、10年前に戻ってきた『今』を生きているという設定で、毎日努力し続けている」と語っていた。

 

 

 

PS

ただ、まぁ、サッカー日本代表の最前線で活躍した岡崎、本田、長友、こういう人たちを見ていると、「メンタルモンスター」であることがいかに重要なのかを学ばされるけれどね。この三人は、同世代の中で、「天才」と評価され続けてきた方では無かった人たちだから。

もっと、彼らを上回る、将来を嘱望された人たちが同年代にいた。

技術、才能、それらのみならず、精神性のようなものが重要なのも確かだ。

 

PPS

才能は無いと見切ったら。

努力と教育しか無い。

真摯に学ぶしかない。

へこたれずに頑張るしかない。

中途半端に、自分の中に「何かあるんじゃ無いか」という淡い希望を持つから、メンタルが弱くなるんだ。

天才たちのストーリーは、まさにそういうことを学ばせてくれる。

 

「俺にはできるはずだ」の、俺には、の部分の自信。

この自信をどこに根ざすかが、勝負を分ける。

そう思って。

子供の頃は、『全国』が遠かったけれど、今は届いてることに感謝して。

今日も自分のためになる嫌なことをやります。

 

これが無くなったら生きる希望を失う。

グレる。

それぐらい命を燃やしてこそなんだ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。