若い頃の自分に会いたい

若い頃の自分に会いたい。

とっても繊細なことを考えていたと思う。

恋愛でどーしたとかあーしたとかじゃなくて、ただ単に、言い知れぬ心の動きというか、靄というか、もはや自分が何を悩んでいるのかすらわからないことへの悩みというか。

 

その頃に感じていたことの一部は、加齢すると感じられなくなってしまった。

たぶん、思考はそんなに、変わってないんだ。17歳ぐらいから変わってない。出来上がってたから。

でもね、歳を取ると何が一番何が変わるかって、感性が変わるんだ。

 

人はそれを成長と呼ぶけど、おれは退化と呼びたい。

なんでだろう?

うーん。

単純に、100%むき出しの素直さで生きてたから、嬉しいとか楽しいとかのひとつひとつの手触りが、濃かった。

 

それはやっぱり、若くて無知で、むき出しで、がむしゃらに生きてたあの頃は、どれだけ夜空を睨んでいても、何も見えなかったからだと思う。

マジでどうなるかわからない。

というか、どうしたいかがわからない。

何がしたいのかもわからない。

 

若さゆえの心はほとんど、宇宙のソレに近くて、解読不能、規模無限大、真っ暗闇。若いゆえの感性で、何かを好み、何かを選び、生きていく。

 

『なんでそうなるの?』

『これはこうだから、こうしたらいいじゃん』

みたいな分別のある対応は、あの当時の心には響かない。

 

何かに対して、どう感じるかは、feelingの領域であって、thinkingの領域ではない。

悩みは時間が経てば解決するってのは、このfeelingの感じが変わるからなんだ。若い頃の辛い悩みとか葛藤は、時間が経てば解決することも多いのだけれど、その代償として感じられる幸福も移り変わっていく。

 

歳をとった人間が、あの頃の感覚を思い出す方法。

昔感じられていた特別な感情体験を思い出し、それに浸る方法。

それは、若い感性むき出しで生きていると触れ合うことだ。

 

青春ドラマとか、甲子園とか、ももクロとか、きっとそーゆーノリで売れるんだろうけどね。

10個下とか、20個下の人間捕まえて、すぐ説教するみたいなのはやめたほうがいい。

たぶん、それは楽しみ方として、間違ってる。

 

大人の鬱屈とした感情はそのほとんどが、大人であることに起因するものだ。

だから、大人じゃない人とかものに触れたほうがいいんだ。

 

恋愛とか仕事で病んでるなって思う人。

疲れてるなって思う人。

そーゆー人は若い何かに触れてリハビリしたほうが良いかもね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。