人は1年でできることを過大評価して、10年でできることを過小評価する。
若いうちはあれこれ体験して、自分の道を探した方が良い
とか言うけれど、あれは半分嘘だ。そう言った方が若者に『良い人』っぽく映るから多用されているのであって、本当に成功させたい人間には15歳までに『10年ギプス』をつけてしまった方が良い。
20代の10年と30代の10年は等価じゃない。時間は量だけじゃなくて質も見ないといけない。
世間のスケジュールに沿って生きていると、単年で生きることになる。
学生生活は単年で動く。共同で動くメンバーも1年毎にガラリと変わる。こんなことは実社会とは少しズレている。
もちろん、単年で出来る事も多いけど、時間軸を長く取れるほど人生は劇的に飛躍させることができる。
長い時間軸は、我慢が長いと言うことではなく変化が大きい=刺激が多い
ということ。激変のドラマを楽しめる。
単年のスケールだと、刺激が小さくてつまらない。
結論から言うと、単年にしても複数年にしても、人生を変える方法はシンプルだ。ここには誤解がつきまとうけれど、真実の方法は
多くをやることではなく、密度・濃度を上げること。
つまり、一点突破すること。集中すること。逆にいえばそのほか多くのことにNOと言うこと。
エネルギーを集中させると何が起こるのかというと、角度上昇が起こる。つまり、変化率が高まる。特に、activityに関してはfixした方が良い。
あれこれやるのは成功した後にやることであって、成功する前にあれこれやる暇なんて無く、これは人生全体に言えること。
スタンプラリーかのように、資格、恋愛、結婚などライフイベントを急いで、薄く広くかき集めていった人間はバックアップやサポート、いわばパトロンや外部協力者に頼らない限り破滅する。頼ったとしても人間関係に拘束されて詰む。
不自由が待っている。本質的に貧困とは不自由を指す。
人生のやり方にはポイントがある。
- 一番危ない賭けを一番若い時にやれ
- 一番リスクやエネルギーがあるものを一番若い時にやれ
- とにかく早い段階で一点突破せよ
- 『若さ』は不可逆的な希少価値で、これの取り扱いで人生決まる
これには理由がある。
リスクが究極的にコスト・ロスに跳ね返ってくるものだとしたら、これは減価償却できる。そして、分配できる期間が長い方が平準化される。だから早くやった方がいい。
もちろん、万が一の場合、単純にコストやロスが人生全体に薄く配分されて終わる場合もあるけれど、これがコストゼロ前提ならリスク回避的になる話はわかるが、そうではない。ポイントは、生きている以上、もう所与の条件としてコストが確定してることだ。人生の各年齢全てにおいて、死ぬまでかかることが決定していることだ。加えて、20代の10年と80代の10年は等価じゃない、状況は悪くなる一方だ。加齢が原則悪いものなのに、日本経済も逆風で悪い。
バイクや飛行機と同じ。やばいならブレーキじゃ無くアクセルを開けるしかない。つまづいて転ぶことを恐れて減速し、失速して転倒・墜落するのは狂っている。
やばいなら頭から突っ込むのが一番良い。スポーツもそうだ。危ないから逃げると余計危ない。
初期の段階で、底上げ、テコ入れに取り組む必要がある。
そしてもう一つのポイントは、シンプルに
- 早くやる・若いうちにやる
- 長くやる
- 絞る
を実行すれば成功しやすくなるということ。遅咲きがあらゆる分野でレアなのは訳がある。
物事には累積効果がある。単純な運ゲーなら経験やスキルが介入してくる余地は無い。ジャンケンのようなもの。しかしそうじゃ無いからスキルやキャリア、時間の話が論じられている。
予測もしやすくなるし、試行回数も増える。
(別に3年じゃなくても良いけど、もっと長くて良いけど)3年で人生を変える方法はシンプル。その3年の枠を綺麗に丸々使い切ることだ。3年のうち、使える分をめいいっぱい使う。チャレンジのスケールがでかければでかいほど、期間は伸ばして仕舞えば良い。5年でも、10年でも、20年でも。
たぶん、人生を謳歌している人は、長いスパンで取り組んでることがある。
そしてそれは、死から逆算して自分の人生についてテーマみたいなものを考えない限り浮かんでこない。死生観が無いとまず決まらない。人生を無限と思っているか、有限と思っているかで態度はかなり変わる。無限と思いつつ、やりたいことをやってたら自然とリスク背負っていた、かもしくは、有限と意識して意図的にリスク背負うようにしていた、のどちらかじゃ無いと思い切ったことはできない。
もし失敗したらどうするって?
その手の反論はよくあるが、そもそも、世の中には初期状態で成功しているのは一部しかいない。たいてい、みんなゼロからスタートして成功を目指すことになる。つまり、デフォルトでみんな失敗状態にある。
初期状態がもはや失敗だ。ゼロというかマイナスというか。
これを、『若さ』の輝きで目眩しているだけ。若いということ自体がある種の成功であり、正解でもある。これはスーパーマリオで例えたらスターを得たような状態である。世の中には、人生イージーモードで生まれてくる人間がいるけれど、全ての人間にも、長い人生の中で比較的『イージーな期間』というものがある。
人が人生間違える理由は、イージーな期間に『イージーな期間中だ』という自覚がないからである。最初にイージーな期間が来て後からハードになる、というルールになっているからだ。それが若さだ。
だから人は人生に後悔しがちだ。
若いとは、素晴らしい。なぜなら、それだけでそこそこ楽しい。なんでもできる。だからこそ、若さの力であたかも『人生持ち上がってるような気分がしているだけ』である。既に述べたように、若さには凄まじい価値があり、未来のために使う事も今の目眩しのために使うこともできる。
しかし12時の鐘は必ず鳴る。
ほとんど必ずと言っていいほど、小学校の頃に楽しかったことは中学校では楽しくなくなり、中学校で楽しかったことは高校では楽しくなくなり、高校で楽しかったことは大学で楽しくなくなり、大学で楽しかったことは社会人では楽しくなくなる。そして、それと並行して全てのコストが右肩上がりで上がっていく。にも関わらず楽しみは減っていく。
そうやって若さの利権から解放されていった先、人はようやく、苦しみ始める。
仮に若さを謳歌する道に走っても、それが異性に流れるのであれば必ず結婚風潮に飲み込まれる。その先にはあらゆる拘束が存在する。なぜなら男女交際もまた、若さの消失への怯えから発生する先物取引と、承認欲求の現物取引で構成されているからだ。20代からは先物取引に承認欲求が絡む二重の複雑性を持つようになる。
世の中には女と、女に嵌め込まれた男たちで溢れていて、それをベースにした風潮が出来上がっているからそこから逸れたままだと居場所を失いかねない。
つまり、
若さを謳歌する
といっても二人プレイ以上の謳歌の仕方ならこれにもタイムリミットがある。
小学校から大人になるまで一貫して楽しいことがあるだとか、ソロプレイで生涯死ぬまで退屈しない、みたいなものがある人間もいるが、そういうのがモーツァルト、バッハ、ガウス、ベートーベン、みたいな感じで歴史に名を残している人間たちであり、彼らは文字通り『●●をするために生まれてきた』という人種である。
謳歌の仕方も色々あるかもしれないが、あちこちの人間はメインのライフイベントに飲み込まれた人生を送っていることを忘れてはいけない。結婚と税金の網の目は社会を覆い尽くしている。LINEをダウンロードせず、スマホを買わず生きていくのが困難になる、というのに近い現象は必ず発生する。
そしてそこから外れた人間は、
変人
と呼ばれるようになり、変には『良い変』と『悪い変』があり、後者に認定されると人生は辛いものになる。
人生において、もし仮に、何らかの『本来は避けたい拘束』などに自ら身を浸していくのであれば、鉄則があって、『可能な限り有利な条件で』というものだ。そして、いわばその『不幸中の幸い』の席というものは枠が限られている。だからこそ、成功している必要がある。そこはある程度、金銭と可換であることが多い。
また、成功は大義名分を与える。
上述したように、初期状態で失敗の人生において、相対的にイージーな期間があることが人生を勘違いさせやすい構造を生んでおり、市井の一般人はこれを、
若い=良い、老いは悲しい
と捉えているが、正確には、もともと人生は悲しく、またほとんどの割合の人々の人生が初期状態で失敗であり、ここに若さのデコレーションとマジックがかかっていたのが、だんだんunveilされていくという方が実態に近いと思う。
だからこそ、成功と呼べるものに向かっておいた人生はその人間に大義名分を与えることになる。人間社会において、納得性のある口実は何に関しても必要である。戦争には世論が、内閣総理大臣就任には天皇が要る。
つまり、成功はパスポートになる。口実になる。
成功を手にした人間は成功者と呼ばれ、違う人種として扱われ、メインストリームルールが適用されない。
そして、別世界の扉が開かれる。
『良い変』の認定も降りやすくなる。
リスクテイクとは、
- 生家、生得条件
- 加齢、老化
- 社会経済上、回避できない生活の制約
をベースに、『もっとも人生が好転しそう』なところに人生という名のコインを積んだタワーの置き場所を考えることであって、
目先のものに対して損しそうとか危ないとかそんな短絡的な判断でするものでは無い
のであり、まさに文字通り生き方である。
ここにあるのは、
普通 or 変
という深遠な問いだ。
そして普通、とは、世間的な普通という意味もあるけど、自分がなんとなく生きているとなんとなく辿りつきそうな場所やそのプロセスとしての人生のこと。デフォルトの設定に任せてだらだらやってたら成れ果てとして辿り着きそうなところ。
これに対して、対極としての『変』がある。
どっちが良いか?どっちが向いてそうか?どっちがやりたいか?というのは、生きていると流石にわかってくる。
ノーマルな人生を良しとするか否か。ノーマルな人生が良しと思えるほどの異性と出会い結婚までこぎつけてその良しが死ぬまで続きそうか否か。
そういう話でしかない。
だから、18歳、20歳、22歳までにやっておくべきことはまさにその『異性』を探す、試す、体験してまわるフェーズであり、女や自分を知る時間である。その意味で10代以上の条件が揃う時はもう二度と無い。
ただし、人によってはこれが20代、30代にずれ込む場合もある。
基本的に、
後悔を最小化しようと未来に先回りして逆算で取り組むべきことをやる
というスタイルを採用し、100%とまではいかなくても主要な後悔事項になりそうなことを避けて生きていれば、もし『今を刹那的に楽しみたい』ということがあってもそれはその時にやることで両立できる。
時間には、不可逆性という絶対法則があるから、先回りして取り組むことをベースにしながら、刹那的なものは定点的に取り組んでおけばまあそこそこうまくいく。
その割合はだいたい、8:2か、7:3か、6:4くらいで良いと思う。
刹那的な楽しみもまた、スルーしすぎると後で後悔を招く。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。