現代にサムライを呼び起こす悲劇。

資格は無駄なプライドだけを醸成させてしまう。余計な人付き合いしないで良いのではとか、特別扱いされるのでは、権威の後光が指すのでは、とか思ってしまう。

そんなアホなことを考えずに、10代の頃から頭を下げまくり、怒られまくり、媚を売り、愛想笑いをし、人をヨイショしまくる経験をしておいて良かった。

逆セクハラ、パワハラ、いじり、無茶振り、そんなものはもう、溢れかえっている。

世の中には営業と接客とクレーム処理を経験したことがなく、サービス業に従事する人間たちの心の闇を覗いたことがない人はたくさんいる。横柄な勘違い特権人間が腐るほどいる。これも若いうちによくわかった。

ナンパもしたことない、飛び込み営業も、電話営業もしたことない。そんな温室育ちの奴らはごまんといて、プライドだけブクブクと太らせてしまっている。まぁ、その人たちは後々苦労するんでしょうけど。

現代にサムライを呼び起こす悲劇。受験生も取得者も不幸そうだ。学校教育や広告キャンペーンを無視して、転職サイトでも覗いておけば良いのに。

qualifyという意味で言うのなら、本当に求められる資格、それは20代なら素直さと地頭、30代なら実績とマネジメント能力、40代なら構想力みたいなところか。死から逆算して生きてる私は見事に逆から進めてきた。今の今になって、ようやく、素直さと地頭を磨こうとしているところ。一生懸命数学の教科書を読み込んでいたりする。

いや、10代の頃にさんざん頭下げてましたけど。とりあえず対面でも電話でも文章でも営業できるようになり、ナンパも散々した。カラオケでも歌って踊った。もはやプライドは無かった。笑

さっさと夢からは覚めた方が良い。誰だ、夢を見たら幸せになれるなんて言ったのは。

この世界には言葉遊び、概念遊びが溢れかえっていて、虚構と錯覚のつくりものだらけだ。そんなことよりももっと、身体性を大事にした方が良い。ご飯を食べる、セックスする、寝る、働く、口説くという活動を通して得られる刺激から何かを得た方がよっぽど良い。いつまでも夢を妄想して歳だけ重ねるのは危険すぎる。具体的な行動、勇気が必要だ。

私なんかは、東京に行くと街全体がメタボリックシンドロームなのではないかと思ってしまう。個人的にはいらないものばかりが溢れてるよーに見える。

東京生まれ、東京育ちの知人たちの間でも、東京に対する評価はいろいろ別れる。けれど、肯定的な評価の代表例が『便利』だ。過労に支えられた便利、これ、鶏が先か、卵が先かみたいな話にならない?過労で忙しすぎるから便利さを異常に欲してしまうのでは?ってゆーか、そんなにたくさん商品・サービスがあるのって便利なの?ってね。お気づきかもしれないが、あの多様さ、都会ぶりの恩恵を思う存分に受けられる層はごく一部と言っていい。

まぁ、人生から無駄を省いたら面白く無くなるし、極論、食って寝る、に人生が簡素化されてしまう。これではつまらなすぎる。しかし、私みたいな人間にはどうも、バズワードと概念遊びに満ちた世界が息苦しかったりする。

でも、出家する必要性なんてものは全然ない。

自営業になるためには営業しないといけないけれど、もう、コテコテの営業については若くしてやりきってしまった。16、17歳の時点で上司より先に帰らないとか深夜3時に呼び出されてお迎え行く(バイクでだけどwま、ただの仲良しですよねw)とか、ほんと、やりすぎてたわ。

営業はまさに身体性の極み。

身体性を介してなんとなく実社会に触れた後、私は実社会との関連性が薄い分野へと頭を突っ込んでいった。いわば、概念の操作の世界。インテリの世界だね。

最終的にたどり着いたのは、マーケティングという究極の概念操作の世界。概念の操作を管理部門として、コストセンター作業として行うのではない。プロフィットセンターとして、マネーに火をつけながら資本主義の中で博打打ちをしていく。

そしてわかったこと。

実は、ティーンエイジャーの頃から、構造的に明らかに欠陥があるのに少々無理な営業をさせられる世界と触れる機会があったけれど、営業の限界というものを垣間見てしまった。その時のひっかかりは、マーケティングとの出会いを通して徐々に偉大なる気づきへと変わっていくことになる。

魚の一本釣りを、職人芸としてやってのける。それが営業マン。しかし、マーケティングは営業に負担をかけない。究極的には営業部門の存在意義を消滅させてしまう。現に、スタバには全くもって営業されない。彼らはうざい広告メールすら送ってこない。

世の中には営業してない奇跡的な世界がある。

不動産営業、証券口座開設営業、ビットコイン絡みの営業、MLM、リボ払いやキャッシング関係の営業、はたまたNHKに至るまで、なんでも良いんだけれどバブルや力技に頼った営業では、時々変な輩が出てくる。時勢次第じゃあ実力で売ったと勘違いする自称凄腕営業マンがボンボン出てくる。でも、あーゆーのは金融系高級職と同じで景気にモロに依存してる。

マーケティングは、事業に正しい設定をもたらし、それが効果を持たなくなるまでは確実に安定的なキャッシュフローをもたらしてくれる。完璧に間違っているよりも大筋で当たっている方が良い、を実現してくれるのはマーケティング。

営業がやばいのは無能な働き者になってしまい、事業を間違った方向に遠くまで連れて行ってしまう危険性があるからだ。

優れたマーケティングのもとでは、営業マンは無能な怠け者になっている。

営業が働いてない。

営業が仕事してない。

営業が無能。

もはや営業しない。

営業時間を勝手に変更し出す。

営業が売る気が無い。

これは確実に成功している。

天才的なマーケターの特徴はこれ。背広着ない、名刺持たない、資格いらない、言葉遣い非常識、どこか子供っぽい、接待しない、働く時間が短い、安定してる。

コレ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。