熟年離婚の防ぎ方 『相手を敬い干渉しない』を20代はどう受け止めるか

熟年夫婦の未来に警告

 

熟年離婚を防ぐ方法に、『相手を敬い、干渉しない』とある。そして、性格の不一致などは当たり前である、とある。

価値観の違いや性格の不一致で別れる、という説明は結婚をしていない私にも『そんなものは所与の条件である』と既視感があり、共感しかない。が、歴年の達観の先にあるものがリスペクト&ノータッチなのは、正直言って身も蓋もないと思ってしまった。でも、真実であろうと思う。

たしかにその通りだ。

過去、振り返ってみて心地良い上司たちはみんな距離感が絶妙だった。むしろその距離感が有引力を生んだと言っていい。付き合いが長い、多い、密室である、という場合ほどそうかもしれない。

 

空気にでも、なるか。

今そこにあることを当たり前として感謝すらしていない、でも無いと死んでしまう、ありがたい酸素にでもなるか。

実はこの手の考えを若い段階から実行しようにしても、若い女性には受け入れられない。外国人は、日本のように告白という概念がなく、なんとなく一緒にいるというパターンで交際したりする。つまり、恋愛の始まりにわざわざ契約申し込みのようなものはいらない・それは前段階としての恋愛を踏まえた後の結婚フェーズでやることだろう、という考えが海の向こうにあったりする。

 

恋愛は気持ちでするものなのに、最初からかしこまった申し込みがいるのか、と。

その通りだと思う。

もっと恋愛は気持ちに任せて自由にやって良い。気持ちでするものだ。どうして形にこだわるのだろう。

私もそんなことを思うから、実行しようものなら、

ねぇ、私は貴方の何なの?

というようなことを問われてしまい、『うっ、まだ好きかどうかもわからない、とりあえずお試し期間なんだけどなぁ、身体の相性も含めて』と思った事が何度もある。

心のフィーリングがいくらよくても、性行為の相性が悪いと全部パーになる。ちゃぶ台返しになる。だからそれから、粗雑に進めてしまうことがある。このパターンに耐えられるのは、相応にモテているエフィカシーの高いタイプだ。そうじゃないタイプは、どうやら順序を逆にすると、大事なものを粗雑に盗掘された気分になるらしい。たぶん。知らんけど。

ハッキリいって、丁寧に順序を進めていく恋愛、しかも最初から相応に惚れてる恋愛は相手がそれなりにそれなりで無いと成立しないだろう。人がドキドキするというのはそういうことだ。そして、いわばその丁寧に進めた結果生まれるドキドキは、後から『慣れる』『冷める』ものであるから、男女のリアルを知るリアリストはとにかく最初に雑なシチュエーションから始めようとしたりする。大事にされてる私、大事にしてる俺、に酔うのを取り除きたいのである。私はこの手の考えを発展させて、『ソープ嬢と結婚するのが1番良いのでは』と思ったこともある。そこには、世間体の良さもなければ、正当なプロセスも、小綺麗にすることも、駆け引きもない。いきなり裸でお世話され、ぶつかり、裸で話す。ここで場数をこなした先に見つける相性の良い相手というのは、形容しがたいが、特異なものを感じる。逆説的だが、身体から入っているから、『普通のデートの時はどんな服で着てくるのだろう?店外デートをしたらどうなるのだろう?』となるのであり、抑えきれない気持ちはまさにリアルラブなのかもしれない。

遊郭の愛、みたいなシチュエーションには、綺麗事抜きで辛うじて何か光が見えなくも無い。絶望の裏に希望がある、という言葉に共感ができる人たちはリアリストで、そして成り上がったタイプだ。だからこそ、ドス黒い沼地でこそ、何か見つかるという感覚はあると思う。実は求めるものに対して、環境はその真逆、という世界にあった方がハイライトされやすいのである。

密室空間の時間は、明らかに相手次第で『居心地の良し悪し』があるものだ。どれだけ可愛くても『やばい、早く帰りたい』と息苦しさを感じる時がある。私は思う、比較的相性の良い女子との密室空間での時間には、気まずさや息苦しさが無い。

 

もちろん、どれだけでも、かっこつけたり、王道の手順を踏むことはできる。でも、綺麗に始めて、綺麗に進めた恋愛の先にあるものは、ミスマッチになる確率が高いという感覚がある。

江戸時代が羨ましい。江戸時代は、街で、知らない気に入った女のお尻をつねるのがナンパのサインだったというし、男女はお風呂場で出会ったという。裸の男女が入り乱れて、気に入ったらすぐ性行為が始まったらしいのだ。動物的で良いと思う。化粧とファッションと擬態と駆け引きと気遣いから始めるとゴールが遠い。あまりにも剥き出しだけれど、そのくらいが良いと思う。つまり、デコレーションを剥ぎ取りたい。

 

熟年離婚について言及された文章を読むと、たこ焼きのタコを突くような感覚がある。周りの小麦粉は腹持ちが悪く、すぐ溶けて無くなっていく。やはりそうなのか、普遍的なのか、という気がする。男女間の中には、溶けて無くなる『つなぎ』『かさまし』がある。

敬う、干渉しない、は殆ど政治家の論理、外交の論理だ。内政干渉しない。これはまさに、男女を巡るたこ焼きのタコを突くようだ。

私は、まさにそれを見越して、タコからほじくりだし確かめようとするが、『それでは芸がない』『それではたこ焼きではない』と女性からクレームをくらう。しかし、開けてみたら、タコが入ってなかった、イカだった、ウインナーだった、というパターンがあるのだから仕方が無い。

世の中の女子たちは明らかに、性行為に対する意欲や奉仕度に差があり、最初は大体みんなノリノリだが、時間が経つと『遊びに行こうよ』欲求が強いタイプが出てくる。恋愛の捉え方は人それぞれだが、シチュエーション欲求が強いタイプがいる。そして、そのタイプにとって彼氏彼女は、状態への満足、ステータス、アクセサリーでしかないことが多い。そしてこれは非モテに多い。

モテ女子はとりあえずデートはやり尽くしていて、俗に言う『カフェで2時間話しても退屈しない男は相性が合う男だ』理論を試そうとしてくるし、なんなら身体の相性も男レベルで大切にしていて、外にいる時も『早く部屋戻ってしたいね』みたいな空気を漂わせる。つまり、非モテ女子の頭の中は少女漫画で、モテ女子の頭の中は18禁漫画だ。

 

話を元に戻そう。

うちの親はかなり干渉が過ぎた。結局、それは縁が遠くなることに繋がった。1番、心地良い関係性にある親族を思い出せば、みんな距離感が良かった。これに対してうまく噛み合わない人たちはやはり、過干渉、拘束、ヒステリー性があった気がする。私が過去に別れた同棲した彼女とかもそうだった。

でも、過干渉でもうまくさばくコミュニケーション能力と、コミュニケーションエネルギーがあれば良いのかもしれない。バックオフは最も消極的な選択である。生来のコミュニケーション欲求・バイタリティが薄いのと、特に動因が無い場面ではコミュニケーション疲れをしてしまう。

私は、エンターテイナー性があるタイプは、コミュニケーション全般を楽しめるタイプだと思うので、そういう人間と付き合ったり、あるいはウチに秘めたエンターテイナー性を駆り立ててくれる相手を見つけると良いかもしれない。世の中にはレスポンスが良くて、ついつい何かしたくなる相手がいる。

リアクションも芸だ、技能だ、才能だ。

子供が独立し、『子は鎹(かすがい)』が機能しなくなり、夫婦をつなぎとめるものが無くなった時。長年、屋台骨として走りきってきた男性が晩年くらいは好きにやりたいと思いを通そうとしても、生活水準を下げたくない妻に反対に遭う、とある。物足りない生活に妻は、『稼いでお金を運んでくる』ことを要求し、これに反発した男性から熟年離婚を突きつけることも多いとのことだ。

そして、もし、敬うことが関係の条件なら、男性はお金を稼いで運んでくること、女性なら家のことを回すこと、がポイントになってきたといい、それはまさにこの国の過去だったと思う。それが崩れると、崩壊しがちなのだろう。本来、目上に対して向ける敬うという感情を夫婦で向け合うことの理由づけが、男は外で仕事、キッチンは女の聖域、という古典的なモデルで、それが両方から崩れてきた世の中では確かに難しいのかもしれない。

 

熟年離婚には、妻の計画性が背後にあり、男性が思っている以上に前々から決断されたもの。

この感覚はとてもよくわかる。物言わないタイプや大人しいタイプも、このように計画的に縁切りを立案しながら、突然のタイミングで切り出すことが多い。そしてこのようなパターンは、『言っても変わらない』『相手替え・環境替えしかない』という考えが優位にあるタイプのやりがちなパターンだとは思う。

 

サラリーマンが、転職や退職を考えるパターンと同じだ。

会社に意見は通らない。ロイヤリティも無い。ここでは不満だ。でも、そうそう簡単に動けない。とりあえずここにいればひとまず食える。目先のことはやらねばならない。その裏側でひっそりと計画を立てねばならない。

そういう感じであろうと思う。

下手に揉めると動きにくい、というのもある。

 

言いたいことをお互い言わない、そんな夫婦が熟年離婚に至りやすいのでは?という話もよくある。そこで、言いたいことを嫁側に言わせ放題のタイプもいる。しかし、カカア天下のように、かなり尻に敷かれてズタズタにされている旦那もいる。一見、うまくいっているように見えて、完全に引き回されるパターンもある。彼らは熟年離婚に怯えているのかもしれない。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。